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童話「かあさんあのね」が、生まれた背景  作者: 琴乃夕月
第2章 現実に見えていたものと、そこで感じたもの・・
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フセイン大統領が考えていたこと・・宗教に頼らない統一国家

イラクに入って、それまで自分が聞いたり読んだりしていたことから想像していたイメージが次々と覆される中、私たちはアラブの人たち全体に対して、もしかしたらとんでもない思い違いをしているのかもしれないと思うようになった・・

私たちがイラクのみならず、アラブの人たちに抱くイメージの根本にあるのが「ハムラビ法典」に記されたあの一文・・おそらく日本人の多くは社会の授業の中で一度は目にしたことがあるだろうと思われる例の言葉「目には目を、歯には歯を・・」

この言葉がどういう文章の中に置かれたものだったのかも知らずに、この部分だけを抜粋して、必ずリベンジをしようとする人たち・・「復讐=血で血を洗う戦闘」を日常に感じている人たちと読み違えることで、大きな誤解をすることになったのではないかと。


実は、フセイン大統領の組閣人事は、宗教一色に固められてはいなかった。つまり、バース党は、スンニー派と呼ばれるイスラム教徒がほとんどかも知れないが、(自分の故郷であるティクリート出身者が多い)、その閣僚にはキリスト教徒もいればシーア派もいるし、さらに言うならイスラム圏では到底考えられない女性の大臣だっていたのだから・・

彼はその能力さえあれば誰でも、それなりの地位を得ることが可能であるということをきちんとイラク国民に示していた。


(2003年になってイラク戦争が起き、イラクの閣僚がテレビに映し出されたことがあったが、その映像でまだ若いきれいな女性が大臣として映っていたことを記憶している人がいるかと思う・・実際に彼女は優秀で、サダム・フセインという人は、そういった優秀な人は男女を問わず国費で留学させていた。)


イラクではほとんど英語で話すことに苦労することがなかったという話をしたが、これは別に自分が知識階級の人間(医者であるとか、お役所関連に勤めている人たち)ばかりと話をしていたわけではない。

当時のイラクは中東では最も女性が安全に(夜7時ごろになってから、たったひとりででも)出歩ける状況だったから、ホテルの近所をうろつくことはよくあった。


(イラクは当時軍がしっかりしていたので、イラク国内にはアルカイダのようなテロリストは入り込むことができていなかった。

そして、平時は警察や自衛隊のような働きをしていたので、実に治安が良かったのだ。

そういう人たちに出来心がないのかと問われれば、それを支えていたのが彼ら自身の誇りだった・・と言えば、理解してもらうことってできるだろうか?)


そんな時、家の前にテーブルを出してミントティーをすするお年寄りをよく見かけた。

「お茶でも飲んでいかんかね?」と声をかけられるので、私はいつも喜んで接待を受けた。

彼らの勧めるチャイは、歓待しているほど砂糖がたっぷりと入り、透明なグラスの底に砂糖がとごっているのが見えるほど・・しびれるほど甘いけど、でもちぎりたてのミントがたっぷりで、疲れは飛んでいく。

ほとんどの場合、こういったお年寄りの周りには若い子たちがいて、通訳をしてくれた。


たいていの場合、日本人である私が聞かれるのは、なぜ日本はこの戦争にお金を出したのかということ・・

でも、彼らはそのことで私を責めているわけではなかった。

彼らは、政府と国民一人一人は別だという認識を持っていた・・みんな基本的に日本のことが好きで日本人を信用していた。

彼らのほとんどが、日本に対し尊敬の念を抱いていることが「第2次大戦で焼け野原になったあの状況からこんなに短期間で立ち直り、世界一の経済大国になった(当時は日本が世界第1位のGNPを誇っていた)」ということ。

あのアメリカと戦い、広島と長崎に原爆を落とされながら、よくぞここまで・・ということである。

だから自分たちもきっと立ち直れる・・と日本の姿に自分たちの未来を重ねて希望を抱いていた。

そして、日本の憲法第9条のことについても、きちんと知っている人が多かった。


「日本はこのように平和を重んじる民族なのだから」という観点に立っているからこそ、どうして戦争のためのお金を出したのかを純粋に知りたかったのだ・・

それに対して、私たちはイラクのことをあまりにも知らなかった。

なぜこれほどまで理性のある人たちが揃っていたイラクがクウェートに侵攻するという事態に発展したのか‥それこそが、第2次世界大戦勃発時の日本の置かれた状況とあまりにも酷似していた・・


彼らがみな等しく、誇り高く、私たちのことを敵国の人間だと扱うことなく、目の前にいる人間ときちんと対峙する姿勢はどこから生まれたのだろうか・・

それに関して、おそらくと思われることが、彼らの英訳によって気付かされた。

フセイン大統領は、ことあるごとに、「自分たちは、世界最古の文明を築き上げた輝かしい民族だ・・常にこのことを忘れず、歴史に恥じない人生を送れ」というようなことを演説の中に盛り込んでいたようだ。

だから彼らは、みな自分の国の歴史に誇りを持ち、そんな祖先をもつ自分たち自身に流れる血に対して、ゆるぎない自信を持つことができていた。


また、彼はイラク共和国防衛隊にも血縁・地縁によらない能力主義を採用していた。

指揮官にイラク軍の有能な将校が就くことで、イラン軍の撃退、後のクウェート侵攻でその作戦能力を誇示することができた。

この師団の名前のなかに、イラクの歴史やイスラム教にちなんだ英雄的な名称が見られる。

「ハンムラビ師団」(第1機械化歩兵師団)や「ネブカドネザル師団」(第6自動車化歩兵師団)といった名前だったり、メディナ機甲師団、正しくはアル・メディナ・アル・ムナワラ(=輝けるメディナ)師団というふうに・・

もちろんこれは、「ハムラビ法典」を残した古バビロニア帝国のハムラビ王(在位紀元前1813~1781年)のことであろうし、新バビロニア帝国のネブカドネザル王(在位紀元前605~562年)と言えば、イスラエル人のユダ王国を滅ぼしエルサレムを占領し、バビロン捕囚でユダヤの上層部を連れ去った人物・・この二人に対するフセイン大統領の想いがあるのだとすれば、そのハムラビ法典についてきちんと知る必要があると感じた。

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