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【豪華客船と仮面の舞踏】

公海の中心を一つの「島」が進んでいる。

全長400メートル、総トン数20万トン。

リバティー・アライアンスとMSGVFの緩衝地帯に浮かぶ、中立の聖域にして欲望の揺り籠。

超巨大豪華客船、クイーン・リバティー号。


そのメインホール。スターライト・ボールルームでは、今夜も華やかな夜会が催されていた。

煌めくシャンデリア、生演奏のワルツ、そして着飾った紳士淑女たち。

その喧騒の中に、一際目を引く女性がいた。


背中が大きく開いたナイトブルーのイブニングドレス。

青い髪は緩く編み込まれ、宝石を散りばめたバレッタで留められている。

手にはノンアルコールのカクテルグラス。

その立ち姿は、深窓の令嬢そのものだった。


「帰りたいっす」


ミカ・フォルクス少尉(潜入用偽名:ミシェル)はグラスの縁で口元を隠しながら、極小音量のインカムで呟いた。


「ヒールが高すぎるっす、ふくらはぎが攣りそうっす。それにこのドレス、レンタル料が私の給料3ヶ月分なんすよ?もしワインの一滴でもこぼしたら、私は破産して路頭に迷うっす」


彼女の表情は優雅な微笑みを保っているが、その青い瞳は周囲の客たちを「汚染源」としてスキャンしていた。

すれ違うウェイターの盆の角度、紳士たちのグラスの揺れ。

すべてが彼女にとっては、ドレスを汚しかねない脅威だった。


今回の任務は、この船で開催される闇オークションへの潜入。

出品される「旧時代の軍事データチップ」を確保することだ。


『我慢してください、ミシェル様。貴女の美貌は会場の誰よりも輝いていますよ』


インカムから上空の無人偵察機を経由してヴァネッサ少佐の声が届く。

からかい混じりのその声に、ミカは眉をひきつらせた。


「おだてても無駄っす、ターゲットのブラック・ブローカーはまだ現れないんすか?早く終わらせてこの窮屈な布切れを脱ぎ捨てて、愛しのスーツに着替えたいっす」


一方、その頃。

煌びやかな舞踏会とは対極にある船底の第3貨物区画。

薄暗くオイルの臭いが漂うコンテナ倉庫。


「暇だぁ、お腹すいたぁ」


極秘貨物とラベルが貼られたコンテナの中で、フレンダ・ディーコン少尉は体育座りをしていた。

彼女の背後には、防水シートを被せられたロード・インパルス【Reloadead】が沈黙している。

今回のフレンダの役割はバックアップ。

ミカが失敗した時、あるいは武力行使が必要になった時のための「切り札」である。


『フレンダ、我慢です。作戦開始まであと2時間は待機です』


インパルスのコンソールからKARMAのメイが諭すように告げる。


「ええ~っ、2時間!?無理無理、さっきから上の階からすっごくいい匂いがしてるんだよ?ローストビーフのグレイビーソースとトリュフの香り!」


フレンダの鼻がヒクヒクと動く。

「検体F」としての並外れた嗅覚は分厚い隔壁を通して厨房の香りを捉えていた。


「メイ、偵察に行ってくる」


『偵察、作戦エリアは上層のホールですよ?』


「ううん、もっと重要なエリア。厨房だよ!」


フレンダはコンテナのロックを内側から解除し、猫のような身軽さで飛び出した。

彼女の瞳は獲物を狙うハンターの色に染まっていた。


「待っててね、お肉たち!今助けに行くから!」




時刻は20:00。

ボールルームの照明が落とされ、ステージにスポットライトが当たった。

闇オークションの開始だ。

司会者が登壇し最初の出品物を紹介しようとした、その時。


ズドォォォォォンッ!!!

船体が大きく揺れ、悲鳴が上がった。

優雅なワルツは止まり、代わりに警報音が鳴り響く。


「な、何事だ!?」「テロか!?」


混乱する客たちの前で、ホールの窓ガラスが粉々に砕け散った。

船の外からワイヤーを使って次々と黒い影が侵入してくる。


「動くなァ!!手を上げろ金持ち共ッ!!」


現れたのは重武装の男たちだった。

顔にはガスマスクやドクロのペイント。手には錆びついたアサルトライフル。

広域武装海賊団「ブラック・シャーク」。

彼らは小型艇と武装ヘリで船を取り囲み、強襲を仕掛けてきたのだ。


「今夜のオークションの売上と貴様らの宝石、全部置いていってもらうぜ!」


泥と潮風にまみれた男たちがピカピカに磨かれた床をブーツで踏み荒らす。

その光景を見たミカの表情がスッと冷えた。


「よりにもよって。私が一番高いヒールを履いている時に来るなんて、間の悪い連中っすね」




「な、なんだ!?揺れたぞ!」

「海賊だ!海賊が来たぞ!」


コックたちが慌てふためいて逃げ出す中、一人の影だけが巨大なオーブンの前で仁王立ちしていた。

フレンダだ。


「許せない」


彼女の手には焼き上がったばかりのローストビーフの塊が握られていた。

だが、その肉は先ほどの衝撃で床に落ち少し汚れてしまっていた。


「せっかくのお肉が!一番美味しい焼き加減だったのに!」


そこへ、裏口から海賊の一味が乱入してきた。


「オラァ!食い物をよこせ!」「酒だ!高い酒を出せ!」


海賊たちはフレンダを見つけると、ニヤリと笑った。


「おっ、なんだこのデカい女は。つまみ食いか?」「ちょうどいい、人質にしてやるよ!」


男がフレンダの肩を掴もうとする。

フレンダはゆっくりと顔を上げた。

その口元には、ローストビーフの肉片がついている。


「よくも、よくも私のご飯を台無しにしてくれたね!」


ガブッ!!


「ぎゃああああああッ!?」


フレンダは男の腕に噛みついた。

野生動物のような顎の力で、男の腕から鮮血が飛ぶ。


「ご飯の恨みは怖いんだぞ!メイ、インパルス出撃!この船の『害虫駆除』を始めるよ!」


『了解、フレンダ。貨物室ロック解除。ロード・インパルス【Reloadead】、起動します』





ボールルームは海賊に制圧されていた。

客たちは床に伏せられ、海賊たちが宝石や財布を回収して回っている。


「おい、そこの青いドレスの女。立て」


海賊の一人がミカに銃口を向けた。

ミカは抵抗せず、ゆっくりと立ち上がる。


「へへっ、上玉じゃねぇか。宝石だけじゃねぇ、お前も連れて行くか」


男の目が卑猥に歪む。

彼は脂ぎった手でミカの二の腕を掴んだ。

さらに、もう片方の手でナイトブルーのドレスの生地を撫で回す。


「いい生地使ってやがるなぁ。脱がすのが楽しみだぜ」


その瞬間。

ミカの思考回路から「任務」「潜入」「穏便」という単語が消去された。

残ったのは、計算された「損害賠償請求額」と「殺意」のみ。

ミカは男の手を見下ろし、氷点下の声で囁いた。


「お客様、そのドレスはレンタル料だけで私の給料3ヶ月分。弁償金を含めれば年収3年分になるんすよ?」


「あぁ、なんだと?」


「その汚い手で触れたクリーニング代。貴方の命で払ってもらうっす!!」


ガッ!!

ミカの右足、10センチのピンヒールが男の足の甲を正確に踏み抜いた。

全体重と脚力を一点に集中させた刺突は、ナイフよりも深く、骨を砕き、肉を貫く。


「ぎゃあぁぁぁぁっ!?」


男が悲鳴を上げて前屈みになる。

その顔面をミカの掌底がカチ上げた。


バゴォッ!

男が宙を舞う。

ミカはドレスの裾を優雅に翻し、回転しながら次の敵へと向かう。


「な、なんだこの女!?」


周囲の海賊たちが銃を構える。

だが、ミカは止まらない。

ドレスという拘束具を纏いながらも、その動きは水流のように滑らかだった。


「撃て、殺せ!」


マズルフラッシュが走る。

ミカは近くにいた海賊の腕を取り、関節を極めて盾にする。


「汚さないように、破かないように!」


彼女の脳内では超高速で回避ルートが計算されていた。

ドレスに血が付かない角度。ヒールが折れないステップ。ヘアセットが崩れない体捌き。


「お邪魔っす!」


ミカは敵のベルトを掴み、一本背負いで投げ飛ばした。

投げられた男は豪華なシャンパンタワーへと突っ込んだ。


ガシャン、ガラガラガッシャーン!!


「あーあ、勿体ないっす」


グラスの破片の中で伸びている男たちを見下ろし、ミカは乱れた前髪を指先で直した。

その姿はダンスを踊り終えたプリマドンナのように美しく、そして致命的だった。


「さて。パーティーはこれからっすよ、豚野郎ども」


ミカがスカートのスリットから、隠し持っていた小型拳銃と予備の弾を取り出す。

美しき処刑人の優雅な反撃が始まった。





ボールルームを制圧したミカは逃げ遅れた海賊たちを追って、上層デッキへと出ていた。

そこは夜風が吹き荒れる戦場だった。


「チッ、しつこい女だ!」「ヘリを出せ!こいつをハチの巣にしてやる!」


海賊の生き残りが甲板に待機させていた武装ヘリに乗り込もうとする。

さらに、海面からは水中用ヘキサギア・アビスクローラーが浮上し、甲板によじ登ってきていた。


「数が多いっすね」


ミカはデリンジャーの残弾を確認しため息をついた。

流石に生身でヘキサギアとやり合うのはドレス姿では分が悪い。


その時だ。


ドゴォォォォンッ!!!

甲板の中央にある巨大な貨物用エレベーターの扉が内側から吹き飛んだ。爆風と共に現れたのは蒼い巨体。


「お待たせー、ミカちゃん!」


ロード・インパルス【Reloadead】が、猛獣の咆哮を上げて飛び出した。

コクピットには口の周りをソースで汚したフレンダが座っている。


「海賊ごっこなら混ぜてよ!こっちにはお肉の恨みがあるんだからね!」


「なっ、ヘキサギアだと!?どこから沸いてきやがった!」


海賊たちが慌てて砲塔を向ける。

アビスクローラーからのプラズマ弾が放たれるが、インパルスはそれを軽々と回避した。

揺れる甲板の上でも、強化されたグラビティ・コントローラーが完璧なグリップを生み出している。


「海に落ちたらサメの餌だよ!」


フレンダが叫び、インパルスが回転する。

そのトリック・ブレードがアビスクローラーの脚部を正確に払い飛ばした。


ガシャァァァンッ!!


「うわぁぁぁっ!?」


バランスを崩した敵機は、そのまま柵を突き破り暗い海へと落下していく。


ドボォォォンッ!!


「次、ヘリコプター!」


フレンダは間髪入れずに頭部グレネードランチャーを発射。

飛び立とうとしていた武装ヘリのローターを粉砕する。


ズガァァァンッ!!

ヘリは甲板上で横転し、炎上した。

その炎が、ミカの青いドレスを照らし出す。


「ふふ。派手な演出っすね、少尉」


ミカは炎を背に、残った海賊たちに微笑みかけた。

手には海賊から奪ったアサルトライフル。


「さて、これで逃げ場はなくなったっすよ?」


「ひ、ひぃぃぃッ!?」


海賊たちは武器を捨て、我先にと救命ボートへ逃げ込んだ。

完全なる制圧だった。

クイーン・リバティー号の平和は、二人の破壊者によって守られたのだ。


騒動が収束し、夜が明ける頃。

海賊たちは全員捕縛され、憲兵隊に引き渡された。

オークションに出品されるはずだったデータチップも無事に回収された。

だが、ボールルームの惨状は酷いものだった。

割れた窓、倒れたテーブル、散乱した料理。


「あーあ。これじゃあオークションどころじゃないっすね」


ミカは肩を落とした。

任務は成功したが、パーティーは台無しだ。

何よりレンタルドレスの裾が少し焦げてしまっている。


(弁償コース確定っす、私のボーナスが)


落ち込むミカに、船長が歩み寄ってきた。


「白堊理研の方々ですね、本当にありがとうございました。貴女方のおかげで船と乗客は守られました」


船長は深々と頭を下げ、一枚のカードキーを差し出した。


「感謝の印として、最上階のスイートルームをご用意しました。シェフが腕によりをかけて特別ディナーを振る舞わせていただきます。もちろん、全て無料です」





数時間後。

最上階のロイヤルスイート。

そこには、修羅場をくぐり抜けた二人の姿があった。


「ん~~~っ、美味しいぃぃ!」


フレンダはテーブルに並んだ海老のテルミドールや、特大ステーキに目を輝かせていた。

彼女の食欲は厨房でのつまみ食い程度では満たされていなかったらしい。


「やっぱり海の上で食べるご飯は最高だね!景色も良いしお肉も柔らかいし!」


一方ミカはドレスを脱ぎ、いつもの黒いスーツに着替えていた。


「はぁ、やっと落ち着いたっす」


彼女はナイフとフォークを使い、上品に魚料理を口に運んだ。

ドレスの弁償代は痛いが、この豪華な食事とスイートルーム代で相殺と思えば悪くない取引だ。

何より、あの窮屈なハイヒールから解放された足が喜んでいる。


「ミカちゃんも食べなよ!このエビ、ぷりぷりだよ!」


「わかってるっす。でも少尉、食べ過ぎないで欲しいっすよ。帰りの輸送機、重量オーバーで墜落したくないっすから」


「平気平気、メイが調整してくれるもん!」


窓の外には、満天の星空と穏やかな海が広がっている。

波音だけが響く静かな夜。

二人はグラスを掲げ、小さく乾杯した。


「任務完了、お疲れ様!」「お疲れ様っす」


クイーン・リバティー号は静かに次の港へと進んでいく。

その船上には満腹で眠る野獣と、美しく冷徹な処刑人の束の間の休息があった。

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