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リコは喜んでぴょこんと飛び跳ねた。ジルの白銀の髪は夕焼けに染まりキラキラと赤く輝いている。
まるで炎を宿したかのように美しく煌めく彼の髪と、その対比となる涼しげな瞳。しかし、その瞳の奥には、明らかな疲労と、それ以上に何か重大な葛藤の色彩が濃く滲んでいた。
ジルは呆れたようにため息をついた。
「相手を確かめてから、扉を開けてくださいと言っているでしょう」
「ジルさんだから、開けたんですよう」
リコが口を尖らせていると、疲れたようにジルが扉をくぐり、ドサリとダイニングの椅子に腰掛けた。彼はまだ仕事着のままだ。腰にサーベルも帯剣している。
金属製の鞘が椅子の脚に当たり、硬質な音を立てる。その重々しい装飾から、彼が今まさに、任務の最中であることを無言で物語っていた。
「どうしたんですか?今日はお仕事で来られないって聞いていましたけど……」
「ええ、まだ仕事中で。少しリコに用があって来たんです」
「私に?」
リコはジルに紅茶を出すと、自分も椅子に腰掛けた。
湯気の立つカップをジルの前に差し出す。ジルはその温もりに触れようともせず、ただ、苦虫を噛み潰したような、信じられないほど不機嫌で、かつ苦渋に満ちた表情でリコを見つめていた。その沈黙の長さに、リコは思わず唾を飲み込む。
「……不本意ですが……非常に不本意ですが」
「何ですか、もったいぶらずに早く話してくださいよう」
ジルは眉間に皺を刻んで言いたくなさそうに口を開く。
その口調は、まるで嫌々腹の底の底から言葉を引っ張り出しているかのように重かった。
「上司命令なのです……リコ、あなたに是非協力してほしい」
「何でしょうか?私にできることならなんでもどうぞ!」
リコのいつもの無鉄砲なまでの優しさと真っ直ぐな瞳。それが、今のジルにとってはあまりにも眩しく、そして罪悪感を刺激するものだった。彼は視線をわずかに落とし、意を決したように声を絞り出した。
「実は、……ペンバーの屋敷に潜入して欲しいのです」
「えっ……?」
リコは驚いて口を開いた。
あまりにも予想外の単語だった。一介の街の絵師に過ぎない自分に、王都の最高権力者の一人であるペンバー当主の屋敷への「潜入」などという、スパイ歌劇のような真似をしろというのだ。
「あなたは今、絵を描きにペンバーの屋敷へ通っているでしょう?その時に、ペンバー氏が何をしているのか少し調べてきて欲しいのです。例えば、誰が出入りしているか、とか。もちろん、他言無用です」
ジルは恐らく今ここに来るまでに上司と一戦交えてきたのだろう。しぶしぶ、不本意ながらという雰囲気がビシバシと伝わってくる。
ジルは、リコを危険に晒すこの案に全力で猛反対したに違いなかった。しかし、軍人としての絶対命令の前に、彼はこうして頭を下げざるを得なかったのだろう。
「調べるって言っても、私は絵を描いているだけですし、御当主様に会うことはほとんどないですよ?」
「ええ、分かっています。それは私からも上司に進言してあります……できる範囲でかまいません。無理はしなくていいので、屋敷で気づいたことなどを報告してくれませんか」
ジルの声には、彼女の安全を何よりも最優先にしたいという、悲痛な願いが込められていた。リコはそのジルの、不器用ながらも自分を守ろうとしてくれる姿勢と、自分が役に立てるかもしれないという使命感から、力強く頷いた。
「わかりました……!ジルさんたってのお願いなら、いつでもどんとこいです!」
リコが胸をドンと叩いて、胸を張った。その様子を見てジルは少しだけ笑う。
その頼もしすぎる、しかし危うすぎる彼女の笑顔に、ジルの心がどれほど救われ、そして締め付けられることか。
「私から頼んでおいてなんですが、本当に無理はしないでください」
「あ、でも私……もう少しで絵が出来上がりそうなんです。あと二回ほどしか屋敷に通う予定がないんですが……それでも大丈夫です?」
「……そうですか。少しだけ引き伸ばせたりはしませんか?」
「ええ、まあ、……少しだけならできると思います!」
キャンバスの背景の描き込みや、ディテールの修正などを理由にすれば、数日間の猶予を作ることは容易だろう。
「はあ……本当に無理を言ってすみません」
ジルはそう言って申し訳なさそうに立ち上がった。リコも慌てて椅子から立つ。
「それでは、もう戻ります。急いがないと行けないので」
ジルが玄関に向かったのを見て、リコは見送りに慌てて出てきた。
ジルがガチャリと玄関の扉を開く。隙間から夕焼けの赤い光が漏れ差した。
外の世界は、完全に夜の帳が下りる直前の、最も美しく、そして最も不安定な逢魔が時を迎えていた。その赤い光が、二人の影を室内の床に長く長く伸ばす。
その瞬間、ジルは振り返ると力強くリコを抱きしめた。
前触れのない、しかし抗いきれない激情が込められた腕が、リコの身体を包み込む。リコの視界に、ジルの胸が広がる。
ガチリと、彼の制服の金属飾りがリコの身体に当たり、冷たい感覚が一瞬走ったが、それ以上に彼の肉体が放つ熱量と、激しく波打つ鼓動が、衣服越しにダイレクトに伝わってきた。
驚いてリコが瞠目していると、ジルは後ろ髪を引かれるように囁く。
「このままリコと一緒に居たい」
その言葉に、リコの心臓が小さく跳ねる。
「ふふ、おかしなジルさん。お仕事、頑張ってくださいね」
リコがそっとジルの背中に手を回すと、ジルは一層強く抱きしめ返してくる。
「はい……あなたも、くれぐれも気をつけてください。……では」
ジルはそれだけ言うと夕暮れの中へと去って行った。
バタン、と静かに閉まった扉。
残された室内の静寂の中で、リコはしばらくの間、動くことができなかった。
頬が夕焼け色に染まる。




