第8話 団長、それはデートです
翌朝、私は門の前で、団長にゆうべのことを話した。
裏口に来た男のこと。手紙を束ごと、言い値で買うと言ったこと。
封蝋のことだけは、言わなかった。
騎士団の紋のついた、差出人のない一通。団長に話せば、きっとすぐに、誰が書いたのか調べてくれる。騎士団の中のことで、この人に分からないことはない。
でも、あれは、最後に読むと決めた手紙だった。最後のその日まで、差出人を知らずにいたかった。どうしてそう思うのかは、自分でもうまく言えなかった。
団長は話を聞き終えると、しばらく黙っていた。
「今夜から、裏口に騎士を一人置きます。手紙のある部屋の窓の下にも、もう一人」
「そこまで、していただかなくても」
「三百四十二通は、あなたが三年かけて受け取るはずだったものです」
団長は、屋敷の二階の、私の部屋の窓を見上げた。
「一通も、渡すわけにはいきません」
部屋に戻ってから、私は引き出しの奥の封筒を取り出して、日記の最後の頁に挟んだ。日記は、出かけるときもいつも鞄に入れている。今日からは、この一通も一緒だ。
ミナには、封蝋のことは誰にも言わないでほしいと頼んだ。ミナは何も聞かずに、頷いてくれた。
*
昼前に、ヴォルフ様がやってきた。団長が、朝のうちに呼んでいたらしい。
門の前で、団長は今夜の段取りを話した。
「夕方、西区の運河沿いの第七倉庫を見に行く。騎士服では目立つから、普通の服で行く。リゼット嬢と二人で、運河沿いを歩いているふりをする」
「ふり」
「運河の水は、西区の外れの水門を通って川へ出る。舟で荷を動かすなら、必ずそこを通る。お前は部下を二人連れて、日が暮れる前に水門番の小屋に入っていろ」
団長は、懐から一枚の紙を出した。
『ゲルト商会に関わる荷と帳簿を、騎士団が改めることを許す ユリウス』
「一昨日の晩、両替所のお達しと一緒に、殿下がもう一枚書いてくださった」
ヴォルフ様は、紙と団長の顔を見比べた。それから、私の顔を見た。それから、もう一度、団長の顔を見た。
「確認していいですか、団長」
「何だ」
「夕方。運河沿い。灯りがともるころ。普通の服で、リゼット嬢と二人で歩く」
「そうだ」
「腕は」
団長は、一拍おいた。
「……組む。恋人のふりをするなら、そのほうが自然だと、ベルモント家の令嬢が」
ヴォルフ様は、天を仰いだ。
「団長。それは、デートです」
「調査だ」
「世間では、それをデートって言うんです」
私は門柱の陰で、聞こえないふりをした。耳まで熱くなっているのが、自分でも分かった。
*
昼過ぎ、私は西区の箱を開けた。
運河沿いで暮らす人の手紙が、あるかもしれないと思ったのだ。
十二通目に、それはあった。太い、不器用な字だった。
『運河の第五から第八までの倉庫の番をしております、オットーと申します。あの冬、荷揚げ場で熱を出した者が出ましたとき、お触れのとおりすぐ小屋に移しましたら、仲間に一人もうつりませんでした。お触れを考えたのは、殿下ではなく、侯爵家のお嬢様だと聞きました。ありがとうございました』
第五から、第八まで。
第七倉庫の、番人だった。
*
夕方前に、クララが大きな包みを抱えてやってきた。
「私の服よ。いちばん地味なのを選んできたわ。侯爵家のお嬢様のドレスで運河を歩いたら、三歩でゲルト商会の手下に覚えられるもの」
包みの中は、淡い青の、飾りのない木綿のドレスだった。ミナが髪をほどいて、町の娘のように、うしろで一つに編んでくれた。
鏡の中の私は、いつもより少しだけ、顔がやわらかく見えた。
門の前に降りていくと、団長が立っていた。
騎士服ではなかった。茶色の、くたびれた上着。どこにでもいる町の男の格好だ。
ただ、袖が、手首より上で終わっていた。
「……副団長さんの上着ね」
クララが、腕を組んで団長を眺めた。
「袖が、足りてないわ」
「副団長のものしか、借りるあてがありませんでした」
「まあいいわ。どう見ても、恋人に会いに来た傭兵だもの」
団長は、クララの言葉を聞いていなかった。
私を見ていた。
それから、いつもより少しだけ低い声で言った。
「……よく、お似合いです」
言ってすぐに、団長は運河のほうへ目をそらした。
クララが、満足そうに頷いた。
「合格。行ってらっしゃい」
*
西区の運河は、日が傾くと、本当に灯りの道になった。
岸に沿って並んだ街灯に、一つずつ火が入っていく。黒い水面に、その灯りが細長く揺れて映る。荷揚げ場の仕事を終えた人たちが家路を急ぎ、そのあいだを、腕を組んだ男女が、ゆっくりと歩いていた。
運河の入り口で、団長が、黙って右の肘を少しだけ曲げた。
私は、その腕に手をかけた。
固かった。石の柱に手をかけたのかと思うくらい。
「団長。腕が、固いです」
「……緊張しております」
あまりにまっすぐに言われて、私は笑いそうになった。笑ったら、たぶん、私の手も固くなっていることがばれてしまう。
岸の道を、灯りを数えるように歩いた。
橋のたもとで、籠を下げた若い花売りが、私たちの前に回りこんできた。
「そこのきれいなお嬢さん、一輪どうです? 黄色いのは、今夜で最後ですよ。お連れさんは……お兄さん?」
「いえ、護衛……」
言いかけて、口を押さえた。
花売りの目が、きらりと光った。
「護衛? なんだ、じゃあお嬢さん、今夜は一人みたいなもんだ。それなら、この一輪は俺から。灯りでも見ながら、少し──」
差し出された花を、私が受け取るより先に、横から大きな手が取った。
団長だった。
花売りの籠に銅貨を一枚落とし、取った花を、自分の手で、私の手に握らせた。
「恋人です」
花売りは団長を見上げて、袖の足りない上着を見て、それからもう一度、団長の顔を見上げた。
「し、失礼しました!」
籠を抱えて、橋の向こうへ走っていった。
私は、手の中の黄色い花を見下ろした。
「……ふり、ですよね」
「ふりです」
団長は前を向いたまま、少しだけ間をおいた。
「ですが、先ほどの男から受け取られるのは、嫌でした」
私は、何も言えなかった。
街灯の灯りが、また一つ、水面に揺れた。
*
第七倉庫は、運河の曲がり角にあった。
石造りの大きな倉庫が四つ並び、その端に、板張りの小屋が一つ。小屋の窓に、明かりがともっていた。
戸を叩くと、白い髭の老人が顔を出した。
「なんだい。荷の受け取りなら、明日にしてくんな」
「オットーさん、ですか」
私は、鞄から手紙を出した。
「リゼット・オルフェです。三年前に、お手紙をいただきました」
老人は、手紙と私の顔を、何度も見比べた。それから、ランプを持ち上げて、私の顔を照らした。
「……侯爵家の、お嬢様かい。本当に」
「はい。遅くなって、ごめんなさい」
オットーさんは、手紙に手を伸ばしかけて、引っこめた。前掛けで、何度も手を拭いた。拭いてから、ようやく、私の手の中の手紙に触れた。
「返事なんて、来るはずがねえと思ってた。こんな字で、お嬢様に手紙を書くなんて、恥ずかしいことをしたと思ってたんだ。でも、どうしても、言いたくてよ」
太い指が、自分の書いた字を、そっとなぞった。
「荷揚げの仲間は、みんな食いっぱぐれの連中だ。熱で一人でも倒れたら、家族ごと冬を越せねえ。それが、あの冬は、一人も欠けなかった」
「どういたしまして」
オットーさんの目尻のしわに、ランプの灯りがにじんだ。
「……長生きは、するもんだな」
*
小屋の中で、私は第七倉庫のことを聞いた。
オットーさんは、窓の外の暗がりに目をやって、声を落とした。
「七番は、ゲルトの旦那の借りてる倉庫だ。ふだんは、たいした荷も入らねえ。ただ、去年の秋と、その前の年の秋に、一度ずつ、両替所の馬車が来た。護衛つきでな。重てえ木箱を何個も運びこんで、空の箱を積んで帰っていった」
「金貨です」
「だろうな。そんで、その晩のうちに、別の連中が来た。見たことのねえ男どもで、運びこまれた中身を別の木箱に詰め替えて、舟に積んで、水門のほうへ出ていった。どっちの年も、同じだ」
オットーさんは、棚の上の、欠けた茶碗をどけた。その下に敷いてあった板を、引き抜いて私に見せた。
「一年目の晩に、一つ、木箱を落っことしやがってな。蓋が割れて、連中はそのまま置いていった。もったいねえから、棚板にしてた」
木箱の蓋の、半分だった。
割れた端の近くに、焼き印が押してあった。半分は割れ目の向こうに失われて、残っているのは、円の一部と、その中の短い線が二本だけだった。
どこの印なのか、私には分からなかった。
「お借りしても、いいですか」
「持ってきな。どうせ、ただの棚板だ」
団長が、板を受け取って、上着の内側にしまった。袖は足りないのに、身ごろは広い上着だった。
オットーさんが、窓の外に顎をしゃくった。
「それによ。七番は、今夜もやけにやかましいんだ。日が暮れてから、男どもが出入りしてる」
*
小屋を出ると、第七倉庫の大きな扉が、半分開いていた。
中から、明かりが漏れていた。男が四人、木箱を二つずつ抱えて、運河に着けた平たい舟に運んでいる。
団長が、私の肩をそっと引いた。
岸に積まれた酒樽の陰に、二人でしゃがみこむ。団長の上着の中に、半分包まれるような格好になった。
「金貨では、ないようです」
団長が、耳元で囁いた。
「金貨の箱を、一人で二つは抱えられません。中身は、もっと軽いものです」
最後の箱が積みこまれると、舟は岸を離れた。竿を差す音が、運河の下手へ、水門のほうへ遠ざかっていく。
「追わないんですか」
「水門には、副団長がいます」
団長は立ち上がって、もう一度、右の肘を曲げた。
「恋人は、走りません。歩いて参りましょう」
*
水門に着いたとき、舟はもう、閉じた水門の前で止められていた。
水門番の小屋の前で、水門番の上着を着た男が、ランタンを掲げていた。
ヴォルフ様だった。
「いやあ、夜の荷は改めるのが、王都の決まりでしてね。……と言いたいところですが」
ヴォルフ様は、水門番の上着の前を開けた。下に、騎士団の紋が見えた。
「騎士団だ。ゲルト商会の荷は改めさせてもらう。王太子殿下のお許しだ」
舟の上の男たちが、顔を見合わせた。次の瞬間、二人が運河に飛びこんだ。
水しぶきが上がった。二人は向こう岸まで泳ぎ着き、暗がりの中へ消えていった。残りの二人は、小屋の陰から出てきた騎士に、あっという間に腕を取られていた。
ずぶ濡れの舟の上で膝をついた男に、ヴォルフ様が、にっこり笑いかけた。
「あ、どうも。いい夜ですね」
*
騎士が、木箱の蓋をこじ開けた。
中には、紐で束ねた帳簿が、ぎっしりと詰まっていた。
「昨日の言伝が、効いたようです」
団長が、低く言った。
「両替所の帳簿に全部残っていると聞いて、自分たちの帳簿を、王都の外へ逃がそうとした」
私は黄色い花を団長に預けて、一冊を取って、開いた。表紙の裏に、商会の名前。ゲルト商会、内帳。
最初の頁に、ゲルト商会が請け負った、殿下の名前で出た事業が、一行ずつ並んでいた。
北区の水路。孤児院の屋根。南区の石橋。港の荷揚げ場の修繕。東区の井戸。
どの行にも、三つの数字が書いてあった。一つめは、会計院から受け取った額。二つめは、本当に工事に使った額。
三つめの数字の頭には、数字の代わりに、小さな印が描かれていた。
私は、団長の顔を見た。団長は、もう上着の内側から、あの板を取り出していた。
ランタンの灯りの下で、板の焼き印と、帳簿の印を並べる。
割れて半分になった円。その中の、短い線が二本。
帳簿の印には、割れて失われた残りの半分まで、そっくり描かれていた。円の中に、鉤のような形がひとつと、その肩に短い線が二本。
三つめの数字は、消えたお金だ。その行き先に、この印がついている。
私は、頁をめくった。
南区の石橋。去年、手紙をくれた人がいた。雨の日でも、子どもが学校へ渡れるようになったと。
その行にも、三つめの数字があった。
港の荷揚げ場。東区の井戸。私が三年かけて引いた線の、ほとんど全部に。
指先が、冷たくなった。
「……北区だけじゃ、なかった」
声が、震えた。
団長が、何も言わずに、私の手から帳簿をそっと取った。それから、空いた私の手に、さっきの黄色い花を、もう一度握らせた。
花は、運河の夜風で、少しだけ冷たくなっていた。
*
帳簿の箱は、ヴォルフ様が騎士団へ運んでいった。
屋敷への帰り道、私は気づいた。団長の腕に、まだ手をかけたままだった。
「団長。調査は、もう」
「はい。終わりました」
団長は、腕を下ろさなかった。
「ですが、屋敷の門までは、恋人のふりを続けたほうが安全です」
「……そうですね」
私も、手を離さなかった。
さっきまで石の柱のようだった腕は、いつの間にか、少しだけやわらかくなっていた。
屋敷の門が見えてきた。
門の前に、誰かが立っていた。分厚い帳面を胸に抱えて、寝間着の上に外套を羽織った、細い影。
ルークだった。
私たちの腕に目をやって、一瞬だけ眉を上げてから、ルークは私に向き直った。
「姉上。ずっと、言いそびれていたことがあります」
夜会の次の朝、執事に呼ばれて途切れたままになった、あの話だ。
「姉上の原案と、殿下の名前で出た決裁書。並べると、数字の合わないものが、いくつもあるんです」
ルークは、帳面を開いた。
「それから、合わない数字の横に、いつも同じ書きこみがあるんです」
オットー(62)。西区の運河の倉庫番。二年間、茶碗の下に敷いていた棚板を、やっと手放した。
次回、ルークの帳面。
返事 15/342通
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