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「段差があります。お足元にお気をつけください」
執事に案内され、登壇の位置に着く。
壇上から見下ろす葬儀場は、まるで黒い海のようだった。中央に安置されたヘクセル陛下の棺を見つめ、ギラス将軍は深く息を吸い込んだ。そして、用意されていた書状を開く。
将軍は指定の位置に立ち答辞を読み上げ始めた。
「さて、皆様におかれましてはわしの可愛い孫の葬儀に出席いただき、誠に有り難く思うております。孫のヘクセルは亡きわしの娘が命と引き替えに産んだ大切な子でありました。娘は王妃となって四人の子を産みました。皆も知るように三人の王女と、末っ子のヘクセルです。しかしその中で生き残ったのは……」
ギラス将軍の言葉が詰まった。口元が震える。指先に力が入り、読み上げる答辞の紙に皺がよった。
その震えは、演技ではなかった。若くして逝った娘への思い、そして、その血を引く最後の灯火であった孫を奪われた怒りが、老体の奥底からせり上がってきたのだ。
「イデール王国へ嫁いだ第二王女のみです。第一王女は生まれてすぐに、第三王女も病によって若くして亡くなりました。そして、こうして、ついに……ヘクセルま、で……」
ギラス将軍の眉間に皺が寄った。彼の視界が滲む。悔しさをあらわに目頭に涙が滲んだ。
その老将の涙に、会場の貴族たちの多くが胸を打たれた。血の通った肉親の、真実の悲哀がそこにあった。
「まこと、長生きはしたくはないものですなあ。娘も義息子も孫も、……老いぼれがのうのうと生きながらえ、見送ることは辛いものです」
ギラス将軍のその様子に、会場中に涙で啜り泣く声が上がり始めた。
ペンバーすらも、この老将の涙にわずかな油断を見せた。ただの、孫を失い絶望した老人の繰言だと。だが、次の瞬間、老将の涙は一瞬で消え去り、その瞳に絶対的な凍土の光が宿った。
「ヘクセルは心優しく、賢く、勇敢な聖君でありました……今巷では奇怪な噂が流れておることをご存知か。年寄衆がヘクセルの死を利用しその実権を握ろうとしておると」
鎮北王の突然の話に会場がざわめく。
すすり泣きの声がピタリと止み、代わりに冷たい動揺が広がっていく。壇上の最前列にいたペンバーの顔から、笑みが完全に消え失せた。
「ペンバー氏は次男をレイリーの娘に婿入りさせました。レイリー家といえば言わずと知れた先先代の傍系当たる血筋。そのレイリー家の娘が数日後には後継として即位をするというのです。こやつの狙いは明らかじゃ!息子夫婦を王位につけ、実権を握り王城を乗っ取ろうとしておる!」
静粛なるべき葬儀場が、一瞬にして弾劾の場へと変貌した。老将の声は、拡声の魔法でも使っているかのように、広間の隅々にまで滔々と響き渡る。
「北の老いぼれが何を言っている!陛下には子どももおらず、レイリー家は王家の血筋を汲む後継だ!王家の正統な後継が途れた今となっては妥当な判断である!」
ギラス将軍の物言いに、年寄衆の議員が立ち上がり怒鳴りつけた。ペンバーの息がかかったその議員は、顔を真っ赤にして拳を振り上げている。
その方向に向かって将軍は冷徹に笑う。その笑みは、完全に罠に嵌めた狩人のそれだった。
「ははは、陛下を殺し、王位を簒奪した反逆者よ!その首が惜しくは無いのか!正統な後継は別におる!ペンバーの古狸よ、第三王女の捨てられた赤子を忘れたか!!」
その瞬間、会場は爆発を伴うような狂乱に包まれた。
第三王女の捨てられた赤子――。それは、宮廷の歴史の闇に葬られたはずの、決して触れてはならない禁忌。
だが、それが生きているという事実、そしてその血筋こそが「正統な後継者」であるという宣言は、ペンバーの掲げる正当性を根底から覆す一撃だった。
「引っ捕らえろ!あの老いぼれを壇上から引き摺り下ろせ!」
ペンバーが激昂して叫ぶ。その顔は怒りと、初めて見せる明らかな狼狽に歪んでいた。
葬儀場は混乱を極めた。ギラス将軍を守ろうとお付きの一団が奮戦し、城の衛兵たちが彼らを捕らえようと大立ち回りをする。
燭台が倒れ、飾りが床に落ちて甲高い音を立てる。貴族たちは悲鳴を上げて逃げ惑い、聖なる葬儀の場は一瞬で戦場と化した。
だが、その狂乱の最中、ギラス将軍の視線はある一角を捉えていた。
国葬を記事にしようと葬儀場に来ていた記者たちのペンが一斉に踊り出し、ガリガリと紙片にメモを書きつけていた。
王城の情報統制など無意味だ。この場にいる多数の目撃者、そして記者たちの手によって、この「真実」は明日、王都全域、いや大陸全土へと爆発的に拡散する。これこそが、老将の放った真の毒針であった。
やがて多勢に無勢で取り押さえられた一団はもといた西棟の部屋に幽閉された。
部屋の周囲は、先ほどの倍以上の衛兵によって固められ、窓には頑丈な鉄格子が嵌められている。完全に退路は断たれた。
しかし、ギラス将軍は先ほどの混乱の中傷ついた頬を手当てしながら鼻で笑う。指先で血を拭い、その表情には奇妙な満足感が浮かんでいた。
「ふん、これで明日の新聞が見ものじゃな」
そう呟いた途端、バタンと部屋の扉が乱暴に開かれ、ペンバーが飛び込んできた。
その肩を怒りに震わせている。いつもは崩さない鉄の仮面が完全に剥がれ落ち、剥き出しの凶暴性がその老顔に刻まれていた。
「北の老いぼれが良くもやってくれたな……!」
「忘れておったようじゃから思い出させてやっただけじゃ。正統な後継者は別におるとな」
ギラス将軍は椅子に深く腰掛けたまま、悠然と言い放った。その態度が、ペンバーの怒りにさらに油を注ぐ。
ドスドスとペンバーは肩を怒らせて将軍に近寄るとその襟首を掴み上げる。
老貴族とは思えぬほどの力。だが、ギラス将軍の目は微塵も揺るがない。
「ほほ、わしを罰するつもりか?耄碌したジジイが葬儀で世迷言を言うただけで、何の罪に問うつもりじゃ」
「ふん、それで勝ったつもりか?ギラス将軍よ。お前の企みは知っておる。後発で軍を率いておるのだろう。既に街道には王城の兵を待機させておる。こちらの奇襲で王都へ着く前にお前ご自慢の北方軍は壊滅だ」
ペンバーは掴んでいた襟首を乱暴に突き放し、勝ち誇ったように冷笑した。
王城の内応だけではなく、北方の軍の動きすらも、彼の網の目に引っかかっていたのだ。街道に伏せられた王城の精鋭。アンジたちがそれに気づかねば、不意を突かれて全滅する可能性は高かった。
「…………!」
初めて、将軍の眉が微かに動いた。その表情の変化を見逃さず、ペンバーはさらに醜悪な笑みを深める。
「かつての剛将も堕ちたものよ。城が我が手に落ちるのを、その目で見ておるが良いわ!」
ペンバーは吐き捨てると、また荒々しくその部屋を後にした。
ガチャン、と重い施錠の音が響き、再び部屋は静寂に包まれる。
アンジの率いる北方軍の危機。しかし、ギラス将軍は静かに引き結んだ唇の端を、再び微かに吊り上げた。
盤面は引き裂かれ、いよいよ血塗られた戦への幕が上がろうとしていた。




