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新王ヘクセルの暗殺。そして、操り人形としての王族との婚姻。ペンバーは最初から、この国のすべてを奪い取るために動いていたのだ。そしてその陰謀の歯車の中に、なぜかリコが巻き込まれている。
ジルは資料もそこそこに制帽を手に取り立ちあがる。
「リコちゃんのところへ行くのか?」
「ええ」
ジルは短く返事をすると、留置場へ急いだ。
長い廊下を早足で通り抜ける。胸の中で、嫌な予感と焦燥感が泥流のように渦巻いていた。
地下へと続く冷たい石の階段を下り、留置場の管理区域へと滑り込む。受付に顔を出し、接見の申請をすると受付の男は不思議そうに首を傾げた。
「おや、ユーゲン隊のとこのジルじゃないか。このリコという娘の案件はゼッペン隊の案件だよ?」
「いいから、取り急ぎ聴取したい事項があるんです」
「はいよ」
呑気な男の返事にジルは舌打ちをした。
ゼッペン隊といえばまさにペンバーのお膝元の隊である。
城に不穏な空気が流れる中、リコは何かに巻き込まれてしまったのかも知れない。
尋問という名目で、彼女がどれほど不当な扱いを受けているか、想像するだけでジルの胸は引き裂かれそうだった。
ジルが落ち着かずに接見室で待っていると、管理官に連れられてリコが接見室へやってきた。
部屋の重い鉄扉が開いた瞬間、ジルの息が止まった。
そこにいたのは、かつて自分の前で無邪気に笑い、イケメンを探して目を輝かせていたあの少女ではなかった。リコは力なく壊れた人形のようにくたりと椅子に座らされる。
髪は乱れ、全身から生気が完全に抜け落ちていた。
格子状の柵を隔てて二人は向かい合って座った。冷たい鉄格子が、二人の世界を酷情に隔てている。
ジルはリコのその様子を見て愕然とした。
「リコ、一体何があったのです?」
リコは力無くうなだれたまま、ぼんやりと床を見つめている。
ジルの声すら、彼女の耳には届いていないようだった。ジルは焦って柵の向こうからリコの顔を覗き込んだ。うつろな瞳はまるでジルの存在すら映し出していないようだ。
その瞳の奥はどこまでも深く、暗い絶望の沼のようで、見ていて恐怖を覚えるほどだった。
「あなたが殺人の容疑で逮捕されたと聞いています。一体、何があったのですか」
「…………」
長い沈黙のあと、リコの唇が震えた。
カサカサに乾いた唇が、微かに動き、ポタリ、とリコの瞳から雫が落ちる。
その涙は、あまりにも静かで、深い絶望を含んでいた。
「クリスが、………………死にました」
「…………え?」
あまりの衝撃に、ジルは一歩よろめいた。
頭を強打されたかのような衝撃。あのいけ好かない金髪野郎が死んだというのか?一体、なぜ。
あれほど完璧な容姿を持ち、リコの傍に居座り続け、自分を激しく嫉妬させたあの青年が、この世から消え去ったという。
「…………私のせいです。私が、ペンバーの屋敷なんかに行ったから……」
リコの言葉に力はなく、その表情に生気はない。相変わらず壊れた人形のようだ。
自分を責め、自分の存在そのものを否定するかのような、痛々しい言葉。
「どういうことです?詳しく教えてください。」
リコは力無く頭を振った。
リコの人らしいその動きを見て一瞬ジルはホッとする。まるでリコが死体か何かのように見えていたのだ。
少しでも気を抜けば、そのまま彼女の魂が消えていってしまいそうな、そんな錯覚に囚われる。
「土地を、寄越せとペンバー様に捕らえられて……地下牢に閉じ込められたんです。その時に、…………クリスが、刺されてしまって…………」
まるでリコは何かを諳んじるように話した。何度も何度も指でなぞるようにその記憶を辿ったのだろう。
地獄のような夜の出来事を、彼女の脳内は何度も何度も再生し、そのたびに彼女の心を切り刻んでいたのだ。
ジルは心の奥底から悲しみと怒りが湧いて来るのを感じた。
ペンバーへの怒り、そして、自分がその場にいてやれなかったことへの激しい悔恨。
「その後ペンバー様がやってきました。私がクリスを殺したと告げて、そのままここへ入れられたのです。…………陛下も、」
「陛下?」
「私のせいで死んだと。ペンバー様は笑ってお礼を言いました」
リコの口から漏れた、さらなる戦慄の真実。
「どういうことです」
ジルは鉄格子を掴む手に力を込めた。リコはやはりジルを見なかった。ぼんやりとした様子で床を見つめている。
彼女の意識は、すでにこの現実の世界にはなく、あの血塗られたペンバーの屋敷に囚われたままだった。
「ペンバーの屋敷にあった絵に毒が仕込まれていました。私が指摘したおかげでペンバー様は命拾いをしたのです。ですが、それを……ペンバー様は処分なさらずに陛下に贈ったのです」
「な、……」
ジルの顔から血の気が引いていく。
リコの絵師としての鑑定眼。それが、巡り巡って王の暗殺のための道具として利用されたというのか。
「ある種の酒を飲むとその毒はゆっくり効果を発揮すると、言っていました」
それっきり、リコは黙ってしまった。
ペンバーはリコを利用して王を暗殺し、さらにクリスを殺したというその罪をリコに着せて、すべてを闇に葬ろうとしている。あまりにも邪悪なシナリオだった。
ジルはガタリと立ち上がる。
「それを、証言しましたか!?」
「…………」
リコは答えない。当然だ。取り調べをおこなっているのはゼッペン隊である。証言も全て捻り潰され、都合の良い筋書きにされているのであろう。
いくらリコが真実を叫んだところで、ペンバーの手下たちがそれを記録に残すはずがない。ペンバーがリコに内情を明かしたということは、それはつまり近いうちに死刑になり口が塞がれることが確定しているということである。
真実を知る者は、生かしてはおけない。それが、あの男のやり方だ。
「リコ!」
「…………」
リコは何も答えなかった。顔には酷い影を背負い、やはりジルを見ようともしない。まるで何もかもどうでも良いといったリコのその姿に、そしてクリスが死んだというその事実に、ジルの心は激しく痛んだ。
彼女の魂は、クリスの死とともに半分死んでしまった。このままでは、彼女は戦うこともせず、ペンバーの筋書き通りに処刑台へ送られてしまう。
「リコ、必ず私がここから出してあげます……必ず!」
「…………」
「だから、あきらめないでください……リコ……!
」
「…………」
それでもリコは返事をしない。ジルの声が届いているかどうかすら怪しい。
もう死んでもいいと思っているその様子はジルの導火線に火をつけた。これほど彼が大切に思っている彼女自身の存在を、心を、身体を、どうでも良いと言わんばかりに諦めてしまった姿。
怒り、弾かれたようにジルは激しく柵に縋りついた。ガシャリ、と鉄製の柵が唸る。
冷たい鉄の響きが、閉ざされた接見室に虚しく鳴り響いた。
「腹を括りなさい!!リコ!!」
ジルに怒鳴られ、リコがようやくこちらを見た。
その瞳の奥にある、深い、深い虚無。ジルはどうしても彼女をそこから掬い上げたかった。
優しさでは、今の彼女を救い出すことはできない。彼女を絶望の底から引きずり上げるためには、より強烈な、毒のような感情を注ぎ込むしかなかった。
「ペンバーは今やその冠を手にする勢いです!クリスと陛下を殺したそいつを、このままにしていいのですか!あなたを利用したそいつを!」
ジルの激しい言葉が、リコの凍りついた心にひび割れを起こす。
クリスを殺し、ヘクセル陛下を暗殺し、自分をこのような汚い牢獄に閉じ込め、すべてを嘲笑っている男。その男の顔が、リコの脳裏に鮮烈に蘇る。
リコの瞳に炎が宿った。
屍のようだったその表情が憎しみに彩られ、ジルを見つめる。
うつろだった瞳に、明確な殺意と、激しい感情の突沸が沸き起こる。
「私がここから出してあげます!必ず!……必ず!」
ジルは鉄格子を強く握り締め、己の魂を賭けて誓った。
「……殺してやる」
低く唸るように呟いて、リコの瞳に涙が溢れた。
それは先ほどまでの絶望の涙ではない。鼻に皺を寄せ、生きる糧を見つけたかのようにリコが叫ぶ。
「あいつを、……殺してやる!!」
その叫び声は、狭い接見室の壁に跳ね返り、地下留置場の奥深くへと消えていった。
リコの姿を見て、ジルは苦しそうに唇を噛んだ。
彼女の瞳に生気が戻った。しかしそれは、純粋で無垢だった彼女の心を汚し、復讐の修羅へと引きずり込むことを意味していた。
火をつけたのは、己だ。




