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とうとうペンバーは声を荒げた。理性の仮面が完全に割れ、剥き出しの声だった。名を受けた兵士たちが転がり出るように部屋から出てゆく。
「ペンバー様、大変です!」
忌々しいことに、入れ替わるように再び急報がもたらされた。ペンバーは新たに走り込んできた兵士を睨めつけるように見た。その目はすでに血走っている。
「今度は何事か!」
「ギラス将軍が、逃げました」
ペンバーの右手が硬くギュッと握られた。爪が皮膚に食い込み、血が滲むほどに。次いで、ダンッと大きな音と共に彼は卓上を激しく拳で叩いた。
並べられていた精巧な木製の軍駒が、悲鳴を上げて床へと散らばる。
「貴様らは……っ!老いぼれ一人も見張ることが出来ぬのか!!」
怒鳴られた兵は、言葉もないのかわずかに俯く。何人もの兵で包囲していたはずの西棟から、ネズミのように姿を消したなど、到底信じられる話ではなかった。
「すぐに探せ!探すのだ!城内から出ることはできぬはずだ、そう遠くへはいっておらん!何としても探し出して来い!!」
再び、命を受けた兵が転がるようにして部屋を飛び出して行く。ペンバーが再び怒声を上げた。
「中央門を守れ!兵を中央門へ集結させよ!!」
ペンバーは決断した。まずは外の敵に集中せねばなるまい。中庭や西棟に配していた予備兵力も含め、持てるすべての軍勢を中央に投入する。時間を稼げばやがて街道に向かわせた兵が城下へ帰ってくるであろう。そうすれば北の荒くれ者共を挟み撃ちにして一網打尽にできる。
ゾロゾロと各地に配されていた兵士たちが北の中央門へと集結する。
鎧の擦れ合うガチャガチャという金属音が、王城の美しい回廊に不気味に反響していた。
ヒナを連れて混乱の中城内を走っていたジルは、その様子を見て城の西へ走った。彼の読みは的中していた。外門の激しい攻防に気を取られ、さらにギラス将軍の脱獄によって、城内の防衛配置は完全に乱れている。今、西の通用門は最も手薄になっているはずだった。
たどり着いたその場所には、使用人たちが使用する小さな扉がある。
普段は食材や洗濯物を運び出すための目立たない勝手口。しかし、戦を前に、扉はいつもの軽い木戸だけでなく鉄の扉で二重に閉じられ、敵の侵入を防ぐために鉄格子まではめられている。要塞としての王城の本領が、そこにはあった。
今や兵士たちは中央門に集結し、手薄になったその場所で、ヒナが迷うことなく大剣を抜いた。
彼女の小柄な身体からは想像もつかないほどの重量を持つ、極北の鋼。それが、一瞬にして暴風へと変わる。
扉の周りに立つ兵士たちを、彼女は問答無用で叩き伏せた。無駄のない、洗練された殺戮の技術。ヒナが兵を相手に戦っている間に、ジルは扉の横にある小さな小屋に飛び込む。
そこは、この西の門を管理するための操作室だった。そこには西の扉の鉄格子を上げるための大きな巻き上げ機のハンドルがある。
小屋の外からは激しい金属音が聞こえた。ヒナの振るう大剣が、敵の槍を撥ね退ける甲高い音が響く。彼女がいくら達人とはいえ、多勢に無勢。時間が経てば増援が来る。ヒナの身を案じながら、ジルは無我夢中でそのハンドルに飛びついた。
渾身の力を込めてやっとゆっくりその巻き上げ機が回り始める。通常は数人係で回すもの。それを一人で動かそうというのだ。激しく力を込め、ジルの両腕がわずかに震える。
その時小屋の扉に一人の兵士が飛び込んできた。
中央門へ向かう途中、異音に気づいて引き返してきたのだろう。ジルを見たその兵士が剣を振りかざす。瞳を見開きジルは腰の剣に手をかけた。
(間に合わない……!)
死の予感がジルの背筋を駆け抜ける。
ハンドルから手を離し、体を捻って床に転がるようにしてジルはようやくその一撃を交わした。
直後、兵士の剣が巻き上げ機に当たる甲高い音が響く。火花が散り、鉄の歯車に深い傷が刻まれた。
しかし体勢を崩した彼に容赦なく兵士は二打目を繰り出した。体勢を立て直す暇などない。床に遷いつくばるジルの視界の中で、相手の剣が閃いて、横へ向かって薙ぎ払われる。
今度こそもうダメだと思ったその瞬間、その兵士の首からニョッキリと大剣の刃が突き出た。
白い刃が赤く染まり、兵士の喉元を完全に引き裂いている。背後からヒナが兵士を突き刺している。守衛をすべて片付け、ジルの危機に寸前で間に合ったのだ。
目を見開いたまま、状況を理解しているのかいないのか、兵士は絶命した。ドサリと崩れ落ちる死体から大剣を引き抜き、ヒナは冷たい目でジルを見下ろした。
「ヒナ、」
「転がってないで立って!」
礼を述べる間もなくヒナに手厳しい声をかけられてジルは再びハンドルを回した。ヒナも加わり二人で扉の鉄格子のハンドルを回す。二人の力が合わさり、歯車が加速していく。
重たく擦れる音をあげながら、鉄格子が扉の上に上がった。
「閂を!」
ジルが言うや否や、二人は小屋を飛び出して小さな木戸の閂を外して扉を開いた。
あたりにはヒナの激しい戦闘の跡が残っている。転がる死体と、飛び散った鮮血。
木戸を開けば二重の鉄扉が現れた。普段は閉じられることのない戦時の扉だ。そのぶ厚い鉄の塊にかけられた、大木のような閂。その扉の重い閂もヒナと二人がかりでジルは開く。
ギギギィィィッ――。
重厚な音が響き、とうとう西の一角の小さな扉が誰にも気づかれることもなく開かれた。
そこには、王城の堅牢な防壁に穿たれた、致命的な「王手の穴」が存在していた。
あらかじめ待機していたアンジの軍の兵士たちが静かに、素早く城へ侵入を始める。
彼らは極北の隠密戦に長けた精鋭たちであった。漆黒の鎧を纏い、足音を消すための毛皮を靴底に巻いた男たちが、開かれた西門から蟻の走る隙もなく雪崩れ込んでいく。
外からの侵入を許した城はあっという間に形勢を逆転させた。
中央門に戦力を集中させていた王城守備隊にとって、完全に無防備だった背後(西側)からの奇襲は、致命傷以外の何物でもなかった。西の回廊から突入した北方軍は、中央門を内側から守る防衛線の背後へと一気に回り込む。
そこへ民衆に紛れ込んでいたギラス将軍の一団も加わった。白髪の将軍が大槍を振り回す。彼の周りに付き従う者達も皆北の戦場の手練れ達ばかりだ。
内外から攻め立てられ、中央門は数刻もしないうちに内側から開かれた。
ギギギ、と大きな音を立てて、大陸随一の堅牢さを誇った王城の正門が、内側から押し開かれていく。
「な、一体……!」
中央の指揮所にいたペンバーが、その光景を見て瞠目し、驚いている間にも敵兵が雪崩をうって乗り込んできた。
門が完全に開き、外で待ち構えていたアンジの主力、数万の騎馬と重装兵が、怒涛の濁流となって中庭へと突入する。その勢いは、防波堤を破壊した大洪水そのものであった。
「城内に伏兵がおったか……!剣を抜け!敵が来るぞ!一人たりとも城に入れるな!弓隊は後ろから援護しろ!」
執事や貴族たちが悲鳴を上げて逃げ惑う中、ペンバーの最後の意地をかけた私兵たちが前に出る。しかし、正面から衝突した両軍の勢いの差は歴然だった。
城門で血飛沫が舞い、軍勢が大挙を成して雪崩れ込んでくる。
北方の剛剣が、王都の兵の洗練された鎧を紙のように引き裂き、中庭の美しい石畳は一瞬にして赤黒い血の海へと変わっていった。
「うおおおおおおっ!!!!!」
十数万の男たちの鬨の声が、王城の空を、そして地下の奥深くまでを揺るがした。
大義の旗を掲げた北の獅子たちが、ついに不落の城壁を喰い破ったのだ。戦いの火蓋は激しく燃え盛るように切って落とされていた。




