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FLY AWAY 1

 口裂け女の一件の後、特に日常に変化はなく、霊禍れいかわたるはいつも通り幽霊を追い詰めていた。


 住宅街の外れにある、薄暗い空き家。帰り道に幽霊を目撃した二人は、それを尾行してここまで辿り着いていた。


 もはや普通の幽霊になど負ける余地のない二人だが、それでも慎重さは忘れないでいた。油断をしてはならないというのは、師匠の最も重大な教えの一つだった。


 だからこそ、廊下の突き当たりに幽霊を追い詰めても尚、二人は数十秒間、距離を保ち続けていた。


 その幽霊は濃い緑色のブヨブヨとした肉体を持っていた。例えるなら、人の顔と手足を持つ芋虫のような見た目。五十センチほどの身体が、宙に浮いている。見るからに雑種の混合霊だ。


 幽霊は放置すると人に害をなす。その事実を二人はこれまでの二年で痛感していた。たとえ貧弱な幽霊であろうと、発見し次第殺さなければならない。


 ギェ⋯ギェ⋯と力なく鳴く幽霊に、霊禍は少しずつ近寄る。不死鳥のオーラを両腕に纏い、距離を詰めていく。


 亘はその様子を後方から見ていた。隣にはグレイヴも顕現しており、いつでも行動できるように待機している。


 霊禍が幽霊を殴ろうとした瞬間、幽霊の肉体が僅かに揺らいだ。


 その一瞬の動きだけで、霊禍には全てが理解できた。超感覚による動体視力が、筋肉の微細な収縮を捉え、次の動きを読み取ったのだ。


「亘! 逃げ⋯⋯」


 刹那。霊禍の肉体が勢いよく後方に傾く。眼前には巨大な黒い影が広がり、その中央を鋭く太い針が貫いた。


 グレイヴとの融合。それが亘が即座に取った行動だった。霊禍の身体を幽霊から遠ざけ、針の射線上に、霊禍を庇うように自分の肉体を置く。


 結果から述べると、この判断は正しかった。


 幽霊の自爆⋯⋯もとい、周囲に針を放つ決死の一撃は、亘の腹部を貫くだけの結果となった。霊禍の身体には傷一つ付いていない。亘は融合体となっていたため、健康体で元の姿に戻ることができた。


 周囲には直径三〇センチほどの穴がいくつも空いていた。あの幽霊は死に際に全方位攻撃を仕掛けたのだな、と亘は認識した。


 緑色の幽霊が完全に消滅したのを横目で確認した後、「大丈夫?」と、何事もなかったかのような調子で、亘は尋ねた。


「あぁ⋯⋯」


「そっか。よかった」


 亘の言葉に他意はなかった。しかし霊禍の表情は僅かに曇った。


「よくはねぇよ⋯⋯。融合は温存しとけよ」


「⋯⋯どういうこと?」


「今の攻撃は、私が刺されるだけで終わらせることができた。それは不死鳥の力ですぐに治せるだろ。だったら亘は、私の言うとおりにあの場から離れて自爆をやり過ごして、その後に何も起きないか警戒すべきだった」


 亘は当惑した。


「要するに霊禍は、自分が傷つけば済む攻撃は防がなくていい、って言いたいのか?」


「それもそうだし、亘の融合はもっと慎重に扱うべきだって言ってんだよ。私を庇う程度のことでバカスカ使ってんじゃねえよ。私たちの最高戦力だってことを自覚しろ」


 そんなことを言われても。


「だからって、霊禍が傷つくのを見過ごせないよ」


「そういうことを言ってるんじゃねぇ! もっと考えて行動しろよ! 何時間でも戦ったり治したりできる私を、一日一回しか融合できないお前がいちいち庇うな! わかったか?」


 亘は何も言い返せなかった。霊禍は沈黙に耐えかねて、「買い物あるから、もう帰る」とだけ言い残し、そのまま去っていった。


 取り残された亘は、しばらく立ち尽くしていた。


 霊禍の発言は、戦略的には正しいのかもしれない。自分は考えなしに融合しすぎだというのは、ある程度自覚していた。今回だって、あの幽霊が第三者の仕掛けた罠だった可能性も考えられたんだ。融合という手札を切るのは悪手だったと言えなくもない。


 だけど、それでも。


 いくら治せるからって、霊禍が傷つくのを見たくない。


 強がっているが、霊禍にも痛覚がないわけではない。むしろ、超感覚によって痛みまでもが常人の何倍にも膨れ上がっているだろう。


 霊禍にそんな思いをさせるのは嫌だ。


 ──だったらどうすればよかったんだ、と悩みながら、亘は空き家を後にした。

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