FLY AWAY 4
貨物列車は止まらない。亘の身体はグレイヴ越しにコンテナに密着し、猛烈な風を背中に受けていた。
正面には、自分の背丈よりも巨大な顔が迫ってきている。芸術作品にも見えるそれは、幽霊が使用している盾だ。列車をわずかに凌ぐスピードで、亘を追っている。
この辺りの線路はほぼ一直線だ。少しでもカーブがあれば、直進しかできない幽霊に対する時間稼ぎくらいにはなったかもしれないが、期待できないだろう。
「へぇ⋯⋯頭を使ったね⋯⋯。
だけど、結局はしょっぱい悪あがきに過ぎないんだよね⋯⋯」
幽霊はついに、亘の真横にまで到達した。もう目と鼻の先にまで来ている。ここで蹴りの一撃でも喰らえば、亘は地面に落下して、ズタズタになって死ぬだろう。
だというのに亘の目には、恐怖など浮かんではいなかった。
「なに、その反抗的な目は⋯⋯?
あぁ、そっか。何か考えているのかな? 弱いやつほど策を練るよねぇ。でも言っただろう? 小手先の技術で弱さは消えないんだ」
亘は無反応だった。恐怖を感じているようには見えない。むしろ、つまらなさそうにすら思える。前方に視線を送り、幽魔駅が近づいてきているのを確認した。
「おい! 無視をするな! クソッタレのガキが!」
蹴り。亘の頭部を目掛けて放たれたそれは、僅かに首を傾けただけで回避された。
「邪魔しないでくださいよ。いま、測っているんですから」
「何を!?」
「霊禍との、心の距離を⋯⋯」
は? と幽霊が言うよりも早く、亘はグレイヴの背中──マントのようになっている部分にしがみつき、そのままグレイヴは両手で、最大限の力を込めてコンテナを押した。その所作は、人間が跳ぶときに地面を蹴るのと似ていた。
グレイヴと亘は、そのまま駅舎の脇を通過し、駅前の道路の方にまで飛んで行った。列車の慣性も乗り、凄まじいスピードになっている。幽霊は慌てて盾のジェットを停止し、方向を定めなおしてまた再噴射した。駅前とはいえ、田舎の幽魔町にはそこまで建物が多いわけではなく、ちょっとした商店が数軒と、少し大きなドラッグストアがある程度だった。
道路の中央に、亘が寝そべっていた。グレイヴのマントで身を包み、辛うじて生きてはいるが、血が布に染み込んでいる。
「どうしたよ? まさかなんの策もなしに⋯⋯」
幽霊が近づきながらそう言いかけた途端、空気が変わった。
気温は急激に高くなり、アスファルトがわずかに焦げる匂いがした。全神経がピリつくような緊迫感が、幽霊の身体を覆った。
首無しの幽霊は振り向いた。首がないのに、振り向いた。
そこにいたのは、ただの女子小学生だった。幽霊にとっては取るに足らない、圧倒的な弱者のはずだ。
それなのにどうして、自分はこんなにも震えているのか、幽霊には理解できなかった。単なる錯覚だと思いたかった。しかしこの恐怖は、どうしようもなく確実だった。生前に一度は味わった、死に向かう感覚だった。
「心の距離って⋯⋯こいつとの⋯⋯?」
幽霊の質問は、せめて自分の敗北の理由くらいは知りたいと願ってのものだった。
亘は全身の脱力感に襲われながらも、それに答えようとした。
「冗談⋯⋯ですよ⋯⋯。
数えていたのは⋯⋯時間です。霊禍が普段⋯⋯買い物を終えるまでの⋯⋯」
霊禍は会話が終わるのを待たずに、オーラを込めた拳で人面盾を軽々しく折り、幽霊の細い胴体を貫いた。
「ハハ⋯⋯結局は、人任せか⋯⋯。
やっぱり、弱さは消えない⋯⋯」
そう力なく言い残し、幽霊は死んだ。盾も含め、肉体が消失した。
「おい亘、大丈夫かよ」
血まみれの亘に、霊禍は尋ねた。
「すごく痛いけど⋯⋯大丈夫。傷ついたのは胴体と太ももの辺りだけだし、明日まで隠して、融合で治すよ」
グレイヴのマントの丈夫さもあり、列車から飛び出したにしてはかなりの軽症で済んでいた。それにしても身体のあちこちにできた傷は生々しくグロテスクで、霊禍にも不快感を与えた。
「ちょうど⋯⋯そこのドラッグストアで包帯でも買うよ。ランドセルないから、立て替えてくれない?」
「それはいいけど⋯⋯なんで亘が戦ってんだよ。それと、私の場所もなんで分かったんだ」
「偶然、幽霊に出くわしたんだ⋯⋯。
霊禍の居場所に関しては、そりゃあ、霊禍の買い物先なんてここかスーパーかしかないし、食料品の買い物は昨日行ってたから」
亘は起き上がりながら、さも当然かのように答えた。
「ストーカーかよ⋯⋯。ってか、私が聞きたいのはそうじゃなくて、なんでこんなに自分が傷つく作戦に決めたのかってことだ」
「⋯⋯どうせ治せるから」
それが先ほどの自分の発言だと、霊禍が気づくのに時間はかからなかった。
「こりゃ一本取られたな」
霊禍は視線を逸らし、苦笑しながら、亘の身体を支え、ドラッグストアへ入っていった。




