楽園 1
そこは楽園と呼ばれていた。
土曜の昼下がり。白い壁に囲まれた、がらんとしたホール。観客はまばらであるものの、皆が真剣にステージ上に注目していた。
壇上に現れたのは、一人の女性だった。二十代前半くらいに見える、整った面貌だ。紅白の袴を身に纏い、落ち着いた様子で中央の豪華な椅子に座った。
その顔の右半分には、赤黒い火傷跡があった。額から顎にかけて、そして首から下にも続いている。右目の黒目部分は、灰色に変色していた。
「これより、『入信の儀』を執り行います」女の声は澄んでいた。
観客席から拍手が響いた。全員の顔に微笑みが浮かんでいる。
ステージの脇から、老婆が登場した。不安げな様子で、辺りをキョロキョロと見回しながら、火傷跡の女性の近くまで歩いてきた。
火傷跡の女の目の前に、入信者がひざまずく。
「あの、教祖様⋯⋯信心すれば、本当にあの幽霊たちが来なくなるんですか⋯⋯?」
教祖と呼ばれた女は作り物のように微笑んだ。
「えぇ、私が必ず守ってさしあげますよ」
「ありがとうございます⋯⋯!」
そんなやり取りを、観客席の信者たちが微笑みながら見守っている。
「では、こちらを」
教祖が懐から取り出したのは、小瓶だった。中には白く細かい繊維のようなものが沢山詰まっていた。信者はその中身を凝視する。
──中に入っていたのは、爪だった。
白く、大小さまざまな爪の欠片たち。教祖はそれを手のひらに数個取り出し、相手に手渡した。
「それを飲み込んでください。そうすれば、あなたを守ってあげられます」
老婆は不安げに目を泳がせた。他人の爪を飲み込むことに不快感がないはずがなかった。しかし大勢に囲まれ、拒否できるはずもない。それに、助けを乞いているのだから、少しくらいの理不尽は呑むのが義理だという少しばかりの良心が老婆にないわけではなかった。
爪を口に入れ、いっきに飲み込む。
老婆には何の変化もなかった。血色は健康そのもの。顔には、観客たちと同じ張り付けたような薄ら笑いを浮かべて、瞳の奥を曇らせていた。
それを見た教祖は、満足げに微笑んだ。
教祖の名は園田回といった。
右頬の火傷痕をなんとなく触りながら彼女は教団施設の白い廊下を歩いていた。
礼服を着用し、右隣に一人の信者を連れていた。ワイシャツを着、小綺麗な身なりをしている、二十代ほどの端正な顔立ちの男。表情は、観客たちと同じ笑顔。
「ねぇ品川くん⋯⋯この前の件、なにか進展はあった?」
「いえ、園田様と違い、我々のような一般人には霊的なものが見えませんので⋯⋯張り込んでもそれらしいものは見当たら──」
ゴッ、と鈍い音が響いた。品川の後ろ髪が乱暴に掴まれ、顔が壁に力強く叩きつけられたのだ。
「あっそ。じゃあいい。
車で待ってて。私が行くから」
こんな暴力を振るった直後だったが、園田は何事もなかったかのように平然としていた。倒れた品川には目もくれず、廊下を歩いていった。
品川が額の血を拭いながら立ち上がる。鼻先にまで血液が垂れていたが、それでも彼は一瞬たりとも微笑を絶やさなかった。
三十分ほどして、教団施設の駐車場に園田が現れた。少し山に入ったところにある施設であるため、周囲は深い緑だった。品川が運転席に座る白のセダンに、園田はどさりと乗り込んだ。
彼女の服装は、先ほどの礼服とは打って変わって、ガーリー系ファッションに変わっていた。黒を基調とした、フリル装飾が目立つビジュアル。ここが東京であれば自然な服装だったかもしれないが、幽魔町の中では火傷跡も相まって悪目立ちしてしまう外観だ。
「たいへんお似合いでございますよ、園田様」
柔らかい声色で品川はそう言った。
「そう? まぁ私は可愛いからね」
「えぇ。それはもう」
園田はごくわずかに口元を緩めた。
セダンが向かった先は、あのミニチュアたちが激戦を繰り広げたばかりの佐々木家。家の手前に路駐し、園田が降りる。軽やかなステップで玄関ドアの手前まで来て、チャイムを鳴らす。その片手間に、彼女は手首の先に鳥のような幽霊を召喚していた。鳥は羽ばたき、屋根へと上った。
「はい──どちらさまでしょうか?」インターホンのスピーカーから女性の声がした。母親だろうと思い、園田は咳き込んで声のトーンを変えた。
「あのぉー私、刻太くんのお友達なんですけどぉ、今いますかぁ?」
⋯⋯一応、インターホンにはカメラも付いていた。園田は火傷跡を除いてもおよそ小学生で通すには無理のある容貌だった。しかしそれでも、彼女はさも当然かのように、そんな演技をしてみせた。いや、彼女自身は、これを演技とも思っていないのかもしれない。
「⋯⋯あの、あなた大人ですよね? なんのイタズラですか? 警察に通報しますよ」
「チッ⋯⋯」
園田はドアに背を向けた。こんなやり取りは時間稼ぎに過ぎなかった。先ほど召喚した鳥が彼女の右手に着地した。
「なるほど、あなたは本当に優秀ね」園田は優しい声で呟いた。
鳥の幽霊⋯⋯スキャニングバードは鈍い鳴き声を上げて、消えてしまった。
「園田様、あの子どもは?」
「ここにはいないらしいわ。近くの公園にいるようだから⋯⋯これから徒歩で向かう。品川くんは帰っててね」
「かしこまりました」
まもなく車が発進した。
さて、と園田は一息つき、歩き始めた。
「私の可愛い手下ちゃんを殺したのは、やっぱりあのガキなのかしらね⋯⋯」と、低く小さな声で、彼女は呟いていた。




