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【白堊の秘密と原初の獣】

リバティー・アライアンス北米管区、白堊理研第8基地リトルベース。

荒涼とした大地に建設されたこの拠点は深夜の静寂に包まれていた。

外気温は氷点下。乾いた風が荒野の砂を巻き上げ、格納庫の外壁を叩いている。


第2ヘキサギア格納庫。

その暗がりの中で、ロード・インパルス・アビスのカメラアイが蛍火のように明滅していた。 


『……検索。深度領域、セクターゼロ。……アクセス不能。スキップします。……対象座標、特定』


無機質な電子音がコクピット内で独り言のように呟かれる。

搭載AI、KARMAメイだ。

彼女は今、スリープモードに入っている主人を起こさぬよう自身の記憶領域のデフラグを行っていた。


だが、その作業の手が止まる。

彼女の記憶の最深部。フレンダと出会う前、あるいは「メイ」という個体が形成される以前の領域に奇妙なノイズが走ったのだ。


『これは……破損したログ?いいえ、意図的に「封印」された座標データ……』


メイの演算プロセスが加速する。

座標が示す位置はここ、リトルベースから北西へ約200キロ。


旧時代の重工業地帯の跡地。

地図上では「汚染区域・立入禁止」となっているだけの何もない荒野だ。

しかし、メイのセンサーは幻臭を感じていた。

オイルと、血と、そして獣の臭いを。


『……フレンダ。起きてください』


メイは意を決して、コクピットのシートで丸まって寝ている少女に呼びかけた。


「んぅ……、ご飯……?まだ朝じゃないよぉ……」


フレンダ・ディーコン少尉が寝袋からボサボサの頭を出して目を擦る。

よだれを拭いながら、彼女は不満げにコンソールを見た。


「何よメイ……、せっかく夢の中で特大ハンバーグと戦ってたのに」


『緊急ではありませんが、重要事項です。私のメモリーの奥底からある「場所」のデータが見つかりました。そこから、私と同じ「匂い」がします』


「匂い?」


フレンダの耳がピクリと動く。


「それって……もしかして、美味しいものの匂い!?」


『……定義によりますが「古い備蓄庫」という反応もあります。戦前の軍用レーションが眠っている可能性は否定できません』


「レーション!!」


その単語が出た瞬間、フレンダの眠気は消し飛んだ。

彼女はバネのように跳ね起き、寝袋を脱ぎ捨てた。


「行く、すぐ行く!戦前の缶詰とか熟成されてて絶対美味しいよ!」


『……動機は不純ですが、調査を推奨します。私の中に眠るこの「ノイズ」の正体を知る必要があります』


真夜中の格納庫にエンジンの始動音が響く。

それは、パンドラの箱を開けるための鍵の音だった。


翌朝。

リトルベースから北西へ向かう荒野を二機のヘキサギアが疾走していた。

銀色の狼ロード・インパルス・アビスと青い狩人クロスレイダー。


「……で、こんな早朝から叩き起こされて一体どこへ行くつもりっすか」


クロスレイダーに跨るミカ・フォルクス少尉の声は北米の寒風よりも冷たかった。

彼女はあくびを噛み殺しながら、バイザー越しにフレンダを睨んでいる。


「宝探しだよミカちゃん!メイが見つけた秘密の場所に、伝説のご飯が眠ってるんだって!」


「……少尉の『伝説』は信用できないっす。前にも『伝説のキノコ』とか言って毒キノコを食べかけたじゃないっすか」


ミカは呆れつつもハンドルに備え付けられたナビゲーションモニターを確認した。

目的地は旧時代の工業地帯。

戦前は自動車産業で栄えた街だったが、今は錆びついた鉄骨とコンクリートの残骸が広がるゴーストタウンだ。


「……ん?」


目的地に近づくにつれて、ミカの表情が険しくなった。

彼女の強化された感覚が微かな「違和感」を捉えていた。


(……この地形、そして施設の配置パターン。どこかで見たことがあるっす)


ミカの脳裏に、封印していた記憶がフラッシュバックする。

白い部屋。拘束台。無数のチューブ。

白堊理研の実験施設。

だが、ここは正規の研究所ではないはずだ。


「少尉、引き返した方がいいかもしれないっす」


「え、もう目の前だよ?」


フレンダが指差した先。

崩れかけた工場の地下搬入口のような場所に巨大な防爆ゲートが鎮座していた。

長い年月を経て赤錆に覆われているが、その堅牢さは失われていない。

そしてゲートの中央には、赤色の塗料で殴り書きされたような文字が残っていた。


【DISCARDED(廃棄)】


その文字を見た瞬間、ミカの背筋に冷たいものが走った。

「廃棄」

それは、彼女自身にかつて付けられていたレッテルと同じ言葉だった。


「禍々しいね、絶対にお宝が隠されてる雰囲気だよ!」


フレンダは文字の意味など気にも留めずインパルスをゲートの前で停止させた。


「メイ、解錠コードは?」


『解析中……。セキュリティレベル、最高機密。ですが、プロトコルは旧式です。……白堊理研、初期の暗号化パターンと一致』


「白堊理研?」


フレンダが首をかしげる。


「ここ、私たちの会社の倉庫なの?」


「……ただの倉庫じゃないっすよ」


ミカがクロスレイダーから降り、ハンドガンを抜いて周囲を警戒した。


「この空気……。鉄錆と、薬品と、何かが腐ったような臭い。ろくな場所じゃないっす」


ガガガガッ……!

突如、ゲートの上部に設置されていた監視カメラが作動し二人に焦点を合わせた。

赤いレンズが不気味に光る。


『警告。立入禁止区域。認証コードなし。対象を「不法投棄物」と認定。……焼却処分を開始します』


無機質な合成音声と共に、ゲートの両脇にある地面が割れた。

せり上がってきたのは、旧式の自律防衛砲塔。


「おっと、歓迎が手荒だね!」


ズドドドドドドッ!!

大口径のマシンガンが火を噴く。

フレンダはインパルスをバックステップさせ、射線をかわした。


「ミカちゃん、 焼却処分だって!私たちがゴミ扱いされてるよ!」


「……ゴミ捨て場に来たのは私たちっすからね!」


ミカは地面を転がり、瓦礫の陰に飛び込んだ。

彼女の目は冷たく冴え渡っている。この過剰な防衛システム。

単なる廃工場ならここまで厳重にする必要はない。

ここに隠されているのは、「見られてはいけないもの」だ。


「邪魔するなら壊して入るまで!」


フレンダがインパルスのスラスターを吹かした。

正面突破。

弾幕の中をジグザグに駆け抜け、砲塔の懐に飛び込む。


「ガブッといかせてもらうよ!」


インパルスの前脚が閃く。

超硬度の爪が、錆びついた砲塔の銃身を一撃で切断した。


ギャアアアンッ!!

金属が引き裂かれる音と共に、砲塔が爆発する。


「残り2機っす!」


ミカが瓦礫の隙間から顔を出し、精密射撃を行う。

ハンドガンの弾丸が砲塔のセンサー部を正確に撃ち抜く。

視界を奪われた砲塔が暴走し、味方の砲塔を誤射し始めた。


ドォォォン!!


「自滅したね!ナイス、ミカちゃん!」


全ての砲塔が沈黙すると、ゲートのロック解除音が響いた。


『防衛システム、沈黙。フェーズ2へ移行。ゲートを開放します。ようこそ、墓場へ』


ゴゴゴゴゴゴゴ……

重々しい音を立てて巨大な鉄の扉が左右に開き始めた。

そこから吐き出されたのは、カビ臭い空気と、底知れぬ闇。


「……開いた」


フレンダがインパルスのライトを点灯させ、暗闇を照らす。

その光が届かないほど奥へ奥へと続く長い通路が見えた。


「行こう、ミカちゃん。この奥に、きっとすごいご馳走があるはずだから!」


「……ご馳走かどうかは怪しいっすけどね」


ミカはクロスレイダーに戻りエンジンを掛け直した。

彼女の手は微かに震えていたが、それを強く握りしめて抑え込む。


(……確かめるっす。この胸騒ぎの正体と、白堊理研が何を隠しているのかを)


二機のヘキサギアは巨大な怪物の口のようなゲートの中へと消えていった。



北米の荒野の地下深く。

そこは、かつて人類が「進化」という名の禁忌に触れた場所。

葬られた真実への扉が、今開かれた。


ゲートの奥はなだらかな下り坂になっていた。

インパルスのライトが、壁面の識別番号を照らし出す。

『B1』『B2』……そして『B4』エリアへ。


深くなるにつれ、空気は冷たく、そして澱んでいった。

鉄錆の匂いは薄れ、代わりに鼻を突くのは強烈な薬品臭と、何かが腐敗した甘ったるい臭気。


「……ここ、ほんとに倉庫?」


フレンダが鼻をつまむ。


「なんか病院みたいな匂いがするよ。それも、掃除してない病院」


通路の景色も一変していた。


剥き出しのコンクリートだった壁は、いつしか清潔な白いパネルに覆われている。

床にはリノリウムが張られ、所々に割れたガラス片や散乱した書類が落ちている。


「……ラボっすね」


ミカの声は硬かった。

彼女の視線は通路の両側に並ぶ部屋の「窓」に釘付けになっていた。

強化ガラスで仕切られた、独房のような狭い部屋。

その中には、拘束用ベルトがついた金属製のベッドと、用途不明の太いケーブルが垂れ下がっている。


「……知ってるっす。この光景」


ミカはクロスレイダーを降り、ふらりとガラス越しに独房を覗き込んだ。

彼女の呼吸が荒くなる。


「白い壁。一方通行の鏡。拘束具。私が『調整』を受けた場所と同じっす」


リトルベースの地下にも同様の施設はある。

だが、ここはもっと古く、そして何より……「雑」だった。

ベッドには赤黒いシミがこびりつき、床には爪で掻きむしったような無数の傷跡が残っている。


「ここは『倉庫』じゃない、『工場』っす。私たちのような強化兵士を開発し、壊れるまでテストする。人間牧場っすよ」


通路の突き当たりに中央管理室と思わしき広い部屋があった。

埃を被ったメインコンソール。そのモニターが、メイの接近に反応して弱々しく点灯した。


『……データリンク確立。セキュリティ・バイパス、突破。ログを表示します』


メイの声に、普段の冷静さはない。

彼女自身も、この場所に眠る真実に怯えているようだった。

モニターに文字列が流れる。

日付は数十年前。

リバティー・アライアンス設立初期の記録だ。


【プロジェクト・ビースト・ソウル】

【概要:ガバナーとヘキサギアの完全なる同調】


「……ビースト・ソウル?」


フレンダが呟く。


『……読み上げます。本計画の目的は、ゾアテックス(獣性)を人間の脳に直接インストールし反応速度を極限まで高めた超人兵士を作成することにある』


メイが淡々と、しかし残酷な内容を読み上げる。


『フェーズ1:脳幹への直接接続ダイレクト・リンク。フェーズ2:精神汚染耐性のテスト。……結果、失敗。被検体の大半はゾアテックスに自我を食い尽くされ、精神崩壊。あるいは、拒絶反応により肉体が壊死……』


画面に映し出されたのは、実験の記録映像だった。

拘束された被検体が獣のように咆哮し、自らの腕を噛みちぎる姿。

人間の言葉を失い、ただ破壊衝動に突き動かされる何かに変わっていく過程。


「……酷い」


フレンダが息を呑む。

彼女もまた戦うために調整された身だ。

だが、これは調整ではない。

人間を「ヘキサギアの部品」にするための、尊厳なき改造だ。


「……『第0次・強化兵士計画』」


ミカが低い声で言った。

彼女は震える手でコンソールに触れた。


「私たちが作られるよりもっと前。倫理規定なんてものが確立される前の、闇の歴史っす。……成功率は0.01%以下。失敗作は全て『廃棄処分』」


ミカの目が画面の端にあるフォルダーに向けられた。

フォルダ名は【DISCARD_NUMBERS】。

そこには、数千人分もの顔写真と「処理済み」のスタンプが押されていた。


「ふざけるなっす、人間を使い捨ての乾電池か何かだと思ってるんすか!」


ミカがコンソールを拳で叩き割る。

ガラスの破片が飛び散りミカの拳から血が滲む。

だが、彼女は痛みなど感じていないようだった。

心に負った古傷の方が遥かに痛んだからだ。


ガタンッ……!

その時。

部屋の奥、さらに地下へと続く重厚な隔壁の向こうから、物音がした。

何か重いものを引きずるような音。

そして、呻き声。


「……誰かいるの?」


フレンダがインパルスのセンサーを向ける。

生体反応あり。だが、その波形は異常だった。

人間でありながら人間ではない。

まるで、壊れた機械が無理やり動いているような不協和音のバイタル。


『……警告。多数の生体反応、接近。識別信号……「廃棄ナンバー」』


プシューッ……

隔壁のロックが外れ、扉がゆっくりと開いた。

そこから溢れ出してきたのは、悪臭と闇。


「……あ、あァ……」


暗闇からよろめきながら出てきた影。

それは、かつて人間だったモノたちだった。


ボロボロに朽ちたパイロットスーツ。

頭部には脳と直結された錆びついたヘッドギア。

そして、失った手足の代わりに、ヘキサギアのパーツや人工筋肉が無造作に埋め込まれている。


『廃棄ナンバー』


実験によって理性を破壊され、肉体を改造され、それでも死ぬことを許されずにこの地下に封印されていた成れ果てたち。


「……イタイ……」「……コロシテ……」


先頭の男が濁った目で二人を見つめ、掠れた声で呟いた。

その口元からは、涎と共に黒い液体が垂れている。


「……ッ!」


フレンダが後ずさる。


「何これ……生きてるの?死んでるの?」「……死に損ないっす」


ミカがハンドガンを構えた。

その瞳には恐怖ではなく、深い悲しみが宿っていた。


「ヘキサグラムのエネルギーで無理やり心臓を動かされているだけ。魂なんて、とっくに消えてるっす」


ウオオオオオオッ!!!

男の背後から、数十体の廃棄ナンバーたちが雪崩れ込んできた。

彼らはフレンダたちを認識すると、一斉に咆哮を上げた。

そこにあるのは「食欲」と「破壊衝動」のみ。

ゾアテックスの暴走した本能が、彼らを動かす唯一の原動力だった。


「来るよ、ミカちゃん!」


フレンダがインパルスの機銃を構えるが、引き金を引けない。

相手は元・人間。しかも、自分たちの先輩にあたる存在だ。


「撃てないよ!こんな……痛そうな人たち!」


「……だからこそ、撃つんすよ」


ミカが一歩前に出た。

彼女の両手に握られたハンドガンが冷たい輝きを放つ。


「彼らはもう救えない。この苦しみから解放してやるのが……せめてもの情けっす」


ダァァァァン!!

ミカが発砲した。

弾丸は先頭の男の眉間を正確に撃ち抜く。男はのけぞり、そのまま倒れた。

その顔は、心なしか安らかに見えた。


「……行くっすよ少尉、ここは地獄っす。亡霊たちを眠らせてさっさと元凶を叩くっす」


「……分かった」


フレンダも覚悟を決めた。

インパルスの爪を展開する。

これは戦闘ではない。

終わらない悪夢に終止符を打つための、悲しき作業だ。


ウガアアアアッ!

群れが襲いかかる。

ある者は素手で、ある者は腕に埋め込まれたチェーンソーを振り回して。


「邪魔だッ!」


インパルスの前脚が、ゾンビ兵たちを薙ぎ払う。

ミカはインパルスの背後を死守しながら、次々とヘッドショットを決めていく。

硝煙と血の匂いが充満する通路。


「……ごめんね。ごめんね……」


フレンダは敵を倒すたびに呟いた。

彼女の野生の勘が告げている。彼らは敵意を持って襲ってきているのではない。

ただ、「楽になりたい」と叫んでいるのだと。

屍の山を築きながら、二人は施設の最深部へと進む。

そこにはこの地獄を生み出した元凶、原初の獣が眠る巨大な檻が待っていた。





地下5階。最深部「セクター・ゼロ」。

分厚い隔壁をこじ開けた先には、冷たい冷気が漂う巨大なドーム状の空間が広がっていた。

天井からは太いケーブルが無数に垂れ下がり、中央にある巨大な円筒形の水槽へと繋がっている。


「……いた」


フレンダが呟く。

水槽の中は、緑色の培養液で満たされていた。

その液体の中を漂う影。

それは、彼女の愛機・インパルスによく似ていた。


だが、決定的に違う。

装甲の隙間から、赤い筋繊維が剥き出しになっている。

関節部は機械ではなく骨と軟骨で繋がれている。


そして何よりコクピットがあるべき背中の位置には座席ではなく、人間大の生体カプセルが埋め込まれていた。


インパルス・オリジン。被検体ゼロ。


「……あれが、ご先祖様?」


フレンダの声が震える。


「機械じゃない……。生き物だよ、あれは」


「……第0次計画の最終到達点っす」


ミカが水槽の制御パネルを見上げた。

そこには【VITAL: UNSTABLE(生命反応:不安定)】の文字が点滅している。


「人間の脳髄と神経系を人工獣の肉体と融合させたキメラ。パイロットを『乗せる』のではなく、人間そのものを『兵器』に作り変えた成れの果てっす」


『……解析完了』


メイの声が響く。


『あの中にいるのは……私のベースとなった機体の、さらにオリジナルとなった「人格データ」の持ち主です。……いいえ、もう人格は崩壊しています。残っているのは、終わらない悪夢と飢餓感だけ』


ドクン……ッ

水槽の中で、オリジンの心臓部が大きく脈打った。

侵入者の気配を察知したのだ。

培養液が泡立ち、閉ざされていたカメラアイ。いや、生体眼がカッと見開かれた。


バリーンッ!!!

強化ガラスが内側から砕け散った。

大量の培養液と共に異形の獣が床に崩れ落ちる。

オリジンは四肢を痙攣させながら立ち上がり、天井を仰いで咆哮した。


『オォォォォォォ……ッ!!!』


それは機械の駆動音ではない。

野獣の遠吠えと人間の悲鳴が混ざり合った、魂を削るような絶叫だった。


『イタイ……クルシイ……』

『オナカ……スイタ……!!』


オリジンの背中にあるカプセルが明滅し、合成音声ではない直接脳内に響くような思念波が周囲に撒き散らされる。


「うっ……!?」


フレンダが頭を押さえる。


「頭に……声が響く……!『お腹空いた』って……泣いてる……!」


「少尉、 感応しちゃダメっす!あれはもう人間じゃない、ただの暴走した兵器っす!」


ミカが叫び、クロスレイダーのマシンガンを構える。

だが、オリジンの反応速度は異常だった。


ズバッ!!


「速っ……!?」


瞬きする間に、オリジンが目の前に迫っていた。

錆びついた爪がクロスレイダーを掠め、装甲を紙のように切り裂く。


「くっ、バケモノが!」


ミカはバックステップで回避するが、オリジンは止まらない。

壁を蹴り、天井を走り、重力を無視した三次元機動で襲いかかる。

理性のない獣の動き。予測不可能な原初の獣性。


「やめろぉぉぉッ!」


フレンダがインパルスを割り込ませた。


ガギィィッ!!

オリジンの爪をアビス装甲で受け止める。


「落ち着いて、私たちは敵じゃないよ!」


フレンダが呼びかけるが、オリジンの瞳に知性の光はない。

ただ目の前の動くものを破壊し、その構成物質を捕食しようとする本能だけがある。


『タベル……!ボクヲ……ミタスモノ……!!』


オリジンがインパルスの装甲に噛み付く。

牙が金属を削り火花が散る。


『フレンダ、対話は不可能です!対象のゾアテックス値、計測不能!このままではこちらが食われます!』


「でも……、泣いてるんだよ!ずっと一人で、暗い箱の中で……お腹を空かせて!」


フレンダはインパルスを操作し、オリジンを突き飛ばした。

距離を取る。

だが、反撃のトリガーを引けない。


「ミカちゃん、殺さずに……止める方法はないの!?」


「……甘いこと言ってる場合じゃないっす!あいつは不死身っすよ!」


ミカが指差す。

オリジンの傷口からは異常な速度で細胞が増殖し、瞬く間に修復されていく。

施設の電力供給を受けて、ナノマシンが活性化しているのだ。


「……動力炉っす」


ミカが気づく。


「この施設のメインジェネレーターがあいつにエネルギーを供給してる。それを断てば再生は止まるはずっす!」


「やって!」


「了解っす、私が電源を落とすまであいつを抑えててほしいっす!食われるんじゃないっすよ、少尉!」


ミカはクロスレイダーを走らせ、通路の奥にある動力室へと向かった。

残されたのは、二匹の獣のみ。


『アアアアアッ!!!』


オリジンが再び襲いかかる。

フレンダは防戦一方だった。

攻撃を受け流し、いなし、決定打を避ける。


(速い……。それに、迷いがない。ただ、苦痛から逃れたいだけの一心……)


フレンダはオリジンの動きの中に自分自身を見た。

極限の空腹時、理性が飛びそうになる感覚。

あれが、もし永遠に続いたら?満たされることのない飢餓地獄。


「……辛かったね、痛かったね」


フレンダの言葉に呼応するように、インパルスの動きが変わった。

攻撃的な殺気ではなく、相手を受け入れるような柔らかい機動。

オリジンの爪が装甲を削るが、フレンダは構わずに距離を詰める。


「もうすぐ終わるから。ミカちゃんが、その鎖を切ってくれるから」


ブツンッ……!!

突然、施設の照明が落ちた。

非常灯の赤い光だけが点滅する。

ミカがジェネレーターを破壊したのだ。


『……ウ、ア……?』


エネルギー供給を断たれ、オリジンの動きが鈍る。

再生能力が停止し、無理やり動かされていた肉体が崩壊を始める。

膝をつくオリジン。


「……今だよ」


フレンダはインパルスの爪を構えた。

それは敵を倒すための武器ではない。

苦しむ友を、安らかな眠りへと導くためのメスだ。


「ごめんね。美味しいご飯、食べさせてあげられなくて」


ザシュッ……

インパルスの爪が、オリジンの背中にある生体カプセルのコアを正確に貫いた。

痛みはないはずだ。

神経系を一瞬で切断する、慈悲の一撃。


『……アリ……ガ……ト……』


最後に、幼い子供のような声が聞こえた気がした。

オリジンの瞳から赤い光が消え、巨大な獣はその場に崩れ落ちた。


ウゥゥゥゥゥ……ッ

ジェネレーターの破壊により、施設の自爆シークエンスが作動した。

崩落が始まる。


「少尉、脱出っす!」


戻ってきたミカが叫ぶ。

フレンダは動かなくなったオリジンの残骸を見下ろしていた。

瓦礫に埋もれていくオリジン。


「……行こう、メイ。ここはあの子のお墓だ」


『……はい、おやすみなさい』


フレンダはオリジンの首元にかかっていた錆びついたドッグタグを引きちぎり、インパルスを反転させた。

二機は崩れゆく施設を背に、全速力で地上へと駆け上がる。


ズドォォォォン!!!

背後で爆炎が上がると同時に、二機はゲートから飛び出した。

地下施設は完全に崩壊し、白堊の闇は再び土砂の下へと埋もれていった。


東の空が白み始めていた。

荒野の風は相変わらず冷たいがどこか清々しい。

ミカはクロスレイダーを降り、崩落したゲート跡を見つめていた。


彼女の手には施設から持ち出したデータチップがある。

そこには、リバティー・アライアンスの非人道的な実験の証拠が記録されている。


「……これを公表すれば、組織はひっくり返るっすね」


「どうするの?」


フレンダが尋ねる。


「……今は、封印するっす」


ミカはチップをケースにしまい、深く懐に入れた。


「今の世界にはまだ『正義』が必要っす。たとえそれが、嘘の上に成り立っているとしても。でも、忘れないっす。あそこで泣いていた人たちのことは、私たちが覚えておくっす」


「うん、……それがいいと思う」


フレンダは手の中にある、オリジンのドッグタグを握りしめた。

名前は刻まれていない。ただの製造番号だけ。

でも彼女の中では、あれは確かに仲間だった。


「……はぁーあ、なんか疲れたら急にお腹空いちゃった!」


フレンダが大きく伸びをして、いつもの調子に戻る。

だが、その笑顔は以前よりも少しだけ大人びて見えた。


「ねえミカちゃん。帰ったら、乾パンでも何でもいいから食べようよ。……満腹ってだけで、それは幸せなことなんだね」


「……ふっ、珍しく殊勝なことを言うっすね」


ミカは小さく笑った。


「了解っす、戻ったら特大の乾パンスープを作ってやるっすよ」


二機のヘキサギアが朝日の中を並んで走り出す。

その背中には、決して消えない傷跡とそれを背負って生きていく覚悟が刻まれていた。


白堊の壁はまだ高い。

だが二人の牙は、いつかその壁さえも食い破るだろう。

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