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時はほんの少し戻る。
「歳がいくつなのか、男なのか女なのか、どこにいるのか、何をしているのか。何も分からない……やってくれるね?」
「おおせのままに」
ヘクセル王に返事をする兵長を見て、ジルは天を仰いだ。
人払いのされた重苦しい執務室、豪奢な絨毯の上に直立不動で立つ上官の背中を見つめながら、ジルは内心で深く長い嘆息を漏らさずにはいられなかった。
ユーゲン兵長は実直すぎる。
軍人としての能力は誰もが認める一級品であり、修羅場を潜り抜けてきた実績もある。実力はあるのに、実直すぎるがゆえ権力者を相手にごま擦りが出来ず、未だに兵長止まりなのだ。
宮廷のどろどろとした権力闘争や、上層部への根回しといった世渡り文化から最も遠い場所にいる男。それがユーゲンだった。実直さは美徳かもしれないが、この肥大化した王都の軍組織においては、時に部下を過酷な泥沼へと引きずり込む最大の要因となる。
従って、うちの隊は他の隊が嫌がるような仕事が回ってきやすい。
今回は出どころも分からぬ、報酬も名誉も約束されていない幽霊のような存在の捜索。そんな不条理な命令を、兵長は眉ひとつ動かさずに請け負ってしまったのだ。
「君ならそう言ってくれると思っていたよ、ユーゲン兵長」
王はあからさまにホッとした様子で椅子に腰をかけた。
若きヘクセル王の双肩にかかる重圧は、側で見ていても痛々しいほどだった。年寄衆という老獪な権力者たちに囲まれ、孤立無援に近い状態にある王にとって、ユーゲンのような「絶対に裏切らない実直な刃」は、文字通り最後の命綱なのだろう。王は疲れた手で額を拭い、執務机越しに王と兵長の会話が始まる。
「少し前から議会で繁華街の都市再開発計画が持ち上がっていてね。ペンバー氏が持ち出した議案だ。それ自体は至極真っ当な案なんだが……どうやら一儲けを企んでいるようなんだ」
「ペンバー氏が持ち出した議案であれば、抜け穴をついて何をしでかすかわかりませんね」
兵長の声はどこまでも冷ややかだった。ペンバー当主という男の貪欲さと老獪さを、軍としても警戒している証拠だった。
「ああ。あの辺り一帯の地上げにもマフィアが入り乱れてしのぎを削り合っている。王都への進出を目論む地方のマフィアも出てきて今や繁華街の治安は最悪だ」
「なるほど。イルザ兵長の対マフィア隊がここ最近忙しそうなのはそういうことでしたか」
「そうだ。今はマフィア同士の小競り合いで済んでいるが、いつ抗争に発展してもおかしくない。再開発自体は真っ当なものだ。城下の発展のためにも私としても推し進めたい。だが、そこにマフィアやら年寄衆やらが有象無象のように利権に集まってくるんだ……ペンバー氏に主導権を渡してはならない。わかるね?」
王の訴えに、ユーゲン兵長とジルは小さく頷いた。
表向きは美しい王都の近代化。しかしその裏では、ペンバー当主がマフィアと手を組み、暴力と威嚇で街を塗り替えようとしている。
「地上げが進む再開発地に……まだ誰も手がつけられないでいる土地がある。小さな土地だが、重要な土地だ。そこは登記が随分と前から更新されていなくてね。所有者不明になっている。そこを押さえたい」
「土地所有者を探すのですね」
「そうだ」
ヘクセル王は頷いた。再びジルはこっそりと肩を落とす。どう考えても碌な仕事ではない。
王の狙いは明確だった。再開発全体の主導権をペンバーに独占させないために、その計画の「要」となる、どうしてもバイパスや商業施設の建設に必要な一等地の所有権を王家側で確保する。つまり再開発地の重要地を手に入れ、再開発計画自体の主所の主導権を握ろうということなのだろう。
理屈は分かるが、その「所有者不明の土地」の主を探すという実務が、どれほど泥臭く、果てしない作業になるか、実際に動かされるジルの身にもなってほしいものだった。
ジルと兵長は接見を終えると、足早に歩きながら相談を始めた。
王城の冷たい大理石の回廊に、二人の軍靴の音が不規則に響く。窓の外からは、凍てつくような風の音が聞こえていた。
「まずは役所へ行って登記を隈なく調べてこい。役所絡みの書類上ならマフィアどもより王城に仕える我らが一枚上手だ」
「えぇ、正直嫌ですよ、こんな仕事……」
ジルの不満に満ちた生々しい本音。埃っぽい役所の地下に潜り、他人の家系図を洗うなど、およそ華やかさとは無縁の地味な作業だった。
「ふん、喜べ。お得意の書類仕事だぞ」
ユーゲン兵長は人相悪く少しだけ口角を吊り上げている。
(……うげえ)
ジルはこの表情が嫌いだ。笑っているのに殺されそうな気分になる。
兵長はジルの高い事務処理能力を誰よりも知っており、だからこそこの任務を彼に丸投げしたのだ。
「はあ、それでは役所に片っ端から開示請求しますよ……あそこは必要書類やらサインやらうるさいんですからね……そのくせ仕事も遅いですし」
「王命だ、急かせろ」
「はいはい、分かりましたよ」
ジルの投げやりな返事に、兵長は歩みを止めぬまま、さらに冷徹な声で核心を突いてきた。
「それから、ペンバー氏の動向も注視すべきだな……うちの隊の者は動かせないし、……おい、そう言えばお前、リコちゃんがとやらがペンバーの屋敷へ通っているとか言ってなかったか」
その言葉を聞いた瞬間、ジルの脳裏に最悪の予感が走り、全身の血が引くような感覚に襲われた。
「は?……いやいやいや、ダメです。絶対ダメですよ」
まさかこの男、リコにペンバーの屋敷へ潜り込ませようと言うのか。危険すぎる。リコをそんな目に合わせるわけにはいかない。




