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【白銀の廃都と裏切りの標的】

ヒョオオオオオオォォォ……ッ!!

世界は白一色だった。

視界を奪うほどのブリザードが廃墟となった鉄骨の墓標、旧時代の高層ビル群を叩いている。


気温、マイナス35度。

瞬間最大風速、40メートル。


通常の生物なら数分で凍死し、精密機器ならばバッテリーが機能停止する絶対零度の死界。

その純白の地獄の中を一筋の銀影が疾走していた。


ザシュッ!ザシュッ!

深い雪を切り裂いて進むのは、第三世代ヘキサギア、ロード・インパルス・アビス。


その背中には、極寒用のアウターを纏った一人のガバナーが跨っている。


「ん~♪涼しいねぇメイ!これなら汗もかかないし、お肌も引き締まるし、最高じゃない?」


通信機越しに聞こえる声は散歩中のような軽やかさだった。

フレンダ・ディーコン少尉。

彼女はヘルメットのバイザーを開け、凍てつく暴風を直接その顔に受けていた。

本来なら皮膚が壊死するほどの寒気だが、彼女の頬は健康的な薔薇色に輝いている。

異常な環境適応能力がこの極限状態を、快適な気温として処理しているのだ。


『貴女の皮膚感覚のセンサーは故障しているのですか、フレンダ。外気温はマイナス35度。バナナで釘が打てる世界ですよ』


コンソールから、KARMAメイが呆れ混じりの声を出す。


「そう?私はちょうどいいけどな。ねえ、後ろのミカちゃんはどう?」


フレンダが振り返ると、後部座席に括り付けられた塊が小刻みに震えているのが見えた。


「殺すっす、帰ったら絶対に殺すっす」


防寒マントを何重にも巻き、ミノムシのようになったミカ・フォルクス少尉が呪詛のように呟いている。


「寒い、寒いのはまだ我慢できるっす。でも、この乾燥は許せないっす!湿度が低すぎるっす!私の肌の水分量が、角質層が悲鳴を上げているっす!」


ミカは防寒手袋の中で高級保湿クリームのチューブを握りしめていた。

彼女にとって、この任務は生命の危機というより美容の危機だった。


「ミカちゃんは繊細だなぁ、終わったら保湿パックしてあげるから!」


「少尉の唾液でパックされるのは御免っす!」


『無駄話はそこまでです。作戦エリア「セクター・フロスト」に到達しました』


メイの声がトーンを落とす。

インパルス・アビスが足を止め、雪に埋もれた高架道路の端に身を潜めた。

眼下に広がるのは、かつて繁栄を極めた都市の残骸。

その中心に唯一明かりの灯る建物があった。

旧時代の高級ホテル跡だ。


「ターゲット確認、ドクター・クレイ」


ミカの声から、先ほどまでの美容への執着が消え冷徹な仕事人の響きに変わる。


ドクター・クレイ。

元・白堊理研の主任研究員であり、今回の討伐対象だ。

彼はあろうことか、白堊理研の最重要機密である『人体強化施術臨床データ』を持ち出し、MSGVFへ売り渡そうとしていた。

それはミカのような「強化人間」を生み出すための、血と倫理の欠落にまみれた闇の技術書だ。


「私の身体の設計図を小銭稼ぎに使われるのは不愉快っすね」


ミカがポツリと呟く。

彼女は自分の身体能力を誇りに思っているが、その出自には複雑な感情を抱いている。

それを薄汚い裏切り者に商材にされることは、彼女のプライドが許さなかった。


「そうだね、ミカちゃんの秘密をバラそうなんて悪い奴は、私たちが懲らしめてあげないと!」


フレンダはいつもの調子で言ったが、その碧眼は獲物を狙う獣の色を帯びていた。

彼女にとって、ミカは相棒であり家族になりつつある。

その尊厳を踏みにじる者は、餌以前の敵である。


「作戦通りに行くっすよ、少尉が正面で踊って私が裏口からお邪魔するっす」


「了解、派手に暴れて寒さを吹き飛ばしてあげる!」


インパルスの上で、二人は拳を合わせる。


「それじゃ、いってらっしゃい!」


フレンダが叫ぶと同時に、ミカがタンデムシートから飛び降りた。

彼女は雪の中に着地すると、瞬時に白い防寒マントを広げ吹雪の中に姿を消した。

光学迷彩ではない。

降りしきる雪のような自然な動きで環境に同化したのだ。


「さてと、メイ!私たちも行くよ、お客さんの注目を集めなきゃね!」


『了解。グラビティ・コントローラー、氷雪モードへ移行。滑りますよ、フレンダ』


「滑るんじゃない、滑らせるの!」


ギャオオオオオオッ!!!

ロード・インパルス・アビスが咆哮を上げた。

排熱ダクトから噴き出す熱気が周囲の雪を一瞬で蒸発させ、白煙を巻き上げる。


ドォォン!!

アビスが飛び出した。

凍結した路面を、爪と重力制御でグリップし、物理法則を無視した加速でホテル前の広場へと突っ込む。


「敵襲、敵襲ッ!」

「なんだあの速さは!?レーダーに反応がなかったぞ!」


ホテルの周囲を警備していた傭兵部隊が色めき立つ。

配置されていたのは寒冷地仕様に改造された「バルクアーム・α(雪上迷彩仕様)」が3機と、歩兵部隊。


「遅い遅い!こっちは相棒が寒くて震えてるんだから、温めさせてよ!」


フレンダは操縦桿を強引に倒した。

アビスが氷の上をスケートのようにスライド移動する。

敵のバルクアームが放った砲弾は雪煙を貫いただけだった。


「もらったァッ!」


すれ違いざま、アビスのトリック・ブレードが閃く。

超高速でしなった鋼鉄の鞭がバルクアームの膝関節に絡みつき、遠心力でへし折った。


バキィィィッ!!


「ぐわぁぁっ、足が!?」


巨大な人型ヘキサギアが無様に雪原に崩れ落ちる。


「1機撃破、次!」


フレンダは止まらない。

彼女の視界には雪の結晶の一つ一つ、風の流れ、敵の砲身の向きがスローモーションのように映っている。

知覚能力と、メイの演算能力が完全にリンクしている状態なのだ。


「そこっ!」


建物の影から狙撃しようとしていた歩兵部隊に対し、アビスは壁面を蹴って三角飛びを行う。頭部チェーンガンが火を噴き、雪を巻き上げながら敵を牽制する。


「うわぁぁ、化け物だ!こんな吹雪の中でなんであんな機動ができるんだ!?」


敵の通信機から悲鳴が漏れる。

彼らにとって、吹雪の中から現れては消える蒼い機体はまさに「雪の亡霊」だった。


『フレンダ、敵の増援を確認。ホテルの上層階からスナイパー役のヘキサギアが照準を合わせています』


「りょーかい!じゃあもっと高く飛んで、あそこまで挨拶に行こうか!」


フレンダはニヤリと笑った。

アビスの脚部に増設された強化型ブースターが青白い光を放つ。


「グラビティ・コントローラー、最大ッ!!」


ズドォォォォン!!!

雪原にクレーターを残し、インパルス・アビスが垂直に跳躍した。

重力という鎖を断ち切り吹雪を突き抜けて、ホテルの壁面へと食らいつく。


「へへっ、いい眺め!ミカちゃん、そっちはどう?」




フレンダが派手に暴れ回るその裏で。ホテルの搬入口。

分厚い鋼鉄の扉の前に、一人の影が立っていた。


ミカ・フォルクス少尉。

彼女は防寒マントを脱ぎ捨てていた。

露わになったのは、漆黒のポーンA1アーマー。

その手には銃もナイフも握られていない。


「騒がしいっすね、野獣は」


ミカは冷ややかに呟くと鋼鉄の扉に手をかけた。

電子ロックがかかっているが、関係ない。


ギチチチチチ……バァンッ!!

彼女は強化された筋力だけで厚さ10センチの扉をヒンジごと引きちぎった。

警報が鳴り響くが、既にフレンダの陽動で警備兵は出払っている。


「お邪魔するっす、掃除の時間っすよ」


暗闇の回廊へと消えていくミカ。

その背中は潔癖症の事務員ではなく、冷徹な処刑人のものだった。

ホテル内部。

暖房設備の切れた回廊は外と同じく凍てついていた。

だが、ミカにとってこの無機質で清潔な冷気は外の湿った雪よりも幾分マシだった。


「埃っぽいっすね」


ミカは独り言を呟きながら通路の角を曲がった。

その瞬間、前方からライトの光が差し込む。


「止まれ、何者だ!?」


現れたのは重装甲を纏った傭兵部隊の歩兵二人。

彼らがアサルトライフルを構えるよりも早く、ミカは地面を蹴った。


ドンッ!

コンクリートの床が爆ぜる音が響く。

それは人間が走る音ではなく、砲弾が着弾したような轟音だった。


「なっ――!?」


先頭の兵士が反応する暇もなかった。

ミカの拳が兵士の胸部装甲にめり込む。


ドゴォッ!!

強化プラスチックとセラミックの複合装甲がまるで煎餅のように粉砕された。

衝撃は装甲を貫通し、中の肉体を破壊して背中側へと抜ける。

兵士は悲鳴を上げる間もなく、ボロ雑巾のように吹き飛び壁に激突して動かなくなった。


「う、撃てッ!化け物だ!」


もう一人の兵士が引き金を引き、マズルフラッシュが闇を照らす。だが、ミカはその射線上にいなかった。

彼女は既に兵士の懐に潜り込んでいたのだ。


「うるさいっす」


ミカの手刀が兵士の喉元の装甲の隙間へ、正確無比に突き刺さる。

頸椎を一撃で粉砕する無慈悲な一撃。


ガクッ。

二人目の兵士が崩れ落ちる。

戦闘開始からわずか3秒。

銃声よりも静かな殺戮だった。

ミカは手袋についた汚れを見て不快そうに顔をしかめた。


「最悪っす、消毒液を持ってくるの忘れたっす」


彼女はポケットからハンカチを取り出し丁寧に汚れを拭き取ると、また無音で歩き出した。

その歩みに迷いも躊躇いもない。

彼女はただの事務処理を行うように、命を刈り取っていく。


最上階、ペントハウス。

かつては富裕層が夜景を楽しんだであろうその豪華な部屋は、今はドクター・クレイの実験室兼隠れ家と化していた。


クレイは窓際で震えていた。

ガラス越しに見えるのは、吹雪の中で爆発する自軍のヘキサギアたち。

そして、壁を垂直に駆け上がってくる銀色の狼の姿。


「ありえん、なぜだ!?寒冷地仕様でもない汎用機がなぜこの極寒で動ける!?」


彼の科学知識では理解できない光景。

だが、恐怖の本命は外ではなかった。


プシューッ……。

背後の重厚なドアが電子ロックを解除されてスライドした。

クレイが弾かれたように振り返る。

そこに立っていたのは、小柄な少女だった。

漆黒のポーンA1アーマー。

その手には武器はなく、ただ静かに佇んでいる。


「ドクター・クレイ、久しぶりっすね」


「き、貴様は!?」


クレイは記憶の糸を手繰り寄せ、そして絶望した。

数年前、白堊理研のラボで見た被検体リストの顔写真。

成功例ナンバー003。


「蒼野、三日月!掃除屋が来たのか!?」


「その名前で呼ぶなっす、今はミカ・フォルクス少尉っす」


ミカが一歩踏み出す。

クレイは腰を抜かし、高価なペルシャ絨毯の上を後ずさった。


「ま、待て、話を聞け!私はデータを売るつもりじゃなかった、ただ、ただ研究費が欲しくて!」


「嘘っすね、貴方の口座には既にMSGVFからの手付金が振り込まれているっす」


ミカは淡々と事実を告げる。


「そ、そうだ……お前も強化人間だろう!?私ならメンテナンスができる、調整もしてやる!だから見逃してくれ!金もやる、このデータもやる!」


クレイはデスクの上のディスクを差し出した。

命乞い。

それは生物として当然の反応だ。

だが、ミカの瞳には慈悲も怒りすらも浮かんでいなかった。


「メンテナンスならリトルベースの福利厚生で間に合ってるっす、それに」


ミカはディスクを手に取り、握りつぶした。


バキバキッ……!


「貴方のデータは、もう私の身体にあるっす。これ以上の研究は不要っす」


「ひぃッ……!」


クレイが悲鳴を上げ、懐から護身用の拳銃を抜こうとする。

だが、遅すぎた。


ドォォン!!

ミカの拳がクレイの胸板を叩いた。心臓を一瞬で停止させる正確な打撃が、クレイの体を貫いた。。

クレイの身体が吹き飛び、窓ガラスを突き破って外へと投げ出される。


「あーあ、部屋が汚れたっす」


ミカは割れた窓から吹き込む吹雪を浴びながら冷ややかに呟いた。


「おーい、ミカちゃーん!」


割れた窓の外から能天気な声が聞こえた。

ロード・インパルス・アビスが外壁に爪を突き立ててへばりついている。

コックピットからフレンダが顔を出し、手を振っていた。


「終わったー?今なんか変なおじさんが落ちていったけど」


「ゴミ処理完了っす。それより少尉、部屋に入ってくるなら足を拭いてからにするっす」


「えー、細かいなぁ」


フレンダは器用に機体から飛び降り、ペントハウスへと侵入した。

彼女は部屋を見渡し、そして目を輝かせた。


「うわぁ、凄い部屋!ねえねえ、何か美味しいものあった?」


「そこにならあるっす」


ミカが指差したのは、部屋の奥にあるワインセラーだった。

そこには戦前の年代物のワインと、真空パックされた高級チーズが眠っていた。


「やった、大当たり!仕事の後のご褒美だね!」


フレンダは早速チーズのパッケージを開け、大きな欠片を口に放り込んだ。


「ん~っ、濃厚!このカビ臭さがたまんないね!」


「ブルーチーズっすからね、カビを食べて喜ぶのは少尉くらいっすよ」


ミカもまた、埃を払ったグラスに赤ワインを注ぎ、一口含んだ。

芳醇な香りと渋みが、殺伐とした気分を少しだけ和らげてくれる。


「悪くないっす」


外は相変わらずの猛吹雪。

窓ガラスの割れた部屋は極寒だが、二人の間には奇妙な温かさがあった。

野獣と掃除屋。

人ではない二人が、人の作った最高の贅沢を味わう皮肉な宴。


「さて、食べ終わったら帰ろうか!少佐に報告しなきゃ!」


「そうっすね、帰ったら熱いシャワーで消毒するっす」


ミカはグラスを飲み干し、静かに置いた。

その横顔は、いつもの気怠げな潔癖症の少尉に戻っていた。

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