【第6話】限界の夜と、剥がされた仮面
夜会の翌日。
昨夜のテラスでの出来事が頭から離れず、私は自室で悶々と過ごしていた。
「……あんな顔、ズルすぎる……」
『俺の前で、他の男に触れさせるな』
耳元に残る低くて甘い声と、指先でなぞられた唇の感触。
もう完全に脈アリどころの話ではない。
……けれど、彼は今日も何事もなかったかのように「完璧な執事」として私に仕えている。
(あと一歩……あと一歩で、あの固い仮面を完全に叩き割れるのに……!)
痺れを切らした私は、勝負に出ることにした。
夜の十時。
自室にアルフレッドを呼び出す。
「お呼びでしょうか、エレノア様」
部屋に入ってきたアルフレッドは、いつものようにスキのない佇まいだ。黒縁メガネの奥の瞳も、静まり返った湖のように平穏そのもの。
私はベッドの端に腰掛け、ゆっくりと足を組み替えた。
「アルフレッド。……足をくじいてしまったみたいなの。診てくれないかしら?」
「怪我、でございますか」
彼はわずかに眉をひそめ、静かに歩み寄ると、私の前に片膝をついた。
「失礼いたします」
手袋をはめた大きな手が、私の足首へと伸ばされる。
……けれど、私はそれをすっと躱した。
「……お嬢様?」
「ねえ、アルフレッド。……本当は怪我なんてしてないの」
私は身を乗り出し、彼の黒縁メガネに手が届くほどの距離まで顔を近づけた。
「私ね、ライアル様とお見合いするくらいなら……あなたに拐われた方がずっといい」
「……」
「私を好きなんでしょう? 嘘をつかないで。今ここで『好きだ』って言ってくれたら、私、全部捨てる覚悟はあるわ」
ストレートすぎる告白。
17歳のお嬢様としての、捨て身の勝負。
アルフレッドの瞳が、大きく揺れた。
彼の手袋をはめた手にぎゅっと力が入る。
「……エレノア様。そのようなお戯れは——」
「戯れじゃない!!」
叫ぶように遮ると、部屋に重い静寂が訪れた。
アルフレッドはゆっくりと目を閉じ、深く、深く溜息をついた。
そして次に目を開けた時——
その瞳から、「執事」の光が完全に消えていた。
カチャ、と小さな音を立てて、彼が己の指で黒縁メガネを外し、サイドテーブルに置く。
「……っ!?」
眼鏡を外した彼の素顔は、恐ろしいほど男らしく、そして凶暴な色を帯びていた。
彼は片膝をついた姿勢から一瞬で身を起こすと、私をベッドへと押し倒した。
「あ……っ!」
両手首を片手でまとめられ、頭の上に固定される。
逃げ場などどこにもない。
素顔の彼が上から覆いかぶさり、見たこともないほど濃密で、暗い情熱を孕んだ瞳で私を見下ろしていた。
「あ……アル、フレ……」
怯える私に、彼は一切の猶予を与えない。
素顔のまま顔を寄せてくると、私の耳元に刃物のように鋭く、けれど痺れるほど甘い声を叩きつけた。
「……後悔しても、知らんぞ」
「っ……あ……!」
俺様口調の囁きと共に、首筋に熱い唇が押し付けられる。
いつも身に着けていた黒縁メガネという最後の「理性の防波堤」を自ら外した男に、もう「お堅い執事」の面影は微塵も残っていなかった。
(……勝った……ううん、負けたのは私……?)
激しい胸の高鳴りと甘い恐怖に包まれながら、私は彼の首にそっと腕を回した。
半年間の駆け引きは、今夜、完全に幕を閉じるのだ。




