お金持ちの友達の家 9+10
割れる電話台。両側に倒れ、赤い飛沫が上がる。
鎌鼬奏の霊能力──なのだろう。脇腹を深く刺され、命の危機に瀕したことによる、急激な脳波出力の変容。それが奏を覚醒させたのだ。
全員が息をのんでその様子を見守っていた。誰かの覚醒に立ち会うことなど、霊禍や亘ほどの熟練した霊能力者にとっても、初めてのことだった。
「次は当てろよ!」と霊禍が叫ぶ。赤い女はもう既に姿勢を立て直しつつあった。
「次は当てる? いえ⋯⋯そんな必要はありませんわ。
もう既に、当たっているも同然ですもの」
次の瞬間、真っ二つになった木製の台が、ガタガタと揺れ始めた。
──そして、断面同士が磁石のように引き合い、赤い女の胴体を挟みこんだ。
その勢いは、そこまで速いものではなかった。しかし確実な重量が、赤い女に加えられ続ける。電話台は断面から赤く染まっていき、およそ赤い女の支配下に入りそうな様子に思えたが、それでも勢いはとまらない。
「『切断』⋯⋯そして『再接合』
それがワタクシの能力⋯⋯」
赤い女は、急激な重さに耐えきれず、ついに膝をついた。苦しそうな声が口から漏れている。
「なんであんなに効いているんだ!? 今までほとんどノーダメージだったのに!」と霊禍。
「⋯⋯わかった! もっと早く気付くべきだった⋯⋯!
赤い液体の正体は⋯⋯『ダイラタンシー流体』だ!」亘が叫ぶ。
「ダイラタンシー流体は、強い衝撃を受けたときだけ個体になる液体⋯⋯。僕らの攻撃はどれも《《強すぎた》》んだ! 僕のパンチも、霊禍の刀も、強すぎたがゆえに弾かれた!
あの電話台の勢いも確かに強い⋯⋯しかし僕らの攻撃とは一点だけ異なっている⋯⋯。
電話台は、『常に一定の力で圧迫し続けている』⋯⋯!
ダイラタンシー流体に同じ力をかけ続けると、どんどん奥へと沈むという性質があるんだ! 今の攻撃は、その弱点を突いている⋯⋯!」
材木が胸に食い込んでいく。もはや赤い女は動けそうにない。胴体の液体を湧きあがらせるのに手一杯で、鉈すらも作り直せていない。
奏は脇腹を抑えながら、ゆっくりと赤い女に近づく。
「お母さま⋯⋯? どうして、こんなことを⋯⋯」
赤い女の口元がぼこぼこと泡立つ。
「かな⋯⋯で⋯⋯
あなた⋯⋯の⋯⋯⋯⋯」
薄く、今にも消えそうな声だ。
奏は顔のそばに耳を近づけた。
「あなたのせい⋯⋯で⋯⋯私は死んだ⋯⋯!」
それを聴いた奏の顔が青ざめるよりも早く、臨が奏を左手で抱き寄せた。
柔らかいエプロンドレスの袖が、奏の目と耳を覆う。
そして、青白い閃光が赤い女を包み、一瞬にして蒸発させた。
戦いは終わった。
赤い女の肉体、壁や天井はみるみるうちに消えていき、二度と元には戻らなかった。
一気に空気が澄んだ。先ほどまでの息苦しさが嘘のように、満足いくまでの深呼吸ができた。しかし奏はすぐに気絶。臨も満足に動ける状況ではなかった。
亘はすぐに救急車を呼んだ。霊禍は二人をリビングまで運び、柔らかいカーペットの上に寝かせた。冷凍庫から保冷剤を取り出し、傷口を冷やす。オーラでの止血も行った。
そうしているうちに、遠くからサイレンが響いてきた。
幽魔町立病院。病室の窓から朝日の輝きが見える。
「奏さん」
そう呼ぶ声は右隣から聞こえてきた。
「お怪我の具合はいかがですか?」
「動くと少し痛むけれど⋯⋯別に大したことはないですわ」
二人の間には薄いカーテンがかかっていた。お互いのことは、シルエットでしか認識できない。
「それはよかったです。お医者様によれば、一週間で退院できるとか」
「臨のほうは?」
「私は二週間ほどかかるらしいです。その間、一人でお留守番できますか?」
「ワタクシを誰だと思っているの?」
臨は微笑して、それから暖かい空気がしばらく流れていた。しかしそんな時間はそう長くは続かなかった。
「⋯⋯あなたの母親のことを、話しておかなければなりませんね」
「構わないなら、今ここで全部話してしまって。
覚悟はできていますから。」
臨は造り物の右手をなんとなく開閉させながら話し始めた。
「鎌鼬家は⋯⋯お嬢様が一歳の頃に滅びました。あなたのお母さんも含めて、ほとんど全員が一晩で亡くなりました。
私はその原因を伝染病だと言っていました。しかし⋯⋯それは真っ赤な嘘です。あなたが傷つくことを恐れて、真実を告げることができなかったのです。申し訳ありません」
「⋯⋯そうだったの」
「あの晩、旧邸にいた人々の中で、生き延びたのは旦那様⋯⋯お嬢様のお父さん⋯⋯と、私と、あなた自身。たった三人だけです。
そんな凄惨な事件の原因は、単なる遺産争いです」
奏は黙っていた。
「鎌鼬家は、代々受け継がれてきた『切断』系統の霊能力者家系⋯⋯。しかしその実体は、金の亡者の集まりです。
裏稼業を行い、詐欺まがいの商法を用い、挙句の果てには人殺しまで行なっていたのです。霊能力は人殺しに適していますから、そういった依頼は多く届いていました。滅ぶ前の十年くらいは、なかったようですけれど⋯⋯」
その声には人間味がなかった。本人はきっと、慎重に、奏を必要以上に傷つけないように気をつけようとしているはずなのだろうが、それにしてもその声は淡々としすぎていた。
それが、臨の心が傷ついているときのクセなのかもしれない。
「唯一、人の心があったのは、あなたのお父さん⋯⋯鎌鼬双二さまだけです。婿入りしたてで、研究にしか興味のない人でしたから⋯⋯。
ですからどうか、安心してください。
あなたの知る家族は、今までの姿となんのかわりもない、優しい家族なのです」
「⋯⋯よかった。お父さままでもがそんな野蛮な人間だったとしたら、もう何も信じられなかったでしょうから」
「えぇ。邪悪だったのはあくまでもあなたが知らない鎌鼬家で⋯⋯」
「だけど、臨は人を殺したことがあるの?」
臨の手の動きが止まった。
「この事実を言えば、あなたはきっと、私を拒絶します」
「──しない。
絶対しない。
⋯⋯だから、本当のことを言って」
「⋯⋯時間をください。どうか一時間だけ、お願いします」
10
それから冷たい時間が流れた。なんの前触れもなく、臨は口を開いた。
「あなたの母親⋯⋯鎌鼬卅華を殺したのは私です」
臨の声はあまりにも無機質だった。
「⋯⋯どうして?」
「あの夜、私はあの戦いに巻き込まれ、完全に正気を失っていました。目の前で何人もの人が死んだのですから⋯⋯。
そして私は、この家を滅ぼす決意をしました。
私は、当時一歳だったあなたに拳銃を向け、この家の遺伝子を完全に途絶えさせようとしました。
そして引き金を引いた瞬間、あなたの母親が飛び出してきて、あなたを庇ったのです。
銃弾は胸に命中。彼女は最後の力をふり絞って私の右腕を切断し、そのまま息絶えました。
この義手は⋯⋯そのあと双二さまに作ってもらったものです」
再び沈黙の時が流れる。
風の音すらもしない、そんな時間だった。
「本当なの?」
「⋯⋯はい」
臨から見える奏のシルエットは、仰向けのまま微動だにしていなかった。
「分からない⋯⋯自分の感情が分からない⋯⋯。まったく自分でも、わかりません。
今はなんとも思わないけど、うまく呑み込めていないだけかもしれないし、これから急に臨への信頼が消えてしまうかもしれない⋯⋯。
だけどただ一つ言えるのは、今まで育ててくれた感謝と、これまで共に過ごした思い出だけは、これからもずっと本物であり続けるということだけです」
表情は見えない。
「私はまだ、あなたのことをお嬢様と呼んでもよいのでしょうか」
鎌鼬奏は右を向いた。
「当然、ですわ」




