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薬師の部屋

 やや崩れたアラビア文字のようなエルフ語で、表札に『ミンヤック』と書かれた部屋はいかにも研究室といった風景だった。

 様々な植物や動物試料、大小さまざまな袋、植物などが中に入ったガラス瓶、粉末粘土が入った半透明の箱などが乱雑に置かれている。

 他には魔法で自動で作動しているすり鉢や、巨大な電磁式ヒーターの上で、ぐつぐつ煮えている大なべや圧力鍋、油鍋が多数見える。その隣では大きな蒸し器がピーピー蒸気を吹き上げている。電子レンジがうなる音もうるさい。

 遠心分離機がうなりを上げて回転している横には、溶媒の中で化学反応を進めている大きなクリスタル製のタンクがズラリと並んでいる。


 そんな部屋では使役ゴーレムが多数いて忙しく働いていた。やはり土でできているが、そのままでは土がこぼれて汚れるので、表面が樹脂のようなものでコーティングされている。



(うわあ……)

 その騒音の中、異臭があちこちから漂ってくるのでラウトが辟易している。

 そこへ土方のような作業着姿で大きなショベルを肩に担いだ、樽のような小男が部屋にドカドカと音を立てながら入ってきた。先の聖堂で見かけた極端に背の低い筋肉質な中級役人である。

 ショベルは園芸用スコップを両手持ちサイズにまで巨大化した道具だ。先が平坦なものと尖っているものの2種類があるのだが、これは後者だった。穴掘りでもしてきたのだろう。

「おう、来たかい新入り君」

「は、初めまして。私、ラウト‐ジャンタン‐モスと申します」

 緊張した顔で一礼し自己紹介するラウト。

「今日から薬師部に所属になりまし……あ、あなたが、その薬師くすしの?」


 ミンヤックがショベルを器具ロッカーに放り込んた。ドカンと大きな音が立つ。そのままの勢いでロッカーの扉を閉めてラウトの方を向き、大きな白い歯を見せて挨拶を返してきた。

「そうだ、パギ‐ミンヤック‐ゴレン‐モスだ。普段はミンヤックと呼んでくれていいぞ。そうだ、これからは役職のイデを頭につけていいからな」

 思い出したかのように付け加える。


 それにつられて思わず、ラウトが気になったことを口にしてしまった。

「ず、ずいぶんと、その……」

「あ? ああ、姿のことか? 気にするな。政府間協定でな、ドワーフ世界からこっちへ来ているんだ。異世界人だよ。ドワーフ名はジャンビ‐サルミだ」

 何ともざっくばらんに打ち明けるミンヤック。意外な事態に戸惑うラウトに、再び大きな白い歯を見せて笑う。

「まあ、驚くのも無理はないな。エルフ世界は鎖国しているからな。しかし、都でも異世界人は見かけるだろう?」


 ラウトの動揺が少し収まってきた。

「は、はあ。え……ですがモスってことは、森林派の信者さまですよね」

 ミンヤックは、「はん」とばかりに肩をすくめる。ドワーフなので肩の肉厚がラウトの倍ほどもある。

「便宜上だよ。お役所の都合だそうでエルフの宗教は知らん。オレは精霊魔法が使えないからよろしく頼むな」

 これまたスパッと言い切った。そして、ラウトを手招きした。

「さて、自己紹介はここまでで十分だろう。着替えて手伝ってくれ」


 ラウトが少し慌てた様子になる。

「あの、先生、すいません。私はまだ専門教育を受けていませんので、今日はちょっと……」

 ミンヤックが首をかしげていたが、すぐに納得した。

「ああ、そうか。専門知識のインプットは明日だったか」

「はい。すいません」



 申し訳なさそうにしているラウトに、ミンヤックが白くて大きい歯を見せて笑いかけてきた。

「まあ、そう縮こまるなよ。専門知識を記憶する前に、実際の仕事の様子をちょっと見ていかないか? ちょうど薬のキャリアをこれから作るところだ」

 ラウトの大きな青い目が輝いた。

「はい、ぜひお願いします」


「うむ」と、ミンヤックが作業着のままで応えた。床に無造作に転がっている、粉末が入った半透明の箱を軽く蹴飛ばす。

「じゃあ始めるか。エルフはそんなに病気にかからないから、薬にも縁がないだろう? 普段は栄養剤を注射するだけで事足りることが多いからな」

 ラウトがうなずいた。

「はい、そうですね。先生。私もこれまで薬を使ったことは2度しかありません。2度とも毒のある獣と蛇に咬まれた際の解毒薬です。病気にかかったことは、これまでありません」


 ミンヤックが乳液が入ったガラスの大ビンを作業机の上にドンと置いた。

「そうだな。ほとんどのエルフはそんなもんだ。だから医師や薬師なんて役職は暇なんだけどな。まあ、精霊魔法を応用する場としての位置づけでしかないな。さて、この薬のキャリアなんだが……」

 ラウトが、「あの……」と話を遮った。

「すいません、先生。薬の『キャリア』って何でしょうか?」


 ミンヤックが巨大な水がめを作業机の上にドカンと置いた。もう水がたっぷりと入っている。

「おお、すまんな。薬を患者の体内へ運ぶ物のことだよ。エルフは薬にもあっという間に抵抗力を獲得してしまって、ゆっくり使っていたら効果が失われてしまう体質だからな、飲み薬や貼り薬じゃあ難しいんだ。かといって注射は痛いので嫌がるエルフも多いし、吸う薬の方が効率が良いんだよ」


 ラウトが感心する。

「へえ。そうなんですか。そう言えば、解毒剤も吸い込むタイプでした。それに、確かに私も注射は苦手です。ですが、吸い込ませるだけでしたら、薬をガスにすれば充分ではないのですか? わざわざ薬を運ぶ粉末を使わなくても良いような気がしますが」


 ミンヤックがニヤリと笑った。作業机の上にもう1つ大きな油の入ったガラスビンを置く。

「エルフはすぐに抵抗力を得てしまうと言っただろ? 薬をガスにしただけじゃあ、肺からそんなに吸収されないんだよ。このキャリアは表面加工されていてな、肺から薬剤が効率良く吸収されるようにできているんだ。エルフの抵抗力を回避して強制的に薬を体内に吸収させる加工だな」


 ラウトがちょっと驚いたような表情をした。

「そうなんですか。私たちって、そんなにやっかいな体質なんですねえ。そうでもしないと薬が効いてくれないなんて」

 ミンヤックが白くて巨大な歯を見せてガハハと笑った。

「そうだな。じゃあ始めるか。まずは、この油に粉末タンパク質と乳化剤を入れて溶かす。粉末と乳化剤の濃度と量を変えることで、できるキャリアに開く穴の大きさと数が決まるんだ。薬の粒子はそれぞれ大きさが異なるからな。キャリアの穴の大きさをそれに合わせないと、薬が穴に収まってくれないし、キャリアの働きもできなくなる」


 大雑把にいうと、ウイルスの外殻のようなモノをつくっている。ウイルスでは外殻の中にDNAやRNAといった病原性の遺伝子を組み込んだヒモが入っているのだが、ここでは薬だ。外殻は穴だらけなので、この穴に薬粒子をはめ込んでいる。

 タンパク質と脂質でできているので、時間が経つと生体内に吸収される点も特徴だ。



 ミンヤックがビーカーに油を入れ、それに粉末タンパク質と乳化剤を量って加えてガラス棒でかき混ぜる。それを見ているラウトが感心している。

「ええと……それでは、この作業は薬のキャリアごとに分量や濃度を変えて行うのですね。繊細な作業だなあ」

 ミンヤックがニヤリと笑った。

「確かにな。手作業では限界がある。明日からは、この作業をラウト君に任せたい。水や風の精霊魔法を使えば、もっと正確に作業ができるからな」


 ラウトが強くうなずいた。

「はい、先生。確かに風の精霊を使えば、空気中のゴミや余計なガスを除去できますね。水の精霊を使うことでかき混ぜるのも自動化できます。粉末の正確な量も、風の精霊に任せればナノグラム以下で量ることができます。油と乳化剤も水の精霊に同じように任せれば大丈夫でしょう」


 ミンヤックがそれを聞いて満面の笑みを浮かべた。

「うむ。良い答えだな。で、よく溶けたら、こいつを水がめに入れてかき混ぜる。かき混ぜるスピードというか回転数で、出来上がるキャリアの大きさが決まるから、ここも注意だ」

 ラウトがミンヤックの手の動きを注意深く観察しながらうなずいた。

「はい。これも水の精霊に回転数を指定すれば良いですね。これで出来上がりですか?」


 ミンヤックが手で混ぜるのを止めて、水がめに備えつけられているミキサーのスイッチを入れた。器械モーター音がして撹拌が再開される。

「油が時間の経過と共に蒸発してなくなってくるんだ。できれば、この気化した油は風の精霊に命じて回収しておいてくれ。再利用したいのでな」

「はい。分かりました」


「このまま、1晩すれば不必要な油が気化して、タンパク質と脂質でできた微粒子の出来上がりだ。ろ過して取り出して乾燥させて完成だな。品質チェックとしては、この微粒子の直径が5ミクロン未満であることだ」

 ミンヤックが空いている片手を突き出して5本指を立てた。

「これ以上大きいと肺の中に長期間溜まってしまうんだよ。それじゃあ、肺を傷めてしまう恐れがある。タンパク質の外殻なんだが、人体にとって異物である事には違いないからな。大きな直径だと肺が詰まってしまう。小さければ、それだけ詰まらず迅速に肺から体内へ吸収されていくってわけだ」

 肺の組織は胃腸のような消化器官ではないので、ゴミとして残って詰まりやすいのだろう。

「他には、光の精霊を使って目的の大きさの穴がちゃんと微粒子の表面に開いているか、穴の数も充分かを調べてくれればいいよ。どうだい、できそうかい?」


 ラウトが青い目を輝かせてうなずいた。

「はい。明日、専門知識の記憶を完了すれば大丈夫だと思います。とても繊細な精霊魔法を使うのですね」

 ミンヤックがニヤリと笑う。

「だから言っただろ? 精霊魔法の応用の場だってな。キャリアはこんなもんだ。薬の調製方法はもっと複雑だから、これは明日の記憶完了を待ってから教えないといかんかな。まあ、基本は似たようなもんだ。光、風、水の精霊をフル稼働させる」


 ラウトの顔に少し焦りの色が見え始める。

「せ、先生。神経衰弱になってしまいそうです」

 ミンヤックがガハハ笑いをして、ラウトの背をバン、と叩いた。

「心配するな、ラウトよ。オレたちがするのは最初だけだ。後はこいつら作業ゴーレムに任せればいい。病院で使う薬は、毎日平均で1万種類くらいあるからな。いちいち全てオレ達が調製していたら間に合わないよ」

 さらに背を叩く。

「オレ達は、まあ何と言うか、作業ゴーレムと精霊たちの監視役ってところだな。すぐに慣れるから安心しろ。それに実際に病院にいる患者はエルフ以外がほとんどだから、薬の利き目はすごいものがある。ごく少量だけの薬調製で済む場合がほとんどだ」


 ラウトが苦笑する。

(そうか。この激務でストレスがたまって、前任の助手さんが逃げ出したのかな。僕も気をつけよう)



 ミンヤックがふと思い出したような顔をしてラウトに尋ねた。

「なあ、ラウトよ。君は土の精霊は使えるかい? このキャリアづくりなんかもそうなんだが、土の精霊が使えれば、こんなに面倒な手順を踏まなくても一発でできるんだけどな」

 ラウトがクシャクシャの金髪頭をかいて否定した。

「すいません。私には無理です。というか、エルフで土の精霊を上手く使える人って見たことがありません」


 ミンヤックが少しがっかりした。

「……だよなあ。ノームを出稼ぎで呼べば良いんだろうが、連中は気まぐれで芸術肌だからなあ。こんなルーティン作業は最も嫌うんだよな。いや、気にするな。聞いてみただけだから」

 ラウトが「はあ……」と相づちをうつ。


「それとだな……」

 と、ミンヤックが口を開いた。

「この薬部屋の臭いには耐えられそうかね? 前の奴は次の日に耐え切れなくなって逃げ出してね」

 ラウトが少しぎこちない笑みを浮かべた。

(そうではなくて、仕事量が多すぎて逃げたのでは? と思うのですが)

 これは口には出さなかった。

「はい。この程度でしたら大丈夫です」

 ミンヤックの笑みが弾けた。

「うむ! 期待しているぞ」


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