第23話 神々しきルームランナー
強制進化により『空間の支配者』となったアルク。
しかし、その強大すぎる力は、彼の日常の「距離感」すらもバグらせていた。
進化の眠りから覚めた翌朝。雪山の麓にある宿屋の食堂で、アルクは密かに冷や汗を流していた。
(……やばい。マウスの感度が高すぎる……)
アルクはテーブルの向こう側にある「塩の小瓶」を見つめながら、己の手を震わせていた。
先ほど、何気なく塩を取ろうと手を伸ばした時のことだ。彼の主観では「普通に腕を伸ばした」だけだったのに、星の質量を持つ『竜核』が日常の動作にまで過剰反応してしまった。
結果、空間そのものが勝手に折り畳まれ、アルクの手は小瓶の元へ『瞬間移動』してしまったのだ。
「すげぇ……今の、無詠唱の『空間転移』か!? 塩を取るためだけに高等魔法を使うなんて、アルク、お前どんだけ魔力操作が精密なんだよ……!」
向かいの席で朝食をとっていた勇者が、目を輝かせて感動している。
「……朝から塩一つ取るために空間魔法って。相変わらず無駄に規格外ね……」
隣に座る魔術師が、呆れたように深い溜息をついた。
(……違う。俺は普通に取ろうとしただけなんだが……。カーソルが吹っ飛んでるんだよ。これじゃ、うかつにコップも握れないぞ……)
圧倒的な力を持て余し、静かに胃痛に耐えながら、アルクは「……フン。造作もない」とクールを装うしかなかった。
――数時間後。
宿を立ち、雪山を下る勇者一行の前に、予期せぬ脅威が立ち塞がった。
(……主。前方50メートル。昨夜の魔王軍・暗殺部隊の生き残りが一匹、接近してきます)
「(……生き残りがいたのか)」
(はい。しかし、昨夜のルミナの放った竜の瘴気にあてられ、すでに理性を完全に喪失しています。死狂い(狂戦士)と化し、衝動のみでこちらへ突進してきます)
「アアアァァァァァッ!!」
ノクスの報告と同時に、猛吹雪の向こうから、血走った目をした暗殺者が猛烈なスピードで駆け出してきた。両手に持った短剣を振り回し、一直線に勇者の首を狙っている。
「敵襲ッ!?」
勇者が剣を抜こうとするが、狂戦士の突進スピードが異常に速い。
(うわっ、速い速い速い! 俺の反射神経じゃ絶対に対処できない! ノクス、オートガード頼む!!)
アルクは内心で完全にパニックになり、戦闘をシステム(ノクス)に丸投げしようとした。
しかし、咄嗟の恐怖から素人の悲しい性で体が勝手に反応し、思わず勇者を庇うように一歩前へ出てしまう。
「……そこまでだ」
ただビビって制止しただけの声を上げ、アルクは剣を抜く余裕もなく、素人が顔を庇うように不格好に両腕を前に突き出した。
――しかし。そのアルクの「対象を遠ざけたい、怖い」という素人丸出しの逃避の意思に、バグレベルの竜核が再び直結してしまった。
ピシィィィッ! という、ガラスにヒビが入るような音が虚空に響く。
次の瞬間、アルクと狂戦士の間に存在する「空間(距離)」が、強制的に無限ループするように引き伸ばされた。
「アアァァ……ァァ、ァ?」
狂戦士は全力疾走している。雪を蹴り立て、ものすごい勢いで腕を振っている。
だが、アルクとの距離が『5メートル』から一生縮まらないのだ。
周りから見れば、狂戦士が見えないルームランナーの上に乗せられ、同じ場所で猛ダッシュし続けているという、極めてシュールな光景だった。
(……なんだこれ。あいつ、あそこでずっと足踏みしてるぞ……。完全に距離の計算バグってるじゃないか……怖っ……)
アルクが内心で引いていると、脳内でルミナが大はしゃぎし始めた。
『主様すごいのー! 悪いやつがハムスターみたいに走ってるなの! ルミナも主様の魔法を盛り上げるなのー!』
カッ!!
ルミナが有り余る無限の魔力をここぞとばかりに無駄遣いし、上空の虚空から、神々しい光の柱を発生させた。
見えないルームランナーで必死に走り続ける狂戦士の姿が、吹雪の中でドラマチックに照らし出される。ご丁寧に、キラキラとした聖なる光の粒子まで舞い散っていた。
(……おい、ルミナ。なんであいつにスポットライトを当ててるんだ。魔力が無限だからって、無駄なエフェクトを盛るな……。吹雪の中で完全にステージ上のダンサーじゃないか。頭が痛くなってきた……)
アルクが静かに絶望していると、後ろにいた勇者が息を呑んだ。
「ただ両手を前にかざしただけで、敵を完全にその場に固定する空間魔法……。おまけに、吹雪の中でも俺が絶対に狙いを外さないように、あんな神々しい光で『標的』を照らし出してくれるなんて……!」
勇者は剣を強く握り直し、アルクの背中を見て深く頷いた。
「アルク、お前の完璧なアシスト、無駄にはしないぜ……ッ!!」
「(……えっ? あ、うん。……よし、やれ)」
アルクが適当に頷くと、勇者は光に照らされて足踏みし続ける狂戦士の懐へ、一気に踏み込んだ。
空間がバグって前に進めない狂戦士は、ただの動く的でしかない。
「ハアァァァッ!!」
勇者の放った渾身の斬撃が、光の粒子ごと狂戦士を一刀両断した。
断末魔を上げる間もなく、暗殺部隊の最後の生き残りは雪原へと崩れ落ち、完全に沈黙した。
「ふぅ……。助かったぜ、アルク。お前が敵の動きを封じて、光で狙いをつけてくれなかったら、危ないところだった」
剣を納めた勇者が、爽やかな笑顔で振り返る。その後ろから、魔術師がパタパタとローブの雪を払いながら歩み寄り、やれやれと深い溜息を吐いた。
「まったく……敵の動きを封じるのはいいけど、わざわざあんな舞台みたいな後光を当てる必要あったの? 趣味が悪いというか、大袈裟すぎるのよ、あなたは……」
「(……俺だってそう思うよ。ルミナが勝手にやったんだ……)」
魔術師のジト目に、アルクは内心で泣きそうになりながら同意した。
「……ま、おかげでこっちは援護の手間が省けたけどね。一応、感謝くらいはしておくわ」
「(……どういたしまして……)」
『えへへー! 勇者さんと魔術師さんにも褒められたなの! 主様とルミナの完璧な連携プレイだったなのー!』
「(……お前は気楽でいいな……)」
アルクは、ドヤ顔のルミナと、全幅の信頼を寄せてくる勇者、そして呆れながらも認めてくれた魔術師を前に、深く、深く息を吐いた。
「……フン。貴様の剣のサビにしてはやったまでだ。行くぞ」
クールな台詞でその場を締めくくりつつ、アルクはこっそりと自分の胃のあたりを押さえた。
『空間の支配者』という絶対的な力を手に入れても、彼が平穏な日常を取り戻す道のりは、まだまだ遠そうだった。
「空間バグ(ビビって顔を庇っただけ)」と「無駄な光の演出」が奇跡の噛み合いを見せ、勇者への「完璧なアシスト」へと変換されました。
魔術師の呆れ交じりの溜息と、静かに胃を痛める主をよそに、眷属と勇者パーティの連携は今日も深まっています。




