プロローグ/沈黙の三年間 6
「どうしてグレイヴを⋯⋯?」
亘の疑問は、当然のものだった。
「霊のエネルギーというのはね、悪魔の世界では重要な研究資源なんだ。特にそのグレイヴという守護霊は、自律思考が可能で、さらに用途も多彩だ。こちらとしては是非とも欲しいんだよね」
「ヌハハ、俺ってそんなにスゴいのか!」
グレイヴは上機嫌に笑った。
「まっ、亘が俺を手放すわけないけどな!」
「そうかい? かなり悩んでいるように見えるけど」
メフィストの言う通り、亘は迷っていた。
「え⋯⋯亘、まさか俺を捨てないよな?」
その声をひとまず無視し、亘は質問を投げかける。
「⋯⋯その条件、僕に都合が良すぎないですか? お母さんを生き返らせてくれるなんて、普通に考えれば無理でしょうし。そんなにすごいことができるなら、グレイヴなんて力ずくで奪えばいい」
「そうだね。だけどボクは⋯⋯悪魔という種族は、契約を通じてしか人間に干渉できない。無理矢理力ずくとか、そういうのは無理なんだ。
それと、お母さんを蘇らせるのは、ボクなりの敬意だ。」
もはや亘には、正常な判断をできる冷静さは残っていなかった。それでもどうにか、少しは真っ当に行動しようと努めた。
「それが本当だったとして⋯⋯なにか特別な条件とかを伏せているんじゃないですか?」
「⋯⋯言ったでしょ。亘クンはグレイヴを差し出す。ボクは亘クンのお母さんを生き返らせる。それだけだよ」
信じられるかは非常に微妙だった。
とにかく『都合が良すぎる』のひと言に尽きた。
──だけど、現在進行系で、人知を超えた現象をいくつも見せてきているこの悪魔相手に、契約を拒否するなど考えられなかった。
「⋯⋯本当なんですね?」
「もちろん」
「おい亘! やめろ!」
うるさい。
一体誰のせいで、自分がここまで苦労する人生を送ることになったと思っているんだ。
「なぁ、断れって!」
思えば、お母さんに別れの言葉を告げられなかったのも、元を辿ればグレイヴのせいだった。グレイヴのせいで喋る習慣が消えていたから、あの時も声が出なかったんだ。
グレイヴから離れられるなら、なんでもいい。
「⋯⋯グレイヴを、あなたに差し上げます」
メフィストは美しく微笑んだ。
「よかった」
バチッと音がして、亘は目を覚ました。
いつも通りの、自室のベッド。スマホを起動し、今が三月二十九日の午前六時だと知る。カーテンの隙間から朝日が差し込んでいる。
ふと、違和感を覚えた。いつもより静かなように思えた。
──グレイヴが、消えていた。
クローゼットにも、天井にもいない。今までこういうイタズラを仕掛けられたことが何度かあったが、今回ばかりは、本当にいない。
動揺する亘の耳に、料理の音が届いた。
亘は脇目も振らずにドアを開け、階段を駆け下りた。
そこには、見慣れた人影があった。
「あ、おはよ。はやく食べちゃって」
亘の母、墓山花崗が立っていた。
動きのクセも、声も、息遣いも、間違いなく本人だった。




