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プロローグ/沈黙の三年間 3

 搬送先は、わたるが生まれた町立病院。


 亘は、病室の外のベンチに座らされていた。ただ俯き、母の無事を祈ることしかできなかった。何人もの医師や看護師が、目の前をせわしなく行き来していた。


「おいおいおいおいヤバイヤバイヤバイぞ!!!!」


 グレイヴも少しは大人しくなったと思ったが、それは誤解だった。


「ヤバイ!!!!!!!!! ヤバイって!!!!!!!!!!!」


 緊張や不安を上書きするほどの、耳障りな叫び声。


 黙れ、と何度も念じた。普段なら、強く念じれば数分くらいは口を閉じてくれた。


 ──それなのに、今に限って。


「お母さん死んじゃうぞ!!!!! ヤバイ!!!!!!!!」


 なんて、分かりきったことを叫んでいる。


 わかっている。そんなことはわかっている。だから、今は、黙ってくれ。




「亘」


 そう声をかけてきたのは、父親だった。グレイヴの声のせいで気づかなかったが、いつのまにかベンチのそばにまで近づいてきていた。


「病室来て」


 震えを隠しきれていない声だった。亘は、グレイヴが言っていたことが本当になったのだと察した。




 病室の中は真っ白だった。


 母の口元や腕から無数のチューブが伸びている。


 先程までの元気な笑顔が嘘だったかのように、生気を失い、肌は青白くなっている。

 

 静まり返っている部屋の中で、心電図の規則正しい音と、母の弱々しい呼吸音だけが響く。


「亘」


 父の声の震えが増している。


「お母さん、もう最後だから⋯⋯。お別れして⋯⋯」


 そう言われ、母の方へと肩を押される。


 母はゆっくりと亘の顔を見た。呼吸器越しに見える口元がほんの少しだけ上がり、目元が涙でうるんだ。


 機械に繋がれた右手が、亘に近づいてきた。亘はそれを両手で握り、口を開こうとした。


 だけど──なんの言葉も思い浮かばなかった。


「おい、亘、なんか言えよ」


 病室に入ってから静かだったグレイヴが、急に話しかけてきた。


「まさか、こんな時まで黙ろうってんじゃないよな!?」


 静かにしてくれ、と亘は思った。頼むから、今だけは。


 必死に頭を回した。これまで口数の少ない人生を送ってきたが、必要な時にはちゃんと話すことができていた。だから今も、適切なセリフが口から出てくるはずだった。


 だけど──どんなに考えても、なんと言えばいいのかわからない。


「オイオイオイオイ、なんでもいいから言えよ!!!」


 亘の頭は焦燥に満ちた。


 どうしてだ。どうして何も出てこない。


 いつもなら普通に出てくるはずの言葉が、どうして今になって詰まるんだ。


 心電図の音が乱れ始める。


 手を強く握り直す。氷のように冷たい。


 母の目は虚ろだが、それでも確固たる意志を持って、亘を視界に入れようとしていた。


 さらに強く手を握る。


 亘の喉が震え、かすかな音がかろうじて発された。


 しかし、その音は、あまりにも弱く、曖昧だった。


 言葉未満の空気の波は、母の耳に届かないまま消滅した。


 そして、母の命もまた、それに呼応するように、この世界から消えた。


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