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【美肌の決闘】

リバティー・アライアンス管轄、極東山岳防衛区。

かつての世界大戦でも戦火を免れた深い山々の奥に、その場所はある。

道なき獣道を、巨大な蒼い影が進んでいた。


ロード・インパルス【Reloadead】。


先日改修されたばかりの最新鋭ヘキサギアだが、今の彼は戦場へ向かう猛獣の顔ではなく、どこかハイキングに向かう大型犬のような軽やかさを帯びていた。


「ん~っ、空気が美味しい!マイナスイオンだねぇ、メイ!」


コクピットでフレンダ・ディーコン少尉が大きく伸びをする。

眼下に広がるのは紅葉に染まり始めた木々と、眼下を流れる清流。

戦場のアスファルトや鉄錆の臭いとは無縁の生命の息吹に満ちた世界だ。


『大気成分良好。汚染物質、検出されず。フレンダ、心拍数が平常時より低下しています。非常にリラックスした状態です』


KARMAメイもまた穏やかなトーンで答える。


「そりゃそうだよ!今日は休暇……、じゃなくて保養施設の警備任務なんだから!ねえねえ、ミカちゃんも楽しみでしょ?」


フレンダが振り返ると、後部座席のミカ・フォルクス少尉は真剣な眼差しで手元のタブレット端末を凝視していた。


「現在地、標高1200メートル。気圧、安定。目的地の『湯乃花ベース』まで、あと3キロっす」


ミカの声は震えていた。恐怖ではない。武者震いとも違う。

それは砂漠でオアシスを見つけた遭難者のような、切実な渇望だった。


「このエリアの源泉データ、pH8.5、弱アルカリ性単純泉。古い角質を落とし、肌をスベスベにする『美肌の湯』。さらにメタケイ酸の含有量は基準値の3倍。天然の保湿化粧水に浸かるようなものっす!」


ミカは自分の頬に触れた。

連戦に次ぐ連戦。乾燥した砂漠、極寒の廃都、そして薄汚い列車。

彼女の肌は強化人間としての回復力を以てしても、度重なるストレスで悲鳴を上げていた。

今日、この場所で、失われた潤いとツヤを取り戻さなければならない。

これは彼女にとって、世界の命運よりも重要なミッションだった。


「ミカちゃん、目が怖いよ?」


「少尉には分からないっす、乾燥肌がどれほどの『敵』か。今日という今日は、指先がふやけてシワシワになるまで浸かってやるっす」


山道を抜けた先にそれは現れた。

断崖にへばりつくように建てられた木造の巨大な建築物。

一見すると古風な温泉旅館だが、その構造材には最新の複合素材が使われておりリバティー・アライアンスの極秘保養施設兼監視基地としての機能を隠し持っている。


通称、湯乃花ベース。


「うわぁ~、本物の温泉宿だ!」


フレンダが歓声を上げる。

インパルスは宿の裏手にある岩窟を改造した専用格納庫へと滑り込んだ。


「到着っす、直ぐに降りるっす少尉。一秒でも早くチェックインするっす」


ミカはシートベルトを外すなり、素早い動きで地面に降り立った。

手には業務用の大型アタッシュケース。

中身は武器ではない。


最高級シャンプー、トリートメント、ボディスクラブ、導入美容液、化粧水、乳液、フェイスパック。

彼女の全財産を投じた美肌フルコースセットである。


「ようこそお越しくださいました、白堊理研の皆様」


出迎えたのは作務衣を着た初老の管理人だった。

彼は元LAの軍人であり、退役後にこの施設の管理を任されている。


「長旅でお疲れでしょう、お部屋は離れの『松の間』をご用意しております。お食事の前に、まずは一風呂いかがですかな?」


その言葉を聞いた瞬間、ミカの背後に後光が差したように見えた。


「管理人さん、貴方は神様っすか?」


「いえ、ただの番頭ですよ。露天風呂は今の時間はお二方の貸切にしてありますので、ごゆっくりどうぞ」


「聞いたっすか!?貸切だってフレンダ少尉、行くっすよ、今すぐ行くっす!」


「えー、 私は先にご飯がいいなー。温泉饅頭とかないかな?」


「お菓子なら部屋にあるっすけど、まずは体の汚れを落とすのが先っす!あぁ、早くこの忌々しいオイルの臭いを洗い流したいっす!」


ミカはフレンダの手を引いて、廊下を競歩のような速度で進んでいく。

磨き上げられた廊下は、靴下越しでも木の温もりが伝わってくるほど清潔だった。

ミカにとって、この「清潔さ」こそが何よりの贅沢だった。



離れの客室「松の間」。

窓からは東方に伝わる伝統庭園と、湯煙の上がる露天風呂が見下ろせる絶好のロケーションだ。


「わぁ~、お布団ふかふかだねぇ!」


フレンダは既に浴衣に着替え、布団の上でゴロゴロと転がっていた。

テーブルの上にはお茶請けの温泉饅頭の空箱が積み上げられている。

一方、ミカは脱衣所の鏡の前で真剣な表情で自身の顔をチェックしていた。


「よし、メイクは完全に落としたっす。クレンジングは完璧。いよいよ、いよいよ本番っすね」


彼女はバスタオルを持ち、手には洗面器とアタッシュケース。

その表情は、これから最終決戦に挑む戦士のように凛々しい。


「ミカちゃん、そんなに気合入れなくても」


「何を言ってるんすか?入浴とは儀式っす。心身を清め、生まれ変わるための神聖な時間なんすよ」


「はいはい、じゃあ行こうか!」


二人が部屋を出て、長い渡り廊下を歩いていた時だった。




ドォォォォォンッ!!

静寂を破る、不粋な爆発音が響いた。

施設正面のゲート付近からだ。


「え?」


フレンダが足を止める。

続いて、粗野な男たちの怒号と、バイクのエンジン音が聞こえてきた。


「ここだここだ!」

「企業の隠し別荘があるって噂は本当だったぜ!」

「金目の物も、食い物も、全部いただきだぁ!」


ロビーに押し入ってきたのは、改造バイクと小型ヘキサギアに乗った武装集団だった。

通称「マッド・マウンテンズ」。

山岳地帯を根城にし、村や施設を襲って物資を略奪するヘテロドックスたちだ。

彼らの身なりは酷かった。

泥にまみれた衣服、油で汚れたブーツ、錆びついた武器。

その不潔な集団が、管理人が毎日手入れしていたピカピカの廊下に土足で踏み入ったのだ。


「オラァ、管理人はいねぇか!?酒だ!酒と女を出せ!」


リーダー格の男が泥だらけのブーツでカウンターを蹴り上げる。

さらに、床の間に飾られていた美しい生け花を面白半分にナイフで薙ぎ払った。


バシャァッ!

花瓶が割れ、水と泥が畳に広がる。

白い菊の花が、男のブーツに踏みにじられる。

その光景を渡り廊下の陰から見ていたミカ。


彼女の手から、洗面器が滑り落ちた。


カコーン……。

乾いた音が響く。

だが、それ以上に大きな音がミカの頭の中で鳴っていた。

理性のヒューズが焼き切れる音だ。


「私の……」


ミカの声は、地獄の底から響く怨嗟のように低かった。


「私の癒やしの時間を、角質ケアのゴールデンタイムを。あまつさえ、塵一つない清浄な廊下を!!」


ミカの全身から、湯気とは違うどす黒いオーラが立ち上る。

フレンダは一歩後ずさった。


(やばい、これはアグニレイジより怒らせちゃいけないやつだ)


「フレンダ少尉……」


「は、はいっ!?」


「インパルスを出して外の害虫を駆除するっす。ただし、施設の備品は一つたりとも壊さないで欲しいっす。もし壊したら、わかってるっすね?」


ミカが振り返る。

その青い瞳には光が一切宿っていなかった。

完全なる「殺意」の深淵。


「り、了解!建物には傷一つ付けないよ、行ってきます!」


フレンダは脱兎のごとく、裏手の格納庫へ走った。

残されたミカはバスタオルを落とすことはなく、しっかりと持ち直した。

そして、アタッシュケースを開ける。


中から取り出したのは化粧水ではなく、護身用の小型拳銃と、特殊警棒。

そして、足元に落ちていた黄色い洗面器を拾い上げる。


「マナーのなっていない客には……教育が必要っすね」



大浴場への脱衣所。

ここにも、マッド・マウンテンズの手下たちが侵入していた。


「へへっ、広い風呂だぜ!」

「一番風呂は俺がいただくぜ!」


薄汚い男たちが服も脱がずに大浴場へ向かおうとする。

その行く手に、一人の小柄な影が立ちはだかった。


「おい、そこの不潔物」


「あぁ、なんだ姉ちゃん?おっ、ちょうどいいじゃねぇか!一緒に入ろうぜ!」


男たちが下卑た笑いを浮かべて近づこうとする。

ミカは無表情のまま、手に持った洗面器を構えた。


「ここは神聖な脱衣所っす。土足厳禁、そして何より」


ヒュンッ!

ミカが踏み込む。

その速度は人間の動体視力を超えていた。


パコォォォォォンッ!!!

小気味良い破裂音が響く。

先頭の男の顔面が、プラスチック製の洗面器によって強打されたのだ。

鼻骨が砕ける感触と共に、男は白目を剥いて吹き飛んだ。


「不潔厳禁っす!!」


「な、なんだコイツ!?」


残りの男たちが武器を抜こうとする。

だが、ミカは止まらない。

脱衣所のロッカーを蹴って三角飛びし二人目の男の首に足を絡め、遠心力で投げ飛ばす。


ズドォォン!!

男は頭から体重計に突っ込み、気絶した。


「次、全員まとめて洗い流してやるっす!」


ミカは倒れた男から奪ったアサルトライフルを、逆手に構えた。

浴衣がはだけ美しい脚線美が露わになるが、そこに宿るのは色気ではなく純粋な暴力。


「覚悟するっす、今日の私は肌荒れで機嫌が最悪なんすよ!」


秘湯の宿は、今まさに血と湯煙の修羅場へと変わろうとしていた。


「燃やせ燃やせぇ!」


宿の中庭。

マッド・マウンテンズの手下たちが火炎瓶を手に建物へ近づこうとしていた。

美しい庭園を踏み荒らし、彼らは破壊を楽しんでいる。

だが、その蛮行はそこまでだった。


ドォォォォンッ!!

夜空を裂いて、蒼い巨体が塀を飛び越え庭石の上に軽やかに着地した。


ロード・インパルス【Reloadead】だ。

その動きは数トンの重量を感じさせないほど静かで、かつ威圧的だった。


「こら、そこの芝生に入らないで」


外部スピーカーから、フレンダの低い声が響く。


「な、なんだコイツ!?ヘキサギアか!?」

「構うもんか、やっちまえ!」


敵がロケットランチャーを構える。

だが、引き金を引くより早くインパルスのトリック・ブレードが鞭のようにしなる。


ヒュンッ!


「あぐっ!?」


先端のクローが敵の武器だけを正確に弾き飛ばし、さらにその足を払って転倒させる。

建物への被害ゼロ、芝生へのダメージは最小限。

フレンダはミカからの「絶対に壊すな」という殺害予告を忠実に守っていた。


「ここはお客さんが癒やされる場所なの!汚い花火は持ち込み禁止だよ!」


インパルスの頭部側面、グレネードランチャーが火を噴く。

放たれたのは爆裂弾ではなく、即効性の「催涙ガス弾」と「粘着ネット弾」だ。


ポンッ!ポンッ!


「ぐわぁぁっ!目が、目がぁぁ!」

「動けねぇ!なんだこのネバネバは!?」


瞬く間に、庭園は芋虫のように転がる男たちで埋め尽くされた。

だが、敵のリーダーはまだ諦めていなかった。

彼は作業用の重機型ヘキサギアに乗り込み、宿の裏手にある「源泉塔」へと迫っていた。


「チッ、こうなりゃヤケだ!このタンクを壊して温泉を台無しにしてやる!」


源泉塔。そこはこの宿の心臓部であり、ミカが愛してやまない「美肌の湯」を供給する聖域だ。

そこを破壊されれば、温泉の復旧には数ヶ月を要するだろう。


「させないよッ!」


フレンダが叫び、インパルスを加速させる。

だが距離がありすぎる。敵のアームがパイプを引きちぎろうとした、その時だった。


「待てっす」


湯煙の向こうから、一人の女性が歩いてきた。

バスタオルを腰に巻き、上半身はさらしを巻いただけの姿。

濡れた髪が月光に光り、その手にはなぜかデッキブラシが握られている。


ミカだった。


彼女の背後には、大浴場で洗濯され白目を剥いて積み上げられた男たちの山があった。


「て、テメェはさっきの女!?」


「その塔に触れるなっす、そこから出るお湯は私の肌細胞を再生させる命の水。それを汚そうとするなら」


ミカがデッキブラシを構え、地面を強く踏みしめる。


「消毒するっす!!」


「ハッ!生身でヘキサギアに勝てるかよ!」


リーダーが操縦桿を倒し、巨大なアームを振り下ろす。

鉄骨すらひしゃげる一撃だが、ミカはそれを紙一重で回避するとアームの上を駆け上がった。


「なっ!?」


「遅いっす!不潔っす!油臭いっす!!」


ミカはコクピットハッチに取り付くと、強化人間の怪力で強制解放レバーを引きちぎった。


ガゴンッ!!

ハッチが開く。驚愕するリーダーの顔面をミカの拳が捉える。


「お客様!騒ぐなら!他所で!やって欲しいっす!」


ドゴォッ!!

強烈な連続パンチが炸裂し、リーダーはコクピットから弾き飛ばされた。

彼は放物線を描き、源泉塔の横にある冷たい池へと盛大に落下した。


バッシャアアアアンッ!!


「ぶべッ!?」


泥水を飲んで藻掻くリーダーを見下ろし、ミカはデッキブラシを杖のように突いて言い放った。


「頭を冷やして出直してくるっす。ただし、その汚い体で敷居を跨ぐことは二度と許さないっす!!」


その姿は、まさに温泉を守る鬼神、あるいは番台の守護神そのものだった。

駆けつけたフレンダはインパルスの中からその光景を見て、震え上がった。


「ミカちゃんは絶対怒らせちゃダメだね、メイ?」


『同意します。彼女の美への執着は、獣性をも凌駕しています』


騒動から数時間後。

憲兵隊に引き渡されたマッド・マウンテンズたちは、全員が原因不明の打撲と石鹸の香りを纏って連行されていった。


そして、静寂を取り戻した湯乃花ベース。

貸切露天風呂には穏やかな湯音が響いていた。


「はぁぁぁぁ~~~~、生き返るっす」


ミカは肩までお湯に浸かり、とろけるような表情で夜空を見上げていた。

弱アルカリ性の柔らかなお湯が、戦いで荒んだ心と乾燥した肌を優しく包み込む。

怒りの鬼神の面影はどこにもない。そこにはただ温泉を愛する一人の女性がいた。


「ん~!こっちも最高だよぉ!」


向かい側では、フレンダが湯船に大きな桶を浮かべており、その上には温泉卵が大量に乗っていた。

彼女は幸せそうに頬を赤らめている。


「戦いの後の温泉卵!これ以上の幸せってこの世にあるのかなぁ?」


「少尉、食べ過ぎないで欲しいっすよ。胃もたれするっす」


ミカは呆れつつも自身の腕を撫でた。

指先まで潤いが戻り、肌がツルツルになっている。


「完璧っす。温泉の効果恐るべしっすね」


「あはは、ミカちゃんお肌ピカピカだね!これで明日のデートもバッチリ?」


「デートの予定なんてないっす、これは自己満足。いえ、自己投資っす」


風呂上がり。

浴衣姿の二人は縁側で涼んでいた。

ミカは腰に手を当て、瓶入りのコーヒー牛乳を一気飲みする。


ゴクッ、ゴクッ、ゴクッ……プハァッ!


「最高っす、五臓六腑に染み渡るとはまさにこのことっす」


「私は温泉まんじゅうもう一個食べよっと!」


フレンダは温泉饅頭の箱に手を伸ばす。

月明かりの下、虫の声と風の音が心地よい。

戦場での殺伐とした日々が嘘のような平和な時間。


「ねえ、ミカちゃん」


「なんすか?」


「また来ようね、今度は敵がいない時に」


ミカは空になった牛乳瓶を置き、少しだけ微笑んだ。


「そうっすね、少佐に頼んでここの警備任務を定期的に入れてもらうっす。私の肌の治安維持のために」


リトルベースの凸凹コンビ。

彼女たちの夜はふんわりとした湯の香りと共に更けていった。

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