クルド人に対する虐殺は本当にあったのか?
前回の地図が置かれているサイトにも記載されていたことだが、湾岸戦争の始まる前のこと、フセイン大統領にも「自国民であるクルド民族に対し迫害をした」という報道があった。
「1988年3月16日、イラク北部の町ハラブジャで、イラク軍の毒ガスにより5000人のクルド住民が死んだ」という内容で、イラク攻撃への支持を訴える意味を込めて、世界中に配布されている。
ここで、ハラブジャという地名がどのあたりなのかわからない人もいると思うので、改めて前回の地図を見ていただけると、イラクとイランとの国境付近にあることがわかっていただけると思う。
この報道が世界に向けて発信されたのは、湾岸戦争が引き起こされる前の段階で、「サダム・ フセインは自国民(クルド民族)に化学兵器を浴びせた狂気の暴君だ」というイメ-ジを与える宣伝キャンペ-ンの一つとして利用された・・実は、私もそういうことが実際に行われたんだと思っていた。
まず一つ目の問題は、だれがだれをどんな化学兵器で実際に攻撃したのかということ。
二つ目は、それがどういうシチュエーションで起きたことだったのかということ。
イラン・イラク戦争の時、武装ほう起したイラン側のクルド人だけでなく、イランそのものに対し化学兵器による応戦を行ったのは、国家間の戦争であり、相手は敵国側の戦闘員である。
そして、フセインが使ったマスタードガスは確かに毒ガスだが、この時イラン側もまた別なタイプの毒ガスを用いていた。つまり、両国が同時に化学兵器を使いあっていた時期だった。そして、イラク側のクルド人(つまり、迫害による虐殺があったとされるハラブジャに居住区を持つクルド人のこと)を殺した毒ガスはイラン側が所有するシアンガスだったと、その検診をしたトルコの医者が証言している。
湾岸戦争に突入させるためにブッシュ大統領(父)がこの当時のことを引き合いに出したとき、CIAのイラク担当だったアメリカの陸軍戦争大学元教授は「毒ガスはイラクではなくイランのものだった」と主張。1988年3月16日は、ちょうどイラン・イラク戦争の真っ最中で、犠牲者はイランしか持たないシアン(青酸)ガスで死んだ兆候を示していた。元教授によると、ハラブジャを現地調査した国防総省の情報機関は1990年春、部内報告として、クルド人殺害はイランのガスによるものと結論付けていた。ところが、連邦議会の調査委員会は「イラク軍がマスタードガスと神経ガスでクルド人10万人を殺した」と発表し、イラク虐殺説が広まったという。
だが、密室ではなく戸外に散布したガスで一度に10万人も殺せるのかと、当時から首をかしげる専門家も少なくなかった。その後、「5000人」という死者数が多用されるようになったが、2009年10月のCIAの報告書は死者を「数百人」と記し、ここでもまた、宣伝用の数字(5000人)と大きな食い違いを見せている。
もちろん、戦争だからといって、そんな化学兵器をイラン側にしろイラク側にしろ使っていい理由にはならない。
でも、思い出してほしい・・私たち日本人は、第2次世界大戦でアメリカにどんな兵器を使われたのか・・広島と長崎に落とされた原子爆弾は、それぞれが違うタイプのものだった・・彼らは二つの爆弾を使って人体実験を行ったのだとも言われている・・多くの科学者はこの時、戦争にこれらを使うことに対して否定的だったとも言われているが実際には使われた。かなりの長い期間、被爆による苦しみを抱える人たちを多く残し、広島と長崎は街そのものが一瞬に消えた・・日本の八月の空には大きな傷跡が今もぱっくりと開いている。
そして、湾岸戦争でアメリカがイラクに対しどんな兵器を使ったのか・・
(さらに、その12年後の経済制裁を続けて武器もなく疲弊しきっているイラクに対してどんな仕打ちをしたのか・・12年後のイラク戦争という名の下に行われたものは戦争だとは思えない・・明らかに一方的に力の差がある状態で、新しい兵器のオンパレードをするというのは、この武器を次の紛争地帯に売るための宣伝としか思えなかった。)
***湾岸戦争の時の記録として、後にわかったこと***
全体の爆撃のうち、ピンポイント攻撃によるものはわずか7%で、イラクの数万人の非戦闘員が爆撃によって殺された。「民間人にほとんど犠牲者が出ない」と言っていたにもかかわらず・・・・
イラクに対する米軍機の出撃回数・・約11万回・・それによる死者は5万人以上。
使用された爆弾のうち、南部にばらまかれていたのは、非人道的な対人兵器として国際法で使用が禁止されているクラスター爆弾・・さらに、新たにこの戦争では劣化ウラン弾も使用され、その後のイラクにおける子供たちの白血病と甲状腺がん患者の急増を招くこととなった・・




