第48話 冷酷なる勝率の天秤
魔王城での奇襲を一刀両断し、本物の伝説の剣と共に真の必殺技『ホーリー・バースト・スラッシュ』を自力で完成させた光の勇者。
過剰な接待プレイから解放され、本来のポテンシャルを完全に開花させた主人公の圧倒的な力に、魔術師も裏方のノクスたちも安堵と驚愕の息を漏らしていた。
一切の迷いなく魔王城の深淵へと突き進む一行。しかし、完璧なシナリオを追求するアルクの内心には、一つの冷徹な疑問が浮かび上がっていた。
静寂。
先程までの上級悪魔との激突が嘘のように、魔王城の最深部へと続く広大な回廊は、不気味なほどの静けさに包まれていた。
壁面に並ぶ禍々しい彫刻の松明が青白い炎を揺らし、一行の影を石畳に長く引き伸ばしている。先頭を歩く勇者の手には、今や彼自身の魔力と完全に同調し、呼吸をするように柔らかな聖なる光の明滅を繰り返す白銀の伝説の剣が握られていた。
「すごいな……。さっきから、城の奥から感じるものすごい瘴気の圧力が、この剣の光でどんどん中和されていくのがわかる。これなら、どんな罠が張ってあっても突破できるぜ!」
勇者が剣の柄を力強く握り直し、自信に満ちた爽やかな笑みを浮かべる。
その後ろを歩く魔術師も、かつての頼りなさが完全に消え去った勇者の頼もしい背中を見て、ふっと緊張を和らげるように息を吐いた。
「ええ、本当に驚いたわ。今のあなたなら、本当にあの恐ろしい魔王にも打ち勝てるかもしれないわね」
「ああ! 絶対に倒して、世界に平和を取り戻すさ!」
(――くぅぅっ! 頼もしい! これぞ物語の最終盤、完全に仕上がった最強の主人公の風格だぜ! もう俺が裏でコソコソと光のエフェクトを足したり、敵の装甲を削ったりしなくても、一人で立派に無双できるようになったんだな……!)
漆黒の竜鱗に覆われた人間サイズの竜王――アルクは、表面上は腕を組み、近寄り難い絶対的な威厳を放ちながら黙々と歩を進めていたが、内心では成長した我が子を見る親のような、熱い感動の涙を流していた。
だが、オタクとしての歓喜とは別に、彼の中の『プロデューサーとしての冷徹な計算』が、ふと警鐘を鳴らした。
(待てよ。勇者が劇的に強くなったのは間違いない。だが、相手はこの俺が間近で見て本能レベルでガチビビりした、あの規格外の魔王だぞ。いくら伝説の剣が覚醒したからって、本当に確実な勝利が保証されてるのか……?)
アルクは足音を立てずに歩きながら、自らの影の中に潜む冷徹な絶対的補佐官へと、秘密裏に念話を繋いだ。
(……なあ、ノクス。裏方のプロデューサーとして、一つお前に客観的な分析を頼みたい。手心を加えない、完全な事実だけを教えてくれ)
『何でしょうか、主。どのような演算でも即座に実行します』
一切の感情の起伏を持たない、氷のように透き通ったノクスの声が脳内に響く。
(今の完全に覚醒した勇者と、さっき謁見の間で対峙したあのバケモノみたいな魔王。……奴らが真正面からぶつかり合った場合、勇者が勝てる確率はどれくらいある?)
『……演算を開始。対象(勇者)の保有魔力量、伝説の剣による聖属性の増幅率、および先程確認した剣技の完成度をパラメータ化。対する対象(魔王)の推定魔力総量、肉体強度、および環境的優位性を変数として代入、シミュレーションを実行します』
僅か数秒の沈黙。アルクの額に、竜鱗を透過して一滴の冷や汗が流れる。
『シミュレーション完了。結論から申し上げます。何者の介入もない完全な一対一の状況下において、勇者が魔王を討伐できる勝率は――完全に『五分五分』です』
(……っ!! ご、五分五分!?)
アルクは危うく声に出して素っ頓狂な叫び声を上げそうになり、必死に強靭な竜の顎に力を込めて耐えた。
(嘘だろ!? 本物の伝説の剣を手に入れて、あれだけの超必殺技を自力で撃てるようになったんだぞ!? なのに確率がハーフ・アンド・ハーフってどういうことだよ!)
『主の驚きは理解できますが、これが客観的な事実です。勇者の攻撃力は魔王を滅ぼすに足る絶対的な域に達しました。しかし、魔王の圧倒的な基礎スペックと数百年を生き抜いた戦闘経験の差は容易に埋まりません。純粋な命の削り合いにおいて、勝敗の行方は文字通り五分五分です』
アルクの内心が大パニックの嵐に見舞われていると、ノクスは淡々とした声のまま、さらに追撃のデータを突きつけてきた。
『ただし、これはあくまで一対一を前提とした数値です。追加の演算結果を報告します。現在『竜王』として完全覚醒している主が前に出て、勇者と共に魔王へ直接武力行使を行った場合――勝率は『98パーセント』へと跳ね上がります』
(きゅ、98パーセント!? ほぼ確実な勝利じゃないか!)
ノクスの提示した圧倒的な数字に、アルクの心が大きく揺らぐ。魔王城の玉座で共に戦えば、間違いなく安全に勝つことができる。だが。
(……いや駄目だ! 俺が前に出ちまったら、勇者が魔王を打ち倒すという最高の見せ場が俺に食われちまう! そんなのは俺が目指す王道RPGのエンディングじゃない! ていうか俺は絶対にあのバケモノと真っ向から殺し合いたくない!)
『了解しました。では別パターンを提示します。主が直接戦闘には加わらず、以前のように私とルミナをフル稼働させ、裏から勇者を完璧に援護する『完全接待プレイ』を再開した場合。こちらの勝率は『7割から8割』と推算されます』
(7、8割……! 確率はグッと上がるが、それでもまだ2、3割は負けるリスクが残るのか! しかも、せっかく自力で覚醒した勇者の成長を、あからさまな接待プレイで不自然に阻害するような真似はしたくない……!)
98パーセントの確実な勝利を取れば、主人公の見せ場が消滅する。
7〜8割の接待プレイを取れば、王道のカタルシスに泥を塗りかねない上に、敗北のリスクが残る。
そして、最も美しい一対一の死闘を取れば、勝率は残酷なまでに50パーセント。
どうすれば、勇者の見せ場を完全に保ったまま、誰にも気づかれずにその勝率を100パーセントへと引き上げることができるのか。
アルクが冷や汗を流しながら必死に脳髄をフル回転させていると、ふいに、隣を歩いていたアイリスが、周囲に気づかれないよう極めて微小な『音の遮断結界』を張り、アルクの耳元へと顔を寄せてきた。
「アルク様……。先程から、勇者様の『勝機』について密かに憂慮されているのではありませんか?」
(ギクッ!?)
図星を突かれたアルクが視線を向けると、アイリスは魅惑的で、しかしどこか底知れぬ狂気を孕んだ微笑みを浮かべていた。
「もしよろしければ、私から一つご提案がございます。私の持つ生来の魔眼……『神の瞳』には、私の肉体の魔力回路とは完全に独立した『別次元の魔力記憶領域』が存在するのです。言わば、空っぽの器」
(……独立した器?)
「はい。ですから、アルク様の絶大な魔力を私の瞳に蓄積させても、私自身が内側から破裂することはありません。そして、私の瞳と父の視覚パスを強制リンクさせ、一気に放出させるのです」
アイリスは、まるで今日の夕食の献立でも語るかのような穏やかなトーンで、恐るべき企みを口にした。
「外部からの魔法攻撃であれば父の結界に阻まれますが、視覚パスという『内側』からの魔力暴走であれば防ぎようがありません。うまくいけば、父の両目、あるいは片目を完全に破壊できます。最悪、父が異常に気づいて防御に回ったとしても……指一本くらいは確実に内側から消し飛ばせるかと。……いかがでしょう?」
(――エグい!! 実の親に対してエグすぎる提案してきたぞこの娘!! だが……アイリスの瞳という安全な『独立した器』を経由して魔王の視力や指先を奪えるなら……勇者の勝率は間違いなく跳ね上がる!)
アルクは内心で激しく戦慄しつつ、影の中のノクスに演算を求めた。
(ノクス! このアイリスの内部破壊作戦、理論上成立するか!?)
『……演算完了。肯定します。対象の神の瞳を中継した魔力転送であれば、彼女自身の肉体を傷つけることなく、魔王の内部へ直接魔力を叩き込めます。この奇襲により魔王の左目、および魔法詠唱に関わる指の数本を確実に破壊可能です。……これにより、勇者の勝率は50パーセントから『89パーセント』まで上昇します』
(89パーセント!! そこまで上がるなら、もう実質勝ち確みたいなもんだ!! 悪魔的な作戦だが、これなら俺が手を出さず、勇者から見れば『ただの純粋な一対一』を演出できる!!)
アルクは内心でガッツポーズを決めつつ、すぐに行動を起こすことはしなかった。
(よし! ならば玉座の間に入り、勇者と魔王が王道RPGらしく『対峙して会話をしている最中』に、こっそり魔力を流し込んで内部破壊作戦を実行しよう! 仮に勇者の目の前で急に魔王の目玉や指が弾け飛んだとしても、『勇者の放つ凄まじい聖なるオーラに、魔王の肉体が耐えきれずに自壊した!』とでも適当に大声で誤魔化せば、勇者も『俺の力、すげえ!』って信じ込むはずだ!)
完璧な筋書きだった。王道の展開を崩さず、主人公の自尊心を満たしつつ、裏で確実に敵の親玉の戦力を削ぐ。
アルクはプロデューサーとしての完璧な皮算用にほくそ笑みながら、表面上は威厳たっぷりに深く頷き、極小の声でアイリスに応えた。
「……ふむ。悪くない手だ。ならば我は結界を張る振りをしつつ、玉座の間にて隙を見て、其方の瞳越しに我が魔力を叩き込もう」
「ああ……アルク様と私の魔力が混ざり合い、玉座で父を破壊する……なんてゾクゾクする共同作業なのでしょう……♡」
アイリスが恍惚とした吐息を漏らし、彼女の瞳が妖しく輝く。準備は整った。
――そして。
果てしなく続くかと思われた暗き回廊の終点に、巨大な両開きの鋼の扉が姿を現した。
常人の神経であれば、その扉の前に立つだけで発狂してしまいそうなほどの、濃密で絶対的な『死』と『絶望』のオーラが、扉の隙間からドロドロと漏れ出している。
ここが、魔王城の最深部。玉座の間。
「……着いたな」
これから「王道の対話」と「裏工作」が行われる予定であることなど何も知らない勇者が、足を止め、伝説の剣を強く握り直す。
「勇者よ」
アルクは、その恐ろしい竜の巨躯を扉の前に進め、勇者を振り返った。
あとは、勇者が目の前の魔王と対話している間に、舞台の袖からデバフをかけるだけだ。
「我は中立者として、この玉座の間に満ちる不純な魔力を相殺し、外からの邪魔者が一切介入できぬよう絶対の結界を張る。……故に、玉座の主と刃を交えるのは、真に其方一人となる。恐れるな、勇者よ」
威風堂々たる竜王の宣言。純粋な勇者の瞳には、それが「自分を信じて最高の舞台を用意してくれた絶対の信頼」として映っていた。
「ああ、分かってる。アルク、お前が後ろにいてくれるなら……俺は絶対に負けない!」
勇者の迷いのない力強い宣言と共に。
彼は両手で扉の重厚な取っ手を掴み、ありったけの力を込めて、魔王の待つ玉座の扉を勢いよく押し開いた。
ギィィィィィィン……ッ!!
重々しい音と共に、視界が開ける。
広大な玉座の間。その最奥に、圧倒的な闇を纏って鎮座する絶対者。
(よし、扉が開いた! さあ勇者よ、王道主人公らしく『お前を倒して世界を救う!』と熱く語りかけろ! 魔王がそれに答えて長ったらしい悪役の独白を始めた瞬間、俺とアイリスの内部破壊作戦を起動する……!)
アルクが息を呑み、指先に魔力を込めようとした、その時だった。
「魔王! 俺は今日、お前を――」
「……退屈な前口上は不要だ」
勇者の熱き宣戦布告の言葉を、魔王の空気を凍らせるような冷酷な声が、無残に叩き切った。
「え……?」
王道の対話など、そこには一切存在しなかった。
開かれた扉の向こう側。魔王は玉座から立ち上がることもなく、ただ退屈そうに指先を軽く持ち上げた。
一切の詠唱も、魔力の予備動作すらも存在しない。
空間そのものが圧縮されたかのような、純粋で圧倒的な『死の閃光』が、何のタメも前触れもなく放たれたのだ。
それは、最前列に立つ勇者を狙ったものではなかった。
魔王の冷酷なる眼光は、結界を張り終える前の、最も防御力の低い後衛の存在を正確に射抜いていた。
ドゴォォォォォォォォォンッッ!!!!!!
玉座から放たれた極大の破壊魔法は、勇者の真横をすれすれで通り抜け――そのまま、後ろで杖を構えようとしていた魔術師を、完全に呑み込んだ。
「あ――」
魔術師の小さな悲鳴は、轟音に一瞬でかき消された。
光の奔流が通り過ぎた後、そこには血の一滴すら残っていなかった。
石畳がドロドロに溶け落ちた床の上に、ただ一つ、魔術師が持っていた杖の先端だけが、真っ黒な『消し炭』となってカランと音を立てて転がった。
完全なる沈黙。
何が起きたのか、脳が理解するまでに数秒の時間を要した。
魔王は、勇者との対話を楽しむ気など毛頭なかったのだ。ただ冷徹に、勇者の心を根元からへし折るためだけの理不尽な暴力を、事前の挨拶代わりに振るったのである。内部破壊作戦を仕掛ける『隙』など、一秒たりとも存在しなかった。
「……え……?」
勇者が震える声で振り返り、消し炭となった杖の残骸を見つめる。
そして、己の最も大切な仲間の命が、たった今、理不尽にこの世から完全に消し飛ばされたのだという残酷な真実を理解した瞬間。
「嘘だろ……? なぁ、嘘だって言ってくれよ……っ!」
勇者の瞳から、大粒の涙がぼろぼろと溢れ落ちる。
喉の奥から絞り出されたのは、言葉にすらならない、ただ純粋な絶望と喪失の咆哮だった。
「あ……あああああああああああああああああああああっ!!!!!!」
魔王城の最深部に、光の勇者の血を吐くような絶叫が木霊した。
「勇者単独なら勝率五分五分」という厳しい現実に焦るアルク。そこへアイリスが自らの『神の瞳』を使った「内部破壊作戦」を提案!
ノクスのお墨付きも得て、「勇者と魔王が対話している隙に作戦を実行し、バレたら勇者のオーラのせいにしよう」と完璧な皮算用を立てるアルクでしたが……。
いざ玉座の扉を開けた直後、魔王は王道の「対話」を一切拒否! 挨拶代わりの理不尽な先制攻撃により、なんと後衛の魔術師を文字通り「消し炭」に変えてしまいました……!
内部破壊作戦を仕掛ける隙すら与えない、圧倒的で冷酷な魔王の暴力。
大切な仲間を目の前で一瞬にして奪われた勇者の絶叫が響く中、果たしてこの絶望の淵から立ち上がることはできるのか!?




