楽園 下
Yu-K 0014
『楽園』
1(6)
時間はメリーさんの消失直後まで遡る。
園田回は、強大な霊力が消えたことを察知していた。はじめは任務を遂行したメリーさんが自動で姿を消したのかと思っていた。霊力負荷が高いメリーさんの顕現時には他の幽霊や信者を操ることはできなくなるため、スキャニングバードによる監視は不可能だったのだ。
万が一の可能性に備え、スキャニングバードを飛ばした先で見つけたのは、上下に真っ二つに分かれた幽ヶ崎霊禍の死体だった。ボロボロの家屋の中に、腸を垂らして横になっていたのだ。
園田は人を殺したことがなかった。
生々しく血色の薄れた肌と、まだ乾ききっていない血液⋯⋯そして艶やかな腸の束が、鳥の瞳越しに園田の脳に流れ込む。
その光景は今までに彼女が見たことのない残酷さを帯びていた。思考を深めるまでもなく自然に、『生物など切断可能な物体に過ぎない』と理解させられるような暴力性を園田は感じた。
故に、園田は嘔吐した。
床に座り込み、黄色がかった半固体を吐き出した。我慢などできるはずがなかった。瞳孔が開き、身体中の震えが止まらない。
あんな景色が、この世に存在していいはずがない。
そもそも自分はなぜこんなことをしているのだろうか──そんな問いがふと彼女の頭をよぎった。
なぜ私は子どもを殺した?
宗教活動の邪魔だったからだ。
なぜ私は宗教なんか始めた?
人気が欲しかった。偽りの言葉でいいから称賛されたかった。
なぜ私は称賛されたかった?
今までは何もしなくてもいろんな人が褒めてくれたんだ。この火傷を負ってからはそうではなくなった。
なぜ火傷をした?
自宅の火事で。
なぜ火事に?
タバコの火がカーテンに燃え移って⋯⋯。
なぜタバコなんか吸った?
その日は同僚に悪口を言われて、そのストレス発散のためだった。
そこまで思考して園田は気づく。
「あぁ、そっか、そうだった。私のせいじゃないや」
震えが徐々に収まってきていた。代わりに怒りが充満し始めた。
「元々あいつらが悪いんだ⋯⋯性格悪いとかわざわざ聞こえるように言ってきやがって⋯⋯! それに消防隊員も医者も無能無能無能⋯⋯! あいつらが遅れたからヤケドがこんなに広がって⋯⋯! しかもあの男どもが離れていったのだって、結局顔目当てのクズばっかりだったからじゃない!」
「あの⋯⋯大丈夫ですか?」地下室のドアを叩いたのは、一人の信者。心配の念が籠った優しい声色だった。
「うるさい! 黙ってろ!」右足の靴がドアに投げつけられた。
「⋯⋯信者どもは役立たずばっかりだし、幽ヶ崎霊禍だってアイツと戦わなきゃよかったじゃん!」
と、口に出して気づく。元はと言えば、霊禍は戦う必要などなかったのだ。本来の標的は、墓山亘ひとりだったのだから。
スキャニングバードと再度視覚を接続し、亘の気配を探った。行き先の目途はある程度ついていた。霊禍の家が彼にとっての逃げ場だっただろう、と。
広い索敵範囲も相まって、その姿はすぐに見つかった。窓越しに室内を観察すると、団地の中に、息苦しそうに寝ている亘の姿があった。
どうやって逃げ切ったのか。その疑問の答えは直感で分かった。ドア付近に落ちている桜の花びらたち。園田はそれを血だまりだと認識した。
「まさか⋯⋯」
こんな出鱈目な力はあり得ない。あの三人のうち誰も、メリーさんを殺せないはずだ。そういう計算で準備してきたのだ。
園田を襲ったのは、未知への恐怖。
自分の知らない能力者が(おそらく)存在していることへの、猛烈な不安。
団地内にいる者のなかで、最も霊能力者である可能性が高いのは、霊禍の姉だった。そうであるならば、あそこへ行って亘に直接トドメを刺すのは難しい。かといって幽霊を派遣しようにも、返り討ちにされて戦力が減るのがオチだ。
ひとまず周囲を調べよう、とスキャニングバードを上空へ飛ばした瞬間、園田はある一つの違和感に気づいた。それは先ほど調べた、墓山亘の一軒家に起きた異変。
幽ヶ崎霊禍の死体が、消えていた。
2(7)
消えた死体を探そうと、家の近くまでスキャニングバードが近づいた。次の瞬間、ブチ、という音と共に接続が途絶えた。
一瞬の混乱ののち、園田は思考を再開する。
霊禍の死体が消えた。これはおそらく、事実。霊禍が生きているか、第三者が介入したのか、またはその他の可能性があるのかもしれなかった。
さらに、スキャニングバードの接続消失。少なくとも一瞬前までは、一切の敵対生物は存在していなかった。封印ならあり得るかもしれない。しかしそもそもスキャニングバードは戦闘力もなければ身体も脆い援護用の幽霊で──そこまで考えて園田は考えるのをやめた。
──冷静にならなければ。
園田は、自分が戦い慣れておらず焦りがちで、また発想力に欠けることを薄々自覚していた。信者を用いた実質的な一人芝居の数々は、発想力の欠如を補うためのものでもあった。
しかし、今は時間がない。
時間がないということはつまり、焦燥を迎えることになる。
こんなときは──最悪を想定するに賭ける。
幽ヶ崎霊禍は、生きている。
スキャニングバードは、一瞬で殺された。
自分の知らない霊能力者は、存在する。
焦っているなら焦っているなりに、そういう前提で動くべきだ。すべてが終わって杞憂だとわかれば、それでよいのだから。
思考を巡らせ、これまでの自分の経験を寄せ集める。仮に霊禍がすぐにここを突き止めて襲ってきたとして、自分が無事でいるにはどうすればいいか。答えは意外にも、一カ月以内の記憶から見つかった。
──人質。リリィを相手に実行した、あの策略。
「そうだ⋯⋯そうすればいいじゃない!」虚空に向けて狂気じみた笑みを浮かべる園田。駆け足で地下室を飛び出し、向かった先は駐車場だった。園田に続くように、三人の信者が施設から出てきた。
太陽はほとんど見えなくなっていた。園田を含めた四人が到着したのは、山間部に堂々と構える鎌鼬家だった。園田は堂々と正門のインターホンを鳴らした。
事前調査で、ここに住んでいるのが鎌鼬奏とメイドの二人だけであることを園田は知っていた。その両者間の親密さも、日常生活を少し覗けば察することができた。
既に数百名の信者という名の人質を抱えていた園田だったが、わざわざ鎌鼬家の二人を狙った理由は、幽ヶ崎霊禍の人間性を疑ったからに他ならなかった。リリィは赤の他人の人質に揺らぎ、隙を見せた。しかし霊禍はどうだ? 再生能力を持ち、自分が傷つくことに慣れている彼女が、果たして他人の生命など気にするのか? そんな疑問が重なった末の結論は、霊禍により近しい人物を人質にするという身も蓋もないものだった。
インターホンのスピーカーから声がした。「どちらさまですか?」と、覇気のない声色だった。
「あのぉ、そこの道路で車のタイヤが溝にハマっちゃったんですけどぉ、元に戻すのを手伝っていただけませんかぁ?」甲高い声で流暢に告げる。ため息のような音がしてから、邸宅の玄関ドアが開いた。
出てきたのは、見慣れたメイド。園田は内心でガッツポーズを決めながら演技を続けた。
「ごめんなさぁ~い。あっちの方でタイヤが⋯⋯」
「わかりましたよ⋯⋯いま道具を取ってきますから」臨はガレージへ向かった。しばらくするとスノーヘルパーを抱えて出てきた。園田はそれが何なのか知らなかったが。
「ありがとうございます!」園田は臨の様子をチラチラと伺いながら、道路の脇にあえて突っ込ませた白いセダンを指差した。
「あそこにちょっとした窪みがあってぇ⋯⋯」
臨は無言かつ無表情だった。ただ面倒そうに歩いてくる様子を見て、園田は不快感を覚えた。私が困っているんだから、もっと慌てふためきなさいよ、と。
車の付近には三人の信者がいた。全員が中年女性で、穏やかな顔をしている。園田の霊能力によって自動待機モードにされているのだ。
車体の側面に回り込んだ臨に、さりげなく近づく。プラナリアの幽霊を右腕に召喚し、手首を這わせて首元まで肉を近づけた。霊体がゴムのように伸び、呼吸器を塞ごうと回り込む。残り数センチまで達した瞬間、臨の腕が動いた。
眩い光とともに、強烈な熱が園田の肌を焼いた。プラナリアは肉体のほんの一かけらだけを残して消失し、園田自身も右腕に軽い火傷を負った。
「なっ⋯⋯何!?」
園田の眼前に広がっていたのは、あまりにも現実離れした光景。ハリウッド映画のCGさながら、機械仕掛けの右腕が開き、内部の砲身が露わになっている姿だった。
「あなたはどうやら演技があまり上手ではないようですね」立ち上がりながら臨は語る。
「私のメイド服に言及しないどころか、一切視線を向けることもない⋯⋯初対面でそんなことになるわけがありません。さしづめ私のことを以前から知っていたとか、そんなところでしょう?」
「⋯⋯なんなの、アンタ」
「あまりにもこっちの台詞ですけどね、それ」
まず非能力者のメイドを人質にし、次に鎌鼬奏を捕える。そうすることで亘と霊禍へのアドバンテージを得る。そんな計画のつもりだった。
園田が知る前提が正しければ、これはほぼ即興で組み立てた計画にしては効果的なものとなっただろう。しかしここには唯一にして最大の誤算があった。臨が実は義手という強力な武器を持っているという事実。
知らなかった理由は単純。冥加浜臨は、園田回が監視を始めた六月下旬以降、一度も義手を開いていなかったのだ。
3(8)
臨はまず砲口を屋敷に向け、テニスボール大のエネルギー弾を発射した。壁がほんの少し抉れ、屋敷が微かに揺れた。この砲撃は、奏に異常を知らせるためのサインのようなものだった。
一方の園田は、コウモリの幽霊を召喚し、翼を三人の信者の首元に近づけた。信者の瞳に光は宿っていない。
「おとなしくしててくれない? 少しでも動いたら、コイツラ殺しちゃうけど」
臨の瞳は、操られている信者たちよりも暗く、冷たかった。
「⋯⋯それ、人質の意味ありますか? 知らない人を殺されても、反応に困ります」
「ま、そーよね」
せめて若いヤツを連れて来ればよかったかな、と園田は考えたが、どちらにしてもこのメイドを揺さぶることはできなさそうだと思った。
「人が死ぬことをなんとも思わないなんて⋯⋯血も涙もないヤツ。実力行使しかないようね」
以前リリィを追い詰めた、不可視の攻撃を放つ。半径二メートルの自動攻撃。園田の目測では臨の胴体はギリギリ範囲内に入っていた。
臨が構えていた右腕の肘から先が、一瞬にして消し飛ぶ。かろうじて後退するも、コウモリ霊によって強化された園田の突進を喰らい、そのまま倒れる。
臨は即座に理解した。相手と自分では戦闘力の次元が違う。
霊禍による霊能力の説明を奏から又聞きしていた臨。霊禍の言っていた『弱い能力じゃ強い能力の奴には勝てない』という言葉の意味が、今になって理解できた。自分では、奏を守ることはできない。
──だが。
相手の突進によって間合いが極限まで狭まったこの瞬間。臨の脳裏に一つの戦略が浮かぶ。
右腕の義手。その砲身から放たれるビーム砲は、彼女の霊能力の本質ではない。
冥加浜臨の霊能力は、右肩の断面に高密度のエネルギー体を発生させるだけのものである。機械でできた義手は、エネルギーの射出機構に過ぎない。
この事実は今まで、義手の開発者である奏の父以外に伝えたことはなかった。臨の義手に驚いていた園田が相手なら、意表を突けるはず。ここまでの思考は臨がハッキリと意識したわけではなく、眼前に危機が迫った際の反射のようなものだったが。
義手が破壊され、反動で肩の接合部が外れかけていた。この状態での能力使用は、肩に直接炎を発生させるようなもの。しかしそれでよかった。それこそが、この間合いで戦うのに最も相応しい武器だった。
臨は左手で園田の肘を掴み、思い切り引っ張った。視界の隅には、屋敷の玄関から飛び出してくる奏の姿が僅かに見えていた。
断面を園田の首に押し当てる。熱は加速度的に温度を上げ、そして臨界点に達すると、白い光球が一瞬だけ現れ、そして、消えた。
4(9)
車の窓が割れ、辺りの地面にヒビが入る。熱波が遠くの奏にまで届いた。
奇しくも園田と同じように、臨の右半身が焦げた。どさりと倒れこむ臨を見て、奏は絶叫した。
悲哀と同時に奏を襲ったのは、名も知らぬ目の前の女への怒りと殺意。もはや奏に冷静さなど残されておらず、真正面からの突撃の他に残された選択肢などあるはずもなかった。
その時。
「来るな! 近づけばコイツを殺す!」
園田が放った一言が、奏に残されたほんの数ミリの理性を刺激した。
ほとんど骨格しか残っていないボロボロの翼の先端が、臨の喉元を狙っている。そこには、ごく僅かな動きがあった。空気が喉を通り、極めて浅い呼吸が行われていた。
生きている。
冥加浜臨は生きている。
その事実が奏の怒りを覆した。足は止まり、殺意は消え、憤怒と焦燥は悲哀と安堵に染め上げられた。
改めて園田を見る。臨の自爆を受けて、翼はボロボロ。口からは血が垂れ、身体中にも痣がたくさんできていた。その上、園田の右半身を覆う古い火傷を、奏は臨の攻撃の成果だと勘違いしていた。
こんなに傷だらけの相手ならば勝てるかもしれない、と奏は思った。だが臨が人質ならば話は別だ。
「⋯⋯なにが、望みなの⋯⋯?」
奏が出した結論は交渉だった。
「⋯⋯⋯⋯詳細は言わないわ。あなたはただ反抗せずに私の指示に従えばいいだけ。ちゃんと従ってくれればこのメイドは殺さないし、あなた自身にも危害は加えない」
「それは、どういう意図で⋯⋯」
園田が舌打ちした。
「教えないっつってんだろ! コイツの命を握ってんのは私だ! 考えて喋れ!」
ここで正直に「霊禍と亘と戦うときの人質になれ」などと言えば、そのチャンスを伺って時間稼ぎをされるかもしれない。園田は自分が握っている情報のアドバンテージを失いたくなかった。
「わ、わかった、従うから⋯⋯」
「地面に膝をついて、後ろ向きに座れ。目線は下。両手は挙げたままにしろ。能力は使うなよ」
「⋯⋯⋯⋯」
園田の後ろから複数の足音が聞こえてくる。それは奏に近づき、後ろから黒い布を目元に巻きつけてきた。そして右手首を乱暴に掴まれ、手のひらの上に何か小さくて硬いものが置かれた。
「いま渡したものを飲み込め」園田の声は遠い。
奏は暗闇の中で思考する。臨の危機に直面し、これまでの人生ではあり得なかったほどの脳の回転が始まった。それは彼女自身の才能か、あるいは鎌鼬家に流れる殺意と暴力の遺伝子の覚醒か。
あの女の声は遠かった。つまり今こうして目隠しや手渡しをしたのは別の人物。おそらく仲間か部下。しかし指示をする声は聞こえなかったし、手の動かし方からは機械的な印象を受けた。奏の手のひらに載せられたものは、触感からしておそらく爪の破片。それを飲み込ませようとしている。どうして? なにか儀式的な意義があるのか、それとも霊能力の発動条件? そもそもこれが爪ではない可能性もある。
相手は強く、抜け目ない。しかし何かを恐れているような雰囲気も持ち合わせていた。自分に対する威嚇や指示には余裕がない。そうすると、爪を飲み込ませることがこんなに早く指示されるということは、それだけ重要な工程なのだと考えられる。やはり霊能力に関係するのだろうか。
爪を飲み込ませると、どうなる?
「早くしろ!!」
園田の催促が奏の思考を一時停止させるが、同時に確信する。ここまで焦るということは、やはり爪を飲み込むことに大きな意味がある。
爪を飲み込んだ者を服従させる。おそらくそれが相手の能力。あの巨大な翼はひとまず無視することにした。
そこである一つの疑問が湧く。
なぜ臨に爪を飲み込ませない? そして、なぜ自分にも無理矢理飲み込ませるのではなく、わざわざ手のひらに置いた? 喉に爪を突っ込まれても、どちらにせよ自分は抵抗などできないのに。
ここから先の推測は、あまりにも危険な賭けだった。目隠しをしている裏で既に臨に爪を飲み込ませた可能性は充分にあったし、そもそもこういった思考自体が根本から間違っている可能性もあった。
それらすべての思考を統合し、奏が選択した行動は、欺瞞。
「あ、あの⋯⋯手が、震えて、上手く飲み込めません⋯⋯の⋯⋯!」すすり泣くような声を上げた。
身体の痙攣の半分は演技で、半分は本物。無理がある言い訳だとは分かっていたが、あえて爪を地面にこぼす。隣にいる誰かが、もう一度手のひらに爪を載せてくる。
ここで奏は自分の推測が当たっていることをおおよそ確信する。
あの女の霊能力は、自身の爪を飲み込んだ人間を操る能力。
しかし爪を飲み込む際には、当人が自分の意思でそれを口に運ぶ必要がある。
5(10)
園田の苛立ちは頂点に達していたが、しかし一切奏を疑ってはいなかった。
自分自身も死体を見て痙攣し、嘔吐した身。奏が見たのは厳密には死体ではないものの、傷だらけの家族の肉体だ。自分でさえ吐いたのだから、子どもならこれくらいの拒否反応があるのは自然だと認識していた。
そんな園田の監視の中で、奏は爪を口に入れ、そして、あえて咳き込むように吐き出す。「ご、ごめんなさい⋯⋯!」思考はまだ続いていた。
先ほどあの女は『能力は使うな』と言っていた。まるで奏が霊能力者であることを知っているかのような口ぶり。おそらくは使役している人間たちに事前に監視させていた、のか。
しかしおかしい。奏が霊能力を使用するのは、
①自宅での自主練習
②霊禍たちといるときの戦闘
くらいのタイミングしかない。③病院での練習 もあったが、それは誰にも見られていなかったはずだし、ごくわずかな期間だけだ。
①か③の様子だけを見られていたのなら、奏の注意力不足で説明はつく。しかし②を監視されてたとして、超感覚を持つ霊禍が他人の監視に気づかないわけがない。
霊禍に気づかれずに監視するなど、生身の人間には不可能。
となるとやはり①か③を観られていたか。
しかし今度は、相手が鎌鼬家を襲撃した理由が説明できない。目的がわからないのだ。鎌鼬家だけを狙うなら、目的は財産か、土地か。もしくは奏を霊能力で支配することにメリットがあるのか。考えられる理由は、奏自身の霊能力。切断と再接合。霊禍に『中の上⋯⋯威力と応用方法次第では上の下』とまで言われた霊能力者を支配できるとなれば、今こうして爪を飲ませようとしているのにも納得がいく。
だけど、支配してどうなる? 確かにあの女の手札は増える。集団が強くなる。だけどそれだけだ。その先に何がある?
得た強さで、
何をするつもりだ?
何を恐れているんだ?
「おい! いい加減にしろ! 早く飲み込まねーとマジでコイツ殺すぞ!」罵声が響く。
瞬間、すべてが解った。
この状況のすべてが、手に取るように理解できた。
脳が隅々まで冴えわたり、ある種の清々しささえ感じられた。
しかし同時に、いま自分にできることが一つもないこともわかった。
奏は爪を口に含み、奥歯の脇にそれを留める。ごくり、と音を立てたが、園田の様子は変わらない。やはり、相手が使役可能かどうかくらいは識別できるようだ。生半可な騙しは逆効果だろう。
改めて考える。視界を塞がれているから斬撃の狙いは定められないし、かといって目隠しを切ろうとしたらその隙に臨が殺される。これ以上の交渉は相手を逆上させるおそれがあるし、有効な交渉材料も持ち合わせていない。
ダメだ。これ以上臨を危険に晒し続けるわけにはいかない。
奏は賭ける。自分が導いた結論と、未来に賭けることを決意した。
奏は爪を舌で持ち上げ、そして飲み込んだ。




