【美女と野獣】
地下500メートル。
リバティー・アライアンス、そしてMSGヴァリアントフォースの法が届かない中立地帯の最深部。
巨大な換気ファンが低い唸り声を上げ、地上の清浄な空気の代わりに重く湿った空気を循環させている場所。
非合法ヘキサギア闘技場「タルタロス」。
エレベーターの扉が開いた瞬間、私の鼻孔を強烈な刺激が突き抜けた。
鉄錆。
焦げたマシンオイル。
安物のタバコとアルコール。
そして、何千人もの男たちが発散する熱気と汗の臭い。
「うぇっ、最悪っす」
隣でミカちゃんが露骨に顔をしかめた。
彼女はスナイパースーツの上からさらに防塵コートを羽織り、顔には二重のマスク、手には業務用サイズの消毒スプレーを握りしめている。
「空気が黄色いっす、ここにいるだけで肺が腐りそうっす。カビと雑菌のパラダイスっすよ、ここは」
ミカちゃんはシュッシュッと自分の周りに結界を作るように消毒液を撒いている。
でも、私は違った。
私は胸いっぱいにこの淀んだ空気を吸い込んだ。
「いい匂い」
「鼻が腐ってるんすか、少尉?」
「違うよミカちゃん、これはね『戦い』の匂いだ」
私の全身の細胞がピリピリと粟立つのを感じる。
ここはただのゴミ溜めじゃない。
欲望と暴力が剥き出しになった鉄のジャングルだ。
そしてジャングルである以上、そこには必ず「獲物」がいる。
私は視線を上げ、会場の入り口に掲げられた巨大なホログラム・ポスターを見上げた。
そこには、今大会の優勝賞品が輝かしく表示されている。
【優勝賞品:伝説のドラゴン肉・1トン】
「ドラゴン!百獣の王、空の支配者!それを食べれば私の筋肉も鋼鉄になるはず!」
私の胃袋がグゥと鳴った。
今回の任務は「違法パーツの回収」らしいけど、そんなの二の次だ。
私の狙いはただ一つ。あの肉塊だけだ。
「はいはい。肉への執着は分かったっすから、さっさと手続きするっすよ」
ミカちゃんが冷めた目で私の背中を押した。
受付カウンターにはガラの悪いモヒカンの男が座っている。
「へへッ、嬢ちゃんたちもエントリーか?ここはガキの遊び場じゃねぇぞ」
「遊びじゃないっす、掃除に来たんすよ」
ミカちゃんが鋭い視線で男を射抜くと、男は「ヒッ」と短く悲鳴を上げてタブレット端末を差し出した。
登録画面だ。
「私が入力するっす。少尉に任せるとチーム名を『焼肉定食』とかにしそうっすから」
「えー、いい名前じゃん。じゃあ任せるけど。あ、チーム名は決めてあるんだ!」
私はミカちゃんの肩越しに、自信満々に提案した。
「『美女と野獣』!どう、かっこいいでしょ?」
ミカちゃんの手がピタリと止まった。
彼女はマスク越しにじっと私を見つめた。
「なるほど、『美女と野獣』っすか。ふぅん、悪くないっすね」
お?珍しく素直だ。
いつもなら「センスがないっす」とか言うのに。
「でしょ!?もちろん私が可憐な『美女』で、目つきの悪いミカちゃんが『野獣』って設定ね!ほら、私って野生児って言われるけど顔は可愛い系だし?」
「…………」
ミカちゃんは無言でタブレットを操作し、送信ボタンを押した。
マスクの下で何かが歪んだ気がしたけど、気のせいだろう。
「登録完了っす。行くっすよ、野獣」「え、今なんて?」
会場内のスピーカーから割れんばかりの大音量でアナウンスが響き渡った。
『さあァァァッ! 第4試合の選手入場だァァァッ!!』
スポットライトが私たちのゲートを照らす。
『無敵の悪食コンビが登場だ!見よ、この冷徹なる美貌!チームの頭脳にして司令塔!麗しの殺し屋“美女”、ミカ・フォルクスゥゥゥッ!!』
モニターに、マスクを外して冷ややかに微笑むミカちゃんの顔が大写しになる。
会場から「ウオオオオ!美人だァァ!」と野太い歓声が上がる。
「えっ?」
私が呆然とする中、アナウンスは続く。
『そしてェッ!その相棒は肉を求めて地獄から這い上がってきた飢えた狂犬!手当り次第に喰らいつく殺戮マシーン!“野獣”、フレンダ・ディーコンだァァァッ!!』
私の顔写真、しかもサンドイッチを大口開けて食べている瞬間の盗撮写真がドーンと表示された。
会場がどっと沸く。
「なんだあの顔!」「完全に獣だ!」「餌を与えないでください!」
「ちょっ!?」
私はミカちゃんに詰め寄った。
「ミカちゃん!?逆だよ逆!なんで私が野獣なのさ!」
ミカちゃんはクロスレイダーに跨りながら涼しい顔で言った。
「客観的な事実に基づいた適正配置っす。ほら行くっすよ、野獣先輩。餌が待ってるっす」
「うわぁぁぁん!私の乙女心がァァァッ!」
ガシャァァァンッ!!
背後で重いゲートが閉ざされた。
私たちの目の前に広がるのは直径100メートルの円形リング。
周囲は高さ20メートルの高圧電流金網で囲まれ、その外側では数万人の観客が怒号を上げている。
足元はコンクリートだが、所々に前の試合のオイル染みや焦げ跡が残っている。
そして、観客席からはポップコーンの袋や空き缶が雨のように投げ込まれていた。
「汚いっす、食べ物を投げるなっす、あとその飲みかけのビール!私の機体にかかったら殺すっすよ!?」
ミカちゃんがクロスレイダーの上で半狂乱になっている。
まあ、彼女にとっては地獄だろう。
でも私にとっては違う。
「いいね」
私はロード・インパルスのコクピットで操縦桿を強く握りしめた。
メイがシステムを戦闘モードに切り替える。
『全システム、オールグリーン。ゾアテックス、同調。フレンダ、心拍数が上昇しています。落ち着いてください』
「落ち着いてなんかいられないよ、メイ。見てよこの金網」
私はニヤリと笑った。
「檻の中ってことはさ、『獲物が逃げない』ってことだよね?」
砂漠や密林では敵に逃げられることもあった。
でもここでは違う。
どちらかが動かなくなるまで狩りは終わらない。
対面のゲートが開く。
現れたのは、重装甲に改造されたバルクアームβの二機編成。
全身にスパイクを溶接し、チェーンソーと火炎放射器を装備したいかにも「悪役」な機体だ。
『美女の方は俺が頂くぜェ!野獣の方はミンチにしてドッグフードだ!』
オープン回線で挑発してくる敵パイロット。
なるほど、悪役としては及第点のセリフだ。
「ミカちゃん」
「了解っす、あの薄汚い鉄屑どもをスクラップにしてリサイクルに出すっす」
カァァァンッ!!
試合開始のゴングが鳴った。
「行くよ、メイ!晩ご飯の時間だァァァッ!!」
ギャオオオオオオオッ!!!
ロード・インパルスが咆哮した。
物理的なスピーカー音ではなく、フレームの軋みとエンジンの共振が作り出す獣の叫び。
私はアクセルをベタ踏みした。
インパルスが弾丸のように飛び出す。
敵のバルクアームが火炎放射器を構える。
『燃えろォォッ!』「遅い!」
火炎が噴き出すより速く、私はインパルスをスライドさせた。
右へ、左へ。ジグザグの高速機動。
金網デスマッチの狭さは逆に言えば「壁」を使えるということだ。
ガシャァン!
私は金網を蹴った。
反動を利用して敵の頭上へと跳躍する。
「上だ!馬鹿め!」
ズドンッ!
インパルスの質量そのものをぶつける落下攻撃で、バルクアームの肩の装甲がひしゃげる。
『ぐわぁっ!?』
「ミカちゃん、右!」
私が叫ぶと同時にもう一機のバルクアームが私の着地を狙ってチェーンソーを振り上げていた。
だが、その動きは既に「掃除屋」のスコープの中だ。
パンッ!パンッ!
乾いた銃声が二つ。
ミカちゃんのクロスレイダーが私の影から滑り出るように現れ敵の関節部、膝のシリンダーとチェーンソーの駆動軸を正確に撃ち抜いた。
『アガッ!?足が動かねぇ!?』
「ナイス、美女!」
「茶化すなっす!トドメは任せたっすよ、野獣!」
「任せて!」
私は動けなくなった敵機に向かって、インパルスの「トリック・ブレード」を突き出した。
鋼鉄の尾が鞭のようにしなり、敵のコクピットハッチを強打する。
さらに、前脚の爪で装甲を引き裂く。
バリバリバリッ!
「中身ごと引きずり出してあげるよ!」
『ひぃぃぃッ!降参、降参だァ!』
敵がハッチを開けて白旗を振る。
観客席がドッと沸いた。
「すげえ!あの速さ見ろよ!」「本当に野獣だ!」「食い殺せー!」
私はコクピットの中で、あふれ出るアドレナリンとほんの少しの空腹を感じながら笑った。
この熱狂。
この匂い。
やっぱりここは最高の狩り場だ。
だけど、その時の私はまだ気づいていなかった。
この熱狂の裏で、私のインパルスの挙動データが何者かによって「異常な速度」で収集されていることに。
予選を順調に突破し、準決勝。
会場の熱気は最高潮に達していた。
観客たちは金網を揺らし、口々に私たちのリングネームを叫んでいる。
「ビースト!ビースト!ビースト!」
「だから私は美女だってば」
私はインパルスのコクピットで不満げに呟いたが、正直悪い気分じゃない。
この歓声、この振動。
まるで世界中が私の狩りを祝福しているみたいだ。
だが対戦相手が入場してきた瞬間、私の背筋に冷たいものが走った。
「臭う」
現れたのは、装甲を剥ぎ取られ剥き出しのフレームに大量のタンクを背負った異様なヘキサギアの集団。
そして、それに乗るガバナーたちの目が死んだ魚のように白濁していたからだ。
「ミカちゃん、気をつけて。こいつら生きてる感じがしない」
「同感っす。心拍数、アドレナリン分泌量、共に異常値。おそらく、強力な興奮剤と鎮痛剤を投与された「使い捨て」の兵隊っす」
ミカちゃんの声にも緊張が混じる。
カァァァンッ!!
ゴングと同時、敵は一切の躊躇なく突っ込んできた。
防御など考えていない。ただ、ぶつかるためだけの暴走。
「うわっ、危なっ!」
私はインパルスを跳躍させ、敵の体当たりをかわした。
敵機はそのまま金網に激突し、火花を散らしても止まらない。
『警告。敵機内部に高濃度の爆発物を検知。自爆する気です!』
「なっ!?」
ドガァァァァン!!
爆炎がリングを包む。
なんて奴らだ。勝つためじゃなく私たちを道連れにするためだけに戦っている。
その時、メイの声が響いた。
いつもより深刻なトーンだ。
『フレンダ、ミカ少尉。闘技場のメインシステムへのハッキングが完了しました。この大会の目的は賞金稼ぎではありません』
「え、どういうこと?」
『会場全体が巨大なデータ収集装置です。観客の興奮時の脳波パターンとガバナーが死ぬ瞬間の生体データをリアルタイムで収集し、自律型AI兵器の学習データとして送信しています。つまり、私達は「実験動物」です』
「実験、動物?」
私の頭の中で、何かがプツンと切れた音と沸騰する音が同時にした。
私の狩りを。
私の純粋な食欲を。
ただのデータ収集のための見世物にしたって言うの?
ビビビビビッ!
突如、リングの床から高圧電流が噴き出し金網からは火炎放射が浴びせられた。
主催者側が予定外に生き残っている私たち「イレギュラー」を排除しようと、フィールドトラップを作動させたのだ。
「熱っ、痺れるっ!」
インパルスの装甲が焼ける。
「ふざけるなっす!私のスーツが煤だらけっすよ!」
ミカちゃんが叫ぶ。
私はアクセルを限界まで踏み込んだ。
「よくも、私の狩り場を実験室にしてくれたねェッ!!」
怒りがインパルスの出力に変わる。
私は迫りくる自爆機をトリック・ブレードで薙ぎ払い、爆風の中を強引に突破した。
「邪魔する奴は運営だろうと何だろうと噛み砕く!!」
準決勝を力技で突破した私たちの前に最後の敵が立ちはだかった。
決勝戦。
アナウンスが震える声で告げる。
『こ、殺せ!殺してしまえ!タルタロスの絶対王者、処刑人の登場だァァァッ!キング・ゴライアス!!』
地響きと共にメインゲートが破壊された。
現れたのは、ヘキサギアとは呼べないほどの「怪物」だった。
全高6メートル。
人型ヘキサギアをベースに、過剰なまでの重装甲とスパイクを増設したカスタム機。
そして、その手にはインパルスの全長ほどもある巨大なチェーンソー剣が握られている。
ギャリリリリリリリッ……!!
高速回転する刃が、空気を切り裂く音を立てる。
「デカいっすね」
ミカちゃんが呟く。
「あれは反則級っす、まともに受けたら一撃でミンチっすよ」
王者のコクピットから太く響く声が聞こえた。
『ネズミどもが。俺の庭を荒らした罪、その体で償ってもらおうか』
ブォォォォン!!
敵が巨大な剣を振り下ろした。
ただの「振り下ろし」が私たちにとっては崩落事故と同じだ。
「回避ッ!」
ズガァァァァァン!!!
コンクリートの床が粉砕され破片が散弾のように飛び散る。衝撃波でインパルスが吹き飛ばされそうになる。
「くっ、重すぎる!」
私は体勢を立て直すが、すぐに第二撃が来る。
横薙ぎ。逃げ場がない。
「ミカちゃん、目つぶし!」
「了解っす!」
ミカちゃんのクロスレイダーが私の股下を潜り抜けるように前進した。
死角からの精密射撃がゴライアスに襲い掛かる。
パンッ!
弾丸がカメラアイの一つを砕いた。
『ぬぅっ!?小賢しいハエめ!』
王者が一瞬ひるみ、剣の軌道がわずかにズレた。
その隙を私は見逃さない。普通なら距離を取る場面だ。
でも、私の本能が告げている。
懐に入らなければ、肉にはありつけない!
「道はある!」
私はインパルスを加速させた。逃げるためじゃない。
敵が振り抜いて、まだ回転しているチェーンソー剣の「側面」に向かってだ。
「グラビティ・コントローラー、最大!」
「えっ!?少尉まさか!?」
ガギィィィン!!
インパルスの足裏が、敵の剣の側面に吸着した。
火花が散る。
回転する刃の振動が骨まで響く。
「うおおおおおッ!!」
私は咆哮して敵の武器を「滑走路」にして駆け上がった。
剣の柄を通り過ぎ、腕を駆け上がり、敵の胸元へ。
『な、何ィッ!?』
王者の驚愕の顔がコクピット越しに見えた。
「ご馳走はいただいたァァァッ!!」
私はインパルスの牙を敵の喉元、コクピットハッチの隙間に突き立てた。
バキィィィッ!!
装甲を噛み砕き、中枢ユニットを引きずり出す。
巨人がバランスを崩し轟音と共に倒れ込んだ。
その後は、まさにカオスだった。
王者が倒されたことで闘技場は大パニック。
そこにMSGヴァりアンストフォースの軍警察が突入し、運営を一網打尽にしたのだ。
私たちは混乱に乗じて脱出した。
もちろん、優勝賞品の入った「巨大冷凍コンテナ」をインパルスで牽引して。
地上の安全地帯。
星空の下。
「やった、やったよミカちゃん!」
私はコンテナの前で踊り狂っていた。
「ついに、伝説のドラゴン肉とご対面だ!」
「はぁ、お疲れ様っす。早く開けて焼いて食えっす。私は帰ってシャワーを浴びたいっす」
ミカちゃんは呆れ顔だがバーナーを用意してくれている。
私は震える手でコンテナのロックを解除した。
プシューッ……
冷気の中から現れたのは見たこともない巨大な肉塊だった。
赤黒く岩のようにゴツゴツしている。
「こ、これがドラゴンの肉!」
早速、分厚いステーキにして焼いてみる。
ジュウゥゥという音と共に、なんとも言えない獣臭さが漂う。
「いただきまーす!!」
私は大きな一口を頬張った。
ガブリ。
噛む。
噛み切れない。
もっと強く噛む。
ゴムタイヤを噛んでいるようだ。
「んぐ、んぐ」
飲み込もうとするが、喉を通らない。
味がない。いや、薬品のような苦味と古い革靴のような臭いがする。
「少尉?」
私は青ざめた顔のまま、タブレットで肉の識別コードをスキャンした。
表示された結果は。
【品名:合成バイオワニ(廃棄実験体No.402)】
【注意:筋肉増強剤および硬化剤の過剰投与により食用には適しません。産業廃棄物として処理してください】
肉が、口からポロリと落ちた。
「嘘だ」
「ドンマイっす」
「嘘だァァァァァッ!!!」
私の絶叫が夜空に響き渡った。
戦いの興奮も、勝利の栄光も、すべてが虚しく消え去っていく。
「私のドラゴン肉返せェェェェッ!!」
地面を叩いて泣き崩れる「野獣」。
その横で、「美女」は静かに消毒スプレーを空中に撒いた。
「とりあえず、口の中を消毒するっすよ。帰ったらカップ麺でも奢ってやるっす」
最強のコンビの夜は、ゴムの味と涙の味で幕を閉じた。




