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カチャカチャと帯剣しているサーベルが揺れる。
金属同士が擦れ合う微かな音が、冷え切った冬の空気の中に寂しく吸い込まれていく。まだ日の高い昼間、ジルは数日をかけて人民帳の最後の住所へやってきた。
王都の華やかな中心部から遠く離れた、北部の古い旧市街の境界。かつては職人街として栄えたのだろうが、今では見る影もなく寂れ、灰色の漆喰壁が剥がれ落ちた家々が寒風に晒されている。中央役所のカビ臭い地下書庫で、幾夜も徹夜をして紡ぎ出した家系図の糸。その糸の末端が指し示していたのが、このうらぶれた路地の突き当たりだった。
書類上ではここにマットとその息子リオンが住んでいたことになっている。
数十年もの間、公的な記録が更新されぬまま放置されていた場所。そこには一軒の家が立っていた。
周囲の崩れかけた廃屋とは異なり、古いが丁寧に手入れがされ、別の住民が住んでいるようだ。
木製の扉は新しく塗り直され、窓辺には冬枯れの小さな鉢植えが並んでいる。この家が今も生きた人間に管理されているという事実に、ジルは胸の奥でわずかな手応えを感じながら、革手袋に包まれた拳でその扉を叩いた。
「はいはい、どちら様ですかね?」
内側から鍵が外される重い音がして、扉から顔を出したのはしわくちゃの老婦人だった。
深い皺が刻まれた顔に、濁っているが奇妙に鋭い光を宿した瞳。彼女は不意の来訪者を油断なく見定めている。ジルは帽子を取り、軽く挨拶をする。
「突然すみません、ご婦人。少しお伺いしたいことがあるのですが、よろしいでしょうか」
ジルが丁寧に尋ねると、老婆はジルの制服を見て警戒を解いたのかにこやかに頷いた。
王城の兵士が纏う、刺繍の施された正規の軍服。王都において、その服装は公的な権威の象徴であり、一般の市民にとってはこれ以上ない安心の担保となる。
「ええ、ええ、お城の兵士の方ですね。なんでしょうか?」
「ここに以前住んでいた一家をご存知ですか?マットとリオンという名の者が住んでいたと思うんですが……」
ジルの問いかけに対し、老婆は表情を隠すようにフッと細い息を吐き出し、どこか見透かしたような笑みを浮かべた。
「またその話かい?先日も同じようなことを聞いてきた者がいたよ」
その一言に、ジルの身体が微かに強張った。どうやら相手勢力も土地の所有者探しに躍起になっているらしい。
ペンバー当主、あるいは裏で繋がっているマフィアのンドゲーラ。連中もまた、王城の動きを察知しているのか、あるいは利権の要となるあの土地の重要性に独自に気付き、この戸籍の迷宮を這いずり回っているのだ。
「ここはそこに住んでいたマットさんから譲り受けた家だよ。もちろん知っているさ」
「そのマットさんの息子さんは亡くなっているらしいですが、何か詳しいことはご存知ですか?」
役所の記録では「死亡」の一文字で片付けられていたリオンという青年の生涯。その行間にある真実を掴むため、ジルは鋭い藍色の瞳で老婆の顔を凝視した。
「いやねえ、同じことを聞かれたけど、何も知らないんだよ。リオン君はいい子だったが、マットが頑固ジジイだったからね。大喧嘩をしてどこかへ駆け落ちしてそれっきりさ。詳しいことは知らないねえ」
「そうですか……」
ジルは嘆息した。
やはり、一筋縄ではいかない。駆け落ちという単語が飛び出したことで、事態はさらに泥臭い人間模様の渦中へと沈み込んでいく。戸籍上からは追えない「裏の人間関係」が、所有者探しの難易度を跳ね上げていた。
「それでは、先日同じことを聞いてきたという輩は誰ですか?」
ジルが聞くと老婆はおかしそうに笑う。
その笑い声は乾いており、王都の闇を生き抜いてきた老人特有の、底知れない図太さを感じさせた。
「星のタトゥーをつけたチンピラどもさ。私が耳が遠いふりをしていたら、一生懸命同じことを聞いていたねえ」
「…………」
なかなかこの老婆も食えない婆さんらしい。マフィアをからかって弄ぶなんて相当肝が据わっていないとできない芸当だ。
凶暴なマフィアの男たちを相手に、耳の遠い老人のふりをして情報を煙に巻いたというのだ。並大抵の胆力ではない。ジルは呆れ半分、感心半分で、自らの制帽の位置を直した。
「あまり極道者をからかって遊んではいけませんよ」
「ひひ、気をつけるよ。……そうだねえ、裏の山手の方にマットの墓地があるから行ってみるといいよ。ちょうど今日は命日だから、何か知っている人が来るかもしれないね」
老婆はまたにこやかに笑った。だが最初の印象とは違って黒い何かが見え隠れする。全く女とはやはり恐ろしい。
ジルはしずかに一礼をした。
「いや、ご婦人、ご協力ありがとうございました。何か思い出したら、城に一報いただけますか。私はジルと申します」
ジルは笑って帽子を被る。これ以上は何も分からなさそうだ。恐らくンドゲーラのやつらも同じところで行き詰まっているのだろう。
あの一見して凶悪な男たちが老婆の「耳が遠いフリ」に阻まれて手ぶらで帰っていく姿を想像し、ジルは微かに溜飲が下がるのを覚えた。
先日リコから聞いた情報だと、ペンバー家とンドゲーラは今回の都市再開発計画について手を組んだようだ。
リコが命懸け(本人は全くその自覚はないだろうが)で潜入し、ペンバーの屋敷から持ち帰ってくれたあの「星のタトゥー」の情報。それが、この目の前の点と完全に繋がった。
ペンバーがマフィアを使い、この旧市街の血脈を洗わせている。目的は一つ、あの土地の正当な継承者を、王家よりも先に確保し、あるいは闇に葬ることだ。
ジルは家を後にして先ほど老婆に言われた墓地へ行ってみることにした。せっかくここまで足を伸ばしたのだ。収穫なしで帰るつもりはない。
旧市街の裏手に広がる傾斜地は、冬の枯れ木が陽光を遮り、昼間だというのにひどく薄暗かった。
墓地は寂しい場所だった。山手の近くということもあり、陰っていて苔が生えているような場所だ。
湿った土の匂いと、朽ち果てた石碑が不規則に並ぶ光景。風が吹くたびに、枯れ葉がカサカサと不快な音を立てて地を這う。ジルは軍靴で泥を踏み締めながら、一つ一つ墓を覗きながら男の墓を探す。
刻まれた古い文字を読み解き、マットという名の男の痕跡を追う。広大な墓地の中を歩き回り、半ば諦めかけたその時、斜面の陰に位置する一角で、奇妙な違和感を覚えた。




