第2230話「新たなる生命」
海底を這う真空パイプの中を超高速でシャトルが移動する公共交通機関、高速海中輸送管ヤヒロワニに乗り込んで、〈剣魚の碧海〉海底にある〈白き深淵の神殿〉を目指す。もともとの神殿は源石の研磨くらいしか用がなかったため、神殿行きのシャトルもさほど混んでいる印象はなかった。
しかし新規コンテンツが実装されたとあっては話は変わってくる。〈ワダツミ〉で調査開拓員を鮨詰めにしたシャトルは、その多大な重量を乗せたままにパイプの中を滑る。大幅に増便されているにも関わらず、俺とラクトは互いの肩が触れ合うほどに密着しなければ収まることもできなかった。
「すまん、ラクト。貸切シャトルにすればよかったな」
「う、ううんっ! 全然! 今の貸切シャトルなんて目玉が飛び出るくらい高いだろうし……。もも、勿体無いもんね!」
ぎゅうぎゅうと外側から押されて、俺はラクトを壁際へと追い詰める。大きなガラス窓に、彼女は背中を密着させて目を泳がせていた。
まさかタイプ-フェアリーの体格だとこれほど周囲に圧迫感を抱くとは。自分が体験してみないと分からないことも案外多いものだ。ラクトを気軽に小脇に抱えていたものだが、あれも彼女にとってはかなりの恐怖体験だったのかもしれない。
「ぐぉおっ」
「ふぉおっ!」
ヤヒロワニがカーブに入って、遠心力が背中にのしかかって来る。咄嗟に両手を壁に突きつけ耐えたが、ラクトの顔が間近にまで迫ってきた。
「大丈夫か、ラクト」
「おぉふ……」
「もうすぐで到着するから、それまで我慢してくれ」
「着かなきゃいいのに……」
顔を真っ赤にして小さくモゴモゴとつぶやくラクト。息苦しそうだし、早く開放してやりたいところだが、あと数分はこのままだ。
その後もヤヒロワニは何度か曲がり、更に深い海底渓谷の奥へと突っ込んでいく。その度に大きく揺れて、中では人が右往左往しまくる事態に。スタビライザーか何かを開発して、なんとか衝撃を殺すようにしたいものだ。
「おお、やっとか」
「オワッチャッタ……」
そうして数分間を耐え忍び、ようやく俺たちは日の届かない海底にあるプラットフォームへと降り立った。古代の遺跡――〈白き深淵の神殿〉と接続する巨大なドームが人で溢れかえり、彼らは一斉に一方向へと流れてゆく。
ラクトは随分消耗したのかシャトルから降りた直後に腰が砕けたようにへたり込み、俺は彼女を支えて近くのベンチでしばし休憩することにした。
「大丈夫か?」
「う、うん。お見苦しいところを」
「ラクトはあんまり人混みも得意じゃないもんな。しかたないさ」
「……そだねー」
水を飲んで落ち着いたラクトはすっと立ち上がる。
少し出遅れたが、逆に言えば、周囲に急かされずに済む。彼女が復活したのを見て、ゆっくりと向かう。〈白き深淵の神殿〉の内部はしっかりと改装されていて、水が満ちていることも滴り落ちてくることもない。ただ、やはり平時と比べてずいぶん賑わっている。
原石研磨で一喜一憂している調査開拓員たちもいるが、その奥へと大多数は流れていく。
「ここが儀式の間か」
「閉ざされてた部屋の一つだね。レゥコ=エゥリエス……あの猫が解放のトリガーになってたみたい」
神殿内部にずらりと並ぶ、閉じられた石の扉。そのうちの一つが開放されている。何やら決意に満ちた表情の調査開拓員たちが中へと入り、そして浮き足だった様子の有機外装の調査開拓員たちが出てきた。
「中は空間複製されてるんだな」
「そうみたいだね。待ち時間がなくていいんじゃないの」
あの猫自身、割となんでもありな存在なのだろう。空間複製で部屋の内部は無数にコピーされ、踏み入った者はそれぞれ別の空間で、同一だが異なる猫に出迎えられる。
俺はラクトの気持ちに迷いがないのを確かめて、彼女と共に部屋へと一歩踏み込んだ。
『――ようこそ、朽ちることなき鋼に囚われた者よ。我がその冷徹なる縛めから解き放ってや、』
「久しぶりだな、エゥリエス……でよかったか?」
『ふにゃああああっ!?』
薄暗い正方形の部屋の中央に佇む黒猫。二股に分かれた尻尾を優雅に揺らしながらこちらに金の瞳を向け、そしていきなり飛び上がる。
『き、君ぃいっ! いったいどんな顔してノコノコと……!』
「さっきまでの雰囲気が台無しだな。まあ落ち着けよ」
『落ち着けると思ったかい!? 君のせいで危うく世界が崩壊するところだったんだぞ! それがなぜか、よく分からないうちに安定したのも気味が悪いがね?』
フシャー! と背中を曲げて威嚇してくる黒猫。さっきまでのミステリアスな演出もすっかり消え去ってしまった。俺は完全に巻き込まれただけだというのに、八つ当たりも甚だしい。
「まあ、そう言わずに。これ、お土産だ」
『ふんっ! 君からの賄賂など受け取るわけが……すんっ。なんだい、この、芳しい……むむっ』
「ワダツミ特産のソーダカツオの本節だ。最上級のとっておきだぞ」
『ふにゃーんっ!』
警戒心全開だった猫は、あっという間に鰹節に抱きついてゴロゴロと喉を鳴らす。これで出汁を取るとなぜかソーダ水になるという不思議なもので、カツオ節を舐めてもシュワシュワと刺激がある。カルフォンを調達するついでに市場で手に入れたものだが、お気に召してくれたようで何よりだ。
『乾物なのにシュワシュワするなんて……。矛盾! 香ばしいのに爽やかで、矛盾! なんと興味深い!』
何やらにゃむにゃむと言いつつ、ペロペロ舐める舌も止まらない。
猫だからカツオ節というのは安直かと思ったが、ストレートに嵌ったようだ。
「レッジのそういうとこ、ほんと凄いよね……」
「何がだ?」
「懐に侵入する手際というか、なんというか」
複雑そうな顔ながら、きっとラクトも褒めてくれているのだろう。なにせ、俺は人の気持ちがわかるタイプの人間だからな。
「というわけで、エゥリエス。早速なんだが転生をしたいんだ」
『なんだって? 君はもう有機外装じゃないか。ああ、戻りたいということかな?』
「いや、こっちのラクトがな」
ひしと鰹節を握ったままの猫に、隣のラクトを示す。ぺこりと会釈する彼女に、エゥリエスは今さら気が付いたような反応をした。
『なんとなんと! それはもちろん大歓迎だよ。我が回帰的矛盾部門への賛同者が増えるのは喜ばしいことだからね』
「そっちの認識はそんな感じなのか。まあ、間違ってはないんだろうが」
有機外装へと切り替えるのは、つまり魔術を使いたいという意思表明である。猫的には、それは彼女が管轄する学問を志すことと同義なのだろう。
『とはいえ、タダで人生をやり直せるほど、この世は甘くない。求めるならば差し出せ。供物は整えてきたのかね?』
「うん。揃えて来てるよ」
エゥリエスに促され、ラクトはインベントリから荷物を取り出す。
水や何かの肉、更に化学的な原材料。ずらりと並べられたそれを、黒猫はじっと見つめて検分する。
『……よろしい。供物は揃っているようだ。となれば、前段は省略してもいいだろうね』
本来、身ひとつでここに来るとエゥリエスからいくつか課題が与えられる。それらの過程で"供物"を集めるのだが、事前に予習して"供物"を揃えてから行けば、その流れを短縮することができる。
あと必要なのは、選択だけだ。
『我、レゥコ=エゥリエスの名の下に、ラクト――君に新たなる可能性を授けよう。覚悟はいいかね?』
返事は決まっていた。
彼女は一歩前に出て、黒猫と対峙する。周囲に並べられた"供物"と、彼女の内側に宿る本質が、混ざり始めた。
Tips
◇ソーダカツオ
〈ワダツミ〉近海に生息する大型の水棲原生生物。高速で泳ぐことのできる魚で、その身に特殊な構造を有して水圧に耐えている。引き締まった身は刺身でも美味いが、燻して乾かすことで作られる鰹節は他と一線を画する。
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