九死に一生
獣はまさに俺の頭を噛み砕かんと大きく開いていた口を閉じ、首を横に巡らせた。
獣に釣られ、横を向くと、そこにはーー
「……お前、何で戻って来たんだよ……」
「……ごめんね、逃げろって言われたのに戻って来ちゃって……」
ユリアは少し申し訳なさそうな顔をした後、小さく笑みを浮かべるも、その声は震えていた。
「……何してんだよ……早く……逃げろよ……」
獣は彼女の方へ少しずつ近付いていく。体は依然動かす事は出来ず、俺は彼女が無惨に喰い散らかされるのをただ見ているだけしかできなかった。
獣は雄叫びを上げ、彼女に向かって飛び掛った。もう終わりだ。ここで二人とも死ぬのだろう。俺が非力なばかりに。
「……ごめんね、だけども君は私の大事な人を傷付けたから……」
彼女はそう呟き、右手を獣の方へ向け、唱えた。
「暴虐阻む守護の盾」
すると彼女の右手を中心に、紫色に輝く魔法陣が現れ、獣が彼女に喰らいつくのを阻んでいた。
「……こんな事はしたくないよ、でもそうしないと君は止まってくれないでしょう?……だからせめて、安らかに送ってあげる……」
獣は魔法陣に阻まれて尚、彼女を喰らおうと暴れるも、彼女は微動だにせず、魔法陣を展開する右手に左手を添えた。
「眠るような極上の死を」
彼女がそう唱えると、獣を包み込むように魔法陣から光が放たれた。獣は糸の切れたマリオネットが如くその場に崩れ落ち、動かなくなった。
「……あー……生きてる……俺生きてる……」
「……ライル……大丈夫?……」
「いやー、やばいかも、体中痛いし動けないや……ははっ、だせえな……」
仰向けのまま空を仰いでいると、ユリアが不安げな顔をして座り込み、俺の顔を覗き込んでいた。
「……無茶するんだから……」
「いや、あそこで怖気付いて逃げ出したらカッコ悪……あー、今もカッコ悪いよな……」
汗だくになり、顔も泣き腫らし、服も所々が裂けていたり、破れていたりと無様なんてものではなかった。
腕で顔を隠そうとするも、ユリアに腕を掴まれ、阻まれる。
「……何だよ……」
「そうやってすぐ強がるんだから。 ほら、傷見せて、治すから」
どうやら俺に抵抗する権利はないらしい。彼女に支えられ、上体を起こし、上着とシャツを脱ぐと、あちこちに切り傷や痣が出来ていた。
「ほら〜こんなにあちこち傷だらけになってるじゃん……ほんとに死んじゃうんじゃないかって思っちゃったでしょ……」
「……悪い……」
ばつが悪くなり、明後日の方を向く。夜風がやけに身に染みる。
「本当に簡単な手当てくらいにしかならないけど、治しておくね」
「治すって、包帯くらいしか持ってないぞ?」
「いいから、大人しくしてて」
彼女はそう言うと、俺の腕にできた傷の上に手を添え小さな魔法陣を展開した。先程とは違い、展開された魔法陣の色は緑色で、そこから溢れる光は柔らかく、見ているだけで癒されるようであった。
「……傷が……」
「どう? 少しはマシになってきた?」
「……あぁ、少なくとも屋敷までは戻れるかな。 助かったよ、ありがと」
彼女が手を添えた場所にあった傷や痣は消え、体の痛みも幾分かマシに思えるほどに引いていた。
彼女が魔女たる所以をまじまじと見せつけられ、内心では動揺していた。
「……ははっ、夢みたいだ……」
「そうかな?」
「夢みたいな光景見せられてその後化け物と闘って死にかけて、手を添えるだけで傷を治されて。色々あり過ぎてこれが現実だなんて思えねえよ」
だが夢ではないのだろう。獣の脇腹に突きを当てた時のあの妙に生々しい感覚といい、今まさに俺の全身にまとわりつくこの痛みと、所々が破れた服が、今さっきまで起きていたそれを現実なのだと物語っていた。
そして唐突に、ある事を忘れていたのを思い出した。
「なあ、そういえばジュリアンはどうしたんだ?」
「えっと……さっきのびちゃってたお屋敷の人?」
「そうそう、あのやたら口の悪いあいつ」
ジュリアンの行方を尋ねると、ユリアは首を傾げ、考え込んだ後、あっと声を上げて手を打った。
「それがね、さっきライルを助けに戻った時に置いてきちゃった……」
「……でーすよねー、なんかわかってましたー……」
「あははー……あははは……」
二人して乾いた笑い声を上げ、苦笑いをする。しばらくすると辺りから虫の鳴き声が聴こえ、さっきまでの殺伐とした雰囲気はなかった。
「それにしても、あいつ何でこんな所に……」
「うーん、何でなんだろうね」
話は再びジュリアンに関する話題に戻るも、疑問は募るばかりだった。
俺が屋敷を出て、ユリアの元へ向かった時、ジュリアンは屋敷の扉を閉じていた。あの後俺の跡をつけて小屋まで来たのだろうか。そしてその道中であの大狼に遭遇し、小屋に辿り着く直前で吹き飛ばされたのだろう。
もしジュリアンが俺の跡をつけず、かつ俺がそのままユリアと別れ、屋敷に戻るまでの帰路で大狼に遭遇していたらーー
「……あいつがいて助かったわ……」
「どうかしたの?」
「いや、何でもないよ」
ゆっくりと立ち上がり、大きく伸びをする。案の定ダメージはまだ残っており、節々が痛んだ。
「うーん……まだ痛えなぁ……」
「今日無理に屋敷に戻らなくてもいいんじゃないかな? さっきのだってあったんだし……」
「いや、多分その話をしても誰も信用してくれないだろうし、色々面倒だから屋敷に戻るよ」
「そっか、うん、気を付けてね」
「それじゃ、また明日来るよ」
小屋に戻り、持ってきた小鍋などをまとめ、屋敷に帰る準備を整える。
その後彼女に別れを告げ、俺は屋敷に戻った。




