【灼熱の河と鉄の魚】
【灼熱の河と鉄の魚】
深度、5000メートル。
もはやそこは、生物が踏み入ってはならない領域だった。
ゴボォッ……ボコォッ……。
重低音と共に、大地が脈打つ。
視界の全てが赤く、揺らめいていた。
陽炎ではない。
空気そのものが焼けているのだ。
気温、推定300度超。
岩盤の裂け目からは、どろりと溶けた岩石、マグマが川となって流れている。
「……暑い、暑いっす。死ぬ、今度こそ死ぬっす」
ミカのうめき声がノイズ混じりの通信機から聞こえた。
彼女は耐熱仕様の「ディープ・ダイバー」装備の上からさらに冷却ジェルを染み込ませたマントを羽織っているが、それでも限界に近い。
愛機クロスレイダーのエンジンも、吸気温度が高すぎて悲鳴を上げている。
「文句は言わない!サウナだと思えば健康にいいよ!」
先行するロード・インパルスのフレンダは、相変わらず元気だった。
だが、その愛機も無事ではない。
『警告。機体内部温度、危険域に突入。強制冷却ファン、最大出力。これ以上の戦闘行動はアクチュエーターの熱溶解を招きます』
メイの声にも、焦りの色が混じっている。
インパルスは軽量化のために装甲が薄く、断熱性において重量級ヘキサギアに劣る。
この灼熱地獄は、インパルスにとって最も相性の悪い戦場だった。
「分かってるよメイ。でも、ここを抜ければ『お宝』があるんでしょ?」
『はい。この先のエリアには、戦前のレアメタル貯蔵庫があるとの記録が存在します。
それを回収できれば、インパルスの装甲を耐熱対弾仕様にアップグレードできる資金になります』
「聞いた、ミカちゃん?ボーナスだよ、ボーナス!」
「……金を使う前に私が干物になるのが先っすよ」
二人が進む先には絶望的な光景が広がっていた。
幅数百メートルにも及ぶ巨大なマグマの大河。
対岸へと続く唯一の橋は、中央から無残に崩落し溶岩の中に消えていた。
「道がないっすね、引き返すっすよ。これ以上は物理的に無理っす」
ミカがクロスレイダーを止めようとした時。フレンダがインパルスの足を止めた。
「……いや。『いる』よ」
「は?何がっすか」
「主が……いる」
フレンダの野生の目が、煮えたぎるマグマの表面を凝視した。
ボコボコと泡立つ溶岩。
その流れに逆らって動く巨大な背びれのような影が見えた。
ザバァァァァァッ!!!
マグマの飛沫を上げ、その巨体が姿を現した。
全長30メートル超。
装甲の表面は赤熱し溶岩と同じ色に輝いている。
形状は、古代魚シーラカンスと深海潜水艇を悪魔合体させたような威容。
リヴァイアサン型ヘキサギア。
アビスの超高熱環境に適応し、マグマの中を泳ぐために進化した機械の怪魚。
その口にはダイヤモンドすら噛み砕く回転鋸状の歯が並んでいる。
「デカっ!?あんなのが泳いでるんすか!?」
「グルルル……!」
インパルスが威嚇音を漏らす。
陸の獣であるインパルスに対し、相手は炎の海の支配者。
フィールドが違いすぎる。
『分析完了。敵対個体はマグマの熱エネルギーを動力源としています。この環境下では実質的に無限のスタミナを持っています。……撤退を推奨します』
メイが冷静に判断を下す。
だが、フレンダはニヤリと笑った。
その顔には恐怖ではなく、狩猟本能に火がついた悪戯っ子の笑みが浮かんでいた。
「ねえ、ミカちゃん。橋がないなら……作ればいいと思わない?」
「……嫌な予感しかしないっす」
「あいつを釣って、背中を渡ればいいんだよ!ついでに倒して、晩御飯のおかずにしちゃおう!」
「正気っすか!?あんなのどうやって釣るんすか!竿も餌もないっすよ!」
「竿ならあるよ。私の尻尾がね。で、餌は……」
フレンダがチラリと、ミカとクロスレイダーを見た。
「……殺すっすよ?」
ミカが即座にハンドガンを抜いた。
「冗談、冗談!そこらへんの鉄骨を使うよ!でも、あいつの注意を引くには誰かが水面ギリギリまで近づいて、ちょっかいを出さなきゃいけないんだよねぇ……」
フレンダは意味深に言葉を濁す。
インパルスは図体が大きすぎてマグマの岸辺ギリギリには立てない。
小回りが利き、スピードのある小型機でなければ……。
「……はぁ。残業手当、弾んでもらうっすよ」
ミカは観念したようにため息をつき、クロスレイダーのエンジンを吹かした。
作戦は単純かつ無謀だった。
まず、フレンダがインパルスのトリック・ブレードを最大まで伸ばし、その先端に廃材の鉄骨を括り付ける。
そして、ミカがクロスレイダーで岸辺を走り、マグマに向けて発砲して敵を挑発する。
バンッ! バンッ!
ミカの銃弾がリヴァイアサンの装甲を叩く。
ダメージはない。だが、プライドの高い主を怒らせるには十分だった。
ゴオオォォォッ!!
怪魚が方向転換し、ミカめがけて突進してくる。
マグマの波が押し寄せる。
「来たっすよ!投げろッ!」
「いっけぇぇぇぇッ!!」
フレンダがインパルスの体を捻り、トリック・ブレードを投擲した。
鉄骨のルアーが放物線を描き、リヴァイアサンの目の前に着水する。怪魚はミカを狙っていたが、目の前に落ちてきた鉄骨に反射的に反応した。
捕食本能。
大きく口を開け、鉄骨に食らいつく。
ガギィッ!!
回転鋸の歯が鉄骨に食い込む。
フレンダはタイミングを合わせ、トリック・ブレードを一気に巻き取った。
ブレードのワイヤーが、怪魚の牙に絡みついた。
「ヒットォォォッ!!」
強烈な衝撃でインパルスの機体が岸辺へと引きずられる。
『警告、負荷増大!ウインチモーター限界!敵重量、推定200トン!インパルスの牽引能力を超えています!』
「根性で引けぇぇッ!メイ、踏ん張りなさい!」
インパルスの四脚が、岩盤に爪を立てる。
火花が散り、岩が砕ける。陸の狼と炎の魚の綱引き。
パワーでは相手が上だ。ジリジリと、インパルスがマグマの方へ引きずられていく。
「少尉!そのままじゃ落ちるっす!」
「ミカちゃん助けて!こいつ、力が強すぎる!」
ミカはクロスレイダーを安全圏に停め、対戦車ライフルを構えた。
だが、リヴァイアサンは激しく暴れまわっており狙いが定まらない。
下手に撃てばワイヤーを切断してしまうかもしれない。
「……チッ、やるしかないっすか」
ミカはライフルを捨て、腰の振動ナイフを抜き走り出した。
彼女が向かったのはインパルスの背中ではない。
マグマの岸辺だ。
「おいバカ魚、こっちが本命っすよ!」
ミカは崖から跳躍した。
眼下は煮えたぎるマグマ。彼女は暴れるリヴァイアサンの背中めがけて、ダイブを敢行した。
ジュッ!!
ミカのブーツの底が、着地の瞬間に溶解する音がした。リヴァイアサンの装甲は数百度の熱を持っている。スーツの冷却機能が限界を超え警報音が鳴り響く。
「熱ッ……!マジで洒落になんないっすね!」
ミカは焼けるような熱さに耐えながら、怪魚の背中を走った。
目指すは頭部後方にあるエラ。
そこだけは放熱のために装甲が薄く開いているはずだ。
怪魚が異物に気づき身をよじってマグマの中へ潜ろうとする。
「潜らせないっすよ!」
ミカは振動ナイフを装甲の隙間に突き立て、体を固定した。
そして、懐からプラスチック爆弾を取り出し、エラの奥へと放り込む。
「ご馳走様っす!」
ミカはナイフを引き抜き全力で後方へ、フレンダが引っ張っているワイヤーの方へと走った。
そしてワイヤーに掴まり、叫ぶ。
「引けぇぇッ!フレンダァァッ!!」
「おうよッ!!」
フレンダがスラスターを全開にする。
ズドォォォォン!!!
怪魚の体内で爆発が起きた。エラから黒煙と炎が噴き出す。
推力を失ったリヴァイアサンは抵抗する力を失い、インパルスの怪力によってズルズルと陸地へ引きずり上げられた。
ズシィィィィン……!
巨大な鉄の魚が、岩場に横たわった。
陸に上げられた魚。だが、リヴァイアサンはまだ死んでいなかった。
胸ビレを変形させて手のように使い、這いずりながらインパルスに噛み付こうとする。
「往生際が悪いよ!」
フレンダはワイヤーを回収し、インパルスを戦闘形態へと移行させた。
熱ダメージでアラートだらけの視界。だが、今の彼女には関係ない。
「ここは私のテリトリーだ!水のない場所で狼に勝てると思うなッ!」
ロード・インパルスが跳ぶ。
マグマの中では敵わなかった相手も、地上ならばただの「的」だ。
敵の動きは鈍い。
インパルスは敵の背後に回り込み、弱点である爆破されたエラの傷口にその鋭い牙を突き立てた。
ガギィィィッ!!
「トドメだ!ハイパー・バイトォォッ!!」
油圧シリンダーが唸りを上げ、リヴァイアサンの脊椎フレームごと中枢を噛み砕く。
怪魚が断末魔の痙攣を起こし、やがて動かなくなった。
【TARGET DESTROYED】
モニターに表示される文字。
フレンダは荒い息を吐きながらコクピットでガッツポーズをした。
「勝った……、見たか!インパルスだって、やればできるんだよ!」
彼女は無意識に、マグマ向かって叫んでいた。
最新鋭の機体がなくたって、知恵と勇気と食欲があれば、怪物は殺せるのだ。
戦闘終了後。
マグマの熱で自然調理されたリヴァイアサンの周りで二人は戦果を確認していた。
「……で。結局、これをどうするんすか」
ミカは焦げたマントを脱ぎ捨てながら、呆れ顔で聞いた。
フレンダは破壊したリヴァイアサンの装甲をナイフでこじ開けていた。
「まずは、お宝回収!」
装甲の裏側から、キラキラと輝く希少金属のインゴットが出てきた。マグマの中で精製された純度の高い耐熱合金だ。これがあれば、ガルド班長も喜んでインパルスの改修をしてくれるだろう。
「そして……メインディッシュ!」
フレンダは怪魚の内部にあった筋肉繊維のようなバイオパーツを切り出した。
マグマの高熱で蒸し焼きにされ、香ばしい匂いが漂っている。
「アビス特産、リヴァイアサン焼きだよ!いただきまーす!」
フレンダは熱々の肉にかぶりついた。
「あつっ!うまっ!……ん~!脂が乗ってて最高!ちょっと金属っぽい味がするけど、そこがまた通好み!」
「……絶対に癌になるっすよ」
ミカは拒否したが、フレンダがあまりにも美味しそうに食べるので少しだけ喉が鳴った。
それに気づいたフレンダが切り身を一つ、ミカの方へ投げる。
「ほら、食わず嫌いは良くないよ!アビスの底まで来て空腹で帰るなんて損じゃん!」
ミカは反射的にキャッチしてしまった。
熱い。そして、意外といい匂いがする。
彼女は周囲を見渡し、誰もいないことを確認してから小さく一口かじった。
「……」
「どう、どう?」
「……悪くはないっすね。焼き加減だけは一流っす」
ミカはぶっきらぼうに言い、残りを口に運んだ。
フレンダが嬉しそうに笑う。
灼熱の地獄の底。
巨大な魚の死骸の上で、二人の人外は遅めのランチを楽しんだ。
アビス探索はこれにて終了。
得られたのは、希少な資源と、美味しい思い出。
そして何より、ロード・インパルスへの絶対的な信頼だった。
「帰ろう、メイ。少佐とガルド班長に最高のお土産話を聞かせてあげなきゃね」
『了解です、フレンダ。ですが胃洗浄の予約も入れておきます』
漆黒の狼は満腹の腹を揺らしながら、地上への帰路についた。




