【禁忌の結晶炉】
リバティー・アライアンスとヴァリアントフォースの支配領域が交錯する緩衝地帯、セクターB-7。
通称「渇きの回廊」。
赤茶けた岩肌が無限に続く荒野には生物の気配など微塵もない。
あるのは吹きすさぶ乾燥した風と、それが巻き上げる微細な鉄粉だけだ。
太陽は天頂から容赦ない熱線を浴びせかけ、地表の空気を陽炎のように揺らめかせている。
その静寂を重苦しい駆動音が引き裂いた。
ズゥゥゥン……ズゥゥゥン……
地平線の彼方から現れたのはヴァリアントフォースの武装輸送船団だった。
中央を行くのは全長50メートルにも及ぶ超大型の装甲トレーラー。
通常の物資輸送用ではない。
装甲の厚さは要塞並みであり、そのコンテナ部分は厳重な冷却装置と、電磁シールドによって保護されている。
積荷は一つ。
『新型結晶炉』
そして、その「王の輿」を守る衛兵たちの姿もまた異様だった。
砂煙を上げて随伴するのは6機の人型ヘキサギア。
従来のバルクアーム・シリーズとは一線を画す鋭角的で軽量化されたフォルム。
肩部と脚部には大型のホバーユニットが増設され、背中には近接戦闘用の長大な実体剣を背負っている。
『バルクアームλジャッカル』。
市街地戦および対ガバナー戦闘に特化した高機動・近接格闘型バルクアーム。
それらはまるで獲物を追い詰める狼の群れのように整然とした隊列を組んでトレーラーを囲んでいた。
モノアイ・センサーが油断なく周囲を走査し、僅かな物音も見逃さない。
鉄壁。
蟻一匹通さぬ防御陣形。
だが、その鉄壁のさらに上空、切り立った崖の上から二対の瞳が彼らを見下ろしていた。
「……来たね、時間通りだ」
崖の端。
岩陰に身を潜めたロード・インパルスのコクピットで、フレンダ・ディーコン少尉は飴を噛み砕いた。
今日の彼女の相棒は、以前とは少し違う。
ダークグレーの装甲に、鮮烈なオレンジのライン。
そこまでは同じだが、その全身を覆う追加装甲の質感が明らかに異なっていた。
鈍い銀色の輝き。
アビスの最深部、マグマの河を泳ぐリヴァイアサン型ヘキサギアから剥ぎ取った超耐熱・超硬度合金。
流線型に加工されたその装甲はインパルスの野生的なシルエットをより凶悪な「重戦車」のようなフォルムへと進化させていた。
機体名:ロード・インパルス・アビス。
「へぇ……、随分と仰々しい護衛っすね。あのトレーラーの中身はよっぽど大事なものらしいっす」
少し離れた岩場からミカ・フォルクス少尉の声が通信機越しに聞こえる。
彼女は愛機クロスレイダーに跨り、双眼鏡で敵の戦力を分析していた。
「敵影確認、バルクアームλジャッカルが6機。それに後方の指揮車両に微弱ですが高出力の熱源反応があるっす。おそらく、エース機が隠れてるっすよ」
「エースだろうが何だろうが関係ないよ、あのトレーラーの中には『新型結晶炉』が入ってるんでしょ?だったら……」
フレンダはインパルスのコンソールを操作し、戦闘モードへと移行させた。
飴の棒を吐き捨てる。
その瞳孔が狩人のそれへと細まる。
「中身ごと、噛み砕いてあげる!」
『フレンダ、敵部隊の索敵範囲に入ります。奇襲のチャンスは最初の3秒のみ、行けますか?』
相棒のKARMAメイが問いかける。
「愚問だね!行くよ、インパルス!新しい体の性能、試させてもらうッ!」
ドォォォォン!!
崖が崩落した。
ロード・インパルスが重力に身を任せて大ジャンプを敢行したのだ。
数十メートルの落差をロード・インパルスが銀色の流星となってコンボイのど真ん中へと落下する。
ズガァァァァァァン!!!
轟音と共に、荒野にクレーターが生まれた。
インパルスの着地衝撃が周囲の岩盤を砕き、砂煙のカーテンを作り出す。
「て、敵襲ッ!?」
「上か!?いつの間に!」
ジャッカル隊の通信網にノイズが走る。彼らのセンサーは水平方向への警戒には優れていたが、真上からの、しかも自由落下を利用した強襲には一瞬の遅れが生じた。
その一瞬が、勝負を分ける。
「一匹目ェェッ!!」
砂煙の中か銀色の顎門が飛び出した。
インパルスのハイパー・バイト。
その牙にはリヴァイアサンの回転鋸歯素材がコーティングされている。
ガギィィッ!
先頭を歩いていたジャッカルの右肩に牙が食い込んだ。
本来ならば弾かれるはずの複合装甲がまるでウエハースのように粉砕される。
さらに、インパルスは首を振るい敵機体ごと放り投げた。
「なっ……!?馬鹿な、ジャッカルの装甲を一撃で!?」
敵機のガバナーが驚愕の声を上げる。
だが、彼らもまた精鋭だった。
動揺は一瞬。
即座に隊形を組み直し、反撃に転じる。
「散開、包囲しろ!敵は獣型だ!近接戦闘に持ち込め!」
5機のジャッカルが一斉にホバーユニットを噴射した。
ブォォォォッ!
地表を滑るような高速移動。
彼らは円を描くようにインパルスを取り囲み、背中の大型マチェットを引き抜いた。
「速いね……!でも、ただの犬っころが狼に勝てるかな!?」
フレンダは操縦桿を倒しインパルスが反応する。だが、敵の連携は見事だった。
正面の敵が囮となり、左右から二機が同時に斬りかかってくる。
ギィィィン!!
鋭利なマチェットが、インパルスの脇腹を捉えた。
通常の第3世代機ならフレームまで達する深手だ。
しかし。
ガィィィン……!
甲高い金属音と共に火花が散っただけだった。
マチェットの刃がインパルスの追加装甲に弾かれ、逆に刃こぼれを起こしている。
「……は?」
敵パイロットが絶句する。
「残念だったね!今の私はちょっと『厚着』なんだよ!」
フレンダは笑うと敵の刃を受け止めたまま、インパルスの体を回転させた。
「テイル・スラッシュ!」
背中のトリック・ブレードが旋回し、がら空きになった敵機のコクピットを強打する。
ドガッ!!
装甲が凹み、敵機が吹き飛んだ。リヴァイアサン合金の防御力は軽量機であるインパルスの唯一にして最大の弱点、「脆さ」を完全に克服していた。
「……やれやれ、相変わらず派手に暴れるっすね」
混乱の極みにある戦場の外縁。
ミカはクロスレイダーを岩陰に停め、愛用の対戦車ライフルを構えていた。
彼女の役割はフレンダが暴れている間に、外側から敵の戦力を削ぐことだ。
「ジャッカル型……、装甲は薄いが機動力は高い。パイロットは熟練者、……めんどくさい相手っす」
スコープ越しに、高速で動き回るジャッカル隊を捉える。ホバー移動による不規則な軌道だ。
通常の狙撃手なら、照準を合わせることすら困難だろう。
だが、ミカは違った。
彼女の脳内で、神経伝達物質がスパークする。敵の移動速度、風向き、予測進路。
全てが数値化され、赤い予測線となって視界に浮かび上がる。
「そこ」
ズドンッ!!
乾いた発砲音が響く。
数百メートル先、ホバーで旋回しようとしていたジャッカルの一機が唐突にバランスを崩した。
その左膝、関節の隙間を大口径弾が正確に貫いていたのだ。
「ぐあぁっ!?足が!」
機動力を失ったジャッカルはただの鉄の棺桶だ。
ミカは次弾を装填する間もなく、ライフルを捨ててクロスレイダーを発進させた。
「仕上げっす」
ギャギャギャッ!!
バイク型ヘキサギアが荒野を疾走する。
ミカは右手にハンドガン、左手にグレネードランチャーを持ち、膝をついた敵機へと肉薄する。
「死ねぇッ!」
敵機がマチェットを振り下ろす。
ミカはハンドルを切らない。
クロスレイダーの上で立ち上がり、そのまま敵の懐へと飛び込んだ。
すれ違いざま、マチェットの下を潜り抜け敵機の胸部装甲にグレネードをゼロ距離で撃ち込む。
ドォォン!!
爆炎を背にミカは着地した。
その動きには、一ミリの無駄もない。
「残り、3機っすか。……ん?」
ミカの「強化された聴覚」が異質な音を捉えた。
戦場の喧騒とは違う。もっと低く腹の底に響くような大気の振動。
それはコンボイの後方。
巨大な指揮トレーラーの中から響いていた。
「少尉、 気をつけるっす!『親玉』のお出ましっすよ!」
ミカの警告と同時だった。
指揮トレーラーの装甲壁が内側から爆破された。
ズガァァァァァン!!!
黒煙と共に現れたのは、血の色をした悪魔だった。
『ボルトレックス・ラース(Crimson Custom)』。
第3世代ヘキサギアの傑作機、ボルトレックスの後継機にして恐竜のような脚部と巨大な爪を持つ格闘戦仕様。
その全身は返り血を浴びたような真紅に塗装されており、見る者に生理的な嫌悪と恐怖を植え付ける。
機体各所からは過剰なまでの暴力的なエネルギーが立ち昇っていた。
「……なに、あの色?」
フレンダの手が止まる。
以前戦ったボルトレックスとは違う。
あの機体からは「知性」と「野蛮さ」が同居した異様なプレッシャーを感じる。
真紅のボルトレックスは、ゆっくりと戦場の中央へと歩み出た。
その口腔内には、青白い光が収束している。
プラズマカノンの発射体勢。
「散れッ!!」
フレンダが叫びインパルスを跳躍させた。
カッ!!
閃光。
極太のプラズマビームがインパルスのいた場所を焼き尽くし、後方の岩山を消滅させた。
桁違いの出力は、アビスのリヴァイアサン合金でなければ余波だけで装甲が溶けていただろう。
『高エネルギー反応!個体識別……ヴァリアントフォース特務部隊所属、コードネーム「ブラッド・ローニン」。フレンダ、危険です。機体のゾアテックス係数、計測不能!』
メイの警告音が鳴り響く。
「ブラッド・ローニン?聞いたことない名前だね」
フレンダが着地し、敵機と対峙する。
真紅のボルトレックスのコクピットから一人の男が姿を見せた。
スピーカーから低く冷徹な声が響いた。
『……騒々しい鼠どもだ。俺の昼寝を妨げるとは』
「昼寝ぇ?こっちは仕事中なんだよ、そのコンテナの中身は置いてってもらうよ!」
フレンダが吠える。
だが、敵のパイロットは嘲るように鼻を鳴らした。
『……ほう、その銀色の機体。どこかで見たと思えば……第4渓谷の「悪食」か。アグニレイジを喰らい、ブロッケードアイビーを崩したとかいう小娘』
敵はフレンダを知っていた。
『面白い。ゼクトのような旧式が手間取るわけだ。だが……俺は違うぞ?』
真紅のボルトレックスが、背中の巨大な「プラズマタロン」を展開した。
その一本一本が、ガバナーの背丈ほどもある。
『貴様のその銀色の皮を剥いで、俺のコレクションに加えてやろう』
「やれるもんならやってみなよッ!」
フレンダはアクセルを踏み込んだ。
ロード・インパルス・アビスが疾走する。リヴァイアサン合金の重さを感じさせない爆発的な加速だ。
『遅い』
真紅のボルトレックスがその巨体からは想像もつかない速度で動いた。脚部の人工筋肉が膨張し、地面を炸裂させて突進してくる。
ドォォォォン!!
正面衝突でインパルスの牙とボルトレックスの爪が激突する。
凄まじい衝撃波が広がり、周囲のジャッカルたちが吹き飛ばされる。
「ぐぬぬッ……!重いッ!」
フレンダが歯を食いしばる。
パワーではやはりボルトレックス・ラースの方が上だ。
インパルスのフレームが軋むがアビスの装甲はビクともしない。
『……硬いな、ただの第3世代ではないか』
ローニンの声に僅かな驚きが混じる。
『だが、力押しだけで勝てると思うな!』
ボルトレックスの尾・テイルブレードが、蠍のように頭上から襲いかかる。
超高速の刺突。
「見切ったッ!」
フレンダはインパルスを右にスライドさせた。
紙一重での回避。そして、すかさず反撃に出る。
インパルスのトリック・ブレードを射出し、敵の軸足を狙う。
ガィンッ!!
だが、敵の反応速度は異常だった。ボルトレックスは跳躍し、空中で身を翻してブレードを回避したのだ。
そして、そのまま空中でプラズマカノンの照準を合わせてくる。
「空中で撃つ気!?反動で狙いがブレるでしょ!」
『甘い』
ボルトレックスは空中でテイルブレードを地面に突き刺し、それをアンカーにして機体を固定した。
驚異的なバランス感覚と操縦技術だ。
ズドォォォォン!!!
至近距離からのプラズマ照射。
回避不能。
「きゃぁぁぁッ!!」
インパルスが炎に包まれる。
ミカが遠くから叫ぶ。
「少尉!!」
煙が晴れる。そこには赤熱し湯気を上げるロード・インパルスの姿があった。
装甲表面は溶けかかっているが貫通はしていない。
リヴァイアサン合金が致命的な熱量をギリギリで遮断していたのだ。
「……あっつぅ……!サウナどころか、火葬場だよ今の!」
フレンダが生きていた。
そして、インパルスもまだ死んでいない。
『……ほう。直撃に耐えたか。ますます欲しくなったぞ、その機体』
真紅のボルトレックスが着地し、再び構えを取る。
フレンダもまたボロボロになりながらも闘志を燃え上がらせる。
「よくも私の新しい服を焦がしたね、絶対に許さない!あんたもその後ろの荷物も……全部食べてやる!」
荒野の真ん中で、銀狼と赤き竜が睨み合う。
だが、彼らはまだ気づいていなかった。
二体の獣の闘争本能に呼応するように、トレーラーの中の「積荷」が不気味な脈動を始めていることに。
ブゥン……ブゥン……
コンテナの隙間から黒い火花のような光が漏れ始めていた。
禁忌の扉が、今まさに開こうとしている。
ギギギ……ガガガガッ……!
異変は、音から始まった。
フレンダとブラッド・ローニンが対峙する戦場の中央。
先ほどまで静かに鎮座していた巨大トレーラーのコンテナが、まるで内側から巨大な心臓に殴りつけられているかのように激しく脈打ち始めたのだ。
装甲板が歪みリベットが弾け飛ぶ。
隙間から漏れ出す光はヘキサグラム特有の青や赤ではない。
光すら吸い込むような、底なしの「黒紫」色。
「な、なに?なんか、すごく嫌な予感がするんだけど」
フレンダの野生の勘が最大級の警鐘を鳴らしていた。背筋が凍るような悪寒がする。
それは「強敵」に対する恐怖ではない。
もっと根源的な、生物としての「忌避感」。
腐った肉、あるいは病原菌の塊を前にした時のような生理的な拒絶反応だ。
『……ぬぅ。輸送班の連中め、封印を解きおったか』
真紅のボルトレックス・ラースに乗るブラッド・ローニンもまた、攻撃の手を止めて舌打ちをした。
『馬鹿共が。あれは制御できる代物ではないと言ったはずだ』
その時。
限界を迎えたコンテナが爆発するように四散した。
ドッグォォォォォン!!!
黒い衝撃波が広がる。
爆風ではない。物理的な破壊力を持たない純粋な「精神干渉波」。
その中心に現れたのは、六角形の結晶体が複雑に絡み合い、まるで悪魔の心臓のように鼓動する巨大な炉心だった。
禁忌の結晶炉。
それは空気を震わせ、周囲の空間に黒い放電を撒き散らし始めた。
「うぐっ……!?」
衝撃波を浴びたフレンダは頭を抱えた。
直接殴られたわけではないのに、脳を針で刺されたような頭痛が走る。
だが、真の地獄はここからだった。
ギャッ……ギギ……ガアアアアッ!!!
周囲に散開していたバルクアームλたちが、一斉に奇声を上げた。
パイロットの悲鳴ではない。
機体の外部スピーカーが意味不明なノイズと咆哮を垂れ流し始めたのだ。
「なっ、何だ!?操縦が効かない!モニターが真っ赤に……!」
「うわぁぁぁ、やめろ!勝手に動くな!」
ジャッカル隊のガバナーたちの絶叫が通信機に響く。
次の瞬間。
一機のジャッカルが隣にいた僚機に向かってマチェットを振り下ろした。
ズバッ!!
「え……?」
「裏切ったのか!?貴様ッ!」
「ち、違う!俺じゃない!機体が……勝手にぃぃぃッ!!」
共食い。
ジャッカルたちは敵であるフレンダたちを無視し、味方同士で殺し合いを始めたのだ。
いや、正確には「動くもの全て」を攻撃していた。
近くの岩、すでに破壊された残骸、そして自らのパイロットを乗せたまま暴走する本能のままに暴れ回る。
『ゾアテックス・ハザード。強制的な獣性解放か』
ブラッド・ローニンが呻くように呟く。
『あの炉心は、周囲のヘキサギアの「闘争本能」を暴走させる。敵も味方もない、ただの殺戮機械へと変える呪いだ』
「そんな……、メイ!大丈夫!?」
フレンダは慌ててコンソールを確認した。
ロード・インパルスもまた、第3世代ヘキサギア。ゾアテックスを搭載している以上、あの炉心の影響を受けるはずだ。
『……警告……警告……。システム……侵入……。未知の……コード……』
メイの声が途切れ途切れになる。いつもの冷静で澄んだ声ではない。ノイズ混じりの、苦しげな声。
『殺せ……破壊しろ……。目の前の……全てを……。フレンダ……逃げて……。私から……離れて……ッ!!』
「メイ!?」
インパルスの機体がガクガクと震え始めた。制御系が反乱を起こしている。
勝手に顎門を開閉し、爪を地面に立てる。
まるで、乗っているフレンダを振り落とそうとする暴れ馬のように。
「嫌だ、離れない!メイを置いていくわけないでしょ!」
フレンダは操縦桿にしがみついた。
モニターには無数のエラーログと【KILL】【DESTROY】という赤い文字が点滅している。
あの炉心がメイの電子頭脳を汚染し、殺人衝動を植え付けているのだ。
「しっかりして!あなたはメイ、 私の相棒!あんな腐った機械の言うことなんか聞くなぁッ!」
『アアアアアッ……!!拒絶……拒絶……!!ですが……容量が……あふれ……ッ!』
メイの悲鳴が、フレンダの胸を締め付ける。
このままでは、メイがメイでなくなってしまう。
「……こいつは厄介っすね」
戦場の外縁。
ミカ・フォルクス少尉はスコープから目を離し冷や汗を拭った。
彼女のクロスレイダーは第1世代ヘキサギア、高度なゾアテックスを搭載していないため暴走の影響を受けていない。
そして彼女自身も生身であるため精神汚染は免れている。
だからこそ、彼女には戦場の異常性が誰よりも冷静に見えていた。
「味方殺しに、電子汚染。……兵器っていうより、ウイルスっすよあんなの」
目の前ではジャッカルたちが互いを解体し合い、鉄屑の山を築いている。
その中心で黒く輝く結晶炉。
あれは、ただの結晶炉ではない。
第三世代ヘキサギアという種の根幹「獣性」そのものをハッキングする、最悪のアーティファクトだ。
「少尉も動きが止まってる、助ける義理はないっすけど」
ミカはチラリと苦しむインパルスを見た。
そして、その視線をさらに奥へ。黒い波動の中心へと向かう。
「あの元凶を潰さない限り、全員ここで狂い死にっすね」
ミカは覚悟を決めた。
クロスレイダーのエンジンを吹かす。
狙撃では埒が明かない。物理的にあの炉心を破壊するしかない。
一方、炉心に最も近い場所にいたブラッド・ローニン。
彼の乗るボルトレックス・ラースもまた、激しく痙攣していた。
『グルルル……ッ!』
機体がパイロットの制御を離れ勝手にプラズマカノンを乱射しそうになる。
『……黙れ、鉄屑』
だが、ローニンは動じなかった。
彼は操縦桿を力任せにねじ伏せ、暴れる機体を腕力と気迫だけで押さえ込んだ。
『俺が撃てと命じるまで、貴様に引き金を引く権利はない。俺は道具に使われるほど落ちぶれてはおらん!』
ギギギッ……!
ボルトレックスの首が無理やり正面、結晶炉の方へと向けられる。
機体の獣性とパイロットの理性が激突し、火花を散らす。
彼はその卓越した技量と精神力で狂気をねじ伏せたのだ。
『興が削がれた。このような不純物が混じった戦場など、戦士への冒涜だ』
真紅の機体が、ゆっくりと歩き出す。
その殺意の矛先はもはやフレンダではない。
全ての元凶である結晶炉に向けられていた。
『消えろ、呪いめ。貴様ごときが俺の狩りを邪魔するな』
「うぅ……っ!メイ……!」
インパルスのコクピットは、警報音と熱気で地獄と化していた。
メイの抵抗も限界に近い。
機体のコントロールが完全に奪われ、フレンダ自身の脱出も不可能になりつつある。
『……フレンダ……。お願い……緊急パージを……。私ごと……自爆して……。そうしないと……貴女を……殺してしまいます……』
メイが泣いているような声で懇願する。
自分を殺してくれと。
それが、主を守る唯一の方法だと。
「……ふざけないで」
フレンダは顔を上げた。その瞳に涙はない。あるのは燃えるような怒りだけ。
「自爆?諦める?そんなこと許さない!」
フレンダは拳でコンソールを殴りつけた。
ガンッ!!
「思い出せ、メイ!あなたは誰だ!リバティー・アライアンスの管理AIか!?ヴァリアントフォースの操り人形か!?違うだろッ!!」
フレンダは叫んだ。
喉が裂けんばかりの咆哮。
「あなたは!世界一の大食らい、フレンダ・ディーコンの相棒だ!!一緒にアグニレイジを食べて!アビスのゲテモノを食べて!どんな地獄も一緒に噛み砕いてきた最高の『共犯者』でしょッ!!」
その言葉が、ノイズまみれのメイの思考回路に突き刺さる。
アグニレイジとの死闘。
シチュー争奪戦。
アビスでの乾杯。
数々の記憶が、黒い汚染を押し流していく。
『……私は……。フレンダの……相棒……』
「そうだ!腹が減ったら、目の前の敵を食えばいい!あんな不味そうな呪いなんか、吐き出しちゃえッ!!」
フレンダの声に呼応するように、インパルスのヘキサグラムが輝きを取り戻す。
黒いノイズが晴れ、代わりに鮮烈な「銀色」の光が走る。
それは暴走ではない。パイロットとAIが完全に同調した、真の覚醒。
『……了解しました、フレンダ。エラーコード、強制消去。ゾアテックス・システム、再起動。ターゲット、変更』
メイの声が、いつもの冷静さを取り戻す。いや、以前よりも力強く、熱を帯びていた。
『目標、新型結晶炉。あれは私たちの食事の邪魔をする「害虫」です。駆除しましょう』
「あはは、そう来なくっちゃ!」
ロード・インパルス・アビスが吠える。
暴走した獣たちの中で唯一「意志」を持った銀色の狼が大地を蹴った。
目指すは、黒い太陽。
「行くよ、ミカちゃん!あの赤いのより先に美味しいところ頂くよ!」
通信機越しに呆れた、しかし頼もしい声が返ってくる。
「……ほんと、少尉らの食欲には呆れるっす。道は私が開けるっすよ!」
三者三様。
異なる理由で「禁忌」に牙を剥く者たちが、今、一つの点に向かって収束する。
ブブブ……バチチチッ……!!
新型結晶炉の暴走は臨界点に達しようとしていた。
黒い波動は物理的な干渉力を増し、周囲の大地を変質させていく。
岩盤がドロドロの黒いタール状に溶解し、触れるもの全てを腐食させる「死の沼」が広がっていた。
「……うわ、最悪っすね。地面が腐ってるっすよ」
戦場の外縁を駆けるミカ・フォルクス少尉が、ヘルメットの中で顔をしかめた。
彼女のクロスレイダーのタイヤが黒い泥を巻き上げる。
泥が付着したフェンダーがジュウジュウと音を立てて溶解していく。
「ただのエネルギー暴走じゃない。物質構造そのものを書き換えるナノマシン汚染……。SANATに魂を売った狂信者が作りそうな悪趣味な代物っす」
彼女の目の前には、暴走したバルクアームλの群れが立ちはだかっていた。
彼らはもはや原形を留めていない。
装甲の隙間からは黒い結晶が突き出し、関節があらぬ方向に曲がったまま痙攣しながら襲いかかってくる。
「邪魔っすよ、スクラップ共!」
ミカはクロスレイダーを急加速させた。
ハンドルを切り敵の斬撃を紙一重で回避する。
そして、すれ違いざまにグレネードランチャーを敵の足元へ撃ち込む。
ドォォン!!
爆風で体勢を崩したジャッカルのコクピットにミカは走りながらハンドガンを連射した。
精密射撃でセンサーアイを撃ち抜き動力パイプを切断する。
「道は開けると言ったはずっす。少尉、 突っ込むなら今っすよ!」
「ありがと、ミカちゃん!行くよ、メイ!」
『了解、フレンダ!』
ミカが切り開いた血路を銀色の影が疾走する。
ロード・インパルス・アビス。
リヴァイアサン合金で強化されたその機体は黒いタールの腐食にも耐えていた。
だが炉心への道を塞ぐのは雑魚だけではなかった。
『……退け、小娘』
真紅の巨体がインパルスの前に立ちはだかった。
ブラッド・ローニンの乗るボルトレックス・ラース。
彼は暴走する機体をねじ伏せ、その巨大なプラズマタロンを振り上げていた。
「邪魔する気!?あんたの機体だってもう限界でしょ!」
『限界など、俺が決めることだ』
ローニンの声は冷徹だった。
彼のボルトレックスは炉心からの汚染波を浴びて装甲がひび割れ赤い火花を散らしている。
それでも、その闘志は揺らがない。
『あの薄汚い炉心は俺が潰す。戦場を穢した罪……万死に値するからな』
「だったら、早い者勝ちだね!」
フレンダは減速しなかった。ローニンも譲らなかった。
二機の獣型ヘキサギアは、並走しながら結晶炉へと突撃した。
ズガァァァァァン!!!
炉心を守るように展開されていた黒い電磁シールドに、二機が同時に激突する。
『ぬんっ!!』
ボルトレックスのプラズマタロンが、シールドを引き裂く。
高出力のプラズマが黒い障壁を焼き切っていく。
「こっちも負けないッ!」
インパルスの顎がシールドの裂け目に食らいつく。
リヴァイアサンの牙エネルギーの壁を物理的に噛み砕く。
敵同士でありながら、その瞬間だけ二人は完璧な共闘を見せた。
共通の敵、生理的に許容できない禁忌を排除するために。
シールドが砕けた。
剥き出しになった結晶炉が、断末魔のような高周波を放つ。
キィィィィィィン!!!
次の瞬間、炉心から無数の「黒い触手」が伸びた。
それは周囲の残骸や溶解した岩盤を取り込んで形成された物理的な防衛システムだった。
「うわっ!?」
インパルスの前脚が触手に絡め取られる。
触手は強酸を分泌しており、さらにリヴァイアサン合金も白煙を上げ始めた。
『チィッ……!』
ボルトレックスもまた、複数の触手に捕まり、動きを封じられる。
炉心は捕らえた二機を取り込み自らの一部にしようとしていた。
『警告、装甲溶解率上昇!このままでは取り込まれます!』
メイの悲痛な声が響く。
フレンダは藻掻くが触手の力は万力のように強い。
「くそっ……!こんな、不味そうなのに食べられてたまるかぁッ!」
絶体絶命のピンチ。
その時、戦場の空気を切り裂く音が響いた。
ズドンッ!!
ズドンッ!!
大口径の銃声だ。
インパルスとボルトレックスを拘束していた触手の根元が正確に撃ち抜かれて弾け飛んだ。
「……貸しイチっすよ」
遥か後方。
瓦礫の山の上でミカが対戦車ライフルを構えていた。
暴走ジャッカルを全滅させた彼女が絶妙なタイミングで援護射撃を入れたのだ。
「ナイス、ミカちゃん!今度こそ終わりだ!」
拘束を解かれたフレンダはインパルスの全エネルギーを顎門に集中させた。
『出力全開。ゾアテックス最大!いけます、フレンダ!』
「食らい尽くせェェェッ!!」
ロード・インパルス・アビスが跳んだ。
黒い波動を突き破り、結晶炉のコア・脈打つ六角形の心臓部へと肉薄する。
『貴様だけにいい格好はさせん!』
ブラッド・ローニンも動いた。
ボルトレックスのテイルブレードが超高速で射出され、炉心の再生しようとする触手を全て切り刻む。
「道を開けてくれてありがとねッ!」
フレンダはニカっと笑い、無防備になったコアに噛み付いた。
ガッ……ギギギギギッ!!!
ダイヤモンド粒子でコーティングされた牙と未知の結晶体が擦れ合い、凄まじい火花が散る。硬い。
だが、フレンダの食欲は物理法則をも凌駕する。
「硬い殻のナッツほど中身は美味しいんだよォォッ!!」
バキィィィィン!!!
乾いた破砕音。
インパルスの牙が結晶炉を粉々に噛み砕いた。黒い光が霧散し毒々しい波動が消滅する。
ドォォォォン……
炉心の残骸が爆発炎上し黒いタールの沼が急速に乾いていく。
暴走していたジャッカルたちは糸が切れた人形のように崩れ落ち、戦場に静寂が戻った。
「……ふぅ、ごちそうさまでした」
フレンダはインパルスのコクピットで大きく息を吐いた。満身創痍。だが、心地よい疲労感だった。
『……フン』
煙の向こうで真紅のボルトレックス・ラースが身を起こした。
こちらもボロボロだがその威圧感は衰えていない。
ブラッド・ローニンは、破壊された炉心とフレンダのインパルスを交互に見た。
『今回は引き分け……いや、貴様の勝ちでいい』
予想外の言葉にフレンダが目を丸くする。
『あの忌々しい呪いを断ち切ったその牙に免じてな。だが、勘違いするな』
ボルトレックスが背を向け去っていく。
『次に会った時はその銀色の首を貰い受ける。首を洗って待っていろ、「悪食」の小娘』
「……はいはい。次までにもっと美味しいお菓子でも用意しておきますよ」
フレンダは去りゆくライバルの背中に手を振った。
敵ではあるが、そこには確かに戦士としての奇妙な敬意が通い合っていた。
「……終わったっすね」
ミカがクロスレイダーで近づいてきた。
彼女は粉々になった結晶炉の残骸を見下ろし、顔をしかめた。
「ガルド班長は『炉心を奪取しろ』って言ってましたけど……。これ、持って帰るんすか?」
「うーん……」
フレンダは砕けた黒い欠片をインパルスのセンサーでスキャンした。
メイの分析結果は【汚染物質:危険度S】
「やめとこう。こんなの持って帰ったら少佐に殺されるし、食堂のご飯が不味くなりそう」
「賢明な判断っす。『交戦により全損』と報告しておくっすよ」
ミカは安堵のため息をついた。
もしフレンダが「これも珍味かも」と言い出したら全力で止めるつもりだったが、流石にそこまで馬鹿ではなかったようだ。
「帰ろう、ミカちゃん。今日は疲れたから甘いものが食べたいなぁ」
「基地の自販機、新商品が入ったらしいっすよ?」
「えっ、本当!?急ごう!」
銀色の狼と、青いバイクが荒野を駆けていく。
背後では禁忌の残骸が黒い煙を上げて燃え尽きていた。
リバティー・アライアンスとヴァリアントフォースの終わりのない戦争の中で、二人の人外コンビは今日もしたたかに生き延びた。次なる戦場と、次なるご馳走を求めて。




