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 あそこは王都の権力犯罪の巣窟であり、魑魅魍魎の蠢く闇のド真ん中だ。リコのような素直で、裏表のない一般の娘が関わっていい場所ではない。


「どうせこの娘も前回一枚噛んでいるんだ。それにすでに屋敷に通っているのだろう?無茶をしなければちょっと話を盗み聞いてもらうことくらい大丈夫だろう」


「いえ、ダメです。絶対にダメです。一般人の彼女をペンバーの伏魔殿に放り込めと言うのですか」


 慌ててジルが手を振って兵長を制すが、ユーゲン兵長は気にかける様子もなく続けた。


「城の者は使えん。どこで年寄衆の息がかかっているか分からないだろう。それともお前が一人で全てこなすか?」


「……それは、」


 ジルの言葉が詰まる。

 王城の役人や、他の騎士団の人間を動かせば、その瞬間にペンバー当主にこちらの動きが察知される。隠密性を保ち、かつペンバーの内部に自然に立ち入れる存在。それが、リコしかいないという正論。


「諦めろ。俺たちには人手が足りていない。すでに通っている屋敷の様子を見てきてもらうだけだ」


 兵長は冷静に諭すが、ジルはそれでも食い下がる。そうせずにはいられなかった。


「ですが、彼女は次男坊の釣書の絵を描きに通っているだけです。ペンバー氏に直接会うことははほとんど無いと思いますが……」


「かまわん。屋敷で見聞きしたことをそのまま報告してもらうだけでいい。彼女は一般人なのだから」


「……わかりました」


 ジルはしぶしぶ頷いた。踵を返し、二人はそれぞれの仕事へ戻る。

 ユーゲンは兵長としての仕事もこなすので、実質動くのは自分だけになるだろう。ジルはため息をつくと開示請求に必要な書類を調べに走ることにした。

 これが終わったら、すぐにリコの元へ頼みに行かねばならない。


 気が重い頼み事ではあったが、激務の連続で彼女に会う機会すら奪われていた日常の中で、公に彼女の家を訪ねる理由ができたことだけは、ジルの歪んだ独占欲をわずかに満たした。今日は朝から忙しく、もうリコに会うことはできないと思っていたのでその点だけは嬉しく思った。


 数日後、書類集めに奔走していたジルはやはり陛下の言う通り、土地の所有者は不明であることを再確認した。

 王都の中央役所の地下、カビと古いインクの匂いが充満する書庫に籠り、山積みの人民帳と格闘する日々。役人たちの官僚的な遅い仕事に苛立ちながらも、ジルはその高い執念で書類を精査し続けた。


 問題の土地の登記簿の束。その一番上に記された、色褪せた名前。

 最後の登記はデイリー氏となっている。だが生きていれば百十二歳の仙人のような老人である。

 もちろん取り寄せた人民帳ではとっくの昔に死亡したとあった。

 死後、数十年が経過しているにもかかわらず、その土地の相続手続きが行われた形跡は一切ない。相続人がいないのか、それとも手続きを怠ったのか。ジルはさらに深く、デイリー氏の血筋を遡る作業に没頭した。


 ジルは頭を抱え、更に方々から人民帳を取り寄せてまずは家系図を作った。

 机の上に広げられた巨大な羊皮紙に、インクで線を引いていく。名前と死亡年月日、そして親族関係の複雑なネットワーク。


 デイリー氏には妻がいた。もちろんこちらも亡くなっている。デイリー氏の両親や祖父母も同様に鬼籍だ。

 家系図の上の世代は、すべて赤いインクで斜線が引かれ、すでにこの世にいないことを示している。

 相続にはややこしい順序があり丁寧にそれぞれの死亡年月日を探し照らし合わせてゆく。もはや残っていない記録も多い。

 戦乱や過去の火災によって、一部の役所の帳簿は消失しており、文字の掠れた古い記録を解読するのは至難の業だった。しかし、ジルは根気強く血脈の行方を追い続けた。


 デイリーの子供は二人いた。どちらも生きていれば八十歳を超える歳だ。

 娘の方は子供に恵まれず亡くなったようだ。

 残るは息子の方である。息子の家系を追う。

 息子の方には配偶者と一人息子のマットがいる。その一人息子も結婚をし、息子が一人いたようだ。最後の息子にはリオンと名前があった。


 デイリーから数えて四代目。このリオンという青年が生きていれば、彼が正当な土地の相続人となるはずだった。しかし、運命は残酷だった。

 だが、それぞれに丁寧に死亡年月日が記載され人民帳は途絶えている。

 家系図の末端に位置するリオンの名前の横にも、数年前に病死したという冷酷な記録が刻まれていた。配偶者もおらず、子供もいない。デイリー氏の直系の血筋は、ここで完全に途絶えていたのだ。


 それだけであれば土地は宙に浮いたものとして扱われ、第三の選択肢として国庫に入れることも不可能ではなかった。

 正当な相続人が完全に存在しないのであれば、王家の権限をもって「主なしの土地」として接収し、国庫に編入する手続きをとれば良い。それならば役所の書類仕事だけで完結し、マフィアやペンバーに出し抜かれる心配もなかった。


 しかし、古い羊皮紙の端に記された、わずか数文字のインクの滲みが、その淡い希望を完全に打ち砕いた。

 厄介なのは最後に亡くなった息子の欄に小さく「認知あり」とあったことだ。


 その四文字が意味する社会的・法的な重みを、ジルは正確に理解していた。


 つまり、婚外子がいる。


 正当な婚姻関係にない女性との間に生まれた、血の繋がった子供。その存在が、デイリー氏の血脈を、そしてあの土地の正当な所有権を、未だこの世に繋ぎ止めていたのだ。

 しかし、ここからの調査は、これまでの書類仕事の何倍も困難を極めることになる。

 婚外子については母親の人民帳に詳しく記載され、父親の人民帳には詳しく記載がされない。

 父親側の記録には、ただ「認知した」という事実だけが残され、その子供がどこで生まれ、どのような名前を与えられ、現在どこにいるのかという具体的な情報は一切伏せられる。


 当然各地に婚外子をもつお偉方様が作った法であるゆえ、そのような作りになっているのだ。

 自らの不都合な血筋を隠蔽し、本妻の子らの利権を守るために貴族や権力者たちが都合よく作り上げた法制度の壁。それが今、新王の密命を遂行しようとするジルの前に、障害となって立ちはだかっていた。父親の記録から母親を特定することは不可能だ。


「確かに、これは行き詰まるなあ。」


 ジルは呟いて制帽を取り、立ち上がった。

 地下書庫の薄暗い明かりの中で、彼は自らの前髪を乱暴にかき上げる。書類の上での追跡は、ここで完全に限界を迎えていた。これ以上、文字の掠れた古い帳簿を睨みつけていても、生きた人間の居場所は浮かび上がってこない。


 ここから先は足で調べるしかない。

 ジルは制帽を深くかぶり直し、腰のサーベルの感触を確かめた。



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