バスラからクウェートへ続く道・・死の行進
私が南部を訪れたとき、街は粉々に破壊され、街そのものががれきの山と化していた。
でも、これに関して言えば、湾岸戦争の空爆によるものなのか、その後に起きた内戦によるものなのかは、その時に、そこにいなかった私には区別をつけることができない・・
いったん停戦合意がなされた後に、米英が出した「フセイン体制を打倒するように」との呼び掛けに応じて、もともとスンニー派とシーア派との対立があったイラク国内で、南部に多かったシーア派住民が、スンニー派が主流を占めるバース党政権に対して武装蜂起したため、という話は聞いた。
当時の記録として、約11万回にも及ぶ米軍機の出撃があったとされているのだから、内戦を差し引いたとしても、空爆で粉々になった建物も相当多かったんだろうとは想像できる。
そして、確かなことは、イラクは過去一度もクラスター爆弾を使ったことがない・・仮に製造していたことがあったとしても、対外的にすら使用していないのだから、南部に大量にばらまかれたクラスター爆弾は、確実にアメリカ軍の落としていったものだ。
クラスター爆弾というものの存在は、現地で見て初めて知ることになった。
それまで、戦争や兵器といったものについて何も知らなかった私は、砂漠の・・つまり落下地点が固いコンクリートや鉄板でないような場所・・の場合、かなりの確率で不発弾となるといわれるその爆弾を、道端で見つけたときに、なんだろう??と思って手を伸ばしかけた。
一緒にいた人の中に、中東でこういった戦地に赴いてカメラを構えてきたジャーナリストがいてくれたおかげで事なきを得た。
初めて聞くそのクラスター爆弾というものは、あまりの残虐さから国際法で禁止されている爆弾だという。
そんなものをこんなに、ばらまいて許されるのか?
クラスター爆弾というのは、まず爆撃機で親爆弾を投下すると、空中で(前もって高度を設定できるらしい)親爆弾の後部が自動的に開くようになっていて、数個から数千個の子爆弾がばらまかれる仕組みだという。
クラスター爆弾の子爆弾は、たとえ1個でも人の命を奪ったり、戦車を破壊したりするのに十分な殺傷能力がある。湾岸戦争でアメリカ軍が使ったBLU-97という子爆弾は、大きさが6cm×20cmくらいの缶ジュースのような円筒形(この中に混合された高性能爆薬が287g入っている)のものだった。
この高性能爆薬は、爆発すると、鋼鉄製の筒が300個ほどの破片になって、毎秒5000メートル以上の超高速で周囲に飛び散るようになっている。この破片の威力は、戦車に使われている12.5ミリの厚さの装甲鉄板を貫通するほどすさまじい。
子爆弾は戦車や建物、硬い地面に当たると爆発するけれど、やわらかい畑や沼地では・・当然砂漠に落ちても・・不発のまま地面に埋もれたり、地表に残ったままになる。
クラスター爆弾は、実際に地雷や不発弾の除去に携わっているNGO関係者からは、5%~30%が不発弾となってしまうという報告がされている代物だ。
砂漠のような場所だと、100発あればそのうち30発が不発のまま残ってしまう計算だ・・
赤十字国際委員会(ICRC)は、クラスター爆弾の子爆弾を除去するのは、迫撃砲弾やロケット砲弾のような不発弾の除去に比べて、とてもやっかいなものだという。
子爆弾の信管は、外気温が変化しただけでも爆発してしまうほど敏感に反応するので、信管を除去することはできないため、その場で爆破処理しなければならない。
また、強い風が吹いたりして子爆弾が動くと爆発する可能性もあるし、地雷探知犬も子爆弾に触れてしまうため使用できない。電磁波に反応して爆発することもあるため、通常の金属探知機は使用できないのだという。
クラスター爆弾で、子供たちがうっかり触って手足を吹き飛ばされたりする事故は、南部では後を絶たなかった・・至近距離でこの細かな大量の破片を体に受けると、その鋼鉄の破片によって引きちぎれた部分は、ぐちゃぐちゃになる・・・・・こうなってしまったら、たとえ命が助かったとしても、切断するしかない・・・
このがれきまみれのバスラからさらに、クウェート国境に向けて、私たちの乗ったバスは進んだ。
ここは、「死のハイウェイ」と呼ばれた道・・国連の降伏勧告を受け入れ、イラクに戻る途中の無抵抗のイラク軍に対し、米軍は隊列の前後の集団を攻撃し足止めした後、動くもの全てに対し大殺戮を行い、約1万人のイラク兵を全滅させた。それから、3か月も経っているのに、戦車はあちこちに散っていた。




