【摩天楼の迷宮と満腹の勝利】
中立都市セクター・バビロン。
その中心に聳え立つ地上20階建ての超巨大複合施設「バビロン・モール」。
ここは戦争に疲れた人々が束の間の夢を見るための消費の殿堂である。
その煌びやかなエントランスの片隅で、一人の女性が灰のような顔をして端末を見つめていた。
「終わったっす」
ミカ・フォルクス少尉である。
彼女の視線の先にあるのは銀行口座の残高表示。
そこには極めて「ゼロ」に近い数字が表示されていた。
「先日の豪華客船でのドレス弁償代。インパルスの定期メンテナンス費。そして、前回の温泉任務で消費した高級ボディソープの経費申請却下」
ミカは震える指で画面をスクロールする。
「計算するまでもないっす、あと一回出撃して弾薬を使ったら私は破産っす。明日からは合成栄養ブロックと水道水だけで生きていくしかないっす」
「えーっ、やだよそんなの!」
隣で巨大な5段重ねのソフトクリームを舐めていたフレンダ・ディーコン少尉が叫んだ。
彼女にとって食は生きる意味そのものだ。
「ミカちゃんが貧乏なのは勝手だけど、私のオヤツまで減らさないでよ!」
「誰のせいで貧乏だと思ってるんすか!?少尉がインパルスで暴れ回るたびに修理費と弾薬費が飛んでいくんすよ!?」
ミカが悲痛な叫びを上げる。
だが、フレンダは「ん~、美味しい」とソフトクリームに夢中で全く聞いていない。
ミカは天を仰いだ。
(もうダメっす。ヘキサギアを売るか、私の腎臓を売るか)
その時だった。
ふと顔を上げたミカの目に中央広場の巨大モニターに映し出された広告が飛び込んできた。
『開催決定!銀河大食い選手権 in バビロン・モール!』
『宇宙一の胃袋は誰だ!?優勝賞金、一千万クレジット!!』
「いっ、一千万!?」
ミカの目が現金自動支払機のように輝いた。
一千万クレジット。
それは現在の借金をすべて完済し、インパルスのローンを払い終え、さらに老後の資金まで確保できる金額だ。
「これだ、これしかないっす」
ミカはソフトクリームを頬張るフレンダの肩を万力のような力で掴んだ。
「痛っ、なにミカちゃん!?」
「少尉。いいえ、フレンダ様」
ミカは跪き、神に祈るような姿勢で言った。
「貴女のそのブラックホールをも凌駕する胃袋で私の人生を救って欲しいっす!!この大会に出るっす!そして優勝するっす!」
「え~、大食い大会?私は早食いは苦手なんだけどなぁ。味わって食べたいし」
「優勝すれば!賞金で!『最高級A5ランク和牛・食べ放題ツアー』にご招待するっす!!」
ピタリ、とフレンダの動きが止まった。
「和牛?あの口の中でとろける、伝説のお肉?」
「そうっす!焼き肉、すき焼き、しゃぶしゃぶ、なんでも来いっす!私が全財産を賭けて奢るっす!!」
フレンダは残りのソフトクリームを一口で飲み込むと、ニカっと笑って親指を立てた。
「乗った!!任せてよ、私の胃袋は宇宙一だよ!」
大会会場となった中央広場は熱狂に包まれていた。
特設ステージには予選を勝ち抜いた猛者たちが並んでいる。
「さあ始まりました!銀河大食い選手権!実況は私、DJマイクがお送りします!」
参加者は異形揃いだった。
消化器官を強化改造したサイボーグ力士「アイアン・ベリー」。
沼地出身の巨大なカエル型獣人「ガマ・ザ・グラトニー」。
そして我らが野獣、フレンダ・ディーコン。
「おいおい、あんなお嬢ちゃんが迷い込んでるぜ?」
「デザートと間違えて食われちまうんじゃないか?」
観客席から嘲笑が飛ぶ。
だが、セコンドに付いたミカは冷静にタオルを構えていた。
「愚民どもめ、少尉はエネルギー消費効率が常人の数十倍という燃費最悪の化け物っすよ?食べることは彼女にとって息をするのと同じなんす」
『第一回戦!メニューはバビロン名物・合成ジャーマンポテト業務用バケツ山盛り!制限時間は10分!レディー、ゴーッ!!』
ゴングが鳴った瞬間。
他の選手たちがフォークやスプーンで懸命にかき込む中、フレンダはバケツを直接持ち上げた。
「いっただっきまーす!」
ガフッ!ムグムグムグ、ゴクンッ!
「「なっ!?」」
会場が静まり返る。
フレンダはポテトを食べるのではなく飲んでいた。
だが、その表情は苦悶ではなく至福そのもの。
「ん~っ、ホクホクで美味しい!塩加減が絶妙だね!」
バクッ!ムシャッ!ゴクンッ!
まるでシュレッダーに紙が吸い込まれるような速度で、山盛りのポテトが消えていく。
5分経過時点で他の選手が半分も食べていない中、フレンダは完食して手を挙げた。
「おかわり!」
『しょ、勝者!フレンダ選手ーーッ!!なんと大会新記録!まだお腹に余裕があるようです!』
「余裕だよ、これ前菜でしょ?」
フレンダはケロリとしている。ミカはガッツポーズをした。
(勝てる、勝てるっす!私の借金完済計画が、現実味を帯びてきたっす!)
フレンダが順調に勝ち進んでいる間、ミカは一人会場を抜け出していた。
向かった先は、モールの上層階にある高級コスメフロア。
「少尉なら放っておいても勝つっす。私にはもう一つ確保しなければならない秘宝があるんす」
ミカはとあるショーケースの前で足を止めた。
そこには、ダイヤモンドのような輝きを放つ小さな小瓶が鎮座していた。
『限定醸造・奇跡の美容液 "ドロップ・オブ・ヴィーナス"』
『世界限定100本。お一人様一本限り。価格:50万クレジット』
「あったっす。これさえあれば、私の荒れ果てた肌年齢を10代まで巻き戻せる。賞金が入ればこれも買えるっす!」
ミカはガラス越しに美容液を見つめ、うっとりと溜息をついた。
借金完済と美肌。二つの夢が同時に叶う瞬間が、すぐそこまで迫っていた。
広場に戻ると、いよいよ決勝戦が始まろうとしていた。
残ったのはサイボーグ力士「アイアン・ベリー」と、フレンダの二人だけ。
『さあ、ついに決勝戦!挑むメニューは、当店自慢の最終兵器。高さ1メートル!総重量10キロ!バベルの塔・ギガントバーガーです!!』
ステージに運ばれてきたのは、もはや建築物と呼ぶべき巨大なハンバーガーだった。
肉、チーズ、野菜、バンズが幾重にも積み重なり、天井を突くような威容を誇っている。
「うわぁ~、夢みたい!」
フレンダの目がハートマークになる。
『それでは決勝戦、スタートッ!!』
フレンダは巨大バーガーにかぶりつこうとした。
その時である。
ダダダダダダダッ!!!
天井のガラスドームを突き破り、無数のロープが降りてきた。
同時に、会場の四方から銃声が響き渡る。
「キャァァァァッ!?」
「な、なんだ!?」
武装した男たちが次々と着地し、銃口を観客に向ける。
赤いドクロのマスクを被った集団。広域テロ組織「レッド・スカル」だ。
「動くなァ!!このモールは我々が占拠した!」
リーダー格の男がステージに上がり、マイクを奪い取る。
「モールの売上金、そしてこの大会の賞金一千万クレジット。全て我々『レッド・スカル』が頂戴する!」
会場はパニックに陥った。
観客たちは悲鳴を上げて逃げ惑うが、出口は既に封鎖されている。
「おい、そこのデブと女!邪魔だ、どけ!」
リーダーがステージ上のフレンダたちに銃床を向けた。
そしてあろうことか、フレンダが食べようとしていた「ギガントバーガー」を薙ぎ払ったのだ。
ベチャッ……。
巨大なバーガーが床に落ち崩れ去った。
チーズが飛び散り、パティが転がる。
フレンダの手が空中でピタリと止まった。
「あ」
フレンダの口から乾いた音が漏れる。
彼女は床に落ちたバーガーと、それを踏みつけたテロリストのブーツを交互に見た。
「おい女、聞こえないのか?失せろと言って」
「まだ……」
フレンダが顔を上げる。
その碧眼からは、ハイライトが消えていた。
代わりに宿っていたのは、空腹の獣だけが持つ底なしの殺意。
「まだ、食べてる途中でしょうがァァァァッ!!!」
ゴオォォォォォッ!!!
フレンダの全身から不可視のプレッシャーが噴き出した。
それは、テロリストたちを怯ませる捕食者の咆哮だった。
「ひっ!?な、なんだコイツ!?」
テロリストが後ずさる。
彼らは知らなかった。
この世で最も危険な行為。
それは、空腹のフレンダ・ディーコンの食事を邪魔することだということを。
「償ってもらうよ、その命でねッ!!」
同時刻、上層階のコスメフロア。
下の階での騒ぎを知らないミカはショーケースの中の「ドロップ・オブ・ヴィーナス」に見惚れていた。
「美しいっす、この一滴に私の失われた青春が詰まっているっす」
だが、その静寂は唐突に破られた。
エスカレーターを駆け上がってきたテロリストの別動隊が、フロアに雪崩れ込んできたのだ。
「金目の物は全部持っていけ!」
「高い香水だ!袋に詰めろ!」
彼らは手当たり次第にショーケースを割り、商品を略奪し始めた。
ガラスの割れる音が響くたび、ミカの眉間の皺が深くなっていく。
そして、一人の男がミカの目の前にあるケースに手を伸ばした。
「おっ、こいつは高そうだ。いただきだぜ!」
男が銃床でガラスを叩き割ろうとした、その瞬間。
「おい、その瓶に指紋をつけるなっす」
背後から氷点下の声が聞こえた。
「あぁ?」
男が振り返ると、そこには鬼の形相をしたミカが立っていた。
彼女の手には、テスター用のトウガラシ成分入り・超強力香水が握られている。
「ここは美を追求する者たちの聖域っす。薄汚い泥棒鼠が、土足で踏み入っていい場所じゃないんすよ!!!」
ブシュッ!!
「ぎゃあああああああっ!?」
ミカが美容液を男の目に直接噴射した。
カプサイシンの強烈な刺激が粘膜を焼き、男はのたうち回る。
「痛い!熱い!目がァァァッ!」
「な、何をしやがる!」
仲間たちが銃を向ける。
だがミカはハイヒールで床を蹴り、マネキンの腕をもぎ取って構えた。
「ガラスケースを割るなっす!商品に血をつけるなっす!お買い上げは貴様らの命で払ってもらうっすよ!!」
ミカは美容液とマネキンの腕を駆使し、商品を一つも壊すことなくテロリストたちを静かに、かつ確実に制圧していく。
中央広場のステージ上。
そこは一方的な蹂躙の場と化していた。
「ひ、ひぃぃぃッ!化け物だ、撃て!撃ち殺せ!」
テロリストたちが一斉射撃を行う。
だが、フレンダはその長身を信じられない速度で動かし、銃弾を紙一重で回避していた。
いや、回避しながら「前進」していた。
「お肉……」
フレンダが呟く。
彼女の視界には、テロリストが動く障害物にしか見えていない。
ドォォン!!
フレンダの拳がリーダー格の男のボディアーマーを貫通する勢いで叩き込まれた。
男は「ぐべっ」と汚い音を立てて吹き飛び、背後の巨大スクリーンに激突した。
「食べ物の恨みは、怖いんだよぉッ!!」
フレンダはステージに飾られていたマグロ解体ショー用の巨大な模造刀を引き抜いた。
長さ2メートル近いプラスチックの塊だが、フレンダが振るえば凶器になる。
「邪魔する奴は、三枚おろしだァッ!!」
ブンッ!!!
豪快なスイングで、テロリストたちがボウリングのピンのように宙を舞う。
「た、助けてくれぇぇ!」
「こんな強い女、聞いてねえぞぉぉ!」
テロリストたちは涙目で逃げ惑うが、フレンダは逃がさない。
彼女は倒した敵を踏み台にして大ジャンプし、逃げようとする敵の背中を掴んで地面に叩きつける。
「食事の邪魔をする奴に、人権はないんだよッ!」
わずか3分。
数十人の武装テロリストは、たった一人の空腹の女性によって壊滅させられた。
広場に静寂が戻る。
フレンダは肩で息をしながら周囲を見渡した。敵は全員伸びている。
「はぁ、はぁ。で、私のハンバーガーは?」
フレンダが司会者を睨む。
腰を抜かしていた司会者は、慌てて厨房へ叫んだ。
「代わりのバーガーを!至急、特大サイズで!!」
数分後。
新たに運ばれてきたギガントバーガーを前に、フレンダの表情が輝きを取り戻した。
「いっただっきまーす!!」
バクッ!ムシャ!ゴクンッ!
彼女は自身の顔以上もある巨大なバーガーをわずか数口で飲み込んでいった。
そして、最後のバンズを口に放り込み高らかに宣言した。
「ごちそうさまでした!!」
『ゆ、優勝!!フレンダ選手ーーッ!!!』
ゴングが鳴り響き、天井から大量の紙吹雪が舞い落ちる。
観客からは割れんばかりの拍手喝采が送られた。
数日後。白堊理研第8基地、リトルベース。
「夢じゃないっすよね?」
ミカは自身の端末画面を、もう1時間も見つめ続けていた。
そこには銀行からの通知が表示されている。
【入金:15,000,000 Credits】
【内訳:優勝賞金 + テロリスト制圧報奨金 + モールからの感謝金】
そして、借金返済後の残高は。
【残高:+ 3,500,000 Credits】
「プラス。私の口座が、黒字っす!」
ミカの手から端末が滑り落ちる。
彼女はその場に崩れ落ち、震える声で叫んだ。
「終わった!私の借金地獄が、終わったんすね!!」
大粒の涙が床を濡らす。
それは、長きにわたる苦闘が報われた歓喜の涙だった。
「おーい、ミカちゃーん!」
そこへ、私服姿のフレンダが上機嫌で現れた。
「準備できた?約束通り『最高級A5ランク和牛・食べ放題』に行くよ!」
「はいっ、行くっす!フレンダ様、一生ついていくっす!」
ミカは涙を拭い、満面の笑みで立ち上がった。
今日ばかりはフレンダが女神に見えた。
たとえ彼女がそのプラスになった残高を一晩で食い尽くす予定だとしても、今のミカには些細な問題だった。
「さあ行こう!胃袋の限界まで食べるぞー!」
「了解っす!高い肉から順に焼くっすよ!」
二人の笑い声が基地に響く。
こうして、バビロン・モールでの激闘は満腹と完済という最高の大団円を迎えたのであった。




