図書室の魔女 6
小口挿絵の意識が戻ると、そこは幽魔小学校の保健室だった。
真っ白く⋯⋯それでいて年季の入った黄色の混ざった天井が、目覚めたばかりの彼女を優しく迎え入れた。
混乱しながらも起き上がり、枕もとに置いてあった眼鏡を装着する。辺りを見渡すと、養護教諭は不在。ベッド脇の椅子に、墓山亘が座っていた。彼は無言のまま、挿絵を見つめている。
「あれは⋯⋯夢じゃないよね?」
「すべて現実だろうね。既に赤い本は処分したから、確かめようはないけど」
中庭の木々が騒々しく揺れていた。
「⋯⋯⋯⋯最後、亘くんは私に何をしたの?」
亘は返答に困った様子だった。逡巡し、全て正直に教えることにした。
「あの本の中身はウイルスのようなものだった。読んだ人物に感染し、他者をあの空間に導くように促す。理由はわからないけどそういう存在。赤い本はそういう呪物だったんだ。凶暴化はその副作用かな。
僕は変身しながらあの本たちを読むことであえて感染し、そして無毒化した。同じシリーズの本だから、その中身も同じ形質だと判断したんだ。
──僕の中で無毒化された情報は、いわばあのウイルスに対するワクチンなんだ。それを読み聞かせ⋯⋯というか内容を教えることで、きみの頭に流し、抗体を作らせる。するときみの脳内に既に入っていたウイルスたちも、無毒化できる」
「私にとっては、あの変身そのものが意味不明なんだけど」
「それについては聞かないでほしいな」
亘の言い方は軽やかだったが、挿絵はその中に頑なな姿勢を見出し、諦めた。
「それじゃあ、僕はもう行くよ。きみの体調は大丈夫そうだし」
立ち上がった亘は、窓枠から何かを手に取った。それはハードカバーの、漫画本のようだった。子ども向けの、学習まんがだ。
「これ、返しておいてくれないかな」と亘。
「え、これ⋯⋯ほんとに図書室の本?」
「うん。三年以上、家に置いたままだったんだ。実は今日図書室に来たのも、これを返すためだったんだけど、図書委員のひとが来てなかったから」
「知らなかった⋯⋯あそこの本はもう全部読んだと思ってた」
本を手に取り、表紙を眺める。学研まんがでよくわかるシリーズ『地デジのひみつ』。ちょうどアナログ放送が終わるくらいに出版されたものだろうか。
「なんで、こんなのを?」
「僕にもよくわからない」
「まぁ、返却しておくよ」
亘は立ち去ろうとした。引き戸の前で、立ち止まって口を開いた。
「きみの知識量は、本当に素晴らしいものだ。普通の人は一生かけても、今のきみの十パーセントくらいしか読書できない。
だけどいくら知識量があっても⋯⋯ひとつの見方を知っているというだけだ。だからどうか、自分の中の情報が全てだと思わないでほしい。図書室の蔵書も──」
──僕の人間性も。亘は言いかけて口をつぐんだ。
「だったら、最後に一つだけ教えて」挿絵が問う。
「なに?」
「あの三年の間⋯⋯どうやって私より早く図書室に来ていたの?
私は昼休み始まってすぐに行っていたのに⋯⋯いつも亘くんのほうが早かったのはどうしてなの?」
そんなくだらない質問に、彼は思わず微笑んだ。
「簡単だよ。
廊下を走ったんだ」
ポカンとした挿絵をよそに、亘は保健室を去った。
放課後。夕日が差し込む商店街。日用雑貨店兼呪物商の三川商店はいつも通りに営業していた。
亘が店の戸をくぐる。
「おぉ、亘か」三川士郎は意外そうな口ぶりだった。なにせ、亘は霊禍とペアのイメージだったのだ。
「三川さん、こういうものが見つかりました」
亘はランドセルから赤い本を取り出し、士郎に手渡した。処分したというのは真っ赤な嘘。呪物は下手に燃やしたりするより、ここに持ってくるほうが安全なのだ。
「ほほう、こりゃ珍しいな。異空間にいけるやつだっけか」
「一体どんな人が、こんなものを作るのでしょうか」
「どんな人ね⋯⋯案外、人じゃなくて悪魔が作ってたりな。あいつら霊力の研究してるだろ? その一貫かもな」
なんとなく、はぐらかされた気がした。
「これと引き換えに、なにか役に立つ呪物をください」
「おう、いいぜ。自由に選びな」
士郎が取り出したのは、こげ茶色のケース。中にはお札などがびっしり詰められていた。
「じゃあ、これで」
選ばれたのは、青いお札だった。士郎は三枚それを掴み、亘に渡した。
「護符とは⋯⋯ずいぶん慎重派なチョイスだな」
「なんだか最近、妙な胸騒ぎがするんです。その本とは関係ないですけど、なにか、悪いものがこの町にあるような⋯⋯」
「ハハ、奇遇だな。俺もそんな気がしてた」
この男がどこまで本気なのかは、亘にはわからなかった。
ひとまず礼を言い、店を去る。曖昧な形の夕日が、亘には妙に不安に思えて仕方がなかった。




