【水晶の森の紡ぎ手】
【水晶の森の紡ぎ手】
深度、3500メートル。
そこは、地上の常識がガラス細工のように砕け散る世界だった。
「うわぁ……、キラキラしてる。ねえミカちゃん、見てよこれ!宝石箱の中にいるみたい!」
ロード・インパルスの外部スピーカーから、フレンダの場違いに弾んだ声が響く。
彼女の視線の先には幻想的な光景が広がっていた。
闇を切り裂くライトの光が無数のプリズムを生み出している。
地面から、壁から、そして天井から。
太さ数メートルから数十メートルにも及ぶ巨大な六角柱の結晶が林立していた。
それらは地熱と超高圧、そして結晶炉由来の汚染物質が数百年かけて凝縮し成長した成れの果てだ。
淡いブルー、紫、そして毒々しい蛍光グリーン。
自ら微弱な光を放つ結晶群は視界の全てを極彩色の迷宮へと変えていた。
「……感性を疑うっすね」
後方を走るミカは愛機クロスレイダーのハンドルを握りながら、不快そうに吐き捨てた。
「綺麗に見えるのは表面だけっす。ガイガーカウンターの数値、見てないんすか?このクリスタル、全部が高純度の汚染物質の塊っすよ。うっかり触れてスーツが破れれば、即座にエレメント汚染で身体中が宝石になってサヨナラっす」
「えー?綺麗だからいいじゃん。死ぬなら綺麗な場所がいいし」
「私は御免っすね。死ぬなら畳の上で老衰がいいっす」
ミカは舌打ちをした。
このエリア、通称『結晶樹海』はアビスの中でも特に地形が複雑だ。
鋭利な刃物のような結晶が不規則に突き出しており、少しでも操縦を誤れば機体ごと串刺しになる。
しかも電磁干渉が酷く、レーダーやソナーの効きが悪い。
「それに……静かすぎるっす」
ミカの強化された聴覚が、微細な違和感を拾っていた。
先程の層までは聞こえていた岩盤の軋む音や、ガスの噴出音がここではピタリと止んでいる。
あるのは時折聞こえる「チロ……チロ……」というガラスが触れ合うような高い音だけ。
『警告。このエリアにおける生態系データは皆無です。ですが、統計的に見て、これほど隠れ場所の多い環境に捕食者が不在である確率は、0.0001%未満です』
ロード・インパルスのKARMA、メイが冷静に分析する。
「分かってるよメイ、いるんでしょ?この綺麗な森の主がさ」
フレンダの声色が狩人のそれに変わる。
彼女はインパルスの速度を落とさなかった。
むしろ加速する。
獲物を炙り出すには、自らが派手に動くのが一番手っ取り早い。
ロード・インパルスの四肢がしなやかに動き、クリスタルの幹を蹴って跳躍する。
銀色の狼が、光の森を駆け抜ける。
だが。
その野生の過信こそが、この森の主が待ち望んでいたものだった。
「そこだッ!」
フレンダは直感に従い、巨大な紫水晶の陰へとインパルスを滑り込ませた。
何かの気配がしたのだ。
しかし。
そこには何もいなかった。
ただキラキラと輝く結晶の壁があるだけ。
「あれ、外れ?」
『……いえ、フレンダ。何かは、そこにいます』
メイの警告と同時だった。
キィィィン!!
耳障りな高周波音。
インパルスの動きが、空中で唐突に止まった。
地面に着地しようとした前脚が、空中で固定されたかのように動かない。
いや、違う。
引っかかったのだ。
「えっ!?動かな……うわっ!?」
フレンダが藻掻こうとした瞬間、インパルスの装甲から激しい火花が散った。
見えない。
何も見えないのに機体が切り刻まれている。
『警告、装甲各所に切断ダメージ!……単分子繊維です!肉眼では視認不可能な極細の糸が、空間全体に張り巡らされています!』
「糸!?ってことは……!」
フレンダが顔を上げた。
インパルスの重量がかかったことでピンと張り詰めた糸が、ライトの光を受けて一瞬だけ白銀に輝いた。
それは蜘蛛の巣だった。
巨大なクリスタルの柱と柱を繋ぐように逃げ場のない立体的包囲網が形成されていたのだ。
「ぐぅッ……!切れない!」
フレンダはインパルスのパワーで強引に引きちぎろうとした。
だが、その糸は恐ろしいほどの強度と鋭利さを持っていた。
動けば動くほど糸は装甲に食い込み、フレームまで達しようとする。
まるでチーズカッターの上に乗せられたバターのようだ。
「ミカちゃん、助けて!宙吊りになっちゃった!」
フレンダは無様に空中で拘束されたまま、後方のミカに救援を求めた。
だが、通信機から返ってきたのは極めて冷淡な声だった。
「……あー、やっぱりっすか。先行しすぎっすよ、バカ犬」
ミカはクロスレイダーを停止させ、安全圏からその様子を眺めていた。
彼女の強化視力をもってしても、あの糸は見えなかった。
だが、静かすぎることへの警戒が、彼女を罠の手前で踏みとどまらせていた。
「動かない方がいいっすよ。その糸、下手に暴れると首が飛びます」
「分かってるよ!でもこのままじゃ……!」
『熱源反応多数!頭上、来ます!!』
メイの叫び。
天井の暗がり。クリスタルの影から、それらは音もなく降りてきた。
ザザザザザ……
巨大な影。
八本の脚。
それぞれが鋭利なクリスタルの槍となった、悪夢のような多脚戦車。
アラクネ型ヘキサギア。
上半身は作業用ヘキサギアのコクピットブロックを流用し、下半身はアビスの環境に適応して肥大化した機械仕掛けの蜘蛛。
その複眼は、獲物であるフレンダを見下ろし、無機質に赤く明滅していた。
「で、デカい!しかも一匹じゃない!」
大小合わせて十数体。
それらが糸を伝ってスルスルと降りてくる。
目的は一つ。
網にかかった獲物の「捕食」だ。
「ミカちゃん、撃って!早く!」
フレンダが叫ぶ。
しかし、ミカは動かなかった。
彼女はクロスレイダーの陰に身を隠し、ハンドガンを構えたままじっと状況を観察している。
「……無理っすね」
ミカは冷静に計算していた。
敵の数は多い。しかも、この結晶の森は射線が通らない。
下手に撃てば跳弾が自分に跳ね返ってくるか、あるいはフレンダを支えている糸を切って彼女を奈落へ落としかねない。
それに、敵の装甲は厚い。
アビスの結晶を取り込んだ外殻はハンドガン程度では傷つかないだろう。
(助ける義理はない。ここで撤退して本部に応援を要請するのが合理的判断っす)
ミカの思考は冷徹だった。
フレンダは優秀な戦力だが、心中するほどの仲ではない。
だが。
彼女はふと、フレンダの言葉を思い出した。
『あんたは、私よりバケモノの匂いがするね』
「……チッ。ここで見捨てたら、夢見が悪そうっすね」
ミカは舌打ちをし、思考を切り替えた。
助ける。ただしミカ流のやり方で。
「フレンダ少尉。聞こえるっすか」
「聞こえてるよ!早く助けて!」
「命令っす。そのまま、死ぬ気で耐えろ」
「はぁ!?」
「少尉は頑丈っすよね?インパルスもまだ動く。なら、最高の『餌』になってもらうっす」
ミカの青い瞳が、氷のように冷たく光った。
「奴らは今、少尉に夢中っす。食事の邪魔が入らない限り、周囲への警戒は薄くなる。私が『急所』を撃ち抜くその瞬間まで、悲鳴を上げて敵を引きつけろ!」
「あなた、やっぱり鬼だよ!!」
フレンダの抗議を無視しミカは通信を切った。
そして、彼女は音もなく走り出した。
クロスレイダーは置いていく。
彼女自身の、強化された脚力を使って、クリスタルの壁を垂直に駆け上がる。
目指すは敵の頭上。狙撃ポイントだ。
ギチチチチ……
アラクネの群れが、フレンダを取り囲んだ。
先頭の一匹、おそらく群れのリーダーである、トラックほどのサイズがある個体が、インパルスの目の前まで降りてくる。
その口元からは緑色の粘液が滴り落ちていた。消化液だ。
獲物を溶かし、中身のヘキサグラムごと啜るつもりだ。
「うわ、臭っ!口臭ケアしてないの!?」
フレンダは軽口を叩きながらも冷や汗が止まらなかった。
インパルスは四肢を糸に絡め取られ、身動きが取れない。
顎の牙も、角度的に届かない。
『フレンダ。敵対個体、溶解液の噴射準備に入りました。装甲の溶解まで、予測時間12秒』
「12秒!?カップラーメンも作れないじゃん!」
アラクネの口が開く。
ポンプが唸り、ノズルが突き出される。
「くそっ……!舐めんなぁぁぁッ!!」
フレンダは、唯一自由になる武装、背中のトリック・ブレードを起動させた。
「そこぉッ!!」
鞭のようにしなるブレードが、アラクネの顔面を打ち据える。だが、硬い。
結晶化した装甲に弾かれ、浅い傷しかつかない。
ギャアアッ!
アラクネが苛立ち、前脚の槍を突き出した。
ドスッ!!
「がはっ……!?」
インパルスの左肩を、クリスタルの槍が貫通する。
衝撃でフレンダの視界が明滅する。
激痛が走り、フレームが軋む音が響く。
『左肩部アクチュエーター、破損!動力パイプより液漏れ!』
「痛い……痛いけど……!まだ生きてるッ!」
フレンダは笑った。
血の混じった唾を吐き捨てる。
彼女の獣性は痛みによってより鋭く研ぎ澄まされていた。
「ミカちゃんが撃つまで……絶対にお前を逃さない!」
フレンダは貫かれた左肩の人工筋肉をあえて収縮させた。
アラクネの槍を、自らの体で掴んだのだ。
ギッ?
アラクネが槍を引き抜こうとするが抜けない。
獲物が逆に自分を捕まえ返してきたことに、怪物は一瞬の混乱を見せた。
その一瞬が、命取りだった。
遥か頭上。
天井のクリスタルにしがみついたミカは、その光景をスコープ越しに捉えていた。
「……ほんと、バカみたいに頑丈っすね」
ミカの手には、分解して持ち込んでいた対物ライフルが握られていた。
彼女は呼吸を止める。
心拍数を意図的に低下させる。
指先の震えなど、最初から存在しない。
狙うのはアラクネの弱点。
硬い装甲に覆われたこの怪物にも唯一の柔らかい場所がある。
それは糸と消化液を生成する腹部の紡績突起と、その奥にあるヘキサグラム炉心。
しかし、そこはフレンダと対峙している正面からは見えない。
だからこそフレンダに敵を固定させ、背中を向けさせる必要があった。
「角度よし。風……なし。ターゲット、ロック」
ミカの瞳孔が開き、世界がスローモーションになる。
彼女の意識が、ライフルの銃身と一体化する。
「おやすみっす」
ズドンッ!!
爆音。
大口径の徹甲弾が、暗黒の空間を切り裂いた。
弾丸はアラクネの背後、天井からぶら下がっていた巨大な鍾乳石の根元に命中した。
ミカが狙ったのは敵そのものではなかった。
敵の真上にある質量だった。
バキィィィン!!
数トンもの重量を持つクリスタルの塊が、根元から折れ落下する。
その直下にはフレンダを串刺しにしようとしていたアラクネがいた。
ギャッ――!?
反応する間もなかった。
クリスタルの槍がアラクネの胴体を真上から貫いた。
凄まじい衝撃。
怪物の体がへの字に折れ緑色の体液を撒き散らして絶命する。
「今だ少尉!やるっすよ!」
通信機からのミカの怒号。
フレンダは、その声を待っていた。
「待ってましたぁッ!!」
アラクネが死に、インパルスを拘束していた糸のテンションが緩む。
さらに落下の衝撃で周囲の糸も千切れ飛んでいた。
「インパルス、最大出力!食らいつけぇぇぇッ!!」
フレンダは左肩の槍を引き抜き、自由になった四肢で地面に着地した。
そして、即座に跳躍する。
狙うは混乱して散り散りになろうとしている残りのアラクネたちだ。
「お前らは逃さない!私が受けた痛み、倍にして返してやる!」
ザシュッ!!
ロード・インパルスの顎が、一匹の首を噛み砕く。
トリック・ブレードが旋回しもう一匹の脚を薙ぎ払う。
「援護するっす」
上空からは、ミカの正確無比な狙撃が降り注ぐ。
逃げようとする個体の脚を撃ち抜き動きを止める。
動けなくなった獲物をフレンダが狩る。
完全な連携。
言葉はいらない。
「殺す」という一点においてのみ共有された意思が、結晶樹海を殺戮の宴会場へと変えていった。
戦闘終了。
十数体のアラクネは全て鉄屑と肉片に変わっていた。
フレンダのロード・インパルスもボロボロだったが、致命傷は避けていた。
「ふぅ……、死ぬかと思った」
フレンダがコクピットから這い出す。
左腕を押さえているが傷は骨まで行っていないようだ。
「無茶苦茶っすね、少尉は。囮になれとは言ったっすけど、まさか槍を体で受け止めるなんて」
ミカが天井からワイヤーで降りてくる。
その表情には、呆れと、僅かながらの賞賛が含まれていた。
「だって、ああしないと動いちゃうでしょ?ミカちゃんなら絶対に外さないって信じてたからね」
「……重い信頼っすね。外したらどうするつもりだったんすか?」
「その時はその時!一緒に地獄で反省会だよ」
フレンダはケラケラと笑い、一番巨大なアラクネの死骸へと近づいた。
その腹部はクリスタルに押し潰され、中からドロリとした液体が溢れ出している。
「うわ……。これ、さっきの消化液だよね?」
フレンダが興味津々に覗き込む。
緑色に発光し、鼻を突く酸っぱい臭いがする。
「触らない方がいいっすよ。まだ酸化作用が残ってるかもしれないっす」
ミカの忠告をよそに、フレンダは指先にほんの少しだけその液体をつけ、匂いを嗅いだ。
「くんくん……。あれ?これ酸っぱいだけじゃないかも。なんかフルーティーな香りがする」
「は?嗅覚イカれたんすか?」
「いや、本当だって!メイ、分析!」
『……分析完了。主成分は強酸ですが、同時に高濃度の糖分を含んでいます。この個体は、結晶樹海に自生する「蜜蜂型ヘキサギア」を捕食していたようで、その体内に蓄積された蜜が混ざり合っています。……例えるなら、「激辛レモンシロップ」です』
「シロップ!?」
フレンダの目が輝いた。
彼女は腰のポーチから昨日の残りの乾パンを取り出した。
そして、その怪しい緑色の液体をソースのように乾パンに垂らす。
「ちょ待て!待つっす!それは流石にアウトっす!」
ミカが止めようとするが、フレンダは既に乾パンを口に放り込んでいた。
「んぐっ!……すっぱぁぁぁぁぁいッ!!!」
フレンダが顔を梅干しのように窄める。
全身がビクビクと痙攣する。
「ほら見ろっす!吐き出すっす!」
「……でも、甘い!後味がすごく甘い!これ、疲れた体に染み渡るよぉぉ!」
フレンダは涙目になりながら、もう一枚の乾パンに手を伸ばした。
「ミカちゃんも食べる!?刺激的だよ!」
「死んでも嫌っす。少尉、やっぱりバケモノっすよ」
ミカは深々と溜め息をつき頭を抱えた。
この狂った相棒といると常識というものが音を立てて崩れていく気がする。
「さあ、お腹も満たしたし!次行こう、次!」
「……へいへい。付き合うっすよ、地獄の底まで」
ミカはクロスレイダーに跨りエンジンを始動させた。
前を行くインパルスは傷だらけの体を引きずりながらも楽しげにステップを踏んでいる。
結晶樹海の奥深く。
二人の人外の旅路はまだ終わらない。
次の層にはさらなる狂気と、未知の食材が待っているのだから。




