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こっくり 7

 思いもよらない愛の告白(嘘)を受け、乾のむき出しになっていた犬歯があっという間に引っ込む。足元の光もたちまち輝きを増していった。


「え、な、なんで⋯⋯」


「ワタクシは学校ではいつも独りで⋯⋯いっつも一緒にいるあなたたち三人には、ちょっと憧れてて⋯⋯。

 特に乾くんは、その、かっこいいなって⋯⋯」


 この頃にはもはや乾の脳内から怒りの感情は消えていた。


「そ、そう⋯⋯?」


「ねぇ⋯⋯その、お返事を聞かせてほしいですわ⋯⋯」


「いや、さすがに今すぐは⋯⋯」


「じゃあ、今日はいっしょに過ごしましょう。それでお返事を決めてほしいわ⋯⋯」


「う、うん」


 いくら嘘をつかれたとはいえ、かなりの可愛さを誇る奏にいきなり告白されたとなれば、一緒に遊んでしまうのが男子小学生の心理というもの。


 奏は、まだ泥が乾いていない公園に思い切り飛び出した。


 今日のコーデは、ロングスカートのカジュアルロリータファッション。足には真っ白なソックスを履いていたが、躊躇なく泥だまりに着地する。


 靴はあっという間に貫通し、濁った泥がソックスに染み込む。スカートのあちこちにも土くれが付着した。


「いっしょに遊びましょう」と、奏は乾に手を差し伸べた。


 乾は自分の服が汚れるのを好まなかった。潔癖な節があり、公園の様子を目の当たりにしたときから、うっすらとした不快感を抱いていた。


 しかし、その瞳に映る麗しい少女の姿が、自らの嫌悪という檻を破った。


 奏の手を取り、泥の中へ足を踏み出す。


 靴が急激に重くなる。二歩、三歩と踏み出す度に足の不快感が増していく。


「鬼ごっこをしましょう!」


 と、満面の笑みを見せる奏。彼女の演技の巧拙はともかく、純粋で人を疑うことを知らない乾にとっては、宝石に等しい光景だった。




 ここから先は、言葉が存在しない世界。


 その光景は、さながらお城の舞踏会のようだった。


 力強いステップ。舞い散る泥。雲の切れ間から差す日の光はまるで二人を照らすスポットライトだ。


 鬼ごっこはほとんど成立していなかった。泥に足をとられ、タッチをしてもマトモに逃走などできない。


 むしろ、ただ笑顔でじゃれ合っていると言われたほうがまだ納得できそうだ。


 だけど、それでよかった。その状況こそが幸せだった。少なくとも、乾の中に宿る犬の幽霊を油断させるには充分すぎるくらいに。




 二人が遊び疲れる頃には、奏のロングスカートや乾のズボンはほとんど泥に染まっていた。


「ずいぶんと汚れてしまいましたわ⋯⋯。

 あの水道で靴を洗いましょう」


 奏はあくまでも自然な形で、乾に靴を脱がせるように促した。


 公園の脇の水道の横にしゃがみ、乾が靴と靴下を脱ぐのを待ち構える。


 乾はほとんど蛇口の目の前まで来ていた。しかし、靴を脱ぐ素振りを見せる気配はない。


 訝しむ奏。乾の顔を見上げると、半透明のヨダレが口からあふれているのが見えた。


 先ほどよりも鋭い牙。耳の尖り方も異常だ。まさに、憑依が強まっている証左。


 別に、乾を怒らせたわけではない。それなのに、ここまで犬の形相が表に出てきている。奏は残された時間が長くないことを悟った。


「⋯⋯食わせろ」


 乾の口から、そんな言葉が飛び出した。


 靴を履いたままにじり寄る乾。その目は鈍く光っている。しかし奏の心には、もはや恐怖心など存在していない。


 ──既に、勝利までの道筋は完成していた。




 乾の身体が、急によろけた。


 右足に走った、強烈な違和感。ふと足元に目線を向けると、靴と靴下が脱げているのが見えた。


 不自然だとは思った。しかし、泥に引っかかっただけなのだろうと自分を納得させ、もう一度奏を見ようとした。


 ──奏は、まだそこにいた。


 まったく変わらない位置に、確かに立っていた。


 ⋯⋯だというのに、なぜだろうか。自分の右足が、誰かに掴まれていた。


 そして、憑依は解除された。




 奏の左腕⋯⋯乾から見て右の腕は、バネのような螺旋らせん状になっていた。当然ながら、腕は通常の長さを大きく上回るひも状になり、乾の足元にまで伸びていた。


「まず靴下を脱がせたのは、付着していた泥を切断して、表面の泥を地面に落とし⋯⋯再接合することで下に引っ張ったというトリックですわ」


 左腕が元に戻る。バネが縮むように、勢いよく通常の形の腕になる。


「そしてこの腕は⋯⋯リンゴの皮むきの要領で自分の腕を切断したのですわ。

 自分を切るのはかなりリスキーでしたけれど⋯⋯どうやら自分の能力で切るぶんにはダメージはないようでしたし⋯⋯一部分でも繋がってさえいれば、通常通りに身体を動かすこともできるようですわ」


 ⋯⋯と、奏が話していた相手は、乾の隣にいた。


 気絶している乾の隣にたたずんでいる、小柄なイヌの幽霊。ところどころがブクブクと膨れている、アンバランスな灰色の肉体。イヌだとわかるのに、イヌだと認めたくない。そんな容貌だった。


 ──既に、全ての脚が切断されている。


「どうしてワタクシがこんなに説明しているか分かりますか?」


 イヌの幽霊は、力なく首を横に振る。


「自分を切断できるという性質に気づかせてくれたあなたに⋯⋯せめて死因は教えてやろうという、ほんの少しの情けですわ」


 まるで標準を定めるかのように、右腕を標的へと向けた。その所作はまるで、りんの構えのようだった。


 情けを乞うような、力の抜けた鳴き声が響く。しかし、奏の瞳は揺るがない。


「ワタクシの級友に手を出したこと、地獄で詫びなさい」


 強大な一撃が空を切り、そのままグレーの怪物の首を刎ねた。




「おい、大丈夫かよ」


 そう後ろから声をかけてきたのは、自分の仕事を終えてきた霊禍だった。隣に亘もいる。


「えぇ、まぁ、いろいろありましたけれど⋯⋯」


「そんな泥まみれで⋯⋯ズッコケたのか?」


「戦略的な泥まみれですわ! プレデターみたいなものですから!」


 霊禍も亘も映画のプレデターを知らなかったので、微妙な反応だった。




 背後から音がした。


 ベンチに寝かせていた乾が起き上がったのだ。


「あれ⋯⋯ここは?」


 そのとき、奏は思い出した。自分は、彼を助けるためとはいえ、嘘の告白をしたのだ。


 本来であれば、嘘告など万死に値する重罪。人の純粋さを利用した、これ以上ない悪行である。さらに奏は、疲れ切っていて言い訳すら考えていなかった。


「あ、乾くん、えっと、さっきのアレは、なんていうか、真意ではないっていうか、仕方がなかったというか、確かに嘘ではあったけど⋯⋯」


「⋯⋯なんのこと? というか俺、なんで公園にいるの?」


「⋯⋯⋯⋯はい?」


「うわぁぁなんか泥まみれだし最悪! 授業だけじゃなく帰り道も寝過ごしたってこと!? ワケわかんねー! もう帰るわ!」


 乾はそのまま走り去っていってしまった。


 ⋯⋯ひとまず、記憶は消えているようで、よかった。奏は安堵した。


「奏、お前マジでなにしたの?」


「秘密ですわ! というかお二人こそ、平然としすぎではありませんの!?」


「そりゃ私は、首の後ろに鍵さして終わったし」


「僕はお腹に鍵穴ができたけど、まぁちょっと説得すれば普通にできたよ」


 どうやら、ここまでの苦労をしたのは、奏だけのようだった。


「冗談じゃないですわ~~~~~~~~!!!!!!!!!!!!!!!」




 その後、臨不在の自宅で、奏が泥まみれの洋服をそのまま洗濯機に突っ込んで故障させるのは、また別のお話。


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