第19話 偽装工作
勇者が伝説の防具を手にしたことで始まった、アルクの強制進化。意識を失った主の肉体を内側から掌握した眷属ノクスは、荒れ狂う猛吹雪の中、一歩ずつ下山を続けます。そこに現れたのは、魔王軍の監視の目。絶体絶命の偽装工作が始まります。
視界を塗り潰すのは、荒れ狂う白銀の暴力だった。
吹き荒れる雪は礫のように黒い鎧を叩き、逃げ場のない極寒が世界を凍てつかせている。普通の人間ならば数分と保たずに命を散らすであろう死の雪山。その中を、重厚な鎧を纏った男が、一歩、また一歩と正確すぎる足取りで進んでいた。
その男――アルクの肉体は、今、彼自身の意識によって動かされているのではない。
(……足首の踏み込み、魔力にて補正。重心の偏りを調整。歩行を継続します。……しかし、魔力回路の負荷が限界を越えつつあります。これ以上の人型擬態の維持は、再構築中の肉体に回復不能な損傷を与える危険性があります)
肉体の内側、魔力回路の深淵に居座るノクスは、主の脳から発信される信号を完全に遮断し、自らが代わりの「中枢」となって全身を制御していた。
本来、勇者の前ではどんな強撃も防ぎ切る無敵の『盾』として顕現する彼女だが、主が意識を失った今、この肉体はノクスにとって精密な「器」であり、絶対に守り抜かねばならない「聖域」となっていた。
(……主の安全を最優先とします。擬態を解除し、真の姿である竜王へと移行。空からの最短ルートでの離脱を推奨します)
『ノクスー! 主様の体の内側が、もうパンパンなのー! 早く大きなドラゴンに戻してあげてなのー!』
脳内に、弾けるようなルミナの声が響く。本来は敵を切り裂く『剣』として光を放つ彼女は、今は実体化を解き、主の精神世界の境界で、溢れ出る進化の魔力を必死に抑え込んでいた。
(……了解。これより擬態を解除し、真体へ……っ。待ちなさい、ルミナ)
『どうしたなのー!?』
(……魔力の乱れを確認。この吹雪の裏側に潜む、魔王軍の『影』の気配です。……ここで竜の姿を晒せば、主のこれまでの偽装がすべて無に帰します。擬態の解除を中止。……現状の人型を維持します)
ノクスは即座に決断した。本当なら一刻も早くドラゴンの姿に戻ってこの地を離れたい。だが、正体が露見すれば、主が命懸けで築き上げてきた二重スパイとしての盤面が崩壊する。
ノクスは再び、溢れ出す膨大なエネルギーを「人間の器」の中へと強引に押し込み、雪を踏みしめた。
(……形状定義、再固定。人型の維持に全魔力を転用。……来ました)
猛吹雪のカーテンを割り、ヌルリとした影が雪原に染み出すように現れた。
それは魔王直属の「影の使者」だった。実体のない不気味な姿をしたそれは、アルクの姿を視認した瞬間、その場に平伏するように深く屈み込んだ。魂の底からの畏怖が、その震える影から伝わってくる。
「……おお、……なんという……。此処におられましたか、偉大なる存在よ」
使者の声は、猛吹雪の中でもはっきりと響いた。
「……貴方様が祠を脱出された後、魔力反応が一時的に消失したため、陛下も肝を冷やしておりました。ですが……この荒れ狂う吹雪さえも服従させるような、圧倒的な威圧感。進化の儀式は、既に最終段階に入っておられると見える」
(……違います。主はただ、限界を越えて寝ているだけです。ですが、肯定しなければなりません)
ノクスは主の声帯を調整し、肺に溜めた空気を一定の圧力で押し出す。感情を完全に排しつつ、アルクが持つ特有の「重圧」を再現して、肉体の口を開かせた。
「……控えよ。……我が沈黙を、不覚と捉えたか」
「め、滅相もございません! ですが、偉大なる存在よ……何故、真の姿となって羽ばたかれぬのですか? 貴方様の御力ならば、一瞬で魔王領へ帰還されることも可能でしょうに……」
影の使者が、もっともな疑問を口にする。ノクスは主の記憶を瞬時に辿り、最も「それらしい」屁理屈を構築した。
「……愚かな。空間の理を捻じ曲げるのも、翼で風を斬るのも、今の我には雑音に過ぎぬ。……我は今、この地の底を流れる地脈の拍動を、我が新たな鼓動へと編み込んでいるのだ。一歩進むごとに、世界そのものが我が皮膜へと溶け込んでゆく。……貴様ごときには理解できぬ、超越者の歩みだ」
「……ははっ! なんという……なんと深遠な儀式! 貴方様は歩むだけで世界を統べておられるというのですか! 無知なる問い、伏してお詫び申し上げます!」
使者は地に額を擦り付ける。ノクスの苦し紛れのハッタリは、相手の勝手な勘違いによって、より高みにあるものとして解釈されていた。
(……本題に入ります。……勇者の処遇についてです)
「……陛下は何と言っている。……祠での出来事は、既に知っているはずだが」
「はっ……。陛下は、勇者が聖銀の胸当てを手に入れたことを極めて重く受け止めておられます。陛下のお言葉を、そのままお伝えいたします。『餌は既に獲物の口に入った。今こそ、あの若造の命を刈り取り、その魂ごと聖銀を回収せよ。直ちに全軍を差し向け、勇者を蹂躙せよ』……と」
脳内で、ルミナが悲鳴を上げた。
『ノクス! 大変なのー! 勇者さんたちが危ないなのー! でも攻撃を止めたら、主様が裏切り者だって疑われちゃうなのー!』
(……理解しています。……ですが、我々に『拒否』という選択肢はありません。これより、高度な情報戦を開始します)
ノクスは、アルクならこの状況でどう答えるかを推論した。
「……フン。陛下は相変わらず気が早いな。……獲物が肥えたからと、熟す前に食うのは三流の猟師がすることだ」
「……と、仰いますと?」
「……あの聖銀は、まだ泥にまみれている。勇者という低俗な魂に触れたばかりで、その真価が器と融合しきっておらんのだ。……今、勇者を殺せば、聖銀はただの銀塊に成り下がる。それでは、我が進化の糧としては……不足だ」
ノクスはアルクの肉体を使って、冷酷な笑みを浮かべて見せた。
「……勇者を泳がせよ。あの防具が勇者の魂を吸い尽くし、究極の果実へと実った瞬間――それを我が喰らうことで、真の完成を見る。……陛下にはこう伝えよ。『熟成を待て。最高の一撃は、最高の瞬間にこそ価値がある』とな」
勇者を守りたいという主の真の意図を隠し、あたかも「自分がより強くなるために、あえて勇者を成長させている」という、魔王軍側にも納得感のある見返りを提示したのだ。
「……おお! 流石は偉大なる存在! 陛下も、貴方様がそこまでの計画を立てておられると知れば、必ずや合点されることでしょう!」
使者が感銘を受けたように声を震わせる。だが、その時だった。
ドクンッ!!
主の肉体の深層で、制御しきれない進化の拍動が爆発した。鎧の隙間から、眩い青白い光が溢れ出し、周囲の雪を瞬時に蒸発させる。
(……魔力圧の急上昇! 形状維持に全力を投入! ……駄目です、発光が抑えられない……!)
「グ、ギギ……ッ」
主の喉から、人外の軋み音が漏れる。使者が驚愕に目を見開いた。
「こ、これは……!? 偉大なる存在よ、その光は一体――」
『ノクス! 今こそルミナの出番なのー! 全部キラキラで誤魔化しちゃうなのー!!』
ルミナが主の周囲の光の屈折率をド派手に改ざんした。漏れ出した異常な光は、虹色の後光と、見る者を跪かせるような神々しい魔圧のオーラへと変換される。
「……お、おおっ……! これは……なんと……!」
使者はその神々しさに気圧され、再び地面に伏した。
「……失礼いたしました! 進化の儀式の最中に、これほどの御力を見せつけられるとは! 今の貴方様に近付くことさえ、我らには許されぬ大不敬……! すべては……貴方様の計画通りに! 陛下には、私から責任を持って具申いたします!」
使者は、主の肉体の「歪み」を「超越的な予兆」だと完全に勘違いした。彼は恐怖と歓喜に震えながら、雪原の闇へと消えていった。
……影が完全に消失したことを確認すると、ノクスは主の肉体の緊張を解き、膝を突きそうになるのをすんでのところで踏みとどまった。
(……ふう。……撤退を確認。……魔力の残量が底を尽きかけています。危機的状況です)
『ノクス! お疲れ様なのー! ハラハラしたけど、ルミナのキラキラ、完璧だったなのー!?』
(……ええ。過剰演出でしたが、結果として懐疑心を粉砕できたのは評価します。……ですがルミナ、後光に虹色を混ぜるのは品がありません。彩度が強すぎます)
『えー! 綺麗だったなのー! 剣と盾の最強コンビだったなのー!』
ノクスは主の肉体を再び立ち上がらせた。進化の熱量は依然として高いが、最悪の山場は越えた。魔王軍の攻撃を「熟成」という言葉で先延ばしにし、主の肉体もしばらくは人型を保てるだろう。
(……下山を再開します。……主が目覚めるまで、この嘘を維持し続けなければなりません)
『そうなのー! ルミナたちが、主様の居場所を守るなのー!』
猛吹雪の中、感情のない瞳をした代行者は、再び重い足取りで歩み始めた。
中身は空っぽ。だがその足取りには、主から託された平穏という名の、重い覚悟が宿っていた。
第19話、眷属コンビによる綱渡りの「代行劇」を描き切りました。
普段は勇者の剣と盾として振る舞う二人が、裏では主を護るために必死に連携する様子を楽しんでいただければ幸いです。
主が眠り続ける孤独な下山。次なる難関は、果たして何が待ち受けているのか。
引き続きよろしくお願いします!




