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童話「かあさんあのね」が、生まれた背景  作者: 琴乃夕月
第2章 現実に見えていたものと、そこで感じたもの・・
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再びバグダッド・・バスラへの道のりは遠く・・

北部を一通り見て回った後、再び、バグダッドで南部に向かう準備をする。

バグダッドでは、当時はまだなんとか食材を購入することができたし、水も補充が必要だった。

とりあえず、私たちが泊まっていたバグダッドホテルは、一応5つ星だけのことはあって、水に関しても火を入れて使う分にはそれほど問題があるようには思えなかった。

そのため、ホテルのシャワールームで、水を入れて持って行くことにした。


かなり被害がひどいとされている南部では、バグダッドのようにレストランなどで食事をとれるかどうか定かではなかった。

市場で購入した食材は、ジャガイモ・人参・玉ねぎ・・多少の高温下での移動にも耐え、少ししなびていても火を入れれば問題ない食材・・日本のような調合されたルーはないけれど、ターメリックなどの香辛料があり、中東っぽい香りにはなっているがブレンドされたカレー粉・・肉はなくても仕方がない・・米もヨルダンから配布用と自分たちの非常食として積んできている。

飯ごうやキャンプ用のバーナーを日本から持参している人もいたから、最悪の場合、自炊するのに水の確保さえしていれば大丈夫だと思われた。


ちなみに、バグダッドでは1度だけだったが、ティグリス川でとれる、バグダッドフィッシュなるものを食べたことがある。少し大きめの川魚で鯉のような・・でも、白身のその魚は鯉のような臭みもなくて、淡白なのにジューシーで、一尾丸ごとを半分に開いた状態で炭火で焼いてくれる店があった。食べると鯛の塩焼きに少し似ているような気がした。中東に来てからというもの、ヨルダンでもケバブかチキンばかりだったので、この魚はすごくおいしく感じた。


バグダッドの中心部を流れるティグリス川とそれと並行して走るユーフラテス川は、中流域で二つの川の間が狭くなる。ここから下流に行くに従い、二つの川はまた間を広げ、最終的には1つに合流してペルシャ湾に流れ込む。


バグダッドから南下するルートは、2つの大きな川に挟まれた地域を行くことになるので、橋がないとどう進んだものやら、方向音痴の自分にはぐるぐる回ったというイメージしかない。

(カルバラやナシリアあたりまでは、それほど迂回することもなかったように思うが、バスラにたどり着くまでにはかなりぐるぐる回った)


バスは川に架かる橋がことごとく落とされているため、迂回につぐ迂回で、すごく時間をかけて南へと走る。この橋を新しく架けなおす材料は、経済封鎖で薬や粉ミルクのようなものまで排除されているこの時期、もちろんイラクに入ってくることはないが、それでも今あるものを利用しながら仮橋のようなものをイラクの兵士たちが作っていた。まるで、日本の自衛隊が災害時などで行っているかのような、そんな役割を彼らは果たしていたと思う。この時の彼らの顔は、みじめな敗残兵の顔ではなくて、自分たちがこの国を立て直すんだというような気持からなのか、とても生き生きとしていたことを覚えている。私たちのバスはそうやってできた仮橋を渡っていたのだった。


カルバラ病院で小休止を取るが、この辺りまではそんなに難しい道のりではなかったと思う。ただこの病院の傷跡も痛ましい。壁の上のほうにごっぽりと大きな穴が開いて、砲撃の凄まじさを思わせる。無数の銃撃の跡も残っているが、このカルバラはシーア派の聖地でもあり、連合軍が引き上げる際、この機に乗じ、シーア派とフセイン政権の中核を占めるスンニー派との間で内戦状態になったとも聞いた。

自分が、ここに訪れることができたのは、ずっとイラクで反戦活動をしていた僧侶がいたからということを書いたが、その僧侶は、3月にもこの地を訪れていて、カルバラ病院の庭を埋め尽くす死体を弔ったとのこと。ナジャフ、ナシリアと順に南下すればするほど、がれきの山が増えていく。


そのことが起きたときにイラクにいなかった自分には、どの傷跡が内戦によるもので、どれが連合軍による破壊なのかは知る由もない。

ただ、クラッター爆弾がアメリカ軍のばらまいたものであるのと同様、その後何年にもわたって、イラク国民の体を蝕み、その放射能による被ばくによって、最終的に何十万人ものイラク人を殺すことになった劣化ウラン弾を使用したのもまたアメリカ軍だ。


(戦争による死者を言うとき、その数は直接の爆撃によって死んだ人よりも、はるかに多くの人が亡くなることは周知の事実である。その後も繰り返された空爆を含み、放射能被害だけでなく、戦後の12年間にもわたる経済制裁とによる死者も数える必要があると思う・・ちなみに、96年に自分の行ったコンサートの際、「経済制裁によって食糧や医薬品がほとんど入らず、死亡率はどんどん上がっています。この5年間に死んだ人は100万人を超えました。そのうち子供が53万人・・」ということを話しています。)


**** のちになって、被害がどんどん明らかになっていくにつれ、判明したこと ****


2014年6月19日「ガーディアン・オンライン」の記事に、オランダの平和団体「PAX」による報告書が公表した、2003年のイラク戦争にかかわる報告とともに、1991年の湾岸戦争においていったいどのくらいの劣化ウラン弾を用いたのかを載せていた。この報告書は、その前年にオランダ軍が駐留した地域の劣化ウラン汚染を懸念したオランダ国防省の要請に対し米軍が与えてあった劣化ウラン弾発射のGPS座標(位置)情報、標的リスト及び発射数とともに情報提供したもので、「PAX」は情報公開法を利用して、「劣化ウラン問題」に対する情報の透明性を求めて入手したものが元になっている。


PAXがまとめた報告書によれば、2003年のイラク戦争において、米軍の攻撃機や戦車によって発射された劣化ウラン弾はおよそ1万発に上ったこと、またその位置情報が明らかとなった。これら1万発の劣化ウラン弾は、サマワ、ナシリヤ、バスラなどを含む、人口密集地帯か、その周辺で使用されている。また、1,500発は、戦車などの標的ではなく、軍隊を標的として発射されている。

こうした事実は、一般市民への危害を禁じた国際法、および、米空軍による「劣化ウラン兵器は、戦車や装甲車など、硬性の標的にのみ使用されるべきである」とする指示(1975年)にも背くものであると、今回の報告書は指摘している。


そしてそこに記載されていたもう一つの報告・・なお、1991年の湾岸戦争においては、約78万発の劣化ウラン弾が米軍によって使用されている。(これは、湾岸戦争だけで、300トン以上の放射性廃棄物・劣化ウランが環境中に拡散されたことを意味する。)PAXによれば、イラクでは、劣化ウラン弾によって300個所が汚染されている。



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