45●窮地の果て
シュヴァルツェン本部の明かりは、白く、目に刺さった。
リン・ユエチュアンは床に跪き、腕の中に、あの、もう冷え切った体を抱えている。白い布の端から、か細い手首が覗いていた。
廊下の奥から、慌ただしい足音が響いてくる。
沉纱が入ってきた時、彼女はまず、床の上のあの白い布を目にした。足が一瞬、止まる。
彼女はリン・ユエチュアンの前まで歩き、うつむいてあの白い布を見た。布の端から垂れている、あの手を見た。その手には、銀色の細い指輪が一つ、嵌められている。汐瑶の十六歳の誕生日に贈った、誕生日プレゼントだ。
沉纱はゆっくりとしゃがみ込み、手を伸ばして白布の端を少しめくった。汐瑶の顔が露わになる。目は閉じられ、口元には、あの半分の笑みがまだ残っている。今にも飛び起きて「へへ、お姉ちゃんを騙しちゃった!」とでも言い出しそうな、そんな顔だった。
沉纱は長いこと見つめ、それから白布を元通りに掛け直した。
彼女は立ち上がり、リン・ユエチュアンに向き直る。生命律動統合で感情を無理やり抑え込んでいる。その表情は、とても平静だった。
「これが、私たちの結末よ。誰にも避けられない。あなたも、私も、そして、艾洛汐瑶、私の妹も」
リン・ユエチュアンはうつむいたまま、答えなかった。
「私の家族がフェルガインの連中に殺されてから、私はずっと、一つのことを考え続けてきた」沉纱は低く言った。「運命の、終着点とは、何なのかを」
リン・ユエチュアンは、やはり答えなかった。彼は、どのように沉纱と向き合えばいいのか、わからなかった。彼女の妹の亡骸は、自分の腕の中にある。なのに、彼は「すまない」の一言すら口にできない。何に対して謝る? 守れなかったことか? 自分に付いて来させてしまったことか? 彼女が一番助けを必要としていた時、ただ見ていることしかできなかったことか。
沉纱は彼の返事を待たなかった。彼女は向きを変え、廊下の奥から歩いてくる鸢に視線を向けた。鸢はあの灰色のロングコートをまとい、表情は厳しい。後ろには執事がいて、やはりあの厚いノートを手にしている。
「霊心」鸢はわずかに身をかがめた。「このような形でのお目通り、遺憾に存じます」
沉纱は微かに頷いた。
鸢はすぐに本題へ入り、姽の状況、悪魔契約、ランディス世界の本質、そして現在直面している脅威について、すべてを説明した。
「シュヴァルツェンの超能力者は、総じて、どこにでもいる普通の超能力者ばかりです」鸢は最後に言った。「人数も五十余名に過ぎません。東カーネルハイトのように二千人もの人材と強者の集団でもなく、フェルガインのように、あちこちで五千人近くをかき集めることもできない。シュヴァルツェンだけで姽に対抗するのは不可能です。ましてや、彼女の背後には、真実を知らぬ東カーネルハイト全体がついている」
彼は一拍置き、沉纱を見た。
「ですから、英雄協会に協力を請いたい。もし今回の任務に失敗すれば、主世界全体が、塗炭の苦しみへと沈むことになる」
沉纱は聞き終えると、およそ五秒間、沈黙した。「すぐに、英雄協会上層部と政府高官に連絡を取る」
彼女は言い終えると、それ以上、床の白布を見ようとはしなかった。身を翻し、入り口へと向かう。隙が既にそこに、転送門を一つ開いていた。その縁は淡い青い光を帯びている。沉纱は転送門の前まで歩き、足を一瞬、止めた。
彼女は首を少し傾け、視線の端が白布の上に落ちた。
ほんの一瞬だけ。
それから彼女は一歩を踏み出し、転送門をくぐった。転送門は彼女の後ろで閉じ、空気の中へと消えた。
沉纱は本部にある自分の宿舎へと転送されると、ようやく感情を抑えきれなくなり、声を上げて泣き崩れた。
彼女は、この世界で最後の肉親を失った。あの、ちょっと抜けた妹は、もう二度と戻ってこない。家に帰ればいつでも見られたあの温かな光景は、もう永遠にない。あの、汐瑶の無邪気な笑顔を、二度と見ることはできないのだ。
シュヴァルツェンの廊下は、再び静かになった。
リン・ユエチュアンはまだ床に跪き、汐瑶の亡骸を抱えている。
美仁は数歩離れた場所に立ち、ずっと黙っていた。くしゃくしゃのパジャマ姿で、髪はぼさぼさ。猫耳が小刻みに震え、その視線はリン・ユエチュアンとあの白布の間を、行ったり来たりしている。
長い沈黙の後、彼女はようやく、震えながら口を開いた。「林先生……あんた、一体、誰なの?」
リン・ユエチュアンは顔を上げて彼女を見た。目尻には、まだ乾いていない涙の痕がある。
「俺は、リン・ユエチュアンだ」
美仁は無意識に二歩、後ずさった。その名前が、彼女の脳裏にいくつかのぼんやりした欠片を巻き起こす。白い髪、冷たい眼差し、街灯の下に立つ背中。だが、その欠片はあまりに粉々で、完全な一つの絵にはならない。
彼女はその名前を知っている。だが、その名前に対応する人物を思い出せない。それは奇妙な感覚だった。輪郭は見えるのに、顔は見えない。
リン・ユエチュアンは彼女の反応を見て、それ以上は言わなかった。自分の記憶消去が不可逆であることを、彼は知っている。自らの手で消したシナプスは、もう二度と再生しない。
美仁は、自分と一緒に暮らしていた日々を、永遠に思い出さない。彼が耳掃除をしてくれた夜も、彼の腕の中で「ゴロゴロ」と喉を鳴らしたあの一瞬一瞬も、永遠に思い出さない。
そう思った時、彼の脳裏に、ふと一つの名前が閃いた。カイアル。カイアルの記憶は、汐瑶の死によって回復する。汐瑶の死と共に、神経抑制による記憶消去の効果は消えた。
カイアルは今、きっと思い出している。「リン・ユエチュアン」を。猫カフェを。自分が無理やり消し去られたすべてを。きっと、自分のことを探している。
もし姽がカイアルまでも捕まえ、自分を脅す材料に使ったら……
リン・ユエチュアンが隙に「カイアルも連れてきてくれ」と言いかけた、その時、頭上から轟音が響いた。
天井が吹き飛んだ。
瓦礫と粉塵が上から降り注ぎ、外の、どんよりと曇った夜空が露わになる。崩れた天井の縁には、何十人もの人影が立っていた。揃いの黒い制服を着て、胸元の徽章が冷たく光っている。東カーネルハイト。
先頭に立つ数人の小隊長が、高みから下を見下ろした。その声は、何らかの拡声装置を通して降ってくる。「東カーネルハイトは、シュヴァルツェンを脅威と認定した。上層部は、姽の供述を踏まえ、抹消指令を下した」
萦は壁に凭れたまま、降り注ぐ侵入者たちを見上げ、鼻で笑った。「あんたたち、頭おかしいんじゃない? あたしたち、あんたたちに一度だってちょっかい出したことないのに。普通の超能力者ばかりの組織が、なんで脅威扱いされなきゃならないのよ」
誰も答えない。東カーネルハイトの連中は、既に動き始めていた。何十もの影が、一斉に飛び降りてくる。
戦闘は一瞬で勃発した。
シュヴァルツェンの人数は少なく、能力ランクも総じて高くない。だが、彼らの能力への習熟度は、東カーネルハイトの予想をはるかに超えていた。
一見、C級程度にしか見えない文官の男が手を突き出すと、地面から石の壁がせり上がり、突撃してきた東カーネルハイトの隊員三名を阻む。別のBR級能力者は、身体をふっと揺らすと、そのまま虚影となって攻撃をすり抜け、逆手で敵を一人、壁にめり込ませた。
東カーネルハイトの連中は、明らかに、これほどの抵抗に出るとは予想していなかった。彼らは、能力ランクは高くても扱いの粗い相手と戦うことには慣れている。だが、シュヴァルツェンの人間は正反対だった。能力は強くない。だが、一人ひとりが、自分の能力を極限まで使いこなしている。
鸢は混乱に乗じて、足早にリン・ユエチュアンのそばへ歩み寄り、声を潜めた。「隙、彼を連れて行け」
隙は即座に手を上げ、空気中に転送門を描いた。
リン・ユエチュアンは汐瑶を抱えたまま立ち上がり、美仁を呼び寄せようと振り返った。その時、隙が何者かに、いきなり吹き飛ばされた。
リン・ユエチュアンの視線は、混乱した戦場を越え、いつの間にか現れていた、あの人影へと釘付けになる。
姽が、崩れた天井の穴のところに浮かび、下方の混戦を見下ろしていた。
彼女の右手が上がり、五本の指が、一つの方角へと開かれる。
その方角。美仁が、壁の隅の物陰に縮こまっていた。猫耳は頭にぴったりと張りつき、その目には恐怖だけが満ちている。
「やめろ!」
リン・ユエチュアンは汐瑶を置き、足元で音波を炸裂させ、全身を弾き出した。だが、もう遅かった。姽の念力が、既に美仁の首を絞め、彼女を地面から吊り上げていた。美仁は両手で喉のあたりの空気を必死に掴み、両脚が宙でもがいている。
「いい子だ」姽の声が上から降る。「さあ、彼女を助けにおいで」
リン・ユエチュアンが彼女の目前まで迫る。あと三歩。その時、横合いから黒い影が突っ込んできた。コードネーム「疾」。A級硬表面速度強化。
リン・ユエチュアンは全身を吹き飛ばされ、背中から壁に叩きつけられた。煉瓦が砕け、土埃が舞う。
彼は血の塊を一つ吐き出し、壁に穿たれた凹みから這い出した。肋骨が何本か折れている。だが、彼は再び姽へと突っ込んでいく。またも一つの人影が立ち塞がった。コードネーム「飓」。A級竜巻。荒れ狂う気流が側面から吹き荒れ、彼を丸ごと跳ね飛ばす。地面を数回転がって、ようやく止まった。
姽はそこに浮かんだまま、彼の無様な姿を見ていた。その表情に、何の揺らぎもない。その視線は、念力に首を絞め上げられた美仁の上に落ち、一瞬だけ留まった。それから彼女は、もう一方の手を上げ、五本の指を揃えた。念力を纏わせ、美仁の下腹へと、強烈に叩き込む。
美仁の悲鳴が、乱戦の只中を切り裂いた。彼女は痛みに体を弓なりに折り曲げ、腹を踏みつけられた猫のように、四肢を宙で痙攣させ、そして失禁した。尿が太ももを伝い落ち、明かりの下で細かく光る。
彼女の顔は既に紫黒く染まり、猫耳は完全に垂れ、目尻の涙が顔中に張りついている。彼女は口を開いて何かを言おうとしているが、喉を絞められていて、声にならない。ただ、大粒の涙だけが、ぽろぽろとこぼれ、地面に落ちていく。
リン・ユエチュアンはその光景を見て、美仁までも汐瑶と同じように死なせるわけにはいかないと、強く思った。
彼が立ち上がった時、その体はもう、あちこちから血が流れていた。それでも彼は、大範囲の低周波を放つことを選んだ。内臓が、低周波の反噬によって、一瞬で広範囲に引き裂かれていく。息を吸うたびに、鉄錆の味がする。リン・ユエチュアンの足元から透明な波紋が湧き、周囲三メートルの空気が歪み始めた。
次の瞬間、彼を中心に、低周波の輪が外側へと炸裂した。制御を失った、荒れ狂う、無差別の破壊的な波動。空気が震え、壁がひび割れ、コンクリートの床が層になって剥がれていく。彼に近い数名の東カーネルハイト隊員は、低周波に触れた瞬間、身体が内部から引き裂かれ始めた。
「飓」が一番近くにいた。能力を発動させる間もなく、その身体は空気の中で溶けていった。皮膚、筋肉、骨、内臓。あっという間に剥がされ、あとに残ったのは、まだ痙攣している、一山の挽肉だけだった。
リン・ユエチュアンは姽へと歩いていく。一歩ごとに、地面へ亀裂の足跡を残しながら。
姽の表情に、ようやくわずかな変化が生まれた。自分の消去障壁の生成速度が、リン・ユエチュアンの音波攻撃の速度に追いつかない。至る所に、大きな亀裂が走り始めている。
その時、観察悪魔が彼女の耳元で囁いた。「絶望の閾値に到達。献祭を開始します」
姽は手を上げ、半空に吊り下げた美仁を、自分の前に盾として差し出した。
リン・ユエチュアンは、即座に足を止めた。自分の低周波は、二人がこれほど近い距離にいる状況で、姽だけを攻撃し、美仁を傷つけずに済むほど精細ではない。
あの、慣れ親しんだ無力感が、またも湧き上がってくる。彼はそこに立ち、全身血まみれで、内臓は裂け、膝は震えている。姽が美仁を盾にしているのを見ながら、美仁の、今にも散りかけている眼差しを見ながら、何もできなかった。
「いい子ね」姽は彼の眼を覗き込んだ。「お前は、やはり私の望むものをくれる」
次の瞬間、リン・ユエチュアンは、何かが抜き取られるのを感じた。脳内の、ある領域が、突然、空っぽになったように。彼は脚の力が抜け、その場に崩れ落ちた。その瞳は虚ろで、怒りも、恐怖も、悲しみも、すべてが消え失せ、ただの空白だけが残った。
姽は美仁を放り捨て、念力を転じてリン・ユエチュアンの身体を拘束する。彼がもがこうとした時には、脳裏の絶望の感情は、もう跡形もなく消えていた。まるで最初から存在しなかったかのように。自分が何に怒り、何に怯え、何に悲しんでいたのか、もう彼にはわからない。
姽は成功した。現実悪魔が召喚される。その生物が彼女の側に現れた。実体はなく、形もない。それは、ただ、捻じれ、絶えず変化し続ける光と影の塊だった。それが、空気の中でゆっくりと流動している。
姽は手を伸ばし、その光と影の塊に触れる。契約は成立し、光と影も、それと共に消えた。彼女は振り返って、地面に跪くリン・ユエチュアンを見た。口を開く。その声は、さっきよりもずっと柔らかかった。「いい子、こっちへおいで、お母さんのところへ」
現実悪魔は、直接、しかも一人の記憶だけを改変できる。姽は、神悪魔の召喚に備えるため、即座にリン・ユエチュアンの記憶を改変した。
リン・ユエチュアンは顔を上げた。目尻の涙が、頬を伝い、顎を過ぎ、地面へと落ちる。
「お母さん」
彼は立ち上がり、歩み寄り、姽の腕の中へと飛び込んだ。リン・ユエチュアンは、彼女の肩口に顔を埋めた。何年も前、訓練場で殴られて、もう立ち上がれなくなった時のように。あの時もそうだった。彼女は決して自分を褒めず、慰めもしなかった。だが、訓練が終わるたび、彼女は少しの間だけ、彼を自分の肩に凭れさせてくれた。
姽はうつむき、胸にすがる白髪のその人を見つめた。手を伸ばし、その髪を、そっと撫でる。
「いい子。よくやったわ」
遠くで、それを見た鸢は、完全に絶望した。彼は二人の方へと駆け出そうとしたが、もう間に合わない。姽の背後に、巨大な転送門が開かれていく。その縁は、暗紫色の、絶えず流動する光。門の枠は、空気の中で歪んでいる。
姽はリン・ユエチュアンを抱えたまま、一歩後退り、転送門へと踏み入った。門内の光が二人の姿を呑み込んでいく。そして転送門は、そのまま開かれた状態で留まり続けた。
鸢はその場に立ち尽くした。シュヴァルツェンの他の者たちも、手を止め、あの暗紫色の裂け目を見ている。その顔に浮かぶのは、みな同じ、絶望。東カーネルハイトの者たちも手を止めた。彼らは、姽が今しがた何をしたのかを知らない。シュヴァルツェンの者たちがなぜあんな反応をしているのかもわからない。だが、その感情は広がり、彼らにまでも不安を感じさせた。
その時、夜空にプロペラの轟音が響いた。十数機のヘリが遠くから飛来し、サーチライトが一帯を真っ白に照らし出す。英雄協会の旗が、機体の上で激しくはためいていた。
ヘリがまだ着地する前から、既に数人の影が機内から飛び降り、しっかりと地面に降り立っている。先頭は霊心仮面。その後ろには、異なる色の戦闘服を着た三人の影、唯心仮面、雄心仮面、隕心仮面。
さらにその後ろには、防護服を着た協会スタッフと、支援の超能力者たち、百名以上。カイアルもその中にいる。その眼差しは、以前とはまったく違っていた。
鸢は唯心仮面を一目見た。彼の姿は、自分のすぐ近くに立っていても、やはりどこか神秘的だった。心の中で思う。まさか、最も謎に包まれた唯心仮面まで来るとは。上層部は、現状をかなり重く見ている。
沉纱は廃墟の中央まで歩くと、その視線を混乱の戦場へ、床に転がる死体へ、地面に倒れた美仁へと走らせた。彼女は、あの暗紫色の転送門を見た。
彼女は口を開かず、ポケットから折り畳まれた公告紙を取り出し、それを広げた。文字が、紙の裏側まで透けて見える。英雄協会の最高命令。政府高官の印章が捺されている。
「政府上層部は、英雄協会、東カーネルハイト、フェルガインに対し、全力でシュヴァルツェンを支援し、姽の神悪魔計画の抹消を遂行するよう、強く要請する。この命令は即時発効する。協力を拒む者は、反逆とみなす」
その場にいた全員の動きが止まった。
東カーネルハイトの小隊長たちは互いに顔を見合わせ、それから、あの転送門をもう一度見た。最終的に、彼らは手にした武器を収めた。フェルガインの人員も駆けつけつつあった。東カーネルハイトは既に、暗殺組織の最大勢力を代表している。彼らは次々に、協力の意を示した。
沉纱は公告紙を下ろし、あの転送門の前まで歩いた。うつむいて、地面に残る、あの白布に覆われた遺骸を見た。彼女はしゃがみ込み、汐瑶を抱き上げ、自分の胸に抱いた。そして、汐瑶を抱えたまま立ち上がった(原文は「姽」とあるが、文脈上「沉纱」の誤記と判断)。彼女はその場にいる全員へと向き直る。表情は、それでも平静だった。だが、涙が、音もなく、その目尻から滑り落ちていた。
「さあ」彼女の声は、とても軽い。「みんなで、彼を連れ戻しに行こう」
カイアルは、もう美仁のそばに駆け寄っていた。美仁は地面に丸まり、腹を押さえ、顔色は真っ青だ。彼女の猫耳は垂れ、目尻には涙の痕が残っている。下腹のあの紫紅色の鬱血痕が、ゆっくりと広がっていた。カイアルはしゃがみ込み、手を伸ばして彼女の肩を支えた。「美仁、俺だ、カイアルだ」
美仁は顔を上げて彼を一目見た。その眼差しは、まだ虚ろだった。「……あんた……あたしのこと、知ってるの?」
「記憶は戻ってないのか」カイアルは言った。能力を発動させ、彼女の傷口へと集中させる。「でも、今は、リン・ユエチュアンを失うわけにはいかない。助けに行かないと。だけど、まずはお前を治す」
願望具現化の能力が発動し、美仁の下腹へと浸透していく。鬱血痕が徐々に消え、美仁の顔色も、少しずつ血色を取り戻していく。彼女は手を伸ばし、パジャマの裾を引っ張って、寝間着に滲んだ湿りを隠した。
カイアルの能力が発動すると同時に、美仁の脳内でリン・ユエチュアンに破壊された海馬のシナプスも、ゆっくりと修復されていく。
鸢が後ろから歩み寄り、沉纱の隣に立ち、あの転送門を見ていた。暗紫色の光は、いまだに縁で跳ねている。門の内側の景色はぼやけていて、わずかに、捻れた輪郭と流れる線しか見えない。
「彼女は、中に入った」鸢の声は沈んでいる。「彼を連れて」
沉纱は口をきかなかった。彼女は汐瑶を抱き、あの門を見ている。
「……もし神悪魔が召喚されてしまったら」鸢は続けた。「ランディス世界が、そのまま主世界に出現する。そうなれば、すべてが終わりだ」
沉纱は汐瑶をそばのスタッフに預けた。その瞬間、おそらくは生命律動統合の能力がずっと感情を抑え込んできた反動か、あるいは、もう感情そのものを抑えられなくなったのか、彼女の身体のあちこちに、ふっと痛みが走った。
沉纱は転送門へと向き直る。「なら、召喚される前に、彼を連れ戻すまでよ」
彼女がまさに一歩を踏み出そうとした時、転送門の縁の暗紫色の光が、突然、激しく跳ねた。門の内側から、一本の鉤爪が伸び出した。暗色の鱗に覆われている。鉤爪は転送門の縁に食い込み、ぐっと左右へと押し広げていく。門の奥の闇の中で、巨大な何かが蠢き、門の方へと這い寄ってくる。
後方で、能力SR級空間消除の隕心仮面が能力を発動し、その二本の鉤爪を、直接、消し去った。雄心仮面も、重力で、その何かを内側へと押し戻す。
門の奥の蠢きが止まり、そのランディス生物は撃退された。
だが、転送門は、まだある。
鸢は、二人の仮面の能力がこれほどまでに恐ろしいことに、一瞬だけ息を呑んだ。「これはまだ、最初の一匹です。もし彼女が本当に神悪魔を召喚してしまったら……」
沉纱が彼を見た。「まだ召喚されていないわ。もし召喚されていたら、門はこんな状態じゃないはずよ」
「確かに。もし神悪魔が本当に降臨していたら、転送門は鉤爪一本だけを出す程度では済まない。主世界各地に巨大な転送門が出現し、無数のランディス生物が主世界へと流れ込んできます」
「まだ、間に合う」沉纱は言った。「彼女が神悪魔を召喚するには、彼を生贄にする必要がある。つまり、彼はまだ生きている。彼が生きている限り、私たちにはまだ、機会がある」
沉纱は言い終えると、身を翻して転送門へと歩き出した。カイアルが、ようやく立ち上がれるようになった美仁を支えて、その後ろに続く。さらに他の仮面や武装職員たち。東カーネルハイトの小隊長たちは、シュヴァルツェンの者たちと気まずげに顔を見合わせた後、それでも足を踏み出し、手下を連れて門の中へと入っていった。
鸢はその場に立ち、一人また一人と、暗紫色の裂け目へと足を踏み入れていくのを見ていた。夜風が吹き抜け、地面の埃を巻き上げ、サーチライトの光柱の中で舞い上がる。
転送門の縁は、まだ微かに脈打っている。暗紫色の光が、明るくなったり、暗くなったりを繰り返していた。
「本作品の内容(ストーリー・設定・キャラクター)はすべて作者自身が創作したものです。ただし、日本語への翻訳に際し、AI翻訳ツールを参考・補助として使用していることをお伝えいたします。翻訳の正確性には細心の注意を払っておりますが、不自然な表現がありましたらご指摘いただけますと幸いです。」




