第16話 デバッグ作業
魔王との謁見を(精神的に)生き延びたアルク。
不気味な見送りを受け、舞台は極寒の「雪山」へ。
自身の進化フラグを立てるべく、アルクが動きます。
玉座の間を辞し、巨大な黒曜石の廊下を歩く。
背中を伝う汗が冷たい。鎧の中で肌が粟立っているのが自分でもわかった。
(……生きてる。俺、まだ生きてるよな? 首、繋がってるよな?)
内心では膝をガクガクと震わせ、今すぐにでもその場にへたり込んで「もう勘弁してください」と泣き喚きたい気分だった。だが、背後には魔王の側近や衛兵たちの視線がある。ここで隙を見せれば、魔王が下した「観測」という寛大な処置がいつ「処分」に切り替わるかわからない。
アルク――いや、魔王軍にとっての「偉大なる存在」は、一歩一歩に威厳を込め、地響きを立てぬよう、それでいて重厚に床を踏みしめて歩いた。
城の巨大な正門に辿り着くと、そこには行きに俺を連行したあの巨大な鬼――強制執行官が、彫像のように直立して待っていた。
(またこいつか……。頼むから、もう何も言わずに通してくれ)
祈るような気持ちで門へ向かう。鬼の圧は相変わらず凄まじく、横を通り過ぎるだけで視界が歪みそうだ。
俺がその脇を通り抜けようとした、その時。
巨大な鬼が、音もなくスッと動いた。
そして、完璧な所作で腰を折り、執事かメイドのような美しい角度で深く一礼した。
「いってらっしゃいませ。我らが主の、古き盟友よ。貴方様の歩みが、常に魔王様の望む通りのものでありますよう」
(………………は?)
俺の足が、思わず止まりそうになる。
「いってらっしゃいませ」だと? その筋骨隆々の巨体で? 殺気すら孕んだ魔力を放ちながら、言っていることは完全に「お屋敷のメイド」のそれだ。
(なにそのメイド感覚!? お見送りのノリがおかしいだろ! 冥土の可能性ってノクスが言ってたのは、接客業的な意味も含まれてたのかよ!)
振り返り、威圧的な視線を鬼に向ける。もちろん、中身はパニックだ。
ここで「ありがとう」なんて言えるはずもない。かといって、二重スパイである以上、敵意を見せるのは自殺行為だ。
「……フン」
鼻を鳴らし、短く吐き捨てる。
「……精々、其方の主を退屈させぬよう、励むがいい」
精一杯の「それっぽいセリフ」だった。魔王に逆らうわけではなく、かといって媚びるわけでもない。観測者としての高慢な態度。
鬼は顔を上げ、どこか嬉しそうに目を細めた。
「はっ。そのお言葉、しかと魔王様にお伝えしておきましょう」
(……伝えないでいいよ! 冗談だよ! 忘れてくれよ!)
心の中で絶叫しながら、俺は空間に開いたポータルへと足を踏み入れた。
⸻
視界が暗転し、次の瞬間には冷たい土と、嗅ぎ慣れた瘴気の匂いが鼻を突いた。
自分の巣だ。
「……ぷはっ! 死ぬかと思ったあああああ!!」
周囲に誰もいないことを確認した瞬間、俺は人間の擬態を解き、ドラゴンの姿で地面に転がった。
「無理無理無理! 魔王城、ブラック企業どころの騒ぎじゃないだろ! 全員の圧が強すぎて、寿命が三百年は縮まったぞ!」
「主様ー! おかえりなのー! 冥土の鬼さん、面白かったのー!」
ルミナが実体化し、俺の巨大な頭の上でぴょんぴょんと跳ねる。
「……帰還を確認。精神的摩耗、著しいと推測。……解析データの整理を開始」
ノクスは淡々と、しかし素早く俺の脳内に魔王城の内部構造を投影していく。
(……助かるよ、ノクス。でも今は、少しだけこの静寂を味わわせてくれ……)
そう思ったのも束の間、岩陰から気配がした。
いつもの「観測員」だ。相変わらず、影の中に溶け込むような目立たない立ち姿。
「……ご無事で何よりです、偉大なる存在よ。魔王城での謁見、滞りなく済んだと報告を受けております」
(お前、相変わらず現れるのが早いな……。でも、お前のその『冴えない中間管理職』みたいなオーラ、今は一番落ち着くわ)
「……魔王は、我を繋ぎ止めようとした」
俺は威厳を絞り出し、ゆっくりと体を起こす。
「……だが、我は我の道を行く。……して、現在の勇者の動きはどうなっている」
観測員は一礼し、懐から羊皮紙を取り出した。
「はい。勇者一行は北の宿場町にて装備の修理を行っております。……ですが、彼らが次に向かうであろう『雪山の祠』については、少々懸念が。あそこには、古の勇者が残したとされる武具の欠片――『聖銀の胸当て』が眠っていますから」
(……聖銀の胸当て! 間違いない、勇者の最終装備に繋がる重要アイテムだ。そして、俺の進化フラグ!)
魔王の言葉が頭をよぎる。勇者が最終装備を揃えた時、俺もまた真の竜王に至る。
つまり、この雪山イベントを失敗させるわけにはいかないのだ。
「……詳しく話せ」
「あそこの祠は、現在、異常な魔力低下により封印が不安定になっています。結果として、周囲には狂暴化したモンスターが集まり、密集地帯と化しているのです。今の勇者たちの実力では、祠に辿り着く前に群れに飲み込まれる可能性が高いかと」
(なるほど。つまり、俺が先に現地へ行って、モンスターの数を調整しなきゃならないわけか。……完全に、見えないお膳立て(デバッグ作業)じゃねーか)
「魔王様からは、貴方様がこの件に関与されるのであれば、我々に一切の干渉を禁じるとの命を受けております。……私個人としても、貴方様にはぜひ、不完全な状態を脱していただきたいと願っておりますので」
観測員の目が、一瞬だけ真剣な光を帯びた。
こいつ、本当に俺を「元竜王」として敬っているというか、過保護なんだよな。
「……承知した。我が行く。……奴らの露払いくらいはしてやろう」
「感謝いたします。祠への最短経路、および要注意個体の配置データをこちらに。……どうか、御身を大切に」
(……だから過保護かよ!! ありがとうな!)
⸻
数刻後。
俺は再び人間の鎧を纏い、雪山の麓へと立っていた。
上空からは吹き付けるような雪。視界は最悪だ。
「ゆきー! 真っ白なのー! 主様、これ全部お砂糖だったらいいのにー!」
(……ルミナ、食うなよ。あと、騒ぐと雪崩が起きるからマジで静かにしろ)
「……周囲、警戒。モンスターの密度、通常時の三倍と算出。……祠の入り口に、特異個体の反応あり」
(よし、行くぞ。勇者が来る前に、ここの『難易度調整』を終わらせる)
俺は「見えない線」を意識する。
今の俺は不完全だ。魔王の言う通り、糸は細い。だが、それゆえに繊細な操作ができる。
岩陰に潜む、飢えた雪狼の群れ。
本来なら勇者たちを不意打ちするはずのそれらを、俺は「線」で誘導し、わざと崖下へ一匹ずつ滑り落ちるように調整していく。
(……はい、こっちはこれでよし。……お、あっちのゴーレムは少し威圧して、祠の裏手に下げさせておくか)
戦うのではない。あくまで「誘導」と「配置変更」。
勇者が「ギリギリ勝てる」レベルの、手に汗握るバランスに調整していく。
(……正直、これめっちゃ楽しいんだけど。神の視点でゲームバランス弄ってる気分だわ)
だが、冷たい風が頬を叩くたび、現実の恐怖が戻ってくる。
(いや、でも怖いもんは怖い! モンスターの顔、近くで見るとマジでグロいし! 寒いし! 滑って転んだら恥ずかしいし!)
「主様ー! あっちに大きいのいるのー! あれも動かすのー?」
「……個体識別:フロストジャイアント。危険度、Aマイナス。……勇者パーティには荷が重いと判断。……排除を推奨」
(排除……。よし、ノクス。力を貸せ)
「……了解。空間干渉、出力を一点に集中」
俺は指先を、雪の奥で眠る巨像に向けた。
「線」が伸び、巨像の足を絡め取る。そのまま、誰も見ていない場所で、静かに、だが確実に。
雪山を整えながら、俺は遠くの空を見上げた。
あっちには、まだ「アルク」をただの仲間だと信じている、あの熱血な勇者たちがいるはずだ。
(待ってろよ、アルク……。いや、俺か。待ってろよ、勇者。最高の冒険(接待)を用意してやるからな!)
内心のワクワクを、凍てつく鎧の奥に隠し。
「偉大なる存在」は、孤独に雪山を削り続けた。
読んでいただきありがとうございます。
魔王軍の情報網を駆使し、雪山の「デバッグ作業」に入るアルク。
勇者のために、今回も全力(裏方)でお膳立てをこなします。




