甘く惑わす匂い 壱
市井の朝は騒がしい。
呼び合う声、値切る声、それを軽く断って笑う声。露天からは何かわからぬ肉の焼けた匂いが鼻を抜け、食欲を刺激しお腹を小さく鳴らす。
「王、あれを買ってもいいですか?」
「あのな、ピクニックではないのだぞ?」
肉の匂いに釣られそうになるが、今日ここに来た理由を思い出す。
市井で死んだ後宮役人の遺体回収。事故死、と聞いている
「分かっていますが仕事をするには腹ごしらえが必要です」
「はあ、好きにしろ」
彼は呆れているのかため息を吐き仕方なく許可する。その顔は昔の父のようで少し懐かしく感じる。石畳の欠けた感触。乾いた空気。
——幼い頃、父の後ろを歩いた記憶がふとよぎる。
「二つください」
私が串焼きを指さして告げると店主は黙って串焼きを渡してくる。お金を渡して受け取り彼の元に戻る。
「はい」
「……なんだこれは?」
「上げます」
「……いらん」
彼はなるべくこちらを見ないように視線をそらして断るのだが、その視線はチラチラと串焼きを興味深く見ていた。
「おいしいですよ?」
「……嘘なら許さん」
彼は串焼きを渋々受け取り一口食べる。。
「……悪くないな。硬い肉もいいものだ」
どうもお気に召したようで口いっぱいに頬張っている。私もかまわず一口食べると口の中にまだ熱い肉と油が入ってきて私のお腹を満たす。
「はあ…最高……」
この油の焦げた香りと肉汁の豊潤な味わいがたまらない。噛んだ瞬間に口の中はすでに幸せだ。
「なかなか市井の食べ物も悪くないな」
彼は手からはすでに肉はなくなっており、満足そうに笑っている。
(高位の方でも普通にご飯は食べるのだな……)
私がまるで珍獣の食事シーンでも見たような感覚になっていると、肉とは違う甘く痺れるような甘い匂いが風に乗って漂ってくる。
「あそこは……」
「花街だな」
そこは湿った空気と香水の残滓が人々の足取りを重くさせ誘惑する。どこからともなく人の笑い声や泣き声が混じって重なり反響していた。それは甘い匂いの奥に、腐ったものが混じっている気がした。
「嬢ちゃん、今は花街に行かないほうがいいぞ?」
突然店主がそうつぶやく。
その声は酷く低く不穏な香りがした。
「なぜですか?」
「殺人があったのさ」
「花街では日常茶飯事でしょう?」
「ああ、だが今回は一味違う」
「どういうことですか?」
「殺したのはあの後宮の武官様さ」
店主の言葉に王の方は静かに動いて、店主に告げる。
「そいつはどこにいる?」
「あん?確か花街にある役所の牢屋に入れられているはずだ」
「そうか…行くぞ。蓮華」
「え?どこにですか?」
「決まっている。その武官に会うぞ」
「遺体の回収はどうするんですか?」
「それは後回しだ」
彼はまっすぐ花街を突き進む。
花街の匂いはより一層甘く、強く、私たちの体に入って侵食をする。路上を歩く男の顔はどこか魂が抜けているようで呆然としている。男は暗い路地裏に消えた。私は目を薄めてそれをただ見つめていた。
読んでいただき、ありがとうございます。
気に入っていただけたら、ブックマークや評価で応援してもらえると嬉しいです。




