78
「ふふ、ペンバーの伏魔殿には魑魅魍魎が跳梁跋扈すると有名ですよ。」
リコが笑って言うと、アーチは気まずそうに頭を掻く。
その少し子供っぽい仕草に、彼が持つ本来の年齢相応の人間らしさが垣間見えた。
「そんな噂があるのかい?まあ、半分くらいは正解かもなあ。親父はほとんど妖怪みたいなもんさ」
「まあ、このお屋敷に出入りする方で一番の悪者は誰ですか?」
「親父に決まってる」
リコがおどけて聞くと、アーチは少し頭を振りながらこたえた。
身内から見ても、ペンバー当主という男は怪物であり、王都の闇そのものであるということだろう。リコがその親子の会話から、さらに何事かを訊き出そうとしたその時、部屋の扉が外から冷酷に叩かれた。
「アーチ様、お時間です」
どうやら今日はここまでのようだ。
執事の抑揚のない声が、対話を遮断するように響く。リコは画材道具を片付けてアーチにお礼をすると部屋を出た。
次にペンバーの屋敷に来ていた時、リコは思い切ってペンバー氏の執務室を覗いて見ることにした。
絵の制作もいよいよ大詰めを迎え、屋敷へ堂々と出入りできる機会は残り少なくなっている。このまま何も見つけられずに終わるわけにはいかないという焦りが、リコの無鉄砲な背中を押した。
何か情報があれば良し。無ければ通り過ぎて帰って来れば良いのだ。
アーチの絵を描いた後、リコはペンバーの執務室へ向かう。以前一度通されたことがあるため、大体の位置は把握していた。
豪華な絨毯が敷き詰められた長い回廊。その突き当たり、一際重厚な木彫りの扉が、老貴族の執務室だった。リコが足音を殺しながら、心臓の鼓動を高鳴らせてそこめがけて歩いて行くと、廊下の奥のその執務室の扉はあった。リコがそこめがけて歩いて行くと、ちょうど部屋から大柄な人相の悪い男が二人出てくるところだった。
「必ず探し出して連れてきます」
地を這うような低い、凄みのある声。
いかにもといった風態の男二人は派派手なスーツを着込み、手の甲に星型のタトゥーを施している。
仕立ての悪い、しかし見るからに高級な生地のスーツ。その異様な男たちの雰囲気に、リコは息を止めて壁際に身を寄せた。男二人は部屋の中に向かってそう言い、一礼をするとこちらへ向かって歩いてきた。
長い回廊だ。今さら引き返せば、かえって怪しまれる。仕方なくリコはビビりながら進み続けてすれ違う。
男たちの身体から、特有の強い煙草の匂いと、戦場とはまた異なる、人を暴力で脅してきた者だけが持つおぞましい殺気が漂ってきた。
男たちはリコを一瞬だけ一瞥したが、ただの若いメイドか出入りの職人だと思ったのだろう、そのまま気にも留めずに足早に通り過ぎていった。
(い、今のもジルさんに報告しなきゃ……)
男たちの足音が完全に遠のいたのを確認して、リコは大きく息を吐き出した。
背中には嫌な汗がびっしょりと張り付いている。あの手の甲にある特徴的な星型のタトゥー。右の男は星が二つで左の男の手の甲には星が三つあった。リコは肩をすくめながら心の中にメモをする。
リコは大急ぎで家へ帰ることにした。今日はジルがやってくる日なのだ。
一刻も早く、この不気味な情報を彼に届けなければならない。
家へ帰り、食事の支度をしていると疲れた様子のジルが顔を出した。
扉を開けて入ってきた彼は、いつも以上に疲れ切った様子だった。どうやら働き詰めのようだ。今日も制服を着込み、サーベルを帯剣している。
彼はリコの顔を見るなり、張り詰めていた表情をわずかに緩めたが、その肩の重荷が降ろされることはなかった。
「ジルさん、お疲れですか?」
リコが心配になって尋ねると、ジルは首を振った。
彼はダイニングの椅子に腰掛けることもせず、ただ急いだ様子で声をかけた。
「いや、大丈夫です。あまり時間がありません。ペンバーの屋敷で何か変わった事はありましたか?」
すぐにジルは本題に切り込んできた。よほど急いでいるのかもしれない。
リコは今日までに集めた情報を、記憶の引き出しから必死に引っ張り出した。
「ええと、次男のアーチ様の結婚相手がわかりましたよ」
「そういえば知りませんでした。誰ですか?」
「リーレイ家のお嬢様だそうです」
「へえ、リーレイねえ……?」
ジルは考えるように顎に手をやる。
リーレイ家——傍系だが王家関わりを持つ、保守派の有力貴族だ。ペンバーがその家に次男を婿入りさせようとしているという事実は、彼らがさらに王都の利権を強固に握ろうとしている現れに違いない。
「それから、ご当主様はなんだか怖いマフィアの方と通じてるみたいでした」
「マフィア?どこの者か分かりますか?」
「さあ、私詳しくはないので……でも、手の甲に星のタトゥーがありましたよ。一人は星が二つで、もう一人は星が三つでした」
「星のタトゥー、ンドゲーラのやつらか」
何やらジルは分かっているようだった。リコは首を傾げながら続ける。
「ええと、誰かを探しているみたいでした。ご当主様の執務室から出てくる時に、必ず探し出して連れてきますって言ってましたよ」
「ンドケーラのマフィアは最近繁華街の地上げをおこなっています。恐らくはそこに繋がるでしょうね……地上げをしている土地の再開発計画を持ち出したのはペンバーだ。上手くいけば、莫大な利益が出るのでしょう。どうやら、私と同じ探し物をしているようだ」
ジルは少しだけ口角をあげて笑った。
だが、その笑みはどこか自嘲気味で、同時に獲物を見つけたような鋭さを孕んでいた。
「リコ、他にめぼしい情報はありますか?」
「いえ、特には……」
リコが首を振ると、ジルはガタリと椅子から立った。どうやらもう行くようだ。
彼は鋭く息を吐き出した。
「ありがとうございます。連中がまだ見つけれていないのなら幸いだ。私は仕事に戻りますね」
「はい、気をつけてください」
リコは心からそう言った。何やらマフィアだの年寄衆の重鎮だのきな臭い話であることは、流石のリコでも感づく。先日も繁華街で悪どい地上げを目の当たりにしたばかりだ。
「リコも、気をつけてください。しばらく繁華街の方へは近づかない方がいい。ペンバーの屋敷も、仕事が終わったらすぐに引き上げてください。これだけ情報が分かれば十分です」
「はい。わかりました」
ジルの言葉にに、リコは今度は素直に頷いた。
「ああ、それと。」
リコがジルを見送ろうと玄関まで来た時だった。思い出したようにジルが振り向く。
開いた扉の向こう、夜の冷たい大気が室内に流れ込み、ジルの白銀の髪を優しく揺らした。彼は立ち止まり、その真っ直ぐな瞳でリコをじっと見つめた。
「今回の仕事に片がついたら、私とデートしてください。二人きりで……私たちは一度話し合うべきだ」
「デート……?ええ、わかりました!楽しみにしてますね」
リコがニッコリ笑って見送ると、ジルは安心したように家を出た。




