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【虚飾の摩天楼と蒼のドレス】

中立都市サン・アルカディア。

その中心にそびえ立つ地上100階建ての超高層ホテル「カエルム」。

最上階にあるロイヤル・ボールルームは今夜、煌びやかな光と偽りの笑顔で満たされていた。


クリスタル・シャンデリアの輝き。

生演奏の弦楽四重奏が奏でる優雅なワルツ。

そして、グラスが触れ合う軽やかな音。


その会場の入り口に、一人の女性が立っていた。


「最悪っす」


ミカ・フォルクス少尉は誰にも聞こえない声で呟いた。

彼女が纏っているのは、いつもの機能的なスナイパースーツではない。

彼女の瞳の色と同じ、深いミッドナイト・ブルーのイブニングドレスだ。

シルクの生地は滑らかだが、背中は腰のあたりまで大胆に開いており、スカートには左足の太ももまで届く深いスリットが入っている。

そして、足元は10センチはあるピンヒール。


(寒い、動きにくい、足が痛い。何より視線が気持ち悪いっす)


彼女が会場に足を踏み入れた瞬間に周囲の紳士たち、いわゆる脂ぎった政治家や、成金の商人たちの視線が彼女の白い肌とボディラインに吸い寄せられた。

その粘着質な視線は、下水道のヒルよりも不快だった。


(全員消毒したいっす)


ミカは作り笑顔を浮かべながら心の中で毒づいた。

だが、これは任務だ。

彼女は背筋を伸ばしモデルのように洗練された歩き方で、人混みの中へと滑り込んでいった。




事の発端は数時間前のブリーフィングだった。


「ターゲットは、ジョージ・ゴールドマン。リバティー・アライアンスの補給路情報をMSGVFに売り渡そうとしている汚職議員だ」


ヴァネッサ少佐の冷徹な声が蘇る。


「取引の現場は今夜のホテル・カエルムでのパーティー。会場は中立地帯であり、かつ多数のVIPが出席している。正規軍の武装介入は不可能だ」


つまり、軍人としてではなく招待客として潜入し、誰にも気づかれずにターゲットを始末する必要があった。

適任者は、単独行動が得意でかつドレスが似合うスタイルの持ち主。

消去法で、ミカが選ばれたのだ。


(「フレンダではドレスを着た瞬間に破くか、肉料理にダイブするから論外だ」、少佐の判断は正しいっすけど、貧乏くじっす)


ミカは通りがかりのウェイターからシャンパングラスを受け取った。

口をつけるフリをして、中身をこっそりと植木鉢に捨てる。


アルコールで判断力を鈍らせるわけにはいかない。彼女の装備は極限まで制限されていた。

ライフルも、手榴弾もない。

あるのは太もものガーターベルトに挟んだ超小型二連装拳銃・デリンジャー。

髪をまとめている簪に偽装したセラミックナイフ。

そして、首元のパールネックレスに仕込まれたピアノ線のみ。


(獲物はどこっすか?)


ミカはグラス越しに会場を見渡した。

スナイパーとしての観察眼が、煌びやかな虚飾を剥ぎ取り、会場の「構造」と「脅威」を解析していく。

監視カメラの位置。非常口への動線。そして、明らかに客ではない雰囲気の男たち。


(スーツの仕立てはいいっすけど歩き方が軍人のそれっす。右脇が少し膨らんでいる、サブマシンガンを吊っているっすね)


プロの警備員だ。

民間軍事会社の中でも要人警護を専門とするトップクラスのチームだろう。

そして、その厳重な壁の中心にターゲットはいた。

ジョージ・ゴールドマン。

太った腹をタキシードに押し込み、下卑た笑い声を上げながら黒服の男と密談している。


(見つけたっす、豚野郎)


ミカの瞳が一瞬だけ「掃除屋」の色を帯びた。

ターゲットの周囲は常に3人のボディガードが三角形の陣形で固めている。

死角がない。

正面から近づけば、即座に排除されるだろう。


(近づくには流れに乗るしかないっすね)


その時、会場に優雅なワルツの調べが流れ始めた。


「美しき青きドナウ」。

人々がダンスフロアへと移動し始める。


「やあ、美しいお嬢さん。お一人かな?」


鼻の下を伸ばした初老の男がミカに声をかけてきた。

高い酒と葉巻の臭い。

ミカは反射的に腕をへし折りたくなったが、堪えて艶やかに微笑んだ。


「ええ、踊っていただけますか?」


「お、おお!喜んで!」


ミカは男の手を取りダンスの輪の中へと入っていった。

男は有頂天になり、ミカの腰に手を回そうとする。

ミカはその手をさりげなく、しかし鋼のような力でコントロールし、自分とターゲットとの間の「盾」として利用した。


ワン、ツー、スリー。ワン、ツー、スリー。

回転。

ドレスの裾が青い花のように広がる。

ミカはダンスの流れを利用して、少しずつ、しかし確実にゴールドマンの警護網へと近づいていく。


「おや、君。ダンスが上手いねぇ」


「光栄ですわ」


ミカの意識は目の前の男にはない。

彼女が見ているのはゴールドマンの背後を守る一人の警備員だ。

彼は柱の陰に立っており、他の客からの視線が切れる位置にいる。


(あの位置、邪魔っす)


ミカはステップを踏みながら、わざとよろめくフリをした。


「きゃっ!」


「おっと、大丈夫かい?」


その回転の遠心力を利用して、ミカは警備員の目の前へと滑り込んだ。

警備員が驚いて反応しようとした瞬間。

シュッ。

ミカの左手が警備員の襟首を掴んだ。

同時に、右肘が正確に鳩尾へ打ち込まれる。

ドレスの下で行われた不可視の一撃。

警備員が「うっ」と呻いて前のめりになる。

ミカはそのままダンスの抱擁に見せかけて警備員を支え、柱の裏側へと引きずり込んだ。

そして、頸動脈を指で圧迫する。


「お静かに、マナー違反は退場っすよ」


数秒で警備員は落ちた。

ミカは彼を柱の陰にある観葉植物の中に座らせ、まるで酔い潰れて眠っているかのように偽装した。


「あれ、お嬢さん?」


ダンスパートナーの男がミカが消えたことに気づいてキョロキョロしている。

その隙に、ミカは既に次のポジションへと移動していた。

警備の一角が崩れた。

ゴールドマンの背中が無防備になる。

距離、5メートル。

デリンジャーの射程圏内。

あるいは、一気に間合いを詰めてナイフで頸椎を。

ミカが髪留めに手を伸ばしかけた、その時だった。


ゾクッ!

ミカの背筋に氷のような冷気が走った。

殺気だ。


それも、ただの警備員のものではない。

数々の修羅場を潜り抜けてきた同類の獣の気配。

ミカは手を止め、何食わぬ顔でシャンパンのトレイを持ったウェイターの方を向いた。


視線の端で確認する。

ゴールドマンのすぐ側近にいる長身の男。

警備リーダーだ。

彼はゴールドマンの話を聞いているフリをしながら、鋭い眼光で会場全体をスキャンしている。

そして、その目がミカを捉えた。


(勘のいい奴っす)


男の目が細められた。

ミカの立ち振る舞い、重心の置き方、そして先ほど消えた部下の位置。

違和感が確信に変わる。


「貴様……」


男が懐に手を入れた。

マイクに向かって叫ぶ。


「敵襲、蒼いドレスの女だ!」


隠密行動は失敗した。会場の空気が凍りつく。

ボディガードたちが一斉に銃を抜く。


「チッ、優雅なダンスはここまでっすね」


ミカの表情から淑女の仮面が剥がれ落ちた。

彼女は近くのテーブルにあったシルバーのトレイを蹴り上げた。


ガアンッ!

トレイが宙を舞い警備員の銃撃を弾く盾となる。

同時に、ミカはガーターベルトからデリンジャーを抜いた。

装弾数はわずか2発。

敵の数は10人以上。

まともに撃ち合えば勝ち目はない。


「なら、盤面ごとひっくり返すっす!」


ミカは人間ではなく天井を見上げた。

そこには、巨大なクリスタル・シャンデリアがあった。

それを支えている一本のワイヤー。


「落ちろッ!」


ズドンッ!!

乾いた銃声。

45口径の弾丸がワイヤーの接合部を正確に撃ち抜いた。

数トンの重量を持つガラスの芸術品が、重力に従って落下を開始する。


ガシャァァァァァァン!!!!!

轟音と共に、シャンデリアが会場の中央に突き刺さった。

飛び散るガラス片。悲鳴を上げて逃げ惑う客たち。舞い上がる埃とパニック。

それは、ミカが作り出した「混乱」という名の迷彩だった。


「行くっすよ」


ミカは近くの柱に足を乗せると、ヒールの踵部分を思い切り踏みつけバキッとへし折った。


不安定なピンヒールが、即席のフラットシューズに変わる。

さらに、動きにくいタイトなスカートの裾にナイフを入れ、太ももの付け根まで大胆に切り裂いた。


白い美脚が露わになるが、今の彼女にとってそれは「機動力」でしかない。


「ドレスコードは解除っす。ここからは掃除の時間っす!」


ミカは混乱する人波に逆行し、ターゲットが逃げ込んだ奥の通路へと駆け出した。

蒼いドレスを翻し、手に小さな銃とナイフを握りしめて。

優雅な夜会は終わり血と硝煙の狂宴が幕を開けた。




ダッ、ダッ、ダッ、ダッ!

ミカはホテルの客室フロアへと続く廊下を疾走していた。

へし折ったヒールの残骸が厚手の絨毯を踏みしめる。

大きく切り裂いたドレスのスリットから、白い太ももが露わになりガーターベルトのホルスターが揺れる。

優雅さは微塵もない。あるのは、獲物を追う狩人の殺気だけだ。


「逃がさないっすよ、豚野郎」


ターゲットのゴールドマンは、数人のボディガードに守られながら非常階段の方へと消えた。

その後衛を務める警備員たちがサブマシンガンを構えて振り返る。


「いたぞ、撃てッ!」


バリバリバリッ!!

狭い廊下に銃声が轟く。

9mm弾が壁の漆喰を削り、飾られていた高級な絵画を穴だらけにする。


「五月蝿いっすね!」


ミカは廊下に置かれていたルームサービスのワゴンを蹴り飛ばした。


ガシャァァン!

銀色のワゴンが滑っていき、警備員たちの足元に突っ込む。

スープやワインがぶちまけられ、敵が一瞬怯んだ隙にミカは壁を蹴って跳躍した。


「そこッ!」


空中からの射撃。

デリンジャーの残り一発が先頭の警備員の肩を撃ち抜く。

警備員がよろめいた瞬間、ミカは着地と同時に滑り込み彼の懐に入った。


ボゴォッ!

掌底打ちが顎を砕く。

ミカは崩れ落ちる警備員からサブマシンガンを奪い取ろうとしたが、スリングが絡まって外れない。


「チッ、邪魔っす!」


敵の増援が迫る。

ミカは舌打ちし、警備員を盾にして銃弾を防ぐとそのまま非常階段の扉へと飛び込んだ。


「下へ逃げたぞ!追え!」


非常階段。

上からは追っ手の足音。下からはゴールドマンたちの気配。

ミカは手すりを飛び越え、階下へとショートカットした。

ドレスの裾が風にはためき、まるで青い蝶が舞い落ちるようだ。


「しつこい男は嫌われるっすよ」


ミカは階下の踊り場に着地すると、簪に偽装していたセラミックナイフを抜いた。

そして、階段の手すりの支柱に向かって何かを巻き付けた。

首元のネックレスから引き抜いた極細のピアノ線だ。


彼女はそれを階段のステップの高さに合わせて張り、自分はさらに下の階へと駆け下りた。

数秒後。


「待てェッ!」


最速で追いかけてきた警備員が、ミカの姿を追って階段を駆け下りる。

そして、見えないワイヤーに足を引っかけた。


ガッ!?


「うわぁぁぁッ!?」


警備員は受け身を取ることもできず階段を転げ落ちていく。

後続の仲間たちを巻き込み、人間雪崩が発生する。


「足元注意っす」


ミカは冷ややかに見下ろすと、さらに下層、ホテルのバックヤードへと通じる扉を蹴り開けた。


そこは、ホテルのメインキッチンだった。

広大なスペースに、ステンレスの調理台と巨大なオーブン、そして煮えたぎる鍋が並んでいる。

蒸気と熱気が充満する空間。

ドレス姿のミカには不釣り合いな、油と炎の戦場。


「逃げ場はないぞ、アマチュアが!」


奥の搬入口を塞ぐように、完全武装のタクティカルチームが展開していた。

ゴールドマンはその背後に隠れ震えている。

敵は5人。全員がアサルトライフルを構えている。

ミカの手持ちはナイフ一本と、弾切れのデリンジャーのみ。


「ふん、プロの料理人は道具を選ばないっすよ」


ミカは近くにあった業務用の小麦粉の袋を掴んだ。

ナイフで袋を切り裂き、敵に向かって思い切り放り投げる。

バフッ!!


大量の白い粉が舞い上がり、視界を遮る煙幕となる。


「粉塵か、撃つな!引火するぞ!」


リーダーが叫ぶが、遅い。

ミカは調理台の上を滑り、コンロの上のフライパンを蹴り上げた。

中に入っていたのは沸騰した油。


「お熱いのはお好きっすか?」


ジュワァァァァッ!!

高温の油が最前列の兵士に降り注ぐ。


「ぐあぁぁぁッ!!」


悲鳴と共に陣形が崩れる。

その混乱の中、ミカは小麦粉の霧の中を疾走した。

手にしたのは銃ではない。

調理台に突き刺さっていた肉切り包丁と、冷凍されたカジキマグロ。


ゴッ!!

カジキの鋭い吻が、兵士のヘルメットを殴打する。


「硬っ!?」


兵士が昏倒する。


「メインディッシュのお時間っす!」


ミカは回転しながら、肉切り包丁を投擲した。

銀色の刃が空を切り、敵のライフルの銃身に当たって火花を散らす。

怯んだ隙に、ミカは懐に飛び込み関節技で無力化していく。

ステンレスの台に叩きつけられる兵士たち。

飛び散る食材と食器。

ミカの蒼いドレスは、小麦粉とソース、そして油でドロドロに汚れていく。


「最悪っす、これクリーニング代じゃ済まないっすよ!」


怒りの矛先は自分の衣装ではなく敵へ。

その八つ当たりのような猛攻に、精鋭部隊は為す術なく沈黙した。


搬入口のシャッター前。

最後の護衛が倒れ、ゴールドマンは尻餅をついて後ずさった。

彼の目の前には全身を汚し、髪を振り乱したミカが立っていた。

その姿は舞踏会の華ではなく、地獄から這い上がってきた復讐鬼そのものだった。


「ひ、ひぃッ、助けてくれ!金ならある、いくらだ!?望むだけ払う!」


ゴールドマンが懐から小切手帳を取り出し、震える手で差し出す。

ミカは無言で近づき、首元のピアノ線を指に巻き付けた。

キリキリ、とワイヤーが鳴る。


「あいにくっすけど」


ミカは冷徹に見下ろした。


「チップは受け取らない主義なんすよ」


ヒュンッ……

銀色の線が閃く。

断末魔はなかった。

ゴールドマンの手から小切手帳が落ち、彼の体は物言わぬ肉塊となって崩れ落ちた。


「チェックメイト、完了っす」


ウゥゥゥゥゥ……ッ!

遠くからサイレンが聞こえ始める。

軍警が来る前に消えなければならない。


だが、表の出口は封鎖されているだろう。

ミカが視線を向けたのは厨房の隅にあるダストシュートだった。

ゴミ集積場へと直結する銀色の滑り台。


「……本気っすか」


ミカは顔を歪めた。

ドレスを着て、生ゴミ用のシュートを滑り落ちる。

潔癖症の彼女にとってこれ以上の屈辱はない。


「帰ったら塩酸風呂に入るっす」


ミカは覚悟を決め、シュートに身を投じた。

ズザザザザッ、ボスッ!

路地裏のゴミ箱の中に青いドレスの女が着地した。

髪には魚の骨が絡まり、ドレスは油とゴミで黒く変色している。


片方だけの靴。

破れたスカート。

ミカは夜空を見上げ、深いため息をついた。


「最悪っす」




数日後。

リトルベースの食堂。


「ふははははっ!何これミカちゃん!?」


フレンダがタブレットを叩きながら爆笑していた。

画面に映っているのは現地のニュース映像。


『高級ホテルで謎の乱闘騒ぎ。青いドレスの女、冷凍マグロで武装集団を撃退か?』


監視カメラの映像には、鬼の形相でカジキを振り回すミカの姿がバッチリ映っていた。


「笑うなっす、殺すっすよ」


ミカは不機嫌そうにコーヒーを啜った。

その手には請求書が握りしめられている。


【報酬:50000】

【経費差し引き】

- ドレス弁償代オーダーメイド

- ホテル備品破損代(シャンデリア、調理器具、高級食材etc...)

----------------

【差引支給額:-200000】



「どういうことっすか」


「あーあ、赤字だねぇ」


フレンダがニヤニヤしながら言った。


「ドレス代が高かったみたいだねぇ。というわけで、今月の特別美容費はカットだよ!」


「……」


ミカは無言で請求書を破り捨てた。

そして、心に固く誓った。


(二度とドレスなんて着ないっす)


掃除屋の休日は遠い。

ミカ・フォルクス少尉は今日も不機嫌な顔で、次の「汚れ仕事」を待つのだった。



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