【地底の狂人たち】
【地底の狂人たち】
深度、4000メートル。
そこは、地球の腸と呼ぶに相応しい場所だった。
気温48度。湿度100%。
防護服の冷却システムが悲鳴を上げるほどの熱気は、単なる地熱ではない。
かつてこの階層に建造され、そして放棄された巨大な地熱発電プラントの残骸が暴走したまま熱を垂れ流しているのだ。
「……臭いっすね」
クロスレイダーに跨るミカがヘルメットの中で顔をしかめた。
アビス特有の硫黄臭ではない。
もっと有機的で、鼻の奥にこびりつくような甘ったるい腐敗臭だ。
そして、古びたエンジンオイルの酸化した匂い。
「鉄と……脂の匂いだね」
先行するロード・インパルスのコクピットで、フレンダが呟く。
彼女の野生の嗅覚は、この匂いの正体を本能的に理解していた。
これは「生活臭」だ。
ただし、まともな人間のそれではない。
二人の目の前には、錆びついた鉄骨とパイプが迷路のように入り組んだ広大な廃墟都市が広がっていた。
天井から垂れ下がる太いケーブルはまるで絞首台の縄のようだ。
壁面には、蛍光塗料とオイルで描かれた意味不明な幾何学模様や、狂気じみた落書きが無数に刻まれている。
『警告。このエリアより、高密度の敵性ガバナー反応を多数検知。識別信号、照合不能。リバティー・アライアンス、ヴァリアントフォース、ヘテロドックス……いずれのデータベースにも該当しません』
メイの声が普段よりも警戒レベルを引き上げていた。
「該当なし?じゃあ、幽霊か何かっすか」
ミカがクロスレイダーの速度を落とす。彼女の強化視力が廃墟の闇を見通した。
瓦礫の山。その陰に、何かがいる。一匹ではない。十、二十……いや、百以上。
「幽霊ならマシだったね、ミカちゃん」
フレンダがインパルスの姿勢を低くし、唸るような声で言った。
彼女の視線の先。
鉄骨の回廊の奥から、ゆらりと姿を現したそれらを見てフレンダは吐き捨てるように言った。
「あれは……『成れの果て』だよ」
現れたのは、人間のような形をした怪物たちだった。
ボロボロの衣服、かつては軍服や作業着だった布切れをまとい、その体には無秩序に機械が埋め込まれている。
失った腕の代わりに溶接されたチェーンソー。
潰れた眼球の代わりにねじ込まれたカメラレンズ。
皮膚を剥ぎ取り、直接ボルトで固定された装甲板。
彼らは「漂流者」
地上へ戻る術を失い、アビスの過酷な環境を生き延びるために、壊れたヘキサギアのパーツと自らの肉体を融合させた狂気のサイボーグ集団だ。
「ウゥゥ……ニク……」
「シンセンナ……パーツ……」
彼らの喉からは言葉とも呻きともつかない音が漏れていた。
その瞳に理性はない。
あるのは、飢餓と侵入者に対する強烈な敵意だけ。
「うわぁ……。趣味悪いっすね。あそこまで行くと、改造っていうか『継ぎ接ぎ』っすよ」
ミカは冷静に感想を述べた。
彼女自身、白堊理研によって強化改造を受けた身だが、彼らのそれはあまりにも粗雑で醜悪だった。
生きるために人間であることを捨てた末路だろう。
「来るよ、ミカちゃん!」
フレンダの叫びと同時に、漂流者たちが一斉に襲いかかってきた。
彼らの動きはゾンビのように緩慢ではない。埋め込まれた人工筋肉と薬物によって生み出された恐るべき速度だ。
ギャアアアアッ!!
先頭の一体がインパルスに向かって跳躍した。右腕の削岩機が唸りを上げ、フレンダを狙う。
「邪魔だぁッ!!」
フレンダはインパルスの前脚でそれを弾き飛ばし、すれ違いざまにトリック・ブレードで薙ぎ払った。
上半身と下半身が泣き別れになり、汚れた血とオイルが撒き散らされる。
「数は多いけど統率はない!これなら突破できる!」
フレンダはインパルスを走らせ敵の群れの中央を強行突破しようとした。
だが。
ガガガガガッ!!
廃墟の上層階から、激しい銃弾の雨が降り注いだ。
「なっ!?」
『上空、狙撃兵多数!重機関銃、ロケットランチャーを確認!』
彼らはただの暴徒ではなかった。地形を熟知し、十字砲火を組んでいたのだ。
「チッ、鬱陶しいっすね!」
後方のミカがクロスレイダーを急旋回させてロケット弾を回避する。
爆風が彼女の髪を揺らす。
「少尉、このままじゃジリ貧っす。少尉はデカい連中を引きつけて、正面を突破するっす。私はバイクを降りて、上の『掃除』をしてくるっすよ」
「えっ、一人で!?」
「バイクに乗ってちゃいい的っすからね。それに」
ミカはクロスレイダーから飛び降り、ハンドガンを二丁抜いた。
その青い瞳が、アビスの闇よりも深く、冷たく濁る。
「私の前で『改造人間』を名乗るなら……。性能の違いってやつを、教えてやる必要があるっすね」
ミカ・フォルクス少尉が地面に着地した瞬間、彼女の時間は加速した。
脳内の神経伝達物質が過剰分泌され、知覚速度が極限まで引き上げられる。
スローモーションになった世界の中で、彼女は降り注ぐ弾丸の弾道を赤い光線のように視認していた。
「遅い」
一歩。
彼女が踏み込むと、コンクリートの床が爆ぜた。人間とは思えない加速。
彼女は壁面を垂直に駆け上がり、重機関銃を掃射していた漂流者の目の前を瞬きの間に移動していた。
「ア……?」
漂流者が反応するより早く、ミカの右手の銃が火を噴いた。
ドンッ!
眉間への一点射撃。
脳漿を撒き散らして倒れる死体を足場にし、ミカは更に上層へと跳ぶ。
「ギシャアアッ!」
物陰から両手が巨大なハサミに改造された男が飛び出してきた。
ミカの首を刈り取ろうとする刃。
だが、ミカは避けなかった。
上半身を僅かに逸らし、ハサミの軌道をミリ単位で見切る。
そして、すれ違いざまに左手の銃口を男の開いた口の中に突っ込んだ。
「口臭いっすよ」
ズドンッ!!
体内を貫く発砲音。男の後頭部が破裂した。
ミカの動きは舞踏のように美しく、そして機械のように正確だった。
無駄な動きが一切ない。
走る、撃つ、蹴る、跳ぶ。
その全てが一つの流れるような動作の中に組み込まれている。
彼女は強化人間だ。
筋肉、骨格、神経。全てが戦闘のために最適化された白堊理研の最高傑作。
対して、漂流者たちは廃品を継ぎ接ぎしただけの紛い物。
その差は歴然だった。
「ターゲット、クリア。次」
ミカはリロードすら空中のアクロバットの中で完了させた。
空になったマガジンを敵の顔面に投げつけ、怯んだ隙に喉をナイフで掻き切る。
彼女が通った後には、沈黙した死体の山だけが残された。
血飛沫ひとつ、彼女のスーツには付着していない。
それは「戦闘」ではない。
淡々とした「廃棄物処理」だった。
一方、地上のフレンダもまた、激戦の中にいた。
「どけぇぇぇッ!!」
ロード・インパルスが吼える。
群がる歩兵サイズの漂流者たちをその巨体と機動力で蹴散らしていく。
だが、敵は湧いて出るように現れる。
痛みを感じない彼らは手足を千切られても這いずり回り、インパルスの脚に噛み付いてくる。
「しつこい!ゾンビ映画ならとっくにエンドロールだよ!」
フレンダがトリック・ブレードで周囲を薙ぎ払った時。
廃墟の奥から、地響きと共に巨大な影が現れた。
ズゴォォォォン……!
それは、かつて「バルクアームα」と呼ばれていた人型ヘキサギアの成れの果てだった。
装甲は剥がれ落ち、代わりに分厚い鉄板や建築資材が溶接されている。
そして何より異様なのはそのコクピットだ。
ハッチは取り払われ、肥大化した肉塊のような男がケーブルで機体と直結されていた。
このコロニーの支配者。
鉄屑の王。
「オオオ……!イイ体ダ……!ソノ機体……ヨコセェェ!!」
鉄屑の王が叫ぶ。
その声はスピーカーを通したノイズ混じりの絶叫だった。
右腕には巨大な解体用ハンマー、左腕には火炎放射器が装備されている。
「お断りだよ!あんたみたいな醜いのに、私のインパルスは渡さない!」
フレンダは即座に反応した。インパルスを加速させ側面へ回り込む。
正面からの撃ち合いは不利だ。スピードで翻弄するしかない。
ゴォォォッ!!
火炎放射がインパルスの鼻先を掠める。
熱気が装甲を焦がす。
「速イ……!速イナァ!ダガ、逃ゲ場ハ無イゾ!!」
鉄屑の王がハンマーを地面に叩きつけた。
ドガァァァン!!
衝撃波が走り、老朽化した廃墟の床が崩落する。
インパルスの足場が崩れフレンダの体勢が崩れた。
「しまっ――!?」
「捕マエタァァ!!」
王の左手が伸びる。
巨大なマニピュレーターが、インパルスの胴体を鷲掴みにした。
メキメキメキッ……!
「ぐぅッ……!放せっ!」
インパルスの薄い装甲が悲鳴をあげる。
圧倒的な出力差。
第2世代とはいえ、重量級のバルクアームのパワーは第3世代軽量級のインパルスを遥かに上回る。
「イイ音ダ……!中身ヲ引キズリ出シテ……俺ノ一部ニシテヤル!!」
王がコクピットを覗き込む。
その濁った瞳とフレンダの目が合った。
狂気と食欲に満ちた目だ。
「……冗談じゃない。誰が……あんたなんかの……!」
フレンダは操縦桿を押し込むが出力が足りない。
万事休すかと思われた、その時。
頭上のキャットウォークから、青い影が降ってきた。
「……うるさいっすね。近所迷惑っすよ、デブ」
ミカだ。
彼女は重力を無視したような動きで着地する。いや、鉄屑の王の肩の上に着地した。
「ナンダ……?虫ケラガ……!」
王がミカを振り払おうとする。
だが、ミカは既に動いていた。
彼女は手に持っていた大型の対戦車ナイフを王の首筋、機体と生身が接続されているケーブルの束に突き立てた。
ブシュゥゥッ!!
「ギャアアアアッ!?」
「神経接続してるならここが痛いのは当たり前っすよね」
ミカは無表情でナイフを捻る。
王の絶叫に合わせて、バルクアームの動きが止まる。
その隙をフレンダは見逃さなかった。
「ナイス、ミカちゃんッ!インパルス、噛み砕けェッ!!」
フレンダは拘束が緩んだ瞬間に、インパルスの首を王の方へ向けた。
ロード・インパルスの強靭な顎が展開する。
ガギィィィッ!!
インパルスの牙が、王の生身の肩と、機体のフレームをまとめて食いちぎった。
「ギャッ、ギ、ガ……!?」
「トドメっす」
ミカは王の肩から跳び退きざまに、開いたコクピットの中へピンを抜いた手榴弾を放り込んだ。
そして、フレンダに向かって叫ぶ。
「退避ッ!」
フレンダはインパルスを全力で後退させた。
次の瞬間。
ズドォォォォォン!!!
鉄屑の王の体内で爆発が起きた。
機体が内側から膨れ上がり四散する。
肉片と鉄屑の雨が降り注ぎ、地底の支配者はただのガラクタの山へと還った。
王の死と共に、残された漂流者たちは戦意を喪失し闇の中へと逃げ去っていった。
統率者を失った彼らはもはや烏合の衆でしかない。
廃墟に静寂が戻る。
残ったのは焦げ臭い硝煙の匂いと、インパルスの駆動音だけ。
「……ふぅ、終わったね」
フレンダがコクピットから身を乗り出す。激戦の疲労で肩で息をしている。
一方、ミカはアーマーの埃を払うだけで、息一つ乱していなかった。
「……やっぱり、ミカちゃんは強いね」
フレンダは素直に称賛する。
あの乱戦の中、生身で数十人の強化兵を制圧し巨大ヘキサギアにトドメを刺した。
その戦闘能力は、間違いなくリバティー・アライアンス最強の一角だ。
「仕事っすから。それに、あんな風になりたくないだけっす」
ミカは破壊された鉄屑の王の残骸を見下ろした。
機械と融合し、理性を失った姿。
それは、強化人間である彼女自身の成れの果てかもしれない。
そんな微かな恐怖を、彼女は冷徹な仮面の下に押し殺していた。
「あ、ねえミカちゃん!見てこれ!」
フレンダの明るい声が重い空気を吹き飛ばした。
彼女は廃墟の奥、崩れかけた休憩所のようなスペースを指差していた。
そこには、奇跡的に原形を留めた一台の自動販売機があった。
「自販機?まさか、生きてるんすか?」
「ランプがついてる!電源は地熱発電が生きてたから大丈夫みたい!」
フレンダは駆け寄り、数百年前の骨董品を見る。中の商品は殆どが劣化しているが、缶入りの炭酸飲料だけは奇跡的に密封されているようだ。
「うわぁ……、見て!『ドク・ペッパー(Doc Pepper)』だって!伝説の『選ばれし者の知的飲料』だよ!」
「……なんすかそれ?聞いたことないっす」
「いいからいいから!戦勝祝いに乾杯しようよ!」
フレンダはインパルスのバッテリーを直結して無理やり自販機を動かした。
ガコン、ガコン。
冷えた缶が二本、取り出し口に転がり落ちる。
「はい、ミカちゃんの分」
「……どうも」
ミカは渋々受け取った。
缶は錆びついているが中身はチャプチャプと音を立てている。フレンダがプルトップを開ける。プシュッという小気味良い音が響く。
「アビスの底で、生きてることに乾杯!」
「……乾杯」
二人は缶を合わせ、一気に煽った。
「んぐ、んぐ……。ぷはぁっ!!変な味、薬みたい!」
フレンダが顔をしかめて笑う。
「……最悪っすね、湿布の味がするっす」
ミカもまた、苦虫を噛み潰したような顔をした。
だが、その炭酸の刺激は、喉の渇きと殺戮の記憶を洗い流してくれる気がした。
「でも、悪くないかもね」
フレンダがニカっと笑う。
ミカは呆れたように肩をすくめ、残りの炭酸を飲み干した。
「……ま、泥水よりはマシっすかね」
薄暗い地底の廃墟。
二人の人外の少女は、機械の墓場で束の間の休息を楽しんだ。
アビスの深淵はまだ続く。
だが、この最強のバディならばどんな地獄もピクニックに変えていけるだろう。




