第31話 黒竜の帰還と、狂愛の密室契約
勇者が眠る中、アイリスは魔王へ定期報告に向かう。安息を求め黒竜となって己の「巣」へ逃げ帰ったアルクだったが、そこで待ち受けていたのは逃げ場のない「捕食の契約」だった。
鬼との激闘を終え、村の宿屋。
勇者がベッドに入るなり泥のように眠り、壁の向こうから呑気ないびきが響き始めたのを合図に、アイリスがアルクの部屋の扉を音もなく開けた。
月光に照らされた彼女は、魔王軍特級隠密としての冷徹な美しさを纏っている。
「アルク様。……お父様への定期報告、済ませてまいりますわ」
その声は氷細工のように澄んでいるが、向けられた瞳には隠しきれない熱が混ざっている。アルクは重厚な鎧の奥で、生きた心地もしないまま「冷徹な威厳」を絞り出した。
「……ふん。直ちにゆけ。怠るなよ」
(……ふぅ。そうだ、仕事なら仕方ない。頼むから時間をかけて、丁寧に報告してきてくれ。その間だけが、俺があいつの視線から解放される唯一の安らぎなんだからな……)
(ノクスもルミナも今は勇者のバックアップでスリープモードか。静かなのはいいが……。今のうちに俺の「巣」まで全速力で帰らせてもらうぞ)
一刻も早く独りになりたいと願うアルク。しかし、アイリスは音もなく距離を詰め、潤んだ瞳で囁く。
「……本当は、一刻も離れたくありませんのに。戻ってきたら、たっぷり『補給』させてくださいましね……っ♡」
耳元に残された熱い吐息と共に、彼女は漆黒の転移陣へと消えていった。
(…………『補給』って何だよ。怖い、マジで怖い。……今のうちに、宿屋なんて人の気配がする場所からおさらばだ……!!)
アルクは宿屋の窓から夜闇へと身を躍らせた。
漆黒の魔力を爆発させると、その姿は夜天を切り裂く**「黒竜」**へと変貌する。巨大な翼を広げ、フルスピードで空を翔けた。目指すは、あの断崖絶壁にある、彼だけの荒々しい「巣」だ。
辿り着いた薄暗い洞穴へと転がり込むと、家具一つない冷たい岩場に、巨体を横たえる。
(……ようやく独りだ。岩が冷たいが、ここなら誰にも邪魔されずに眠れる。……おやすみ、俺の平穏……)
その頃、魔王城・玉座の間。
禍々しい魔力が渦巻く空間で、魔王は帰還した娘を厳しい眼差しで見下ろしていた。
「アイリスよ。あの暗黒騎士の正体、しかと見極めたのであろうな? 奴こそが、我が覇道を阻む不確定要素か」
アイリスは報告を始めた。だが、その瞳は異様な熱を帯び、頬が上気していく。
「……ええ、お父様。あの方はただの無害なモブ。鬼を屠ったのは勇者の奥義。あの方はただ、隣でガタガタと震えていただけ……ああ、でも!」
冷静なスパイの仮面が、音を立てて砕け散った。
「その震える姿から溢れ出る、あの濃厚な魔力の芳香! あれを浴びた瞬間、私の本能がドロドロに溶け、生殖本能が悲鳴を上げて『この御方の伴侶となれ』と命じるのです! ああ、アルク様……! 今すぐあの方の巣に押し入り、あの甘い魔力で私を窒息させてほしい……ッ!!」
「ア、アイリス!? 落ち着け! 何を口走っているのだ!」
「報告ですわ! あの方はただのモブですが、私の運命の伴侶! お父様、早く私とあの方の挙式の準備を!!」
玉座の間は、発狂寸前の王女と、娘の異変に狼狽する魔王の阿鼻叫喚でカオスと化した。魔王はげっそりと疲れ果て、低く断じた。
「……ええい、話にならん! だが、奴がこのまま成長し、真の姿……【竜王】に近づく一歩を踏み出してみろ。それは逃れられぬ確実な事実。あの男がその力を得れば、我が軍にとって無視できぬ脅威となる……。アイリス、かの男が覚醒などという凶事を起こさぬよう、死力を尽くして監視を続けるのだ!」
(アルク様が、竜王へと近づく……。さらなる魔力の増大……。ああ、もう耐えられませんわ……っ!)
アルクの「巣」。
岩の冷たさに安らぎ、ようやく意識が遠のきかけたその瞬間、空間が歪み、暴力的なまでの魔力が吹き荒れた。
「アルク様ぁ……戻りましたわぁ……っ♡」
(……嘘だろ。まだ十分も経ってない。黒竜の速さで逃げたのに、なんで居場所がバレてるんだよ! つーかなんだその顔……。うわ、岩場に這い寄ってきた!? 寄るな、匂いを嗅ぐな!!)
アイリスは、冷たい岩肌に横たわるアルクの首筋に顔を埋め、彼の魔力を吸い込みながら熱い吐息を漏らす。
「アルク様……聞き出しましたわ。貴方がさらに変革し、**『竜王に近づく』**という確実な事実を。……ああ、その時の貴方を想像するだけで、私……身体が熱くて、もう……っ」
(……やはりそうか。あいつ(勇者)を勝たせるためなら、竜王になることも仕方ないとは思っているが……! なんだってアイリスはこんなに興奮してるんだ!? ただでさえこの女には殺されそうな気配を感じるのに、これ以上変なスイッチが入ったら、勇者が勝つ前に俺の命がアイリスに吸い尽くされちまうじゃねーか!!)
アイリスは、獲物を追い詰めた肉食獣のような瞳で宣告した。
「この重要情報の対価として……明日丸一日、このアルク様の『巣』で、私と添い寝をしていただきますわ♡」
(……は? 添い寝? ……待て、ベッドもないこんな冷たい岩場で、この発情した特級魔族と丸一日!? それ、添い寝じゃなくて『捕食』って言うんだよ! 誰も助けに来られないこの場所で、俺、明日で原型留めてないんじゃねーか!?)
逃げ場のないアルクは、血の涙をこらえ、冷徹な仮面を被り直して言い放った。
「……ふん。余の『巣』に招くというのか。面白い、その覚悟……受け取ってやろう」
(言っちゃったぁぁぁ!! 勇者のためだ……。あいつの勝利に繋がる情報が手に入るなら、俺の一日くらいくれてやる……。……明日、無事でいてくれよ、俺の心臓……!!)
勇者の勝利のため「竜王」への進化を覚悟したアルク。しかしその代償は、理性を捨てたアイリスとの24時間密室添い寝でした。果たしてアルクは、無事に朝を迎えられるのか!?




