【逆襲の牙と見えざる魔手】
白堊理研第8基地リトルベース司令室。
無数のモニターが青白い光を放つ中、一人の女性がカップを片手に映像を見つめていた。
この基地の指揮官、ヴァネッサ・ヘルシング少佐だ。
画面に映っているのは先日の戦闘記録。
漆黒のヘキサギア「ウィアード・テイルズ」とそのパイロットである隻眼の女。
「やはり生きていたか、検体E」
少佐の声は絶対零度のように冷ややかだった。
かつて、結晶炉の暴走事故により生み出された異形の怪物・フレデリカ・マーキュリー。
通称、うさぎの魔術師フリーテル。
その肉体は無限に増殖する癌細胞の塊であり、生物としての限界を超越していた。
少佐はその細胞を回収し、最強の兵士を作り出すためのクローン計画を主導した。
だが、狂った遺伝子の制御は困難を極めた。
培養槽の中で肉体が崩壊する者。精神に異常をきたし自ら喉を掻き切る者。
数多の屍の上に基準を満たして生まれた10体の「姉妹」たち。
その中で唯一「検体F」だけが、情緒の安定と高い適合率を示した。
「最高傑作は一つでいい、残りはただの産業廃棄物だ」
少佐は手元のスイッチを操作し、アイリーンのデータを削除フォルダへと放り込んだ。
検体E、アイリーン。
彼女は廃棄処分とされた、失敗作の一人だ。しぶとく生き延び、野良犬のように這い上がってきたようだが。
「私のフレンダに余計な雑音を吹き込まれては困る。あいつは何も知らず、ただ私の手の中で無垢な獣として戦っていればいい」
少佐の瞳が怪しく光る。
それは娘を思う母の目であり、同時に完成された作品に執着する狂気のマッドサイエンティストの目でもあった。
「排除しろフレンダ、過去の汚点は未来のために全て焼き払うべきだ」
リトルベース、第4格納庫。
そこには、クリスマスプレゼントを開ける子供のように目を輝かせる二人の姿があった。
「すっごい、ピカピカだぁ!」
「美しいっす、これが資本主義の輝きっす」
二人の前には、アースクライン・バイオメカニクス社のロゴが入った厳重なセキュリティコンテナが置かれている。
中から現れたのは、フレンダとミカが獲得した賞金350万クレジットの全てが形を変えた、最新鋭の装備群だった。
ロード・インパルス【Reloadead】の頭部に装着される新たなセンサーユニット。
【広域多重センサー・アルゴス】
熱源や音響だけでなく、空気中の微細な粒子の揺らぎさえも視覚化する第三の目だ。
そして、前脚のストライク・クローに追加装甲と共に装着された、真紅のブレード。
【超振動破砕爪・ヴォーパル・クロー】
刀身を超高速で振動させ、分子結合を強制的に解離させる最強の牙。
「そして、これが私のための!」
ミカが手に取ったのは、一見するとただのスタイリッシュな黒いスーツ。
だが、その素材は特殊な衝撃拡散ジェルと防弾繊維を幾重にも積層した特注品だ。
【対衝撃強化スーツ・イージス・カスタム】
「防弾、防刃、耐熱、耐衝撃……そして何より、完全密閉による対汚染性能!これで泥水もオイルも、私の肌には届かないっす!」
ミカはスーツを抱きしめ、恍惚の表情を浮かべた。
美肌を守るための鉄壁の鎧。これこそ彼女が求めていたものだ。
「よし、装備も完璧!さあ行こうミカちゃん!あの『キツネ女』にリベンジマッチだ!」
「了解っす、少尉。350万の元を取るまで暴れてもらうっすよ!」
数日後、狙いすましたかのようにアイリーンから決闘を、フレンダ達は言い渡された。
都市外縁部に広がる廃棄された化学プラント。
錆びついたパイプが血管のように張り巡らされ、崩れかけた蒸留塔が墓標のように聳え立つ。
死角だらけの迷路。ステルス機であるウィアード・テイルズには絶好の狩り場だ。
「来たか、成功作」
闇の中から、アイリーンの声が響く。
だが、その姿は見えない。
シュンッ!
音もなく、背後のパイプの影からスペード・ロワーが射出された。
前回の戦いと同じ死角からの奇襲。
だが、今のフレンダには「見えて」いた。
「そこッ!」
フレンダは振り向きざまに、インパルスの頭部チェーンガンを発砲した。
ガガガガッ!!
「なっ!?」
闇に潜んでいたスペード・ロワーが火花を散らし、弾き飛ばされる。
フレンダのモニターには、新型センサー【アルゴス】が捉えた敵の軌道が鮮やかな赤いラインとして表示されていた。
「見える。見えるよミカちゃん!あいつの隠れ場所も、あのヒラヒラした板の動きも、全部丸見えだ!」
「当然っす!なんたって『100万クレジット』の目っすからね!」
「チッ、小癪な!」
アイリーンは焦る。
彼女はウィアード・テイルズ本体を現し、三基のロワーによる波状攻撃を仕掛けてきた。
狙いは再びコクピットに座るミカだ。
「その顔をズタズタにしてやる!」
鋭利な刃がインパルスの装甲の隙間を抜け、ミカの身体を襲う。
バギィッ!!
直撃。だが、ミカは悲鳴を上げなかった。
「痛くないっすね」
「はぁ!?」
破片はスーツの表面で弾かれ、衝撃はジェルによって完全に吸収されていた。
ミカはコクピットから身を乗り出し、アサルトライフルを構え直す。
「無駄っすよ、狐さん。今の私は戦車に轢かれても無傷な『鉄壁の美肌』っす!」
「な、なんだそのふざけたスーツは!?」
「350万の力を見せてやるっす!行け、少尉!噛み砕くっす!」
「了解!晩ご飯の前菜にしてやるーッ!!」
インパルスが爆発的に加速する。
センサーで動きを読まれ、搦め手を封じられたウィアード・テイルズに対し、フレンダは正面からの殴り合いに挑んだ。
資本の力と野生の勘が融合した、圧倒的な暴力の奔流。
形勢は完全に逆転していた。
「がぁぁぁッ!?馬鹿な、私のロワーが!」
アイリーンは叫んだ。
彼女の切り札であるスペード・ロワーは、全てインパルスのチェーンガンによって撃ち落とされ地面に転がっていた。
死角からの攻撃は通じない。隠れても【アルゴス】センサーで見つかる。
そして正面から打ち合えば、インパルスのパワーに押し負ける。
「ふざけるな、ふざけるなッ!!」
アイリーンの理性回路が焼き切れる。
彼女はウィアード・テイルズを後退させながら、通信回線を全開にした。
「なぜお前だけが!同じビーカーから生まれ、同じ細胞を持つ姉妹の屍を越えて!なぜ、お前のような何も考えていない『失敗作』が愛されるッ!!」
フレンダが動きを止める。
インパルスのコクピットで、彼女は首をかしげた。
「姉妹、ビーカー……何の話?私、一人っ子だよ?」
「ハッ、何も知らされていないのか!お前も私も人間じゃない。お前は、あの『怪物』の細胞から作られたただのコピーだ!私とお前は!」
アイリーンが真実を、フレンダの出生の秘密と自分たちが呪われた姉妹であることを告げようとした、その時だった。
ザザザザザッ――――!!!
突如、鼓膜をつんざくようなノイズが通信機から迸った。
アイリーンの声がかき消される。
「うわっ、耳が!?」
「強力なジャミングっす!?」
ノイズの嵐を切り裂き、冷徹で威厳のある声が響き渡った。
『黙れ廃棄物』
「しょ、少佐!?」
リトルベースの司令室から、ヴァネッサ・ヘルシング少佐が回線に介入したのだ。
彼女の声には、絶対的な強制力が宿っていた。
『フレンダ、敵の戯言に耳を貸す必要はない。それは敗者が吐き出すただの嫉妬のノイズだ』
「でも、少佐。あいつ、何か」
『聞けフレンダ』
少佐の声が一段と低くなる。
それは、娘を諭す母のようでもあり、兵器にトリガーを引く指揮官のようでもあった。
『お前は私の最高傑作、雑音は排除しろ。その新しい牙で今すぐ黙らせろ』
フレンダの瞳から迷いが消える。
彼女にとって、少佐の言葉は世界の真理そのものだからだ。
「了解!少佐がそう言うなら、ノイズだね!」
「くっ、通信妨害か!?少佐ァァァッ!!」
アイリーンは悟った。
自分たちを生み出し、そして捨てた「母親」が今もなおフレンダを守ろうとしていることに。
その事実は、彼女の心を絶望と怒りで満たした。
「殺す!お前も、その飼い主も、全てッ!!」
ウィアード・テイルズが咆哮を上げ、最後の特攻を仕掛けてくる。
三本の尾を展開し獣のように襲いかかるアイリーン。
対して、フレンダは冷静だった。
ミカがシステムを最大出力にセットする。
「リミッター解除!【超振動破砕爪・ヴォーパル・クロー】、起動っす!!」
ヴォォォォォンッ……!!
インパルスの前脚に追加された紅のブレードが唸りを上げる。
超高速振動により刀身の周囲の空気が赤熱し、陽炎のように揺らぐ。
「行っけぇぇぇぇぇぇッ!!!」
両機が交錯する一瞬。
アイリーンの尾がインパルスを貫こうとするより速く、紅の閃光が走った。
ズギャァァァァァァァッ!!!
嫌な金属音が響き渡り、火花が夜空を焦がす。
次の瞬間。
宙を舞ったのは、ウィアード・テイルズの三本の尾と右腕の装甲だった。
「がぁぁぁぁっ!?」
機体のバランスを失い、アイリーンは地面に無様に転がった。
最強の盾であり武器でもあった尾を、根こそぎ切断されたのだ。
「すごっ、バターみたいに切れたよ!」
「ふふふ、アースクライン社の技術力は伊達じゃないっすね」
インパルスがゆっくりと歩み寄る。
アイリーンの機体は中破し、各所から火花が吹いていた。
コクピットハッチが半開きになり、アイリーンが憎悪に満ちた目でこちらを睨んでいるのが見える。
「殺せ……。殺せよ、成功作!」
フレンダはヴォーパル・クローを構え、そして止めた。
「ううん、もういいや」
「なっ!?」
「ミカちゃんの顔の傷の分は返したし。それに、なんかボロボロで可哀想だし」
フレンダの言葉は慈悲というよりは、興味を失った子供のようだった。
それがアイリーンにとって、何よりの屈辱だった。
「甘いな、その甘さがいつかお前の命取りになるぞ!」
アイリーンは最後の煙幕弾を発射した。
ボンッ!
白煙が視界を覆う。
風が煙を晴らした時にはウィアード・テイルズの姿は消えていた。
逃走経路のマンホールが開いている。地下水道へ逃げたのだ。
「逃がしたっすね」
「いいよ、また来たらまた追い払えばいいし!」
フレンダは明るく笑い、コクピットから降りて大きく伸びをした。
ミカも降りてきて、基地の自販機で買っておいた缶コーヒーをフレンダに投げ渡す。
「はい、勝利の美酒っす」
「わーい、ありがとう!」
二人は並んで崩れ落ちたプラントと月を見上げた。
350万クレジットの装備に身を包みながら、飲むのは安いコーヒー。
だが、その味は格別だった。
「ねえミカちゃん。あいつ、最後に何て言いかけたのかな」
「さあ?負け惜しみじゃないっすか?」
ミカはコーヒーを一口飲み、知らぬふりをした。
少佐が隠そうとした真実。それは今のフレンダには必要ない。
彼女が笑顔でいてくれるなら、それでいい。
「帰ろうっす、少尉。明日はまた新しい依頼が来るっすよ」
「うん、次は何食べようかなー!」
夜明けの空に、二人の笑い声が溶けていく。
しかし、闇の奥底にはまだ消えない怨念が燻り続けていることを彼女たちはまだ知らない。




