第32話 地獄の添い寝と、修羅場の目覚め
岩だらけの洞穴で始まった、黒竜アルクとアイリスの24時間添い寝。逃げ場のない「捕食タイム」にアルクの精神は限界を迎えようとしていたが、その時、影の底で眠っていた眷属たちが目覚める。
月明かりさえ届かない、冷たい岩肌が剥き出しの洞穴。
そこには、家具も毛布もない。あるのは、ただ横たわる黒竜の巨体と、その首筋に文字通り「吸い付く」ように密着する特級魔族の女だけだった。
「アルク様……アルク様ぁ……♡」
(……死ぬ。これ、マジで死ぬ。なんで俺の鱗の隙間に指を這わせて、熱烈な求愛ソングをエンドレスで囁かれなきゃならないんだ。岩の冷たさなんて一ミリも感じない……アイリスの体温が熱すぎて、竜の体でも理性が蒸発しそうだ……!)
アイリスの指先が、黒く硬質な鱗の合わせ目をなぞり、その内側の柔らかな皮膚へと迫る。アルクの心拍数は、もはや戦場以上のピークに達していた。
(ノクス! ルミナ! 起きてくれ、頼むから誰か止めてくれ! このままじゃ俺、勇者の勝利を見届ける前に、この距離感バグってる特級隠密に吸い尽くされて干からびちまう!! 助けてくれぇぇぇ!!)
――その時、アルクの影が突如として漆黒の刃と化し、アイリスの首筋へと音もなく迫った。
「……警告。主への無許可の接触を検知。直ちにその手を離しなさい」
「ルミナ、怒ったなの! 主様に何してるなのー!!」
影から浮上したノクスの機械的なまでに冷徹な声と、ルミナの怒声。
ノクスの構えた影の刃が、物理的な殺気と共にアイリスをアルクから引き剥がす。
「……あら、不法侵入かしら? おやすみのところを邪魔するなんて、無粋な眷属たちね」
アイリスは首筋に刃を突きつけられながらも、勝ち誇った笑みを浮かべた。
「主の影は私の基本領域です。エラーを起こしているのは貴女の方でしょう。……それより、主への不適切な干渉は」
「不埒なのはどちらかしら? 私たちは今、夫婦の誓いを深めていたところですわ。アルク様は私の『添い寝』を快く受け入れてくださった……つまり、私が正妻であるという証拠ですわね♡」
「……対象の思考ロジックに深刻なエラーを確認。その発言は、主の尊厳を損なう致命的なバグと認定しました。――これより、対象を物理的に排除します」
「主様はルミナのものなの! ベタベタ魔女はあっち行けなの!!」
洞穴の中は、静かなる殺気と嫉妬が入り混じった泥沼の口喧嘩会場と化した。
アルクは震える翼を畳み、必死に「冷徹な王」の声を絞り出した。
「……ふん。騒々しい。余の巣で醜態を晒すな」
(よ、よかったぁぁぁ!! 助かった……マジで助かった。あと一歩で俺の原型がなくなるところだった……! ありがとう、お前ら! 喧嘩はいいからそのままこいつを遠ざけておいてくれ!!)
アルクは威厳を保つため、巨体を起こして洞穴の奥を睨みつけた。
「口を動かす暇があるなら、体を動かせ。魔王軍が『嘆きの谷』に鉄壁の布陣を敷いたとの情報を得た。勇者が必ず通る道だ」
眷属たちがぴたりと動きを止める。アルクは低く、重厚な声で言い放った。
「奴ら(魔王軍)が勇者を傷つけるなど、万に一つも許さぬ。我らが先回りし、谷の軍勢を……**『おもてなし』**してやるのだ。勇者が鼻歌交じりで攻略できる程度にな」
「……任務を受諾しました。敵の布陣を、勇者のための『おもてなし』の会場へと再構築します。直ちに実行に移ります」
「ルミナ、全部ぶっ壊して、勇者様を応援するなの!」
アイリスもまた、頬を赤らめて溜息を漏らす。
「ああ、やはり私の旦那様は慈悲深い……。勇者を泳がせ、さらなる高みへ至る準備をなさるのですね♡」
(……いや、殲滅はしないぞ? 勇者が『俺の力で倒したぜ!』ってドヤ顔できる程度に、絶妙に弱らせて、罠を解除して、美味しいところだけ残しておくんだからな! 待ってろ勇者、今すぐ最高の接待ステージを作ってやるからな!!)
眷属の復活により、間一髪で「捕食」を免れたアルク。アイリスの「正妻宣言」とノクスの無機質な殺意で修羅場は加速しますが、一行は勇者のため、魔王軍が守る『嘆きの谷』へ。アルク流の「過剰なおもてなし」が幕を開けます!




