図書室の魔女 5
亘の背後から白い影が出現する。
守護霊・グレイヴ。およそ三日ぶりの顕現である。
挿絵は変わらない様子で彼を見つめていた。霊体であるグレイヴは、彼女には見えない。
「⋯⋯なにをするつもり?」
「今読んでいるその本⋯⋯。さっきの続きだね?」
「そうだけど、別に関係ないでしょ」
グレイヴが動く。素早く腕を伸ばし、机から本を強奪。そのまま亘の手元まで持ってきた。
「本が勝手に⋯⋯?!」
時間もないので、挿絵のリアクションはスルー。
ページをめくる。大量の文字が敷き詰められているが⋯⋯挿絵が読み終えたページは完全な白紙。
「やっぱりそうだ⋯⋯文字自体が⋯⋯」
言いかけたところで、本が叩き落される。
「勝手なことしないで⋯⋯!」
挿絵の片手には分厚い書籍。その角が亘の頭部目掛けて振り下ろされる。躊躇のない速攻。グレイヴがガードしたものの⋯⋯普通の小学生なら、何もできずに喰らっていただろう。
やはり、暴力的なことに躊躇がなさすぎる。続く攻撃も躱しながら、亘は頭の中で結論を出した。
「ここにある全ての本⋯⋯その文字の一つ一つが、読まれることで人の脳に寄生する病原体だったんだ。
きみの暴力性は、きっとその影響で増幅されたものだ。やっぱり今のきみは、本来のきみではない」
「だったらなんだっていうの?」
亘は先ほどまで持っていた本を拾い上げ、机上の残りの本たちも脇に抱えた。
「これらは全て、一つのシリーズのようだね」
表紙の表記からそれを読み取っている間にも、亘の脳もまた侵されているのだが、彼自身はそれを気にしない様子だった。
「ここからは、分の悪い賭けになる」
「どうするつもり!?」
「僕の能力を使う」
「はぁ!?」
ふと、亘は何かを思いついたように、目線を上げた。
「そうだな──能力名は、シンプルだけど『兆域の守護霊』とでもしようかな」
象牙色の守護霊は、紐状に解けて黒色に染まっていく。亘の肉体に纏わりつき、爆発的な膨張を遂げる。四肢は長く、胴は太く変形し、そのアンバランスさは見るものを本能的に拒絶させる趣だ。犬のような尖った耳と、極端なまでに長く鋭い牙。そんな頭部が挿絵に近づく。
挿絵の顔に浮かんだのは、恐怖。呆然と巨体を見上げ、かろうじて姿勢を保てているものの、膝は震えている。手から本がずり落ちる。圧倒的に長い牙を見て、それが自分を貫き殺す情景が頭の中で反復された。
我に返り、赤い本で現実世界へ帰ろうとする。懐から取り出されたそれは⋯⋯一瞬にして指先で取り上げられてしまった。
──殺される。そう直感した挿絵だったが⋯⋯予想とは裏腹に、亘は真横を向き、机に向かった。
黒色の巨人が取り出したのは、先ほど亘が回収したシリーズ書籍。それらが乱雑に机に並べられる。
そして⋯⋯人知を超えたスピードでページをめくりはじめた。全ての本が、同時に、瞬く間に一ページずつ進んでいく。
赤い女を手数で圧倒した、目に見えないほどのスピード。
超高速で動く口裂け女すらも捉えられたほどの、強化された動体視力。
融合体が持つ全ポテンシャルを投じた、一世一代の大規模速読。巨体が机に向かって必死に本を読みまくる光景は、ある種の滑稽さすら有していた。しかし本人は、ほとんど限界を迎えていた。
いくら強力な融合体といえども、そもそもの情報量が大きすぎる。テキストの情報量が小さいのはコンピュータの中だけだ。本人の理解というプロセスが挟まる以上、どうしても脳への負荷は高まる。文字のほうから脳に入ってくるから、解釈を必要としないのだけれど⋯⋯それでも、量は多いほうがよい。
瞳が細かく揺れ動く。脳には病原体である文字の軍勢が侵攻してくる。本能が理解を拒む狂気。解釈を必要としない意味の羅列。脳を冒し、理性を歪め⋯⋯亘の脳は凶暴性に支配されそうになった。
それに抗うのが、『兆域の守護霊』の回復作用。これが文字毒にまで効くかは賭けだった。治癒力のキャパシティギリギリで毒が流れ込み、決壊ぎりぎりで脳に流れ込んでくる。凶暴化の際で文字の一つ一つが無毒化され⋯⋯単なる情報に変わっていく。
──そして、読了。ほとんど同時に三分が過ぎた。
亘の身体が元に戻る。おぞましい怪物とは似ても似つかない、ごく平凡な灰髪の少年。挿絵はその姿を、唖然としながら見つめていた。
「驚かせてしまったけど⋯⋯これで準備は終わった。これから治療に移るよ」
「なんなの⋯⋯? あなたは⋯⋯一体何者なの⋯⋯!?」震える声で小口挿絵が尋ねる。
「墓山亘だ」
少年は一歩ずつ確実に彼女に近づいていた。その足取りは軽やかで、同時にとても確実だった。
「⋯⋯⋯⋯なにを、するつもり?!」
亘は答える。
「読み聞かせを行う」




