第二章|精巧な罠
契約後、理沙の人生は加速度的に塗り替えられていった。
まず消えたのは、地方の公立高校という学歴だった。代理人が用意した書類には、都内の名門女子校の卒業証書が収まっていた。次に職歴。理沙が五年間勤めた中小企業の名は消え、外資系コンサルティングファームでの輝かしいキャリアに置き換わった。親族の欄には、聞いたこともない地方の名家の名が記された。
代理人の指示は、常に具体的で、抜かりがなかった。
「知人に会う予定は」
「今週末、大学時代の友人と食事を」
「相手の名前と年収を」
理沙は素直に答えた。相手は、理沙が就職浪人をしていた時期に支えてくれた古い友人だった。
食事の席で、その友人はふと箸を止め、理沙の顔をまじまじと見つめた。
「理沙、なんか……前と雰囲気変わったね。前に、進藤くんと付き合ってた頃の理沙の方が、素直だったっていうか」
理沙は、その名前に一瞬だけ喉が詰まるのを感じたが、笑ってやり過ごした。
「あの人のことは、もう忘れたわ」
友人はそれ以上何も言わず、少しだけ寂しそうに笑うと、話題を変えた。数日後、その友人からの連絡はぱたりと途絶えた。理由は分からない。だが理沙は、深く考えることをやめた。——これも「投資」の一部だと、自分に言い聞かせながら。
婚活サイトでの理沙のプロフィールは、瞬く間に上位に躍り出た。マッチングの通知が鳴りやまないスマートフォンを眺めながら、理沙は小さく笑った。寄せられる好意的なメッセージ、パーティー会場で自分に向けられる視線、周囲の羨望——そのすべてが、理沙にとって何物にも代えがたい快楽だった。
「私はようやく、本来いるべき場所に戻れた」
鏡の前で、理沙は満足げに微笑んだ。塗り替えられた経歴を、まるで最初からそこにあったもののように、堂々と口にできるようになっていた。
だがその鏡の裏側で、誰かが何年もの歳月をかけて、ひとつの「虚栄心のパズル」を組み上げるために計算を重ねていることなど、彼女は夢にも思わなかった。理沙が捨てたもの一つひとつが、静かに、しかし確実に、彼女を追い詰めるための布石になっていることにも。
年収五千万の役員との縁談は、驚くほど順調に進んだ。相手の母親との顔合わせでも、理沙は塗り替えた経歴を淀みなく語り、上品な笑みを絶やさなかった。ただ一度だけ、母親が理沙の目を見つめて、こう漏らした。
「あなた、どこかでお会いしたことがあるような……気のせいかしらね」
理沙は曖昧に微笑んで、その言葉をやり過ごした。婚約発表の日取りが決まり、理沙は人生で最も輝かしい瞬間を迎えようとしていた。




