違和感の正体
ここに来る時の違和感の正体がようやく理解できた。俺がユリアの元に向かう為に森に踏み込んだ時点で、既にあの狼はこの森に潜んでいたのだろう。
しかしいつからだ?不自然だ。あんなに図体の大きな狼だ、普通ならすぐ村の狩人達が出張っているはずだ。
だとしたら、何者かが召喚した使い魔か?いや、しかしそんな事が出来る者はーー
「……違う……私じゃない……私はあんなの呼び出せないよ……」
「だろうさ、お前がそんな事する奴じゃないのは分かってる。 別の誰か、そいつが呼び出したんだろ」
「悠長な事を言ってないであれを何とかしろよ! 僕を殺す気か⁉︎」
ユリアは動揺し、ジュリアンは取り乱している。この状況は最悪だった。
冷静さを欠いている人間二人を連れてこの化け物から逃げ切るなど、到底不可能だろう。
「……ってなるとやる事は一つだよな……」
「ライル……?……何しようとしてるの……」
「化け物退治」
じりじりとすり足に似た足取りで狼に近付く。左手はサーベルの柄に手を掛け、いつでも引き抜ける様に構える。
柄に触れる手は小刻みに震え、足の震えも収まらなかった。むしろこんな化け物を前にして、震える事もなく対峙出来る者がいるだろうか。
「……ははっ、ツイてねえよなぁ……本当にさぁ‼︎」
奮い立たせる様に叫び、身を屈め、縮地で距離を詰め、そのまま抜刀し、斬り上げる。
「……マジかよ……」
振り上げられた刃は獲物の首筋を捉えるも、その硬質な体毛に阻まれ、肉質に到達していなかった。
獣なんてそこまで強い存在だと思っていなかった。図体だけが大きいだけで、仕留めようと思えばあっさり仕留められると思っていた。だが現実は違う。仕留めるどころか肉を断つ事すらままならないのだった。
生まれて初めてだった。自身の非力さと、獣の強さ。二つの要素が恐怖を掻き立て、身体中から冷や汗が噴き出す。
「…がぁっ‼︎」
腹部に鈍い衝撃が走り、そのまま吹き飛ばされ、小屋の壁に背中を強く打ち付け、全身を鈍い痛みが駆け抜けた。
「……っ……あ……ぅ……」
「ライル‼︎」
「何してるんだよこのボンクラ‼︎」
視界は涙で滲み、体を動かそうとするも、軋む様な痛みが走り、起き上がるのがやっとだった。
「……っ痛ぅ……痛えじゃねえかよ……」
フラフラと立ち上がり、サーベルを構えるも、焦りと恐怖で奥歯がガタガタと震え、冷や汗も止まらない。
「お前! 僕を置いて逃げるなんて許さないからーーがあっ⁉︎」
叫ぶジュリアンの後頭部を殴り、そのまま蹴りでユリアの方まで飛ばすと、彼女は足元でのびているジュリアンに困惑しながら、こちらを見つめていた。
「ジュリアン、お前うるせぇんだよ……頭に響く……」
「ねえライル……もうやめよう? 一緒に逃げよう……?……じゃなきゃ死んじゃうよ……」
彼女は声を震えさせ、その目には涙が浮かんでいた。
改めて目の前に立ち塞がる獲物の姿を睨みつけ、サーベルを構える。
「……逃げ出してえよなぁ……俺も逃げてえよ、こんな化け物の相手なんかしたくねえよ。 でもな…そしたら誰がこいつの足止めするんだ? このまま逃げても全員捕まって喰われて終わりだ……。」
「だけど……そうしたらライルがーー」
「ダメなんだよ! 誰かが足止めの役割やらなきゃさぁ! やるしかねえんだよ! 勝てようが勝てなかろうが関係なくさぁ!」
無理矢理に叫び、心を奮い立たせると、心なしか痛みも少しはマシに思える程度になってきた。
「……よぉ化け物……お前のその目玉抉ってやるから覚悟しろよ……」
俺の挑発に呼応する様に狼は雄叫びを上げ、それは静かな夜の空に広がっていった。
「……超怖えけどやってやらぁ……お前に少しでも傷負わせてあいつら追えない様にしてやるよ‼︎」
叫びながら駆け出し、その勢いを乗せ、左腕を後ろに引き、目標を一点に絞り、神経を研ぎ澄ませる。
「当たれぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ‼︎」
渾身の力を込めて繰り出されたその一突きは、獣のその眼を貫く事なく、目の横を少し掠る程度のものだった。
「……ははっ……マジかよ……」
自身の無力さに身体中の力が抜け落ち、そこに獣の一撃が炸裂した。
「……がぁっ‼︎」
吹き飛ばされ、体が地に叩きつけられた後、何度も天地が入れ替わった。
「ライル!」
堪え切れずにこちらに来ようとするユリアを制止し、サーベル地面に突き立て、それを支えにして立ち上がる。
「来るな!……まだだ、まだやれる……」
口元が切れたらしく、喋ろうとすると口の端にピリピリとした痛みが走った。
冷静になれ、考えろ。この最悪な状況を抜け出す方法を。しかし、ない頭で思いつく事などたかが知れていた。
息を深く吸い込み、ゆっくりと吐き出す。それから目を開き、獣の姿をはっきりと捉え、サーベルを構え直す。
「……冷静に、しっかりと見極めるんだ……落ち着け、落ち着け、落ち着け……」
自分に言い聞かせる様に小さく呟き、地を蹴り、踏み出す。
獣が薙ぎ払うように振るう腕を刀身でいなし、そこから更に踏み込み、受け流した勢いを乗せて斬り払う。
その一撃は獣の肩を深くはないが、確かに切り裂いていた。
獣は悲鳴のような叫びを上げて怯み、後方へ飛び退った。




