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龍の宝玉  作者: プー太郎
9/9

第8話 家政婦は見た!


 その瞬間、世界は静寂に包まれた。


 大理石のフロアを打つピンヒール。その近くでふわりと揺れるレース。

 彼女はハイウエストでの切り返しが特徴的なエンパイアドレスを身に纏い、その場所に現れた。

 鎖骨の中央で輝くハートカット・ダイヤモンドの18Kホワイトゴールド製グリフペンダント。胸元の繊細なクリスタルが配われた(あしらわれた)アールヌーボーを思わせる緻密な刺繍は上品さと気品さを演出していて、肩ぎりぎりのラインに乗ったフレンチスリーブが彼女の可憐さを魅せるのも忘れない。しかもドレスラインには千粒以上のスワロフスキービーズが贅沢にも散りばめられており、全身がジュエリーを纏っているかのような煌めきに溢れていた。

 緑がかった深蒼色の深毛藍(シェンマオラン)が白皙の肌と相俟って大人への過渡期にある彼女の神秘的な女性美を存分に引き出し、見る者の情動を掻き立てる。濃い色は重くなりがちなのに、縦ラインに配したシルバーレースがアクセントとなってドレスを引き締めているようだ。

 滑らかなシルエットが美しい。そして上質な素材なくしては表現出来ないシンプルなデザインだからこそ、リュクスな美しさを最大限に表現している。

 彼女は一歩踏み出すと、腕にゆったりと掛けたイタリア製最高級リバーレースと手刺繍の施されたベールを靡かせて紅に濡れた唇をそっと震わせた。

「……涼君」

 鈴のような声。

 俺が胸の辺りで緩やかなカーブを描く黒髪を掬い上げ、薄く油膜の張った大きな瞳を見詰めてやれば彼女の上を向く睫毛がゆるりと何かを訴え掛けるように揺れた。

「りょう、くん……」


 俺は誘われるように円やかな頬へと手を伸ばし――……。




「――ッうおぅ、あぶなっ!」

 同級生相手にオイタするところだった!

「まさか本田の夢を見るとは……」

 飛び起き、心臓を胸の上から押さえるとその暴れ具合が殊更手の平に伝わってきた。

 欲求不満? んなバカな。

 って事で少し早いけど、シャワーでも浴びて頭をスッキリさせよう。


 修学旅行は一週間前に終わってる。っていうか帰ってきた翌日にはもう学校中、前期試験の話題で持ち切りだった。流石エリート校。でも翌日くらいは修学旅行の思い出話があってもいいと思うんだ。ほら、行き先違ったクラスもあるんだしさ。

 しかし現実とは残酷なもので、自分が劇的ビフォーアフターをプロデュースした本田でさえ朝の挨拶の次には「もうすぐテストだね! 涼君はいつも何処で勉強してるの?」だった。OH、ジーザス。

 試験期間一週間前になると、部活動も自粛を始めて最近日参している図書館には多くの生徒が訪れるようになった。三日もすれば図書館を利用する顔触れも決まり、その席も大体いつも同じだ。

 そうしていつの間にか本田との勉強会が放課後の常となっていた。


 今日も今日とて勉強会はある。……筈だった。というのは、目の前で拝むように両手を合わせる本田を見て察してくれ。

「ごめんね、涼君! なんだかお父さんが突然こっちに来るって言い出して……!」

「ああ、いいよいいよ。勉強なんて家でも出来るし。本田さん、寮生活なんだからこういう時こそ親孝行しないと」

「うんっ、じゃあ明日はまた一緒に勉強しようね。――あ、私、次の教科書忘れたんだった! 借りてくるっ」

 ふわゆるウェーブを弾ませて慌ただしく駆けて行く本田の小さな背中を見送って、自分はフゥと息を吐いた。

 特に約束してる訳じゃないんだから、一々説明なんかしなくても一言断りを入れるだけで十分なのに。律儀な奴だよな。

 さてと。

 思いがけず空いた時間が手に入った訳だ。

「帰ったら一日で出来そうな仕事でも確認してみるかぁ」

 グラウンド近くに設置されている自動販売機を目指して歩きつつ、ぼんやりと今夜の予定を考えてみても大きな仕事は入ってなかったように思う。何処其処の情報流してくれとか足抜けした誰其れを探してくれとか、この頃はお抱えの情報屋がいないような弱小組織からの依頼が多い。正直、人探しは面倒だから即行でお断りしてるけど。自分は万屋です。情報屋ではありませんので悪しからず。

 もしかしたら仕事ナシの丸っきりオフになるかもしれないな。そしたら何処かに飲みに行こう。

 そう決めた頃、丁度自販機に到着していた。

「お。午後の紅茶(午後ティー)ウバ茶葉二倍があるじゃないですか。素晴らしい」

 欲しい商品を選択してIDカードを翳すと、短い電子音の後に商品が落ちてくる。冷たいそれを手の中で弄びながら人気のない校舎横を進んで行った。

 左手に立ち並んぶ木々。この林を真っ直ぐ横断すれば芝生の張られた絶好のお昼寝スペース(正確には野外での茶会スペースとして活用されている)がある。のだが……。態々足場の悪い林を突っ切らなくたって舗装された通り道は作られているから、殆どの生徒は普通玄関口近くにあるその道を利用するもんだ。

 つまり、何が言いたいのかというと。

「……人の話し声?」

 ココら辺は人が本当に来ない場所なのである。

「……――れで? 何の用でこんな時間に電話なんぞ掛けてきた?」

 聞き覚えのある声にうっかり足を止めてしまう。

 聞き耳を立てるつもりがなくても、"つい"立ち止まっちゃうのはもう人の性だよねー。って事でサッと周囲に視線を走らせて声の主を探すと、それは案外簡単に見付かった。

(あれは……)

 薄い藤色の髪で考えるまでもなく答えが出る。

(伊集院じゃん)

 校舎からも校庭からも死角になる木立の影で、携帯片手に誰かと会話しているようだ。けれど声色は何時になく厳しい。

「いい加減、似たような前口上は聞き飽きた。他の言葉を知らんのか、貴様は? ……ほぉ? 誰に向かって口を利いてるか、残念なお頭では理解出来ないようだな。頭で分からんのならば身を以て知らせてやるぞ。遠慮するな。…………ハッ、知るか。もう二度と掛けてくるな、消すぞ」

 この前の元希騒ぎ以上に殺伐としてるんですけどー!? どうしよう、これ、『消す』とか結構直接的な単語出てきちゃった!

 最後に一言「脅しじゃないからな」と付け加えた伊集院は素早く携帯を操作して、再び耳に宛てがった。

「……すまないな。最近、依頼が引っ切り無しに入るんだ」

 どうやら他からもキャッチがあったみたいだ。こちらは先程の相手より幾分か親しいらしいと語調から推測する。

「……ああ、そうだ。どうやらウチの周りが五月蝿くてね。巻き込まれる此方としては良い迷惑だ。……まさかお前も同じ事を言う心算か? だとしたらお断りだ。話はまずツケを払ってからにしろ。もう三回分は溜まっているぞ」

 大きな溜め息を吐いて木の幹に背を持たれ掛けせた伊集院は腕を組み、倦厭感を漂わせながらも会話を続けている。

「いや、止めておけ。どうせ他も同じだ。それに今後アレには触れないと取り決めがあっただろ。名のある殆どの情報屋はソレに応じたんだ。知ればどうなるか、お前が解らない筈ないな? 態々レベル5の危険に首を突っ込むな」

 短い相槌の合間に首を横に小さく振る伊集院。しかし相手がしつこく食い下がっているらしい。

 揺れる薄紫色の髪が、木々の間を縫って吹いた一陣の風に乱されて彼の顔を覆い隠す。顔が見えない分、声が1オクターブ下がったのが良く判った。

「手に負えないモノは扱うな。お前じゃネタに喰われるだけだ」

 全く内容が掴めない。けれど、途轍もなくヤバそうだ。

「……知らせない理由くらい少しは考えたまえ。……馬鹿な事を言うな、一人じゃ何も出来ないんだぞ。いい加減に諦めろ、カズ」

 相手の呼称が出てきたものの、在り来り過ぎてヒントにもならない。

 ところで、彼は一体何者なんだろうね。当然の如く疑問が沸き上がってきたところで会話の終わりが見えてきたのと同時に、駄目だの一点張りだった伊集院の口が別の形に動いた。

「――だが、そうだな。今は海も荒れてる。水夫の船が着くのが先か、積荷の雛菊が咲くのが先か、俺には分からんが暇なら恋人をデートにでも誘って御機嫌取りすればいい」

 隠語なのが見え見え過ぎるが、それでいいのか!? とお節介にも心配してしまった。しかし周囲に人影はないし、自分にはそれが何を指すのか解らないのなら問題ないのか? まあ、相手はその台詞で納得したらしい。なら、いいや。

 続けて幾つか短い遣り取りの後、簡単に別れの言葉を告げて携帯を切る。

 直ぐに立ち去るかと思いきや、暫しメタルブラックの携帯を睨み付けた伊集院は、

「……どいつもこいつも龍の宝玉と。いい加減にしたまえよ」

 吐き捨てるように言い残してから無造作に携帯を内ポケットに仕舞い込んだ。そして心底疲労の滲んだ仕草で髪を掻き上げ息を深く吐き出すと、そのまま何事もなかったかのようにその場を後にした。

「――、」

 彼の姿が見えなくなるまでその背を見送った俺は、隠れていた校舎の影から出る事も思い付かないくらい思考の渦に呑み込まれていた。煉瓦造りの壁にそっと手を添え、今は彼が立ち去った場所を凝視して考えに没頭する。

 昼休みの喧騒も手足の感覚も何だか遠く、真っ白な頭の中では伊集院が最後に零した単語が何度もリフレインしている。

(……何処かで聞いたような)

 だが、何処でだったかが思い出せない。

 徐々に現実に意識が戻ってくる。次いで息苦しさを感じて首元を緩めつつ、白い雲が疎らに浮いた青空を見上げた。

「…………セレブ校も案外キナ臭い……あーぁ」

 それにしても、腹ごなし兼息抜きのつもりが余計に疲れてしまったような気がする。折角ウバ茶葉二倍の午後ティーが手に入ったって言うのに、飲む気も薄れてしまった。俺のウキウキ感を返せ。

 手の中で未だ冷たい缶を見遣って、小さく息を吐く。ついでに次の教科を思い出して一層泣きたいくらい憂鬱になった。

 次って政経じゃん。絶対寝るし。食後の社会科とかマジ拷問でしょー。


 今の経済の動きとか時事すら理解を拒否してる自分にとって、政経は拒絶反応が出るレベル。

 社会嫌いは筋金入りなのだ。




 結局、政経は寝て過ごしたし。どうして寝ちゃいけない時の睡眠ってあんなに気持ち良いんだろうね。お目覚めもスッキリでした。

 本日の残り二つの教科は自由選択という、数ある講義の中から半期通して自分でやりたい講義を選べる時間だ。面白そうだと思って取ったのがマナー講習と心理学。

 いいじゃないか、マナー。和洋両方の礼儀作法が学べるって話だったから選んだ。

 そして心理学。嘘を見抜く方法とか相手の心を掴む会話術を勉強するのかと思ってこれも選んでみた。

 蓋を開けてみれば予想を斜め上に超える内容で、初めはとても驚いたもんだ。まぁ内容自体は面白いから良いとして、自分は少し問いたいんですよ。

 マナー講習を何故態々英語でするんだ。なのに講師はフランス人って訛りが強過ぎて聞き取れねェよ! 心理学と言いながらディスカッションのテーマが何故諸外国との外交手法なんだ。心理学、殆ど必要ねえっつの!! ……はぁ。


 社会関係苦手な自分に外交がテーマの討論はハードルが高かった……。

 疲労困憊の体で教室に戻ると、分厚い猫の被り物を少し脱げる解放感から気が緩むのを感じた。優等生振るのも楽じゃないな。すると酷使した脳細胞が即座に冷却作業に入って糖分を要求してきたので、机の中からまだ口を付けていなかった午後ティーを取り出し、一気飲みした。微妙にぬるかったけど、渇きが癒せたのでこの際良しとする。

 燃料補給が済んだなら後は帰るだけだ。おうちまで頑張れ、俺!

「随分お疲れだな、そんなに大変だったのか? 確か……マナー講習と心理学だろう?」

 自分より数分遅れて戻ってきた元希が鞄に荷物を詰めながら横目で机の上でだらけきった自分を見て、きょとんとした表情で声を掛けてきた。珍しい。……って、思わず声掛けられるくらい疲れた顔してるのか。それはイカン。皆のアイドルは常に笑顔で元気じゃないとねー。

「だいじょーぶ。心理学が討論だったから、ちょっと頭使い過ぎただけ」

「そうか、なら丁度良いな。今日は暇だろ、少し付き合え」

「はっ?」

 言うが早いか、腕を掴まれた。突然の事に困惑する自分は為す術なく……。

「その柔らかくなった頭を人の為にも使ってみろ。立て、生徒会室へ行くぞ」

「え、ちょ、待っ……! 俺、今帰ろうとしてたとこなんですけどオオォォォ!?」

 拉致してくれた元希さんの綺麗な翡翠色お目々はとても真剣で、逆らうだなんてとてもとても。



「……で?」

 不機嫌さMAXの低音で、俺は目の前の生徒会役員共に無言の圧力を掛けていた。コの字型テーブルではなく壁際のソファに座っている久我兄弟の存在も気になるが、それよりも今は面倒臭そうなこの状況をどうにかするのが先決だ。ちなみにどうにかするってのは、どうやって逃げるか、だ。起きているらしいトラブルを解決させようだなんて決して、1ミリ足りとも、考えちゃいない。そこんとこ間違えないように。

 そりゃあいくら温厚な涼君と言えど、機嫌も悪くなるさ! 嫌だ、帰りたいっつってんのに、元希の野郎、聞く耳も持たないで豪勢な生徒会室に連行しやがった! 生徒会って何よ。俺、無関係っ!!

「そう怒るな。進む話も進まなくなる」

「どんな話か知らんし知りたくもない上に、そのオナハシとやらがどうなろうとも関係ないし。俺、部外者。って事で帰って宜しいかしら」

「外部の有識者に知恵を借りるのは社会でも良くあるシステムだろう? それと同じじゃないか」

「残念ながら経営とか門外漢。他当たってよ、面倒事はお断り」

 今、自分と会話を続けてるのは元希だ。他は先制パンチが効いてるのか、萎縮して此方の動向を伺うだけで口を挟めない様子だった。

 空気が悪い中でなお、楽しそうに静観してるK兄弟は無視する方向でいこう。

「安心しろ、意見を聞きたいのは会計のことだ」

「生憎とワタクシ、簿記の資格は持っ」

「これを見てくれ。昨年から過去三年分の帳簿だ」

「誠に残念ですが、帳簿も見方が分かりま」

「直近の、三年分だ」

 有無を言わさず、自分の目の前にどっさりと書類を乗せて元希は問題箇所を丁寧に指で示しながら説明し始めた。こっちは話を聞くとも言ってないのに。

「この二年は例年通りなのに、この部分が昨年は0.8倍になって……この数字は少々大きい気がする……収支全体は殆ど変わらないが……」

 知らんがな!

 心の中でそう叫ぶものの、身を乗り出して概略を述べながら時折合わせてくる摯実な視線に絆されるなと言う方が無理難題ってモンだろう。大体にして自分が本気で怒ってない事は元希も気付いていたみたいだし。嫌がってたのは本気なんだけどねー。

 いつから自分の機微を読み取れるようになっちゃったのかしら、この子!

「この金額にも違和感があるが、計算上は問題がない……」

 淀みなく軽快に薄い唇が動く。頬杖ついて長い睫毛が頬に陰を落とす様を仔細に眺めていたら、突如、翠色の瞳が剣呑な色に光った。

「聞いてるのか?」

「聞いてる聞いてる。つまりその会計さんが金を抜いてるんじゃないかと疑ってる訳ね」

 ついでに言うと、何かおかしいんだけど、何がおかしいのかが解らないってところか。

「各所への聞き込みの結果、回されるべき所には行き渡っているから余計に手が出せないんだ」

 そんなに思い詰めなくてもまだ学生なんだから、そこまで責任は問われないと思うんだけどねぇ。いくらエリート集団とは言え、専門家じゃないんだからさ。こう、教員に相談するとかないのかね。あ、生徒会自体が教職員とは別組織になるから駄目なのか? この程度の問題は自力で解決出来なきゃ自治権剥奪とか? 有り得ないって切り捨てたいけど、その可能性もなきにしもあらずなのか。セレブ校だからな。セレブ怖いよぅ。

「証拠がない、と。そう言うこと?」

「ああ」

「そして俺に探してほしいと。――だぁから俺は税務官じゃないっつの!」

「だが、こう言う推理物は得意だろう?」

「誰だ、コイツに嘘情報流したヤツ! ってか推理物じゃねェし!」

 純粋そうな瞳を瞬かせて首を傾げる元希さんが、段々と無垢な子供に見えてきた。ああ、穢れがないって意味なら、そりゃ正しいだろうがっ!

「あーもういい。で、後ろに久我兄弟がいる理由は? もう役員じゃないんだろ?」

「それは」

 元希の言葉を遮るように二人は立ち上がった。はんなりとした仕草が似合うな。

「それはなぁ、うちらが前の会計やったからや」

「それが?」

 答えたのは目元に黒子、って事は和泉の方か。

「生徒会は代々役が引き継がれていくんやけど、後任は大概指名制やねん」

「じゃあ今問題になってる会計を連れて来たのが先輩達って事ですね。責任感じて同席を?」

「ん~、責任っちゃ責任かな。会計の事分かるん、うちらだけやろ? だから何か手伝えへんかと思て来たんよ。今の会計、吉良言うんやけど、あれはうちらの指名じゃないねん。編入したばかりやから知らんやろうけど実は指名なしでも生徒会に入る方法があってな、信任審議さえ通ってしまえばOKなんよ。審議って言っても簡単やねんで? 全校生徒の信任投票を受けるだけ。不信任が一票でも入ってたら即アウトやけど、そんなん滅多にないわ。で、吉良は無事信任票だけを集めて役員になったってワケ。吉良って言えば、そこそこの家やからなあ」

 久我兄弟の後任とは言え、その人間性は知らなかったって事か。まぁ、信任投票とか真剣に考えて投票してる奴なんか殆どいないよな。つまり久我が対抗馬さえ選出しなければ、実質生徒会入りは決まってるようなもんだ。久我兄弟って立候補が居る中で態々別の後任を指名するような我の強いタイプには見えないし。

 この前、引き止められたのはこの案件について相談する為だったのかァ。

「それで? 元会計役員だったお二方から見て、この決算報告書はおかしいんですか?」

「そうやな、何かおかしいとは思うで。でも何がおかしいんか分からへんし、元希も言うてるように証拠がないねん。証拠がなかったら罷免させる事も処罰する事も、追求すら出来ひん」

 証拠、証拠。

 会計職だった二人にも見付からなかった証拠を俺に探し出せと!?

「この鬼畜!」

「なんだ、いきなり!?」

 悪口も言いたくなるわ! ついでに殴らせろ! ……とは言ってられない訳で。一刻も早い帰宅の為にはどうも手伝わなきゃならないようだ。

「あーもう。元希の馬鹿。広いテーブルが欲しい。って事でお前はテーブル出せ。先輩達は資料広げてください」

「おおっ、遂に涼の本気やな」

「茶化さないでくださいよ。ところでそちらの方達は一体どちら様ですかね」

 準備を待つ間、未だに始めの威圧から会話に入るタイミングを逃して、置いてけぼりにされている二人に視線を送ってみた。話し掛けられるとは思ってなかったのか、吃驚したように目を丸くする二人。けれども何方も直ぐに復活して、一人は笑顔で、もう一人は怖ず怖ずと近付いてきた。

 彼らの胸に光る徽章は学年を示す物ともう一つ。元希が付けているのと同じ物だ。

「現役員だ」

「うそん、まだこんなちっちゃいのに。君、一年じゃんか」

「お前の図体が大きいのだという事は自覚しておけ。それと役員に学年は関係ない。彼は一年だが、とても真面目で優秀だから人事として此処に居る。お前と違ってな」

「ほぉ、なら不真面目で優秀じゃない俺は帰ってもいいんだな?」

「駄目に決まってるだろう」

 ちょ、何その当然みたいな顔! 矛盾してても開き直りかよ。

「ふん。少年はこんな理不尽な大人になるなよ。佐倉涼だ、今日は一日宜しく」

「れ、冷泉春人(れいぜい はるひと)ですっ。お会い出来て光栄です!」

 うわ。やっべー、チョーかわいい! 胸がキュンキュンする! 抱き締めてもいい?

 ん? ってか、なんだか円い瞳が異様にキラキラしてる。何これ、デジャビュ? なんか編入初日を思い出すんですけど。

 それにしても亜麻色の絹みたいな髪がサラサラと揺れて、儚さ倍増だな。身長なんか伊集院といい勝負だし、柔らかそうな桃色ほっぺは突付いてみたいし……、これ、お持ち帰りしちゃ駄目なんだろうか。テイクアウトで一人ください。

神凪香子(かんなぎ ゆうこ)、副会長と監査を兼任してるわ。宜しくね、秀才さん」

 うおおぉぉぉ、こっちのキツメ美人は名前もカッコイイな! 何と言ってもメリハリボディが目に毒だ。やっぱりお触りは厳禁ですか。是非とも一夜を共にしたい女性でゲフンゲフン。

「今回の件は監査である彼女が気付いてくれたんだ。他にも総務と渉外の役員がいるが、今は関係ないから呼んでない」

 結構あからさまなのに、自分の怪しい視線に気付いてない元希さん。神凪は元希の後ろで、艶やかな髪を耳に掛けながら「私は高いわよ?」って小悪魔的な笑みを投げ掛けてくるのになぁ。悪意ある視線には敏感なくせに、こう言うトコはこんな純粋なんだから。

「よし、冷泉はこれに関する領収書と報告書を頼んだ。取り敢えず集めてくるだけでいいから。神凪先輩は領収書の分類、日付ごとへの並べ替えを宜しく」

「はいっ」

「で、決算書は?」

 まるでその言葉を予期していたかのようにすかさず書類を手渡され、それから自分が口に出す前に次々と必要な資料を揃えてくれる久我兄弟の勘の良さに舌を巻く。しかしそれを表に出さず、細かい文字と数字の羅列を斜め読みした。

 高速で展開する視覚情報を脳内で簡易計数表に纏めて映像化する。速読術の一種だ。情報を映像化するのと同時に計算も行い、不審な箇所を炙り出すと凡その流れが見えてきた。

「――……あぁ、そういう事ね」

「何か解ったん?」

「んー、面倒臭いって事だけ。ちょっと集中する。昨年の前期決算表貸して」


 視界が点滅するような小さな文字を追い、巧妙な偽装工作を探る作業にいつの間にか聴覚情報をシャットダウンする程に集中していたらしい。徐々に室内の空調の駆動音や衣擦れの音が耳に入ってきて、自分と言う意識も浮上するのを感じる。この、仄暗い水底から浮かび上がるような、何とも言えない心地が好きだ。

 腕時計を確認すれば30分程度か。邪魔しないように物音立てずに待っていたらしい生徒会役員を見回した。

「んじゃ、幾つか証拠をお見せしましょーか!」

 5人は力強く頷いた。

 まずは雑費の欄を引っ張り出す。

「ここの計算、引くんじゃなくて足すんだ。出費に見えるけど、実際は入ってきてる金だからな。出た金が戻ってきた、つまり、ほらプラマイ0(ゼロ)になるってワケ。って事でマイナス12万発見な」

 次は別の欄に指をずらし、冷泉にとある日付の領収書類を開かせた。

「こっちはその領収書がいる。全部足してみろ、この数字になるよな? ところがどっこい、ここにも同じ数字がある。んでこっちのはレシートだ。はい、二重請求。20万カムバックです」

 今度はページを捲って12行目。

「それからこっちの上納金は単純に数字の付け足し。領収書はー……これだな。明らかにペンの種類が違うだろ。小さい数字は誤魔化しやすいからな。ゴネるようなら化学部に協力要請しろよ、分析くらいしてくれるだろ。まぁこんなもんか? これだけ慣れた手口なら他にもやってそうだけど。取り敢えず証拠が挙がればいいんだろ?」

 全部白日の下に晒せって言われてもこれ以上、疲れる作業はやりたくないぞ。会計の不正を暴くのが目的なんだから全部じゃなくても良いだろ。

 自分の指摘をメモっていた神凪は徐にペンを止めると不敵に微笑んだ。

「そうね。ここまでしてもらえば十分だわ。見付け方が解ったなら後は私達でも洗い出せそうよ」

 そう言って舌舐めずりする神凪だが、その姿は何処ぞの令嬢にはまるで見えない。それどころか女豹みたいでゾクリと背中が震えた。イカンイカン。今は学校だ。

「ところで神凪先輩。学内でそんなに色気振り撒いてていいんですか、風紀的に?」

「私は役員の誇りに掛けて至って品行方正よ? 色気なんか振り撒いてないわ。でも今後の為に訊いておきたいわね。どの辺りが風紀を乱しそうかしら」

 その流し目ですよ、流し目。

「それとも神聖なる学園で不埒な事を考える佐倉君が風紀的に問題あるのじゃなくて? 普段の生活態度に問題がないか、少し取り調べた方がいいわね」

 龍と虎の睨み合い。雷鳴が轟き、壮絶な嵐が吹き荒れる……ってな背景があっても不思議じゃないような気がする。中々に面白い人だ、神凪と言う人は。

「そこまでです、神凪先輩。涼も乗るな。彼女は落としの神凪とまで言われてる人だぞ」

 続けて元希は悪夢を見たかのように、お話部屋に連れて行かれた生徒は戻ってくるなり豹変しているんだと耳打ちした。なんでも男共は跪き、女も何故か姉様と呼び慕うようになるんだと。え、躾?

「その一室で何があったのか、是非とも聞きたいですね」

「嫌ね、少しお話しただけよ?」

「俺も先輩とお話してみたいものです。二人きりなら正直になれそうですから。悪事を働いた男達と言うのも同じ考えだったんじゃないですか?」

「さあ? どうかしら」

 流石、副会長を務めるだけのことはあるな。己の容姿も武器にするとは。是非、元希にも見習ってほしい強かさだ。『落としの神凪』よりも『女豹の神凪』で良いと思うよ。

 ふふふ、と不気味に笑い合う自分と神凪から元希は物理的に距離をおいた。酷い奴だな、もう。久我兄弟は久我兄弟で楽しそうに微笑んでいるだけで、全く役に立たないし。それよりも冷泉に目を向けてみたまえ。正しく後輩の鑑じゃ――……。


「先輩……格好良い……!」



 元希。

 お前、実は部下に恵まれてないんじゃね?




     * * *




 イタリアの某所に古めかしい屋敷がある。煉瓦造りの外壁には蔦植物が生い茂り、中世のタウンハウスを彷彿とさせる邸宅だが、少し目を凝らせば現代的なハイテク機器が随所に設置されているのが分かる。

 重厚な空気。しかし静まり返っていた邸内に静寂を切り裂く者がいた。

「ボ、ボス……! 大変ですっ」

 室内に転がり込んで来たのは血色が悪く、頬の痩けた男だった。礼を失した己の所業にすら気付かぬほど動転しており、どれだけ慌てて走っていたのか、宗教的な民族衣装に似た胴衣の長い白衣も捲り上がっている。

「なんだ、騒々しい。入室の許可は出していないぞ」

「申し訳ありませんっ、罰は受けますので今はご容赦を! その前にお耳に入れたい事が……流れが、流れが変わったんです!」

 革のデスクチェアに深く腰掛けた、ボスと呼ばれた氷のような男は雛菊が刻まれた左手の甲に顎を乗せ、怠惰な態度を崩しもせず、眉を顰めながらも痩男に先を促した。

「言ってみろ」

「は、はい…………IV Mensis sancti Patres mori, Summus amor seu nascitur.」

 一つの深呼吸の後、朗々と語られるラテン語に男の凍えた瞳が限界まで見開かれていく。

「Cum in hoc mundo, est etiam solus. Ad extremum orientis, captus oculus ignis, iuxta manus aqua, ventus non flare...」

 それは正しく予言の詩歌であった。

「...Flores aqua congelata est longe, sopor, stare statim caligo...い、以上で――」

「っ間違いないのか!?」

 重そうな椅子を引っ繰り返す勢いで男は熱り立った。

「は、はいぃ! これほど上手く嵌ったのは初めてで御座いますっ!!」

 男の剣幕に圧倒された痩男は足を縺れさせて大理石の床に蹲る。只でさえ血色の悪い顔を更に青褪めさせ、目の前の恐怖にぶるぶると震える様は今にも失禁しそうである。

 痩男の酷い怯え方を暫く眺めて頭の冷えた男は内で荒れ狂う激情を逃がすように溜め息を吐き出し、先程よりも落ち着いた声色を心掛けて命を下した。

「……もう一度、詳しく占え」

「はいっ!」

 脱兎の如く痩男が駆け出した。

 男は深く座り直し、鉛のような曇天が垂れ込める窓の外を見上げた。昼なのに夜のようだ。しかも遠くの方から雷鳴の低い唸り声が近付いて来る。

「まさか、本当に――」

 カッ、と男の目を焼かんばかりの雷光が迸り、直後、空の割れる轟音が響き渡った。






IV Mensis sancti Patres mori, Summus amor seu nascitur.

(聖なる教父陰る4の月、至高の寵児産まれたり)


Cum in hoc mundo, est etiam solus. Ad extremum orientis, captus oculus ignis, iuxta manus aqua, ventus non flare...

(人世に出でて、なお其は独り。東の最果て、火の目を捉え、水の手近く、風立たぬ……)


...Flores aqua congelata est longe, sopor, stare statim caligo...

(……凍むる水花、遠く春眠、やがて霧立つ……)




ラテン語を監修してくれる人、募集。。。

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